CP26は7月25、26日に上海市徐涇東の上海国家会展中心で行われた。ここは中国国際輸入博覧会が2回とも行われた場所で、抜群の面積を誇る。四つ葉のクローバーを模した建物は、4枚の葉に8つのブロックが入っていて、CP26では同人エリアに1・2ブロック、企業エリアに7・8ブロックを使用した。じゃあ1ブロックごとがブースでいっぱいだったかと言うとそうではなく、中央にブースを集めていて周縁部はスッカスカだった。
企業エリア内の周縁部から撮影した同エリア中央部
今回のCPは、感染予防の一環なのか一般参加者の入場時間を分け、事前に10時入場、13時入場、15時入場のチケットをそれぞれ販売した。当日券はない。もちろん早い入場の方が買い物に有利だ。
自分はサーチケをもらっているので8時半に悠々と入場できた。入場時に、健康コードとチケット、そしてパスポートの確認があったが、何も揉めることがなかった。しかしパスポートの確認は、初日は受付で名前やナンバーをちらっと見ただけで終わったのに、2日目はきちんと顔写真があるページの写真を撮っていたので、来場者のデータを残していないとはどういうことかと担当者が初日終了後に注意されたのかもしれない。
・サークル側としての風景
さて、実はCPは2018年頃から同人エリアでの撮影が禁止されたため、残念ながら今回の模様を写真で見せることはできない。
何度も色んな場所を歩いてみたが、女性向けサークルがますます増えたなという印象を受けた。同人エリアは1号館と2号館に分かれていたが、東方ProjectやFateなどを含む男性向けサークルが1号館の一部にあるだけで、ほかはほぼ女性向けサークルなのではとさえ感じた。
とはいえ東方の島は同人誌やゲーム、CDなどのいつもの出展のほか、過去の東方関係のゲームができるコーナー、東方の歴史を展示した簡易博物館なども設営され、東方エリアの規模では今まで行ったCPの中で過去最大と言ってもよかった。
東方やアイマス関係のサークルには、今までなら日本から来た日本人がいたのだが、コロナのせいで今回は海外からの出展はほぼなかったはずだ。だから外国人サークルは友人のぐらいだと思っていたのだが、実はもう一つ、上海在住の日本人によるサークルが日本語のオリジナル同人誌を出していたのには驚いた。
・中国独自のキャラのあだ名
今回、友人が頒布したグッズの一つは、ビリビリ動画で良く分からないほど爆発的な再生回数を叩き出して中国で大人気になったアニメ『イド:インヴェイテッド』のポストカードなどだ。これは無料の代わりに、希望者にそのアニメの好きなキャラを言ってもらうという決まりを付けた。
自分は店番として、友人がいないときに応対をしなければならなかった。このアニメを2回も通して見たとはいえ、キャラ名を言われてもすぐに反応できるという自信はなかった。例えば主人公の鳴瓢/酒井戸は、日本語ではなりひさご/さかいどという読み方だが、中国語ではミンピャオ/ジウジンフーという呼び方になる。来場者の大半が中国人のこの場では当然中国語で答えられるわけで、一瞬反応が遅れる可能性があった。
だからこういうカンニングペーパーを作って、一応万全を期したつもりだった。しかし実際対応してみると、好きなキャラを正式名称で呼ばない人間がこれほど多いとは思わなかった。
例を挙げると…
「好きなキャラは?」
「春哥!」(哥は男性への敬称)
(春哥…そんな男キャラいたか…?)
文字にするとすぐ分かるが、本堂町小春という女性キャラのことだった。行動力があり男らしいから「哥(アニキ)」と呼ばれているのだろう。
例をもう一つ
「好きなキャラは?」
「Dong哥!」
(Dong…東…?ってことは東郷さん[女性キャラ]…?)
「えっと、誰…?」
「ああ、あの髪がない人」
(髪がない…ってことはおっさんキャラ…?でも早瀬浦局長も松岡さんもハゲていなかったはず…)
と、ヒントが全然ヒントにならず、結局その子がポストカードを指差して「このキャラ!」と言ってくれて分かった。
「Dong哥」とは「洞哥」であり、頭部に「穴」の開いた男性――富久田保津/穴井戸のことを言っていたのだった。
生兵法は大怪我の元だということがよく分かった。しかし、自分もビリビリ動画でコメント付きでアニメを見て、春哥も洞哥も流れるコメントでちゃんと目撃していたはずなのに、実際に音を耳で聞くとなると頭の中で全然結び付けられない。
ちなみに友人が用意した同人誌とグッズは初日の午前中になくなってしまい、同人誌は上海のコピー屋で再度印刷して2日目にまた頒布したが、それもまたすぐになくなった。
・闇マーケットめいた売買
CPは同人祭や総合同人展であって、同人「即売会」と形容できない事情がある。おそらく昨年から、同人エリアでは写真撮影を禁止するとともに同人誌や同人グッズなどに値札をつけることが禁止されたので、売買時は口頭で値段を確認するのがマナーになっている。またグッズの一覧表に「有償交換」と書いているサークルもあり、全員が暗黙の了解の下で物品とお金を交換している。
友人は今回、基本的に無料配布という形式で参加した。その理由は、コピー本やポストカードなどの製作にも当然費用がかかっているのだが、売るとしても10元(約160円)程度であり、そのような小さな金額のやり取りをいちいちしたくないからというのが大きい。中国ではこのようなイベントでもスマホ決済がすっかりメインになり、自分も今回は全てスマホで済ませたのだが、会場の通信速度の影響で支払いに時間がかかるときが多々あった。大勢の列が並んでいるサークルはどう対処したのか不明だが、便利なはずのスマホ決済の普及によって金の受け渡しを拒否した友人のような参加者は他にもいたのではないだろうか。
・コロナ、どれほど影響?
会場内のコロナ対策は思ったほど厳しくなかった。ソーシャルディスタンスというものはなく、各サークルブースには1テーブルにつき2つの椅子が用意されていたが、2人が座ると本当に密着状態で、テーブル同士もきっちりくっついている。列に並ぶ人々もそれほど間隔を空けておらず、あちこちで人がたむろしていた。
だが会場にいる人間は運営側やコスプレイヤーも含めて誰もがマスクを着用しており、外しているとたまに警備員に注意された。レイヤーは写真撮影時にはマスクを外していたが、その時はカメラマンとの距離が1メートル以上離れているので問題はないはずだ。
CP側としては、入場時に最低限の確認はしているので会場内でまで厳しく制限する必要はないということだろう。それは同人エリアだけではなく企業エリアでもそうで、ステージ前には人だかりができていた。
しかしやはりコロナの影響は大きく、海外からのゲストを招くことができなかった今回は、オンライン形式で日本の漫画家やZUNらとのトークショーを会場で配信したそうだ。これはこれで普段中国に来られない有名人を呼べて、交通費も浮くし交流の幅が広がってメリットは大きいが、サイン会ができないという決定的な欠点があるし、儲かるモデルではない。
ちなみに今回は2日間ともほとんど同人エリアにいたため、企業エリアの様子は良く分からない。一応初日に回ってみたが、ステージでダンサーが踊ってたし、クイズイベントもやってたし、各企業がテナントを出してグッズ等を販売していて、いつもと変わらないなと思った。
確かに、全員がマスクをしている以外、今回のCP26はこれまでのCPと大差ないように思えた。来る前は、サークルのブース同士が離れていたり、列は1メートル間隔を空けていたり、何があってもマスク着用必須だったりするのだろうと考えていたが、会場に入ってみたらマスクが目につくだけで他は「コロナ前」のそれだった。
これらの措置を怠慢と見るか、万全な態勢に基づく余裕と見るかは人によって分かれるかもしれない。だが参加者である自分は、窮屈さや緊張感をほとんど感じなかった今回のCP26にはとても満足している。これができたのも、当初の日程から開催を2カ月延ばしてコロナの感染拡大が抑制された時期を選んだCP運営側の判断や努力、そして度重なる延期にも諦めなかったサークル参加者のおかげだろう。
だがチケットによって入場時間を分けるのはどうかと思った。特に、15時に入場しても、その時には撤収しているサークルや売り切れているグッズも多々ある。自分も15時前に会場から出てくる時に今から入場するという人々とすれ違って、もう見る物も買う物も少なくなっているのにかわいそうだなと思ってしまった。
・コスプレってなんだろ?
サークルのブースに座っていたりウロウロしていたりする中で多くのコスプレイヤーを見かけた。正直なんのキャラか分からないのが多い(老化)中で、東方エリアに行くといわゆる「東方コスプレ女装男子(東方CJD)」がいて、その見慣れた風景に安心した。
ジョジョのコスをしているのはだいたい女の子で、鬼滅関係のコスはさほど多くなく、流行の移り変わりの速さを感じた(ただ、同人はたくさんあった)。
数あるコスプレの中で一番気になったのが、「これはなんのコスプレだろう?」という衣装の数々だった。コスプレは一般的に服を着て終わりではなく、染髪やカツラで髪の色を変えたり、化粧をしたりしてそのキャラの外見に近づける。だがCP26には、ゴスロリ(企業エリアにゴスロリ衣装販売コーナーがある)、現在の中国で人気の衣装「漢服」、そして女子高生の制服を着た女性「コスプレイヤー」が大勢いた。
もしかしたらそれらの衣装はなにかのアニメキャラのものかもしれないが、コスプレの完成度を見ると「服を着ているだけ」のようにしか見えなかった。
多分彼女らは何か特定のゲームやアニメのキャラを真似ているのではなく、普段着とは異なる衣装を身にまとってCPという舞台を楽しんでいるのだろう。CPなどのコスプレイベントは何かのキャラになりきるだけではなく、日常とは違う自分をさらけ出す場所でもあるのだ。コロナが身近にあるいまの日常が「ケ」であるならば、CPなどのイベントはまさに「ハレ」の舞台だ。今後も「晴れ着」を着た参加者はますます増えることになるだろう。
今回はサークル参加者の友人のおかげで楽して参加できたわけだが、次回はなんか頒布品を持って行かないと申し訳ないなと思った。
しかし、いつもなら会場出口付近には次回のCPの開催日時が書いているはずだが、今回何もなかったのがとても不穏だった。例年通りなら今年の冬に再び開催されるはずだが、上海の今の状況が一転して悪くなる可能性もゼロではないので、運営側もそうやすやすと告知できないのだろう。
日本の冬のコミケも中止が決定した現在、今年最大規模の同人イベントだと言われているCOMICUP26だが、無事CP27も開催してその記録を更新してほしい。
今回の戦利品
上海市で7月25・26日に中国最大規模の同人イベント・COMICUP(以下、CP)26が無事開催された。無事と表現したのは、今回の新型コロナウイルス感染症の影響で、本来5月開催だったイベントが6月に延期され、再び7月に延期された末の開催だったからだ。
上海では大きな感染拡大が起きなかったが、5~6月に北京などで感染が報告されるたびに本当に上海で開催できるのかと不安になったし、開催直前には大連で感染者が確認されて対策が強化されたため、もし上海で起きていた場合、CP26は再び延期、または中止になっただろう。
これまでCPには北京から何度も参加しているが、今回はサークル参加する友人からサークルチケットをもらい、その店番という名目で入場することができた。コロナによる変化を含めた今回のCPの様子を書き、備忘録代わりにしたい。ここでは上海に行くまでの登録や準備について書く。
CP26にサークルとして参加する友人は当然創作物を持って行くつもりであり、上海出発直前まで日本アニメの同人漫画及びグッズを製作する上で締め切りと闘いながら散々産みの苦しみを味わっていたが、自分の心配事は無事に上海に行けるのか、着いてもちゃんと行動ができて北京に帰れるのか、北京に帰っても何事もないか、だった。それはやはりコロナが関係していた。
今回の上海・北京間は片道4時間半かかる高速鉄道を使用したが、この切符もこれまでと違っていて、発券がなく電子チケットだった。チケットの電子化自体はコロナがきっかけではなく昨年からすでに始まっていたのだが、初使用の自分としてはちゃんと申請がされているのか、それに中国の「身分証」を所持していないわれわれ外国人はパスポートを使用するので、どのように改札ゲートを通過するのか考えると不安になった。
もう一つはホテルの予約であり、これも高速鉄道と同様に以前からパスポートナンバー及び名前(ローマ字)を入力するシステムだ。上海旅行の際はいつも安宿を取っていた。しかし友人が、半年以上海外(日本)に行けていないどころか中国国内の旅行も満足にできていないので、せめて出先の上海では良いホテルに泊まろう、湯船のある部屋を取ろうと言って五つ星ホテルを取ったので、じゃあ自分もとで友人とは異なるホテル(昆侖大酒店)を予約した。
一泊600元(約1万円)ほどで、でかい部屋やベッドもそうだが、デスクがあるのが非常にありがたかった。ここでならいくらでも「カンヅメ」できる。
・手応えのないデジタルへの不安
高速鉄道もホテルの問題は当時から考えても単なる杞憂にすぎないが、それ以上に気がかりだったのは健康コードだ。現在、中国各地ではその土地(省や市)特有の健康管理アプリをスマホに入れ、店舗や施設に入る際はそれを提示し、自身が感染の疑いがないことを証明しなければならない。自分が住んでいる北京も行き先の上海も感染リスクは低く、移動が原因でそのコードがグリーン(セーフ)からレッド(危険)に変わることはないのだが、しかし何か不都合が起きないかを考えてしまった。
ちなみにホテル予約時もホテル側に宿泊の条件をちゃんと確認し、PCR検査の証明は必要かとメールで聞いたところ、感染低リスクエリアに住んでいる人は不要と言われたのでその手間は省けた。一応北京ですでに検査をして「陰性」の証拠はあるのだが。
さらに今回のCP26はサークル参加者・一般参加者関係なく事前に実名と身分証(外国人などはパスポート)ナンバーの登録が必要だった。これもまた本当に登録できているのかが心配だった。
しかし実際は、高速鉄道のゲートはパスポートを機械で読み取り、上海に着いても健康コードは正常に起動し、CP26の会場にも入れたし、北京に戻っても特に異常はなく(2日後に健康コードの再登録が必要になったが…)、問題が起きることはなかった。
一方友人はサークルチケット(サーチケ)が無事届くのか気を揉んでおり、なんと上海から北京にサーチケが届いたのは出発前日の7月23日(木)だった。そのため、サーチケに同封されているサークル出展契約書は現場で提出した。
コロナと初めてのこと、さらに旅行という要素が重なった結果、余計な気苦労が増えただけなのだが、こういう風に感染拡大予防が理由で必要な登録がどんどん必要になっていくと、心配性の人間はますます暮らしにくくなる。
最近はコロナに感染すること以上に、今後中国(北京)で発表される措置に自分が対象としてちゃんと含まれているのだろうかという方が心配だ。成功体験を積むことでその緊張も幾分緩和されるので、不安に対する一番の対処法は挑戦なのかなと今更ながら考えてしまった。
・1年ぶりの上海
無事上海に到着し、ホテルに荷物を置くと早速夕食を食べに出掛けた。夕食はもちろん、上海に来たら毎回食べているアレだ。
哈霊麺館のカエルラーメン
いつも通り美味かったが、カエル肉のプリシャキ感が足りなかった。
半年ぶりに見た上海の町並みはやはり郷愁を感じさせるものだった。上海の町並みは日本と似ていると言われるが、そもそも東京など本州に全然行ったことがない自分でも懐かしさを感じるのは、さすがは「魔都」上海と言ったところだ。
そしてビールを2缶買って部屋に戻り、風呂にバブを入れ、約半年ぶりに湯船に浸かり、デカイベッドに早めに寝て明日の本番に備えた。
「晩点五十八小時(58時間遅れ)」というタイトルの本書は、実際の2008年1月末に中国の南部で発生した豪雪により立ち往生となった列車が、58時間遅れで次の駅に着く間に車内で発生した殺人事件の解決までが描かれている。列車という密室のさらに個室で発生した「二重密室」の謎に、機械工学科出身の理系女子が挑む。
旧正月に広東の実家に列車で帰るはずだった葉青は、車内で偶然、山海大学の後輩の郭江南に再会する。聞けば、指導教官の文克己含む実験チーム一同、香港で開催されるフォーラムに参加するために列車に乗っているのだという。だがその夜、一人だけ個室を取っていた文克己が室内で死んでいるのが見つかる。死体には中毒死の症状が見られ、首には蛇に噛まれたらしい傷跡があったことから、毒蛇が死因だと疑われたが、飛行機と同様に手荷物検査が厳しい列車に毒蛇を持ち込むことは不可能だった。列車に乗り合わせていた葉青の叔父の鉄道公安官・李大鵬は、実験チームのメンバーを疑い一人ずつ話を聞くと、出発前、チームはとある「チップ」に関する取引を何者かに持ち掛けられていたことが分かった。そして大雪により停車してしまった列車のトイレで、今度は郭江南の死体が見つかる。首にはまたもや蛇が噛んだような傷跡があった。葉青は李大鵬らと共に車内を調べ、他の乗客に聞き込みをし、徐々に真相に近付いていくも、3人目の被害者が出てしまう……
実験チームに寄せられた、とあるチップの取引に関する手紙は冒頭で登場したので、てっきり事件の中核はこれを巡るものになるかと思いきや実はあまり関係ないので、殺害方法もそうだが動機すらも不明のまま物語の後半に突入するので、そう簡単に謎を明かさないぞという作者の自信が感じられた。
本書の最大のポイントは、2008年1月末に中国の南部で実際に発生した雪害を背景にしているところだろう。架空の土地や時間を創ったほうが楽だと思われるのに、敢えて10年以上前の現実を物語の舞台にしたことは、単にスマホ等のツールを出したかったわけではない。本作は(中で語られる設定が真実とするなら)、この時代のこの列車でなければ実現不可能なトリックを発表するために書かれたものであると言っていい。もう一つ、実現できるかどうかはさておき、強度のある釣り糸の使い方にも感心したし、その犯行を目撃したのが精神障害者で、証言の信憑性が低く、彼自身詳しく説明しようとしないという犯行の見せ方は上手いと思った。
そして最後に明かされる動機は現在でも十分殺人の動機足り得る内容であり、過去を舞台としていながらも、それに甘えることなく現代でも通じる問題を提起する余韻の残し方は見事だった。作者の歩錸にとって本書が初の長編ミステリーらしい。今まで新星出版社のミステリー畑以外の作家による作品は、どれも定石を外しすぎていて評価が低かったが、本書は次作も期待できる内容だった。
「智商」とは中国語で知能指数という意味で、一般的には頭脳を駆使して警察を翻弄する知脳犯を「高智商犯罪」と言う。以前自分が翻訳した同作家のデビュー作『知能犯之罠』(原著タイトルは設局)は、防犯カメラのスキを突いて警察の捜査を出し抜く犯人が登場し、まさに高智商犯罪を描いた作品であり、本書は内容や登場人物がそれとは対になっている。
省公安庁副庁長の高棟は、同じく省公安庁副庁長で出世のライバルでもある周衛東とそのおいの周栄に関する密告を受ける。周衛東のために裏で散々悪事を働いてきた周栄を捕まえられれば、周衛東を出世レースから蹴落とせるばかりか、自分が次の庁長の座に就くことができる。そして高棟は腹心の部下である張一昴を、周栄が縄張りとしている三江口という土地の刑偵局副局長として派遣することを決める。だが高棟には一つ懸念があった。それは、張一昴がこれまで「直感」だけを頼りに捜査を乗り切っていたことだ。三江口に派遣された張一昴は早速難題にぶち当たる。刑事の葉剣が何者かに殺されており、しかも現場には張一昴の名前がダイイングメッセージとして残されていたのだ。張一昴が着任早々最初にしなければならないことは、自身の潔白の証明だった。一方その頃、2人組の強盗が三江口を次の狩場に選んで向かっている途中に偶然起こしてしまった殺人事件のせいで、三江口の警察や裏社会はさらなる混乱に巻き込まれる。張一昴たちはこの局面を乗り越え、犯罪者たちを一網打尽にすることはできるのだろうか。
『知能犯之罠』では市公安局の所長だった高棟が順調に出世を重ねて省公安庁の副庁長にまで上り詰めている。そしてその時は彼の忠実な部下だった張一昴が、それを買われて三江口という県級市の副局長に抜擢された。『知能犯之罠』同様に本書でも、事件の解決が出世レースに利用され、正義とか倫理とかいう作品の雰囲気を湿らせるものは排除されている。その代わり本書全体にあるのは自分の進退をかけた人間たちの必死さであり、周衛東派閥の警察官らが張一昴に三江口で手柄を立てさせまいと工作に出れば、上層部では高棟が現場の捜査に口出しする周衛東を論破したりと、現場以外での「場外乱闘」も見どころの一つだ。
本書のタイトルは『低智商犯罪』だが、もっと分かりやすく言えば、いきあたりばったりとか浅はかな犯罪と言っていいだろう。本書には『知能犯之罠』で警察を手玉に取った徐策のような知能犯もいなければ、理詰めで事件の真相に近付いて行く高棟のような警察もおらず、これまでの紫金陳の作品とは真逆の方向性だ。警察側も犯人側も目先のことしか考えず、目の前にある問題の解決を第一に考えるので、長期的なビジョンを持った人間が一人もいないため事件がどんどん複雑になっていく。もともと周栄の犯罪の証拠を探すだけだった任務が、各人の思惑が重なった結果、強盗、汚職官僚、密売人、殺し屋など三江口に裏社会の関係者が揃い、みんながみんな誰かが起こした事態に振り回されるという展開になる。ミステリーとして一級品であるのはもちろん、コメディ小説としても大変優れている作品だ。
登場人物もみな一癖も二癖もある造型で、一筋縄ではいかない人間ばかりだ。高棟に実力を心配されている張一昴も部下に指導できるぐらいの経験や知識は持っているのだが、「あの」高棟の部下ということでだいぶ買いかぶられており、彼が運に任せて事件を解決するほど部下がますます心酔するという構図になっている。また彼自身も苦労人で、部下に手を焼いているという人間味があるのも良い。
その困った部下の一人の李茜は、おじが公安部のお偉いさんという新人女性警官で、はれもの扱いされるのを嫌い、正義感を発揮した単独行動もしょっちゅうだ。恐ろしいのは彼女が自分の立場をきちんと分かっているところで、張一昴たちの捜査の邪魔をする上司がいれば、その目の前でおじに電話をかけて脅迫するというお嬢様ぶりを発揮。正義感があり、ワガママで狡猾という、敵にしても味方にしても厄介な存在だ。
他にも、清廉潔白で慎ましい生活をしている方庸という役人がおり、彼の懐柔をすべく周栄が接触した所、実は今までずっと高価な骨董品や文化財を賄賂代わりに受け取っていた正真正銘の汚職官僚だったことが分かり、彼へのプレゼントを用意するために周栄は自ら問題を招くことになる。
周栄自身も悪人だがゲスというわけではない仲間思いな人間で、今回の結末は彼自身の弱さや甘さが引き起こしたものといえるかもしれない。このように登場人物の属性はありきたりかもしれないが、どのキャラも個性的で同ジャンルの他作品と比べても埋没しない魅力がある。
こういう喜劇系ミステリーは、とんでもない言動のバカや自分勝手な奴が散々場を引っ掻き回して最後には自分も予想していなかった漁夫の利を得るという結末になり、要所で読者を不快にさせる描写が目立つ。しかし本作は全員が必死に動き、欲を出して行動したために状況をますます悪くさせながら、勧善懲悪の結末に収束する。ドタバタ劇の結末後の「その後」の話でも放置していた謎をきちんと回収し、全力疾走後のクールダウンも見事に決めるベテランの筆さばきを見せてくれる。
笑えるミステリー小説とはこういうものだなということを教えてくれる作品だった。