王稼駿といえば、中国語で書かれた長編推理小説を対象にした島田荘司推理小説賞の常連作家。本書は『推理作家的信条』(2018年)から3年ぶり以上となる新作であり、長編として見ると、『阿爾法的迷宮』(2016年)から5年ぶりだ。
実は、本書の出版後すぐに王稼駿本人から連絡があり、サイン本を送ってくれた。王稼駿と直接会ったのは5年以上前の上海ブックフェアだったと思うが、普段これと言ってやり取りをしていなかったので、突然こんな連絡が来たのにも驚いたし、何なら新作が出ること自体が思いがけないことだった。
本人からサイン本をもらっちゃっているが、おかしいと感じたところはちゃんと突っ込んでいきたい。
上海で中国と日本の大学の囲碁親善試合が行われている中、中国側代表選手の沈括は突然里帰りを決意する。おさななじみの項北から、行方不明の両親につながる情報がもたらされたからだ。彼が生まれた安息島は永楽島の隣にあった小島で、15年前の台風の日に原因不明の消失をし、彼の両親を含む数名の住民も島と共に消えてしまった。しかし先日、安息島があった場所の海域で漂流していた男が救助され、沈括はそれが自分の父親ではないかという希望を抱く。永楽島に着いた沈括は、島で警察官をやっている項北と、不動産開発会社社長の父を持つ季潔と10年ぶりに再会、救助された男に会いに一緒に病院へ行く。だがその男は、沈括の両親と共に行方不明になっていた葉好龍だった。彼は15年もの間、一体どこにいたのか。衰弱して話を聞くどころではない葉好龍はひとまず置き、沈括は彼を海で見つけた漁師の趙文海に会いに行く。だが葉好龍は病室で、趙文海は林で死体となって見つかる。さらに沈括も何者かに襲われてしまう。消えた安息島にはいったいどんな謎が隠されているのか。
・故郷消滅の謎を追う大学生
島の消失というなかなか大きな謎を引っさげているが、このデカすぎる風呂敷をどう畳むのか、早々に心配になった。この物語の舞台は現代(2016年)、小島とは言え、それが一つ海から消えたとなれば国も科学的な調査もするし、空から見たら島がないのが一目瞭然だから、霧で隠れているなどの手口は使えない。
だが15年前に島と共に両親を失った沈括は、島の付近で男が救助されたという知らせを聞き、父親が帰ってきたのではないかという希望を持ってしまう。さらにその男が、両親と一緒に行方不明になった葉好龍だと分かり、彼の希望はさらに膨らむ。「葉好龍が生きていたんだから、両親も生きているかもしれない。何なら安息島もどこかにあるかも」とまで考える彼は、探偵の役割を負うことはできるのだろうか。
希望の光を見たことで盲目的になっている沈括は、かなり信頼できない探偵だ。一方で、安息島消失の真相を手に入れるためなら何だってやるという覚悟の決まった姿勢も持っていて、それが後半の暴走につながる。「安息島は消えてなんかいない!」と言い出した沈括は、船を借りて葉好龍が漂流していた海域に突入し、遭難してしまう。
ここまで頭に血が上りやすいヤツが探偵役なんかできるわけないと思ったので、最終的な推理は、沈括でなく警察官の項北が請け負うものだと思ってたら、遭難から救助されてすっかり冷静になった沈括がやっていた。
15年前の事件の生存者であり、現在囲碁大会に出場中の選手でもあり、探偵として島に戻ってきた帰省者でもあり、実は出自に秘密が隠されている人間でもある沈括に物語の重要な役どころを背負わせすぎじゃないかと感じた。
・囲碁は所詮、人の生死はかかっていない
安息島消失の謎を解決するのが沈括の理想だとすれば、彼には中日囲碁親善試合に出場して勝つという現実があり、海を隔てた島で謎を解き明かして上海に戻ってくるという義務がある。彼は物語途中で、島にいながら試合に出場するというアリバイ工作をやってのける。確かにそこまでは物語に緊張感が保たれていたのだが、それ以降、つまり沈括が事件の解決にますますのめり込んでいくと、読者側も「囲碁大会は放っておいていいんじゃないか」と思うようになってしまった。なにせ、大会に勝利しても得るのは賞金程度であり、彼の人生を左右する安息島消失の真相とは比べようもないからだ。
最初、沈括は『走れメロス』のように囲碁大会のチームメイトたちに「絶対に帰ってくる」と約束を取り交わしているので、まだ囲碁大会が大切なものとして扱われているのだが、物語の中で島がどんどん比重を占めるようになると、どちらが彼にとって大切なのか読者にもひと目で分かる。
それと、囲碁大会に武宮秀利という日本人が出てくるのだが、彼に沈括の対戦相手以上のキャラクターが与えられず、セリフの一つも用意されていないのは残念なほかない。これは勝手な願望だが、例えば沈括と宮武が大会で意気投合して共に永楽島へ出発、規定日時までに二人共上海に戻らなければ囲碁大会が台無しになる、っていう展開なら物語最後まで緊張感を保てていただろう。また、沈括の事情を察した宮武が彼と共犯関係になって、大会側に沈括が上海にいないことを隠すとかなら、沈括が上海に戻らなければいけない理由、というか宮武に対する義理ができる。囲碁大会と島消失の謎の解明のバランスが取れていなかったのが残念だ。
・惜しい後半部の失速
作者あとがきを読むと、この本は第5回島田荘司推理小説賞(2017年)の入選作を加筆修正したものだそうだ。前半部分は食い入るほど面白く、先を期待させる展開なのに、中盤以降からあらゆる点が失速してしまうのは、修正が原因だろうか。そう言えば、この前読んだ青稞の『土楼殺人事件』も、出版は2021年だけど構想自体はその3年前からあった。
私は昔から、王稼駿の小説を読むたびに、彼はトリックを使ったミステリーを書くよりも、もっと自前の文章力を駆使して犯罪心理を描いたサスペンスを書いた方が良いと思っている。人の群れから離れてクールを気取っているのに、だんだん目的のためになりふり構わなくなっていく沈括のようなちょっと不良な大学生は他の中国ミステリーにはあまり出てこないので、王稼駿の描く大学生キャラは個性的だったりする。
本作には、15年前の密室殺人を再現して自殺に見せ掛けたトリックと、泥地で足跡を残さないトリックが登場する。ここでそのトリックの可不可については書かないが、トリックを使う殺人というのは、要するに、殺す方法は山程あるんだけど自分が犯行と関係ないように思われるためにはこれしかない、として選ばれる手段だ。しかし本作の殺害時の状況を見てみると、トリックなんか使うから逆に探偵に怪しまれてしまうわけで、他にいくらでも殺りようがあったんじゃないか?と思ってしまう。
作品のストーリーに物足りないところは多々あったが、それは前半部の完成度が高い証でもある。実際、消えた島が本当はありました、なんてオチが許されるわけないのだから、島の消えた理由をトリに持ってくるのではなく、早々に種明かしして別のものをオチに使えば本書の評価も変わったかもしれない。次回以降は、何かの入選作を書き直すのではなく、一から書き始めて最初の勢いを殺さずに書き終えてほしい。