エラリィ・クイーン好きで、これまで本格ミステリーを書いてきた著者が初めて挑戦した社会派ミステリーと聞いて期待していたのだが、かなり当てが外れた。新聞記事から切り抜いた「社会問題」を手当たり次第ぶちこんで、「社会派でござい」と公言するのは不誠実だろう。ちなみにタイトルの梟獍とは、恩知らずの悪人を意味し、梟は母親を食い殺す悪鳥、獍は父親を食い殺す悪獣を指す。
将棋仲間の徐述聖、銭志国、戴興華は老境に差し掛かり、ともに人生に絶望していた。徐述聖はガンで、銭志国は老いらくの恋に破れ、戴興華は賭博による借金が原因で自殺を考えていた。しかし老人ホームの看護師がニートの息子からひどい家庭内暴力を受けていると知り、どうせなら人助けしてから死のうと考え、その穀潰しを殺す。だが犯行現場が何者かに盗撮されていて、謎の人物から脅迫を受けた3人は、次に老人ホームの施設長を殺せと命令される。他に選択肢がない3人は施設長室に向かうが、施設長はすでに殺されていた。そして犯罪に関してはずぶの素人の3人は警察の捜査によって着実に追い詰められていく。
タイトルもテーマも、3人のジジイというキャラクターも素晴らしいのに、どれもこれも浅堀りで終わってしまったもったいない作品。身寄りのない高齢者、家庭内暴力、ニート、子育てなどなど、親子関係に焦点を当てた一冊だが、どの問題も出すだけ出して終われば先に進むだけで、読書中は中国のこれらの社会問題を深く考えることも、当事者に思いを馳せることもなかった。しかしこのテンポの良さは本作の長所かもしれず、殺人という行為に3人のじいさんがためらう描写を省き、即座に殺人を決行、その場でアリバイをつくるといった場当たり感に、著者の出自はやはり本格ミステリーなのだと感じた。ニートの息子は悪人だけど施設長は善人だからと、3人が殺しをためらう様子からは、ネットのシンプルな善悪論が見て取れ、こいつら本当に老人か?と思ってしまった。
どうせなら余命幾ばくもない恐れ知らずの老人たちがちっぽけな悪を私刑に処していくっていうコメディ路線を突き進んでほしかったが、それは難しいか。
そんなジジイ3人を追うのは警察官の喬俊烈。彼も家庭に問題を抱えていて、自分と母親を顧みなかった父親を死ぬほど恨んでいるのだが、実はそれには理由があって……と、ここでもやはりテンポの良さが出て、喬俊烈の父親への恨み描写→誰かが理由を説明→雪解けというように、感動へ至るまでの溜めがほぼゼロだからとにかくどのエピソードも薄っぺらく感じてしまう。
そう、結局のところ著者の書きたいことが多すぎて、この約250ページの作品では収まりきれず、どの小さなエピソードも展開が性急になってしまっているのだ。最後の推理パートでは、これまでストーリーとは無関係だった女性のヒストリーにページが割かれ、女性の貧困問題とかキャバクラ依存みたいなことまで書こうとする。著者がどうしてテーマをこれでもかと詰め込んでしまったのか理解できない。編集者とか手綱を握ってくれる人がいなかったんだろうか。
さてここからネタバレというかツッコミ。
遣唐使の口癖のせいでツイッターでバズってしまった作品。ただ読み通しても遣唐使は驚くばかりでろくな活躍が与えられていなかった。
則天武后の時代、宮中で「猫鬼」騒動が発生する。猫の妖怪の大群が銀十万両を積んだ車を奪い去り、猫鬼を飼育していたと噂される男が動物に襲われたかのような惨殺死体で見つかる。さらに宮中の壁には、則天武后に惨たらしく殺された蕭淑妃が遺したとされる「貴様が鼠なら私は猫になる」という呪いの言葉が浮かび上がる。呪いこそ信じていないものの、何者かが則天武后の命を狙っていると考えた御史の張鷟は狄仁傑の孫の狄千里、遣唐使の粟田真人らとともに妖怪退治に挑むが、怪異の裏には恐るべき権力闘争があった。
則天武后の在位中なので、正確には唐ではなく武周の時代だ。だから粟野真人も「遣唐使……いや、遣周使の粟野真人です」と自己紹介している。則天武后がトップにいることも事件が起きた原因なので、「唐」とひとくくりにするのはちょっとためらわれるが、面倒なのでここでは唐と統一したい。
中国妖怪研究家である著者の張雲によると、「猫鬼」、つまり猫の妖怪は中国の法典に唯一記載された妖怪であり、『唐律疎議』には「猫鬼を飼育したりこれを操った者は絞首刑に処す」とあるそうだ。そんなものの実在が信じられていた時代、探偵役の張鷟の役どころは謎の解明以前に、この怪異は人為的なものだと証明すること。しかも依頼主はあの則天武后なのだから、プレッシャーが半端じゃない。
しかも悪いことに、猫鬼事件が残した数々の証拠が、則天武后の実の息子で、即位後わずか数ヶ月で退位させられた李顕を指しているものだから、老境に入って曖昧な状態の則天武后が、息子がクーデターを目論んでいるという妄想に囚われるのも仕方のないこと。だから張鷟は、李顕が処刑される前に彼の無実を証明しないといけなくもなり、とんでもない高所での板挟みにさいなまれる。探偵が依頼人に平身低頭しながら容疑者の無罪を主張するのは封建社会でしか見られない光景だろう。
魑魅魍魎が信じられていた頃の風習、まだ太平の世とは言いがたい国内環境、さまざまな人種が入り乱れる最先端都市長安といった当時の中国ならではの謎と推理が楽しめる一冊。特に、歴史の裏付けがあるから許されているのだろうが、特定の人種を犯罪者(しかもクーデター首謀者)として扱うのは、今の中国の出版業界では絶対NGだろうから、まさにこれは時代ミステリーならではの役得だ。
またこの作品では、則天武后◯◯説が提唱されていて、まぁ100パーセント作者の想像に基づくフィクションなのだろうが、あの残虐苛烈な女帝の晩年をいっそう哀れなものとして、彼女を人間らしく描こうとした著者の優しさが垣間見られる。
ところでこの本、序盤では特に著者の妖怪への考え方があけすけに書かれている。猫鬼の群れを見た粟野真人が「我が国ではこれを百鬼夜行と言います」と説明した際、張鷟はそれを一笑に付し、「いやいや粟野くん、いわゆる百鬼夜行とは中国が起源なのだよ」とテコンダー朴構文をかます。
この張鷟の言葉こそ、著者が言いたいことではなかったのか。実は著者は以前、どこかのインタビューで、「妖怪」はもともと中国のものだったのに今ではすっかり日本の文化として世界に広まっていることを歯がゆく思う気持ちを吐露していた。つまりこの言葉は、外国人の間違いを指摘しているように見え、中国の文化や歴史を十分に知らない自国民への批判だったのではないか。
著者は本書を通じて、中国の妖怪文化をもっと世に広めたかったのだろうが、だったら本書を妖怪ミステリー小説ぐらいに留めてほしかった。なにせ唐を舞台にして則天武后や李顕ら実在の人物が次々に出てくるのだから、歴史小説的な側面が出てくるのは避けられない。だから本書は正確に言うと、妖怪歴史ミステリー小説だ。疲れるから、次回作は歴史成分薄くしてほしい。
著者の趙婧怡は翻訳者としての顔も持っており、青崎有吾の『ノッキンオン・ロックドドア2』や阿津川辰海の『紅蓮館の殺人』などを翻訳している。またSFミステリー短編集『扮演者遊戯』を出している。
長編小説である本作は、本格ミステリーと社会派の融合という煽り文句が帯に書かれているが、社会派成分はそこまで感じなかった。あと、なんというか、本書を読んだあとに自分で書いた『扮演者遊戯』のレビューを読んで改めて思ったのだが、この作者、◯◯トリックが好きなんだなと思った(この感想自体が本作のネタバレになってしまうので伏せ字)。
東陽市郊外のガラクタ置き場で王治国という名の男の死体が見つかる。郊外とは言え、死体が無造作に捨ててあった事実に、事件捜査を担当する刑事の周宇は嫌な予感を覚える。案の定、死体の発見現場を調査すると、その下から十数年前に行方不明になっていた宋遠成とその娘・宋小春の白骨死体が出てきた。なぜ犯人は王治国を殺したあと、父娘の白骨死体が眠る場所にわざわざ捨てたのか。三人の死者にはどういう関係があるのか。周宇は新人刑事の方紋とともにこの難事件の捜査に当たる。
一方、大学生の秦思明は奇妙な荷物を受け取った。それは十数年前に東陽市で起きた女児誘拐事件に関する新聞の切り抜きだった。なぜそんな事件の記事が自分のところに?という疑問以上に、秦思明には不可解な点があった。家が裕福な彼は、大学寮ではなくマンションを借りて一人暮らししており、その住所を知る人間は母親の馬雪瑩以外いないはずだった。不安になった彼は、程よい距離感の友人・肖磊に相談する。しかし何者かからの荷物は次々と届き、その中には赤ん坊を抱く若い頃の馬雪塋の写真があった。だがそこに写っている赤ん坊は、秦思明ではなかった。彼は徐々に自分の出生、そして母親の秘密に迫っていく。
中盤まで差し掛かっても、周宇のAパートと秦思明のBパートがどう交わるのか予想のつかない展開。死んだ王治国は昔、宋遠成の娘・宋小春を誘拐した疑いがあり、最近では馬雪塋を脅迫していたので、過去と現在を結ぶ重要人物である。ではその彼を殺したのは誰か?
Aパートでは宋遠成の義理の娘・宋迎秋の証言によって、Bパートでは秦思明の友人・肖磊の協力によって、どうやら馬雪塋が王治国殺害と宋小春の誘拐には関与していそうなことが分かる。しかし怪しいところ満載の馬雪塋にはGPSアプリの行動履歴による鉄壁のアリバイがあり、それを崩すには不可能に見えた。
しかしそもそもどうして馬雪塋にこれほど疑いの目が向けられたのかと言うと、情報提供者の宋迎秋と捜査協力者の肖磊の働きが大きい。宋迎秋が周宇たちに当時の事実を話すのは、義父の敵討ちのためなのか。肖磊が秦思明を支えるのは、友達だからか。物語はこの「二人」の真意が分かってから加速度的に面白くなっていく。
事件の発端となった誘拐事件は、犯人が知力を尽くして実行に移したというのでは全くなく、他人の身勝手さと偶然が重なった極めて不幸な事故とも言え、そんな不幸なバトンリレーあるのか?と興醒めしてしまったが、だからこそ回りくどい復讐を選んだのだろう。
第7回金車・島田荘司推理小説賞の優秀賞に選ばれた作品。入選作ではなく優秀作なので、外国語に翻訳される予定はなさそう。
子どもの書いた不思議な手記が、どういうわけか館殺人と結び付き、さらには中国で過去に起きた巨大な出来事の関与も明らかになって、いったいそれぞれがどう融合するんだ?!とハラハラワクワクさせられる作品だった。
物語は、阿海という名前の少年の残した手記から始まる。友達の家から盗んでしまった積み木(というかレゴブロック)で遊んでいた彼は、気付けば見知らぬ部屋にいて、ベッドに寝かされていた。そばにいるレゴ人形みたいな男に話し掛けても、全然言葉が通じない。そして部屋の外から轟音が聞こえ、ブロックも部屋も崩れ、辺りは真っ暗になってしまった……
という内容が書かれた手記が張志傑の家から見つかる。しかし張志傑一家は、十年以上前のものと思われるその手記に誰も心当たりがなく、手記の執筆者・阿海を含め、そこに登場する人物についてまったく知らなかった。張志傑の友人で、推理小説家としてデビューした白越隙(作者・白月系と同じ発音)は、自称探偵の謬爾徳と共に、その手記の執筆者の正体、その内容の真偽について調査する。その結果、その手記は張志傑のおじで自称建築家の趙遠文の遺品らしいということがわかったが、彼は数年前に謎の自殺を遂げていた。
一方、大学の詩サークル「海谷詩」に所属する「私」こと余馥生は、メンバーとともに七星館という屋敷で合宿中に連続殺人事件に遭遇する。そこは前所有者の趙書同が諸葛亮孔明の「七星灯」をイメージして建てた別荘で、各建物には孔明とゆかりのある展示品が飾られているのだが、それを使って孔明の伝説を再現したとした思えない事件が起きるのだった。
あらすじが長くなってしまったけど、物語の発端である手記と、それを調査する白越隙たちのことと、七星館の殺人に触れないことには本作は語れない。ただ、この程度だと三者の関連性がよく分からないだろう。しかし分かるまで書いてしまったら完全なネタバレになってしまうので、これ以上深掘りするのはやめておく。
そしてこの本、謎が作中でリストアップされ、復習として何度も出てくるのは、自分みたいな忘れっぽい読者にはかなりありがたかった。
白越隙と余馥生の視点で進む本作は時間軸の隠し方が露骨だ。
手記が十数年前に書かれたことはともかく、白越隙たちの捜査と七星館での殺人事件は同時並行しているのかという点について、著者はかなり多くのヒントを出している。白越隙たちのパートは、「健康コード」のせいで行動が制限されるとか、どこへ行くにもマスクが必須とか、現在(本書執筆時の2021年末)の中国の新型コロナ事情をこれ見よがしに記している。それに対し、七星館の方は話の舞台を不明瞭にしていて、なんとなく過去の話だと読んでいて感じる。要するに、にぶい読者であっても、二つのパートは並列していないと分かる構成になっている。
七星館で見られる人間の死に様はかなり強烈で、作中もイラストで説明されるのだが、これだけ見ると笑ってしまいかねない。ぜひ映像化してほしい死に方で、正直、文章として読むだけでも十分、自分の目と作者の頭を疑うぐらいインパクトがある。ガンギマっているとしか思えない子どもの手記の内容は、レゴブロックで再現するべきだ。
しかし、七星館の場所、そして時代が分かってからの展開は圧巻で、推理小説だというのに死者に対して弔意を示したくなる。
本作は中国のレビューサイトで「島田流」(島田荘司らしい作品)とたたえられ、その奇想天外な「謎」(トリックではなく、あえて謎と言う)の回収方法が、やや牽強付会と言われながらも評価されている。どうやったのか、なぜやったのかわからない謎の数々が、ある一つの大きな事実を示されるだけで、一気にそして強引に解き明かされるのだ。
十数年前に中国で起き、中国人全員の心に深く刻み込んだ大きな出来事を、謎を構築するオチとして扱い、人間の死を冷徹に描き、死体の尊厳を気軽に踏みにじる本格ミステリーの世界に登場させた著者の判断には敬服する。
過去に起きた事件を現代で振り返る内容だから、その出来事こそ物語の発端なのだが、順序を引っくり返してオチに持ってきているから、読書中に不謹慎さや気まずさを覚えることはなかった。本書は新型コロナを一つの区切りとし、過去十数年間で中国で話題になった数々の社会問題を、一つの事件を構成する要素として取り入れており、中国の「いま」を切り取ったミステリー小説として今後何度も取り上げられるようになるだろう。
だからこそ、エピローグがまったくの蛇足だと感じた。しかしその感想は結局、自分が外国人だという証明かもしれない。
第7回金車・島田荘司推理小説賞の受賞作はマレーシアの作家・王元の『喪鐘為你而鳴』で、簡体字版はまだ出ていないし、読んでいない。しかし、本当に本作を上回る内容なのか?と不安に思ってしまう。それぐらい、優秀賞の『積木花園』は良かった。
タイトルは『流浪医生的末日病歴(流浪医者の世紀末カルテ)』。中国語の「末日」は終末という意味だが、『北斗の拳』のおかげ(せい)で「世紀末」でも世界観は通じるだろう。本書にも野盗が出るし、国というものがなくなって人間が集落単位で点々と暮らしているので、そこまで間違ってはいない。
世界的な疫病で数十億人の命が一気に奪われ、村は荒野と化し、都市は廃墟と化した。その「大災害」から十数年後、流浪の医師・平榛は「聖女」を崇める男どもの集団に拉致され、その子の病気を治療するよう命じられる。しかしその子は、子ども扱いされているが実年齢は16歳ぐらい、何故か幼い頃の記憶を失っており、しかも病気というのは単なる貧血だった。この集団と「聖女」はどんな関係があるのか?そして彼は「聖女」から、外の世界を見させてほしいとお願いされる……
久しぶりに買った華文ライトノベル(これからは中国語の小説は全て『華文』と呼ばれるようになるんだろうか。特にエンタメ系は)。中国のラノベ関連の大賞受賞作品で、期待して購入したのだが、実はあまり内容についていけなかった。そもそも日本のラノベも全然読んでいないので、これがライトノベル界隈全体の潮流なのか、中国で突然発生した怪作なのかは不明だ。しかし中国での評判は良い。
別の中国人読者も言っていたが、単行本の1巻と2巻を合わせたような構成をしている。流浪医師・平榛が「聖女」と会って、彼女の秘密を調べながら拉致集団の包囲網から脱出、2人で旅を続ける……というような構成でこの巻が終わっていたら、まだ通常の読書のリズムと合ったが、本書はそれとは異なる。同書を半分ほど読み進めると、平榛と女の子の2人旅がスタートするのだが、出会いから3年後がいきなり描かれるのだ。しかも女の子は触手型生物に寄生されて二重人格になるという急展開。さらにその触手は『寄生獣』のミギーのように武器に変形したり、喋ったりするという……世紀末は何でもありなのか?と思ってしまった。
前半では平榛が拉致されてほとんど一つの場所に留まり続けるが、後半は2人が各地を旅して行く先々で病人やけが人を治しながら、事件に巻き込まれたり、過去の大災害に関係していそうな製薬企業KSGの謎を探ったりする冒険譚になっている。さらに2人の関係が深まり、「聖女」は朱砂と名乗って平榛の助手をするようになり、弱々しく控え目だった「聖女」のときとは一変して、天然で物怖じしない性格になる。同じ巻でここまでストーリーの緩急の差やキャラクターの変化をつけられると、なかなか追いつけない。
流浪医師の設定が面白い。世紀末的世界では医者のような技術者は真っ先に必要とされる人材だが、自爆病という不治の病のせいで彼は定住することができないのだ。自爆病とは、読んで字の如く全身が爆発する病気だ。これの厄介なところは、いつ爆発するのか病人にも分からず、爆発する瞬間までは健康な人間とほぼ変わらない点。もう一つは、病人が自爆した際、それに巻き込まれた人間も自爆病に感染してしまう点だ。この病気によって彼は他人から疎まれ、流浪の身を選ぶようになる。
自爆病というありえない病気が、主人公たちに旅を続けさせる理由になっている。
「聖女」朱砂は、触手に寄生されてから二重人格になり、触手時の人格は丹砂という好戦的な女の子になり、触手を武器状に変化させて戦う。また普段の朱砂も平榛からもらった爆発する弩(矢の先に自爆病患者の血液を付着させ、刺さった相手を爆発させる仕組み)を持っているのでどちらも戦う女の子だ。そして丹砂も完全に独立した人格というわけではなく、記憶を失っている朱砂に確かに存在した人格なので、彼女が過去に何をやっていたのかが気になってくる。
中でも一番気になるのは、キャラクター紹介のイラストにある宮原遥奈という日本人の少女だ。このネームドキャラがいくら経っても登場しないし、この子が関係するような物語にもならないのだ。そもそも、多分中国が舞台なのにどうして制服を来た日本人少女が出てくるのか。そう思っていたらラストの番外編でZUNの名言とともに登場。
実は彼女は世界が荒廃するきっかけになった大災害の原因らしく、不老不死になってこの数十年間ずっと体が変化していない。そして海を渡って、少年時代の平榛に弩を渡した過去があった。かなり超重要キャラで、触手以上に設定盛り盛りだ。こんなキャラをラストの番外編で出すことに大変面食らった。
宮原遥奈を含め、さまざまな謎を残したまま1巻は終了。果たして2巻はあるのか。あるのなら、特典としてポスカとかアクスタを入れるぐらいなら、挿絵をたくさん載せて欲しい。中国ラノベにありがちなのだが、ライトノベルなのに挿絵が一枚もないのだ。挿絵がないと物語の展開やキャラの機微が分かりづらいので、2巻以降ではそこを改善してほしい。
『13・67』や『網内人』の陳浩基によるSFミステリー小説短編集の簡体字版(2021年出版)。オリジナルの繁体字版は2020年に出ている。
主人公はジョジョのスタンドとデスノートが合わさったような能力を持つ殺し屋・気球人(バルーンマン)。彼は相手の体に触れるだけで、その体の内部をまるでバルーンアートのように捻ったり膨らませたり爆発させたりすることが可能、しかもその部位や発動する時間まで細かく指定することができる。本書は、そういった超能力者が好き放題やったり、他の能力者とバトルするような作品ではなく、その能力のせいで窮地に陥ったり、トラブルに巻き込まれたりする、犯人による一人称視点の倒叙ものだ。
表題作の第0話「気球人」は2011年作。そこから発表年月とともに作品内の時間も進んでいく。この辺りは『13・67』で2013年から1967年までの香港の変遷を逆再生させた構成を思い起こさせた。陳浩基は作品の中で登場人物の年齢と思想を変えるのが好きなんだろうか。
「気球人」では、ひょんなことから自らの能力に気付いた主人公が、自分の過去も顔も全部捨てて殺し屋として生きる序章が書かれる。そして、銀行の支店長を派手に爆死させろというリクエストを受けた主人公は、銀行内で簡単にターゲットに接触、「50分後に爆発する」という指令を与えて帰ろうとした。しかしそこに偶然銀行強盗が乱入し、その支店長が彼のそばで射殺されてしまう。このまま立て籠もりが続けば、爆発に巻き込まれてしまうことに。そう考えた彼は自分で銀行強盗と戦うことを決意する。
これで終わってしまうと、超能力を使った単なる脱出劇で、「学校にテロリストがやって来る」中二病の妄想と変わらない。本作ではさらに銀行強盗の正体に一手間加えている。
第3話の「傅科擺」では、フリーの殺し屋である主人公に裏社会を牛耳る秘密結社「洛氏家族」から次々と意味不明な殺人依頼が届く。対象は教師とかタクシー運転手とか裏社会とは無関係な人間ばかりで、依頼も有無を言わせぬ一方的なものだから気球人はだんだん嫌気が差してくる。
第6話の「謀情害命」では、普段以上に軽薄で慎重さを欠いた気球人が出てくる。金持ちの男の後妻から、継子の少女を殺すよう頼まれた気球人。その報酬に、その女性と寝ることを提示する。女は嫌がるが、継子を殺せるならとしぶしぶ了承する。
気球人が世間を騒がせてから数十年後の世界を描いた第7話の「最後派対」もそうだが、気球人がそそっかしかったり、子どもに危害を加えようとしていたり、肉欲や物欲に目がくらむなどといった「いつもの気球人ではない」と読者に思わせることがすでにギミックになっている。
・法に縛られない殺し屋の存在意義
特定のポリシーを持たず、依頼を受ければ実行し、人を風船に変えて音もなく死なせることも派手に爆発させることも可能な気球人に、何らかの寓意を読み取ってみたくなる。気球人は殺人をためらわない掛け値なしの悪人で利己的な人物だが、金銭欲や自己顕示欲はさほどでもないために、一般人の間には「気球人という殺し屋がいる」という都市伝説レベルの存在で留まっている。これが『デスノート』のライトみたいな思想を持っていれば、人々から恐れられる「超人」の誕生だが、彼自身に思想の偏りがないことが自己の肥大化を防いでいる。
そもそも本書の中で気球人はあまり読者からの好感を持たれない描かれ方をしている。無関係な一般人に手を出さないという制約は彼の都合だし、能力の調整のために小動物を犠牲にする。その気になればいつでも誰でも殺せるという、透明な抜身の刀を常に持っているような危ない人間だ。このような現行法に縛られない殺し屋にもカタギからニーズがあるのは、むしろこの程度の人間が気球人になったのはまだマシかと思わせられる。
「人と接触しなければならない」という制約によって、彼が気球人として振る舞えるのはその手が届く範囲でのみになっている。もちろん、能力の使いようによっては「傅科擺」でのように一度で多数を始末することも十分可能だが、何でも自由にやると痛い目を見るのは第0話「気球人」ですでに明らかだ。結局のところ、一般人が超能力を授かったところで、過度な野望に巻き込まれなければ小市民的な生活は変わらないのだろう。
王稼駿といえば、中国語で書かれた長編推理小説を対象にした島田荘司推理小説賞の常連作家。本書は『推理作家的信条』(2018年)から3年ぶり以上となる新作であり、長編として見ると、『阿爾法的迷宮』(2016年)から5年ぶりだ。
実は、本書の出版後すぐに王稼駿本人から連絡があり、サイン本を送ってくれた。王稼駿と直接会ったのは5年以上前の上海ブックフェアだったと思うが、普段これと言ってやり取りをしていなかったので、突然こんな連絡が来たのにも驚いたし、何なら新作が出ること自体が思いがけないことだった。
本人からサイン本をもらっちゃっているが、おかしいと感じたところはちゃんと突っ込んでいきたい。
上海で中国と日本の大学の囲碁親善試合が行われている中、中国側代表選手の沈括は突然里帰りを決意する。おさななじみの項北から、行方不明の両親につながる情報がもたらされたからだ。彼が生まれた安息島は永楽島の隣にあった小島で、15年前の台風の日に原因不明の消失をし、彼の両親を含む数名の住民も島と共に消えてしまった。しかし先日、安息島があった場所の海域で漂流していた男が救助され、沈括はそれが自分の父親ではないかという希望を抱く。永楽島に着いた沈括は、島で警察官をやっている項北と、不動産開発会社社長の父を持つ季潔と10年ぶりに再会、救助された男に会いに一緒に病院へ行く。だがその男は、沈括の両親と共に行方不明になっていた葉好龍だった。彼は15年もの間、一体どこにいたのか。衰弱して話を聞くどころではない葉好龍はひとまず置き、沈括は彼を海で見つけた漁師の趙文海に会いに行く。だが葉好龍は病室で、趙文海は林で死体となって見つかる。さらに沈括も何者かに襲われてしまう。消えた安息島にはいったいどんな謎が隠されているのか。
・故郷消滅の謎を追う大学生
島の消失というなかなか大きな謎を引っさげているが、このデカすぎる風呂敷をどう畳むのか、早々に心配になった。この物語の舞台は現代(2016年)、小島とは言え、それが一つ海から消えたとなれば国も科学的な調査もするし、空から見たら島がないのが一目瞭然だから、霧で隠れているなどの手口は使えない。
だが15年前に島と共に両親を失った沈括は、島の付近で男が救助されたという知らせを聞き、父親が帰ってきたのではないかという希望を持ってしまう。さらにその男が、両親と一緒に行方不明になった葉好龍だと分かり、彼の希望はさらに膨らむ。「葉好龍が生きていたんだから、両親も生きているかもしれない。何なら安息島もどこかにあるかも」とまで考える彼は、探偵の役割を負うことはできるのだろうか。
希望の光を見たことで盲目的になっている沈括は、かなり信頼できない探偵だ。一方で、安息島消失の真相を手に入れるためなら何だってやるという覚悟の決まった姿勢も持っていて、それが後半の暴走につながる。「安息島は消えてなんかいない!」と言い出した沈括は、船を借りて葉好龍が漂流していた海域に突入し、遭難してしまう。
ここまで頭に血が上りやすいヤツが探偵役なんかできるわけないと思ったので、最終的な推理は、沈括でなく警察官の項北が請け負うものだと思ってたら、遭難から救助されてすっかり冷静になった沈括がやっていた。
15年前の事件の生存者であり、現在囲碁大会に出場中の選手でもあり、探偵として島に戻ってきた帰省者でもあり、実は出自に秘密が隠されている人間でもある沈括に物語の重要な役どころを背負わせすぎじゃないかと感じた。
著者の巫昴は詩人。日本在住の推理(SF?)小説家・陸秋槎と同じく上海復旦大学出身だが、ミス研にいたわけではないようだ。これまで詩の他に長編小説を数冊出しており、最近は推理小説を何本も書いているとのことだ。本書は新星出版社から出ているが、この出版社はよく、非推理小説家に推理小説を書かせる。それ自体は新鮮味があるし、その作家のもともとの読者に推理小説に興味を持たせ、新規読者層の開拓に貢献しているが、出来上がった作品の大半は「これじゃない」感が強い。本書も例外ではない。
私立探偵の以千計は、依頼を受けて中国大陸から香港へ飛ぶ。縫い合わされた男女の死体の写真を見せられた以千計は、4年前から行方不明となっていた被害者男性の兄だという依頼人から、二人の死体と犯人を見つけるよう高額な報酬で雇われ、あの有名な重慶大厦(チョンキンマンション)に住むことになる。しかし香港を動き回ってすぐに、今度は被害者女性の夫という人物から接触があり、彼からも事件の解明を依頼される。夫婦でもない男女がどうして殺されて一緒に縫われたのか。その謎を解明する鍵は重慶大厦にあった。まだデモが起きる前の2016年の香港を舞台にしたハードボイルド小説。
実は香港には一度しか行っていないので、本書で描写されている香港、主に重慶大厦のいかがわしさや猥雑さの再現度がどれほど高いのかよく分からない。中国の大手レビューサイト豆瓣で本書の評価を読んでみると、映画『恋する惑星』(現代は重慶森林)より描写が細かく誘惑的だそう。そして以千計がよく食べ、建物内に常に香りを漂わせるカレーも重慶大厦の名物らしい。そういった他者からの評価を含めると、本書の描写力はやはり見事だ。癖になりそうな人間や食べ物の臭いや、海辺を飛び回る鳥、そして裏社会を生き抜く男たちや社会生活に逼迫する女たちを描くことで、重慶大厦を中心にした香港を描こうとしている。さすが著者は記者もやっていた詩人だけあり、文章だけ読んでいると推理小説としては無駄な表現が少なくないが、猥雑感のあった香港を作品に残そうとする気概が感じられた。
主人公の以千計は、中国では違法な職業である私立探偵だ。もともと日本で暮らし、日本人女性との間にもうけた柿子という娘もいるが、理由あって中国に帰国したという設定。アルコールで脳を活性化させ、辛い境遇にある女性をたらし込む才能を持つ彼は、豆瓣でフィリップ・マーロウやマット・スカダーを思わせると書かれている。
以千計からは、中国ミステリーにおける探偵の一つの生き方が提示されている。確かに私立探偵は違法だが、だからといって「探偵」という概念が消えることはなく、ニーズがあれば個人に大金で雇われて、警察では対応できない事件捜査に当たることができる。香港という場所では、彼のように強い背景を持つ人間も目立たず生きることができる。重慶大厦という様々な人種や職業が入り乱れ、合法と非合法の境界が不明瞭な場所は、彼のような人間に必要なのだ。しかし2022年現在、重慶大厦が本書のようなカオスを保っているのかは不明だ。
男女の死体をチョウチョの形に縫い合わせる犯人の目的や正体は非常に気になるだ。だが本書では、「皮匠」(革職人)と呼ばれる犯人にはあまり目が向けられず、被害者男女の特に女性の余愛媛に焦点が当たる。非香港人の彼女は大学時代に重慶大厦に魅せられ、ここを卒論のテーマに選んだ。これが事件に関係していると以千計は推測するが、彼女の関係者から話を聞くうちに、余愛媛も一筋縄ではいかない被害者だと分かる。金持ちと結婚した彼女は物価の高い香港で必死に働いて日銭を稼ぐ彼女の友人や外国人女性らと比較されるが、それはもしかしたら香港で生きる全ての女性に平等で与えられているチャンスを勝ち取っただけかもしれない。だが結局のところ、彼女は浮気相手と共に縫われてしまった。
話の重点が余愛媛から動かないまま中盤まで進むので、読んでる方としてはこのまま犯人の正体にまでたどり着いて、事件が解決するのか不安になってくる。実際、本書のタイトルは「床下的旅行箱」(ベッドの下のスーツケース)だから、序盤で思わせぶりに登場する鍵付きのスーツケースに何か重要な手掛かりが隠されていると思いきや、事件の核心に全く関わらないのだ。その嫌な予感は最終的に当たってしまい、ラストは目移りするような場面展開とスピード感と共に急落し、締まりが悪い終わり方をする。
ハードボイルド小説の雰囲気だけは100点満点だった。シリーズ第一作なので、これからも香港を舞台にするのかという疑問も含め、今後に期待。
新刊が出るたびに、「中国の出版界隈でタイトルに『殺人』って言葉を使うのはNGじゃなかったっけ?」と疑問が浮かぶ青稞の最新刊。『鐘塔殺人事件』や『日月星殺人事件』など、今まで中国という国で洋館を舞台にした「館もの」ミステリーに挑んできた作家は今回、福建省などに実在する伝統的な建築物「土楼」を舞台にしている。数百年前に造られた土楼の秘密とそこに暮らし続ける二つの一族の掟、皇帝の隠し財宝の噂など、前近代的な設定に基づいて創作しながらも、現代中国の社会政策も反映した長編ミステリーだ。
推理小説家の「私」こと陸宇は、「沈黙探偵」の異名を持つ探偵の陳黙思と共に実際に体験した『鐘塔殺人事件』や『日月星殺人事件』などの事件を小説化し、有名になった。ある日、大学の後輩で、いまは記者をしている鄭佳に誘われ、約400年前に清軍に追い詰められて命を落とした南朝の皇帝・隆武帝が隠した財宝が眠っているという龍鳳村へ行く。そこの村人は全員土楼に住み、中でも村最古の土楼に住む沈家と温家は隆武帝配下の軍人の子孫と言われている。しかし沈家と温家は同じ土楼に住んでいるにもかかわらず、どういうわけか昔から非常に仲が悪く、土楼内に設置された赤い壁によって両家の交流はほぼ閉ざされていた。折よく行われた村の成人式で、土楼中央のお堂にいた温家の娘の温雪鳳が何者かに殺される。現場は密室、お堂に行くまでは土楼内部の壁をいくつも越えなければならず、その鍵は限られた人物しか持っていない。混乱の中、温雪鳳と恋愛関係にあり、罰として土牢に閉じ込められていた沈星龍が失踪する。陸宇・陳黙思コンビに三つの「密室」が立ちはだかる。
・民俗学的な謎に満ちた村
400年前にこの地に逃げ延びてきた南朝側の兵士が皇帝の財産を守って明朝を再興するという野望をもってつくられた土楼と村は、成立時点でかなり特殊だ。
「土楼」とは、表紙のイラストにもあるような円形の建築物で、内部がいくつもの部屋に分けられた集合住宅だ。イメージしづらい人は、円形監獄のパノプティコンを思い浮かべてくれたらいい。パノプティコンは中央に監視塔があるが、本作の舞台となった土楼には祖堂(祖先を祀るお堂)がある。
しかし例外はつきもので、沈星龍と温雪鳳は一族の掟に反して恋愛関係にあるが、それを家族から猛反対され、沈星龍は土楼内部の牢に軟禁されてしまう。2人はまるでロミオとジュリエットであり、本人たちも悲恋っぷりに自己陶酔している感がある。会津と長州ならともかく、同じ建物内に住んでいるのになぜそこまで憎しみ合い、前近代的な掟が現代まで続いているのか。この時代遅れの設定も「密室」の構成に一役買っている。
・三つの「密室」トリック
一つ目は土楼の多重密室
土楼中央のお堂で温雪鳳が殺された。当時、土楼は閉ざされていたため外部の人間が入ることはできず、犯人がお堂で温雪鳳を殺して逃げるためには、土楼内部に設置された壁の門をいくつも通らなければいけないのだが、鍵を持っていない人間はそれが不可能だ。
二つ目は土楼の中の牢屋
温雪鳳と別れるよう迫られた沈星龍は土楼にある牢屋に閉じ込められる。そこには子ども一人通れるぐらいの窓が二つあるだけで、ドアには当然鍵がかけられている。しかし沈星龍はいつの間にか消え、次の密室事件で死体となって見つかる。
三つ目はぬかるみの中の首吊り現場
牢屋から消えた沈星龍が村の枯木で首を吊って死んでいた。現場から十数メートルの範囲がぬかるんでおり、死体発見当時は沈星龍の足跡しかなかった。現場には十数メートルの長いロープが残され、枯木のてっぺんは何かでこすられたような跡があった。
実は一つ目と二つ目の密室は、土楼自体に仕掛けがあったというオチだ。秘密の抜け穴はないにしろ、最初からそういう風にできているので、その仕掛けさえ知っていれば頭をひねらずとも実行可能なのだ。ポイントは、その仕掛けが用意されたのが400年という遠い昔ということであり、作品を通して村の縁起や土楼の成り立ちが幾度も語られることで、仕掛けの違和感をできるだけなくしている。
メインとなる密室はやはり三つ目だろう。ぬかるみの現場の中、犯人はどうやって足跡を残さずに脱出できたのか。その秘密は枯木と長いロープに隠されている。
陳黙思が真相を明らかにする前に、噛ませ犬役として鄭佳が推理を披露。彼女は、犯人はロープの両端を木のてっぺんにくくりつけてブランコのようにし、それをこぐことで生じる遠心力を使って首吊り現場となった木から離れたのだと主張する。これは結局不正解なのだが、実は正解のトリックもこの推理と同様、木にロープをくくりつけて遠心力を使っている。枯れ木に枝がほとんどない、枯れ木だけど実際は丈夫という各条件が必要であり、再現性不明のトリックではあるものの、犯人がこんなことをやって犯行現場から逃げた絵面を想像するとたまらず面白かった。
しかし真犯人がストーリーにほとんど登場せず、陸宇たちと全然絡みがなかった点は残念だ。仮に読者が真犯人を当てられたとしても、動機を当てることは不可能な構成になっていて、ラストに真犯人の手紙による告白で動機や土楼、一族の謎など全てが明らかになる。
・現代中国の貧困対策を盛り込む
これは本筋と関係なく、作者自身も触れていないので私の考えすぎかもしれないのだが、舞台となった村で、現代の中国が推し進める脱貧困のための観光による村おこしが提案される。龍鳳村の村長が観光開発企業を誘致し、村に伝わる土楼をぶっ壊して現代的な建築物を建てることで、外部から観光客を呼び込んで豊かになろうと提案、村人もそれに賛同するのだが、土楼を研究する大学教授が猛烈に反対し……という一幕が描かれる。
貧しい村や県を貧困から脱却させることは中国がこの10年余り掲げている大きなテーマであり、今年その「達成」が宣言された。作者の青稞の談によると、本作が書かれたのが3年前であるので、貧困脱却政策は多少なりとも本作にも影響を与えていると思う。ただ残念なことに、土楼を壊す壊さないは殺人事件と全くの無関係であるので、村の貧しさや豊かになりたい村人、そして殺人事件が起きてしまった村の末路などにほとんど目が向けられていない。
新星出版社から出ている村などを舞台にしたミステリーには、民俗的な話が全体的に薄く、読み応えに欠けるので、もっと舞台装置以上の使い方をしてほしい。
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