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栖鄭 椎(すてい しい)
年齢:
35
性別:
非公開
誕生日:
1983/06/25
職業:
契約社員
趣味:
ビルバク
自己紹介:
 24歳、独身。人形のルリと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。



副管理人 阿井幸作(あい こうさく)

 28歳、独身。北京に在住している、怪談とラヴクラフトが好きな元留学生・現社会人。中国で面白い小説(特に推理と怪奇)がないかと探しているが難航中。

 Mail: yominuku★gmail.com
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このブログは、友達なんかは作らずに変な本ばかり読んでいた二人による文芸的なブログです。      

表紙を見るとホラー小説っぽいが、中身は正当派なミステリ小説だった。


 


 





この世の異常現象を調査する「異象調査所」所長であり、たった一人の所員である「私」のもとに期せずして依頼が舞い込み、人手不足解消のために求人を出したところ、やって来たのは頼りになるけど暴力的な女子大生。


川辺で発見された人魚、人間消失事件、夜に外を歩く骸骨、人間ほどの大きさがある蛹などなど、常識では考えられない怪事件を喜々として調査する「私」は、ひょんなことから巷を騒がせる殺人鬼の正体に迫ることになる。死体のそばにセミの抜け殻を置く殺人鬼の目的とは?推理能力以外なにも取り柄がない「マダオ(まるでダメなおっさん)」と正義感が強く直情タイプの女子大生がこの世の不思議と非情な現実に立ち向かう。





 


「川のそばで見た人魚の正体を探る」というのが最初の依頼。人魚という非現実的な存在が絡んだ怪事件をいかに処理するかでこの作品の方向性は決定されるが、これの正体がシレノメリア(人魚症候群)を患った女性ということで、方向性が一気にミステリに傾き、偶然や見間違いなどが作用してややご都合主義的なところがあったとしても、全ての怪事件が論理的に解き明かせる事件となる。


 


本筋は殺人鬼の正体を探ることだが、その他の事件が本筋と関連性が高いことに非常に好感が持てた。単に単独の事件を取り上げて、その話の最後に本筋との関与を臭わせるような構成ではなく、その話のエピソードや主要人物がガッツリと本筋に食い込み、ちゃんと殺人鬼の正体を暴いて完結した私好みの構成だった。


 


 


本書は3年前に完結した作品の書籍版らしい。出版に至った経緯は不明だが、この花城出版社の「推理罪工場」というレーベルが大きな役割を果たした可能性が高い。このレーベルでは去年7月から今まで8冊の長編ミステリ小説が刊行されていて、作家のラインナップを見ると結構有名な名前もある。


正直な話、こういうレーベルが長期的に続くかどうかは疑問だ。例えば2016年に百花文芸出版社は第4回島田荘司推理小説賞受賞作品に限定したレーベルをつくって簡体字版を3冊だけ出したことがある。推理罪工場がどのような基準で作家や作品を選んでいるか分からないが、このようなレーベルが続々と現れて発表の場が増え、中国ミステリは新星出版社だけではないというところを見せてほしい。


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犯罪者的七不規範(犯罪者の七則)


 


 


 


 


ミステリ小説家の妻と翻訳者の夫の共同ペンネームである「張舟」初の長編小説で、「輪椅上的真探・系列之一(車椅子の真探偵シリーズの1作目)」だ。


 


連作短編集であり、おそらく上海市だと思われるS市を舞台に「妖狐」と呼ばれる大犯罪者の国際的な大事件が序盤で発生し、高校生の葉真生が巻き込まれるわけだがそれから妖狐とは直接関係ない日常学園ミステリが続き、葉真生自身や周囲の人間の謎に肉薄していくという内容だ。作品の背骨となる真犯人を出し、その巻では真犯人の正体が分からないまま次巻に続くという中国ミステリのシリーズ物の宿命は本書でも健在だが、探偵役が真犯人にこれほど積極的ではない作品は珍しい。


 


日常ミステリを扱っているが、登場するキャラクターはいずれも個性的と言うか、日常的にそんな見かけないだろという人間ばかり。AIと呼ばれるほど優秀な頭脳を持っているが言動だけ見ると「中二病」としか思えない葉真生、米国籍や英国籍の華僑で引くほど裕福な学生、中国在住日本人学生の夏目晴など。
 実際、このような学生がいる国際的な高校は北京にもある。私の日本人の友人も北京で裕福な中国人学生や華僑や韓国人らに囲まれて高校生活を過ごし、そのまま北京の大学に進学した。


 


だが学園ミステリの舞台として敢えて選ぶだろうかという学校であり、何故こうも国際色を出すのか気になったが、本書は国際的であることがもちろん重要だが、主人公の周囲に「裕福」な学生がいることで普通とは異なるが中国でも絶対に成立する日常ミステリを描くことに成功している。


 


例えば、米国籍の華僑の父親が購入した別荘地の一軒家に人面樹があり、それの解決を依頼される話があるが、中国の一軒家で異変が起きるということ自体が北京在住の私から見て非常に現実離れしている。だが裕福な家庭の子どもからの相談であればそれも腑に落ちるし、中国のハイソサエティな子女達が行う探偵ごっこってこんな感じだろうかと容易く想像もできる。


 


 


日本と関係が深い作者だからか日本人学生の夏目晴贔屓や日本語・日本文化が多めに描写されるのにはちょっとムズムズした。思いっきり日本語が書いてある部分もあるのだがこの辺りを中国人読者がどう読むのか気になる。中国ミステリ読者ならこのぐらいの日本語読んで当然ということだろうか。


 


また、同性愛ネタが多いのも気になった。先進的なミステリを意識しているのか、単なるネタの一つとして消費しているのか。特に主人公の葉真生が多大な信頼を寄せている父親の同僚の高穆に対する憧れは子どもが父性を求める気持ち以上のものを感じ、そこに中年男性に対する少年の憧憬的恋愛を見てしまう。今後、LGBTが絡んだミステリを書いてくれるのだとしたら非常に楽しみだ。


 


本作は「車椅子の真探偵シリーズの1作目」だが葉真生はまだ車椅子に乗っておらず、前日譚とも言える。中国で車椅子に乗って移動する高校生を見たことがなく、車椅子利用者が登場する小説等も中国で読んだことがないので、今後のストーリーや人間関係がどう発展するのか全く想像できない。作者の張舟はこの作品の設定で成立するミステリのトリックやストーリーを創造し、かつ中国で車椅子利用者が生活するリアリティと戦わなければならず、2作目以降はより挑戦的で独創的な内容になることだろう。


 


中国ではまだ高校を舞台にした学園ミステリ自体が珍しいが、そこから更に国際的で裕福で車椅子でと凝った設定を追加していくこの作品によって、中国ミステリのシチュエーションの細分化がより進みそうだ。

 


 


 


中国のミステリマガジン『歳月推理』に連載されていた作品をまとめた短編集。2014年から雑誌に連載していた作品をようやく1冊の本にしたものであり、短編だけで本を出版する難しさを教えてくれる。


 





ミステリ小説好きの父親のせいで「島田潔(とうでんけつ。島が名字)」と名付けられた主人公はミステリ小説に全く興味のない人間に育ったが、父親が突然亡くなったことでミステリ書籍専門店「献給謀殺的供物(殺人への供物)」の経営を引き継ぐことに。島田潔はアルバイトの林鳶林茵姉妹と一緒に店に訪れる事件解決の依頼や身近で起こる事件を解決するうちに、父親の死の真相に近付いていく。





 


 


Xの悲劇』、『人間椅子』、『ABC殺人事件』など古今東西の名作ミステリを模倣したかのような事件が起き、ミステリ小説好きの林鳶が島田潔及び読者にモチーフになった作品の粗筋や今回の事件との相似点を説明してくれるので元ネタ未読の読者でも安心だ。名作ミステリの設定やストーリーを題材にした二次創作とも言える趣味性が高い作品の数々には、作者の海外ミステリに対する深い愛情を感じる。


 


 


2012年から2016年の「第一時代」と2017年以降の「第二時代」に分かれており、前者は林鳶が、後者は純文学好きの林茵が島田潔の主なパートナーとなっている。だから第二時代のテーマは純文学で、『こころ』や『桜の木の下には』などが選ばれている。


 


本書の序文を書いている日本人の中国ミステリ翻訳家・稲村文吾と中国人の書評家・天蠍小猪の文章によると、本書は『ビブリア古書堂の事件手帖』などを例とする「お店もの」ミステリの一種だそうだ。


設定や各ストーリーの内容を国外の作品から真似て、現実の中国では到底存在し得ない「献給謀殺的供物」みたいな本屋を出し、非現実的な世界をつくるがいかにも中国のミステリマニアが書きそうな作品だ。中国なのに日本を思わせる場所や日本ミステリを彷彿とさせるストーリーに対し、「中国を舞台にする意味ある?」と疑問に思うかもしれないが、一人の熱心な日本ミステリ愛読者がその熱意や愛情を注いで作った作品もまた「中国ミステリ」だ。


 





 中国で複数の翻訳会社と提携し、不定期に仕事をもらっていると、たまに会社の担当者から「これ訳してくれ」と、一単語だったり一文だったり、お金が発生しない翻訳案件が舞い込んでくる。


何故その仕事が私のところに来たのか、その経緯を知ることができるケースは少ない。客先からついでに翻訳するよう頼まれたので、使い勝手の良い翻訳者に連絡した、というのがほとんどだ。「友達が日本料理屋開くからこの中国語の店名を日本語にして」って正直に公私混同を教えてくれたケースもあった。依頼の内容や分量が非常識なものではない限り、私は「これも付き合いだ」とできるだけ引き受けるようにしている。


 


この前、たまに仕事をくれる翻訳会社の担当者がいつものようにQQ(中国のチャットソフト)で連絡をくれた。


 


チャットには你,想成為音楽家嗎? この一文を訳して!と表示されていた。


(上記の一文は念の為その一部を変えている。実際は「音楽家」ではなく別の単語だった。)


 


簡単だと思って「OK」と返事をして早速日本語訳を打ち込もうとして、はたと気付いた。


 


この文章、どこで使うんだ?


 


内容からして会社の内部文書とか公式文書ではなさそうだ。しかし、その文章をそのまま丁寧に訳すという選択肢がある一方で、キャッチコピーとかの場合なら、より砕けた表現が必要になってくる。


 


しかし字面からして漫画からの出典っぽかったので、担当者に「漫画のセリフか?」と聞いたら「そうだ」という答えが返ってきた。


 


 


じゃあ漫画らしく訳そうと再びキーボードを叩こうとするが、またその指がピタリと止まる。


 


「音楽家」ってどう訳そう…


 


普通の日本人が「音楽家」という言葉から想像する人物は、バッハやモーツァルトや小澤征爾とか、いわゆるクラシック関連で著名人であり、「音楽家」が登場する漫画と言えば『のだめカンタービレ』や『ピアノの森』だろう。


 


しかし「音楽家」は「ミュージシャン」とも訳せる。「ミュージシャン」の範囲は広い。ギター持ってたり、歌を歌ったりする人は大抵「ミュージシャン」であり、それで連想する漫画は『BECK』とか『デトロイト・メタル・シティ』とか『無頼男』とかで、上述の漫画とだいぶ内容が異なる。


 


ここで担当者に「漫画ってどんな漫画?」と聞けば良かったんだろうが、たかが一文にそこまで聞くのも面倒な気がして、結局最大公約数的かつ少し個性的な訳文「君は、音楽家になりたくないか?」「君は、ミュージシャンになりたくないか?」2パターンを担当者に送った。


 


 


そこで再び気付く。「」の訳を「君は、」にしたのは正しかったのか?と。


 


この文章が漫画のセリフからの出典と言われて、私が想像したのはあるベテランが若者(子供)に対して、音楽家(ミュージシャン)になりたいかどうかを聞いているシーンだった。しかし、誰が誰に対して言ったセリフなのか分からない以上、「君は、」という年齢や立場が上の者が下の者に対して使う言葉を選んだのは不適切だったんじゃないかと思った。


 


そこで改めて担当者に連絡を取り、どちらの文からも「君は、」を削除してもらった。


 


 


しかし今度は「なりたくないか?」という訳文が気になってくる。もし、子供が大人に尋ねているシーンだったら?誰かに対して叫んでいたら?人物や場面によってニュアンスが全く変わってくる。


 


と言うかそもそも、「音楽家(ミュージシャン)になりたいの?」が一番無難な訳だった気もしてくる。


要するに、漫画の内容を見ていない私は、どんな風に訳したところで自分の訳文を信じられなかった。


 


 


翻訳案件は長いものより実は短いものの方が難易度が高い、というか厄介だ。短いものは文章全てが重要で気が抜けず、調査が必要な単語がたっぷり入っているケースが多い。また、今回のように内容が少ないせいで背景が分からないこともある。手紙にしたって、例えば受取人の性別すら分からず(中国人の名前は一見しただけでは男女の区別がつかない場合が多い)、「王先生(ミスター)」なのか「王(ミス)」なのかも定まらない。


 


書き手は分かっているから敢えて書いていないこともあるが、翻訳者はその文章しか情報源がなく、文脈で読み取るにしても限度がある。


 


そういう時に大切なのがその中間に立つ翻訳会社なのだが、翻訳者の苦労を想像できる担当者がどれぐらいいるだろう。


 


今回の件でも、担当者はきっと「」が日本語で「あなた」にも「お前」にも「貴様」にも「うぬ」にも訳せるということに気付いていない。


 


おそらく「」は「」しかないだろ、と思っているはずだ。


 


例えば『ONE PIECE』の名台詞「海賊王に、おれはなるっ」は中国語では我要成為海賊王」と訳される。
 では『
ONE PIECE』を全く知らない人間にこの中国語の一文だけを何も調べさせず日本語に翻訳させた場合どうなるか。「我」を「俺」か「ボク」か「私」かに翻訳する段階で悩むだろうし、発言者の性別も分からないので無難に「私」にしてしまうかもしれない。「海賊王」を、全ての海賊を率いる王と想像して「海賊の王様」と訳すかもしれない。語順にも難関があり、上二つをクリアしても「俺は海賊王になる」と訳すのがほとんどだろう。


この中国語を、「海賊王におれはなる」と翻訳できる人間は皆無なんじゃないだろうか。


 


だから翻訳には情報が多ければ多いほど良い。漫画の中の一文だとしても、その漫画全ページを提供してもらい、その発言者の性別・年齢・容姿・性格など、そしてストーリーやその背景などを知らないと、その作品にふさわしい良い翻訳はできない。その点を翻訳会社には理解してほしいのだが、難易度の高低は文字数で決まるとしか思っていない担当者にそれは期待できない。


 


 今後このような案件が来た場合、たとえ作品を提供してもらえなくても、発言者の性別と年齢、そしてストーリーの背景ぐらいは教えてもらおう。良い翻訳のために、と心に誓った。というか、「たかが一文、されど一文」とは言え、結局は「一文」のために(しかもタダ)そんな時間を費やしたくないのだ。

ネタバレあり。


 


和訳出版もされた第3回島田荘司推理小説賞受賞作品我是漫画大王(ぼくは漫画大王)のほか『尋找結衣同學(結衣さんを探して)』でもそうだったが、今作でも小説の中に矢印が全く違う方向を向いたストーリーを複数書き、どのような結末に収束するのか予想させない展開を見せた。


 




台湾の大学で中国語教授をやっている孫元泰は、「華人相対論隔年会」に参加するために台湾に戻ってきたカリフォルニア工科大学物理学教授の莊大猷と不可思議な殺人事件に巻き込まれる。莊大猷と同じく「タイムトラベル」の分野を研究し、華人相対論隔年会に出席予定だった葛衛東が台湾のホテルの一室で他殺体で見つかった。現場は密室で、彼の頭には1936年に紛失したはずの金のカンザシが刺さっており、現場の監視カメラには古風な服装をした女性が映っていた。まさか犯人はタイムマシンに乗って過去からやってきた人間なのだろうか。そして大勢の物理学関係者が集まる華人相対論隔年会でマスタードガスが撒かれ、莊大猷も失明の被害に遭う。





 


 


ミステリ小説には超常現象が実在する可能性を考慮しながら進む話があるが、本作もそのタイプで、タイムトラベルなんか存在するはずないのに孫元泰を中心にしてどんどん「タイムマシンはある」という方向で話が進む。


 


孫元泰には物理の知識がほとんどと言っていいほどなく、また莊大猷ら同年代の人間と比べても幼さが目立ち、タイムトラベルに関する知識もほぼ莊大猷からの受け売りだ。そんな彼が事件現場の状況を見て、犯行の不可能性に気付き、80年前のカンザシが凶器に使われたこと、昔の格好をした女性が現場付近に出現したこと、葛衛東が生前非常に短い時間ではあるが一瞬だけ時間を遡れる装置を開発していたことを知ると、「これはもう犯人がタイムマシンに乗ってやってきて、葛衛東を殺してから帰ったとしか考えられない!」と思い込む。


 


だから事件の第三者に「犯人はタイムトラベラー説」を披露して、そんなことあるわけないだろ!と一蹴される孫元泰の様子は非常に小気味よく、そんな常識的な返事をされて「えっ?」と目を丸くする反応には読者に失望すら感じさせる。


 


そもそも『ターミネーター』のように未来から殺し屋がやってくるならまだしも、過去からやってくるってどういうことだよ。


 


しかし、タイムトラベルという非常識な可能性を削除したとしても、やはり葛衛東の死因はタイムトラベルと関係があるんじゃないかと考えられる。そこで事件はカンザシが行方不明になった1936年に遡る。


本作は現代を舞台にした「台北」編と1930年代を舞台にした「南京」編に大きく分かれる。前半はこの二つがどう交わるのか全く予想がつかないが、南京編で登場するキーパーソンが現代と過去を結び付け、過去にとある人物に見せた優しさが80年後に惨劇を生じさせるという時間のイタズラを無慈悲に描き、「孝行」という道徳が招く狂気を露わにする。


 


結末に至った原因、というか殺害に至った真相はタイムマシンが実在することよりも更に荒唐無稽だ。一人の人間の善意と家族に対する孝行を起点とした悲劇に、タイムトラベルというSF設定にリアリティを補強して、決して誰からも理解されない犯人の動機を読者にしか明かさないという丁寧かつ大胆なストーリー構成は非常に感心させられた。


 


 


本作は『ぼくは漫画大王』に登場した盧俊彦が大学生として再登場していたり、『尋找結衣同學(結衣さんを探して)』と同じく台湾の大学問題を書いていたり、本筋以外にも見どころを用意してくれている。


 


しかし、過去の南京編で1930年代を舞台にしていることからも分かるように、本作に日本が間接的に関わっていることを無視するわけにはいかないだろう。現在も戦争、というか侵略された記憶は物語に反映できるほど十分に濃いわけであり、今後も過去を舞台にしたストーリーにはついて回るので、戦争の描写があるからと言って驚いてはいけない。


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