日本では時代遅れのものに対して「令和の時代に?!」ってツッコむことがあるが、それでは中国ではなんて言うのだろうかと考えた。「小康社会の全面的完成が実現する今年に?!」だろうか。そのぐらい新鮮味がない内容だった。
嵐の夜、欣欣と羽羽の双子姉妹は観光バスに乗り遅れたという林芸を車に乗せ、少数民族の村に雨宿りする。村には他にも、民俗学者だという白澤、陳と葉の男女のカップルが避難しており、意図せず来客となってしまった6人は歓待を受ける。その夜、陳が行方不明になり、村で禁断の地扱いされている広場で男性のバラバラ死体が見つかる。だがそれは村の医者薩克のものだった。雨により外界と隔絶された村で、旧習を利用した事件が起きる。
ありふれた設定にもかかわらず、別に何かの方面に関してこだわり抜いたわけでもなく、全然コテコテじゃないので肩透かしを食らう。少数民族の村には一応村人全員が守る禁忌があり、それを利用したトリックが登場するのだが、今の時代にタブーとか言われても人を殺すような人種はそんなの気にしないだろう。
登場人物もその個性が物語を面白くする役割を果たしていない。一応主人公?の欣欣と羽羽が双子である意味がよく分からず、本作では探偵役の民俗学者の白澤が他人に不快感をもたらす女好きという、読者から好かれない設定にしたのかも理解できない。冒頭で唐突に登場する林芸が重要人物じゃなかったらどうしようかと心配していたので、きちんと事件に関与していて安堵したぐらいだ。
さらに6人の客をもてなす村の長老は中国で一般的に話されている「普通語」が分からず、高齢のためいつも家にいるという設定なのだが、この人物が実は自由自在に動いて犯行を行っていたり、何らかの形で事件に関わっていたりするのかと思いきや、結局、閉鎖的な村と招かねざる客の対立関係を緩和させる装置に過ぎなかったのも拍子抜けだった。
過去の名作から舞台や設定などをつまみ食いしたように見えるが、実際は一つ一つの掘り下げがとても浅く、どれもこれも受けるポイントを外しまくっている。だから、読んでいる途中までは、前近代的なミステリー小説の体裁を借りた、全く新しい実験的な展開になるのではとワクワクし、その期待は残りのページ数が決定的に薄くなる後半まで続いた。『匿身』というタイトルから、何かの秘密が事件の核心となっているのだろうという当たりはつけられ、それが少数民族の風習と結び付いていることが明らかになるが、過去の名作に備わっていた湿っぽさや陰惨さが全然感じられず、結末を読んでも驚きはない。
本当になんで今さらこんな作品を書いたんだろうか。ページ数を2倍ぐらい増やして、各キャラや村の歴史の掘り下げを徹底的にやれば、昔の長編探偵小説のオマージュにはなっただろうか。
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