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プロフィール
HN:
栖鄭 椎(すてい しい)
年齢:
40
性別:
非公開
誕生日:
1983/06/25
職業:
契約社員
趣味:
ビルバク
自己紹介:
 24歳、独身。人形のルリと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。



副管理人 阿井幸作(あい こうさく)

 28歳、独身。北京に在住している、怪談とラヴクラフトが好きな元留学生・現社会人。中国で面白い小説(特に推理と怪奇)がないかと探しているが難航中。

 Mail: yominuku★gmail.com
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このブログは、友達なんかは作らずに変な本ばかり読んでいた二人による文芸的なブログです。      
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1367』や『網内人』の陳浩基によるSFミステリー小説短編集の簡体字版(2021年出版)。オリジナルの繁体字版は2020年に出ている。


 


主人公はジョジョのスタンドとデスノートが合わさったような能力を持つ殺し屋気球人(バルーンマン)。彼は相手の体に触れるだけで、その体の内部をまるでバルーンアートのように捻ったり膨らませたり爆発させたりすることが可能、しかもその部位や発動する時間まで細かく指定することができる。本書は、そういった超能力者が好き放題やったり、他の能力者とバトルするような作品ではなく、その能力のせいで窮地に陥ったり、トラブルに巻き込まれたりする、犯人による一人称視点の倒叙ものだ。


 


 


表題作の第0話「気球人」は2011年作。そこから発表年月とともに作品内の時間も進んでいく。この辺りは『1367』で2013年から1967年までの香港の変遷を逆再生させた構成を思い起こさせた。陳浩基は作品の中で登場人物の年齢と思想を変えるのが好きなんだろうか。


 


「気球人」では、ひょんなことから自らの能力に気付いた主人公が、自分の過去も顔も全部捨てて殺し屋として生きる序章が書かれる。そして、銀行の支店長を派手に爆死させろというリクエストを受けた主人公は、銀行内で簡単にターゲットに接触、「50分後に爆発する」という指令を与えて帰ろうとした。しかしそこに偶然銀行強盗が乱入し、その支店長が彼のそばで射殺されてしまう。このまま立て籠もりが続けば、爆発に巻き込まれてしまうことに。そう考えた彼は自分で銀行強盗と戦うことを決意する。


これで終わってしまうと、超能力を使った単なる脱出劇で、「学校にテロリストがやって来る」中二病の妄想と変わらない。本作ではさらに銀行強盗の正体に一手間加えている。


 


 


3話の「傅科擺」では、フリーの殺し屋である主人公に裏社会を牛耳る秘密結社「洛氏家族」から次々と意味不明な殺人依頼が届く。対象は教師とかタクシー運転手とか裏社会とは無関係な人間ばかりで、依頼も有無を言わせぬ一方的なものだから気球人はだんだん嫌気が差してくる。


 


6話の「謀情害命」では、普段以上に軽薄で慎重さを欠いた気球人が出てくる。金持ちの男の後妻から、継子の少女を殺すよう頼まれた気球人。その報酬に、その女性と寝ることを提示する。女は嫌がるが、継子を殺せるならとしぶしぶ了承する。


気球人が世間を騒がせてから数十年後の世界を描いた第7話の「最後派対」もそうだが、気球人がそそっかしかったり、子どもに危害を加えようとしていたり、肉欲や物欲に目がくらむなどといった「いつもの気球人ではない」と読者に思わせることがすでにギミックになっている。


 


法に縛られない殺し屋の存在意義


特定のポリシーを持たず、依頼を受ければ実行し、人を風船に変えて音もなく死なせることも派手に爆発させることも可能な気球人に、何らかの寓意を読み取ってみたくなる。気球人は殺人をためらわない掛け値なしの悪人で利己的な人物だが、金銭欲や自己顕示欲はさほどでもないために、一般人の間には「気球人という殺し屋がいる」という都市伝説レベルの存在で留まっている。これが『デスノート』のライトみたいな思想を持っていれば、人々から恐れられる「超人」の誕生だが、彼自身に思想の偏りがないことが自己の肥大化を防いでいる。


 


そもそも本書の中で気球人はあまり読者からの好感を持たれない描かれ方をしている。無関係な一般人に手を出さないという制約は彼の都合だし、能力の調整のために小動物を犠牲にする。その気になればいつでも誰でも殺せるという、透明な抜身の刀を常に持っているような危ない人間だ。このような現行法に縛られない殺し屋にもカタギからニーズがあるのは、むしろこの程度の人間が気球人になったのはまだマシかと思わせられる。


 


「人と接触しなければならない」という制約によって、彼が気球人として振る舞えるのはその手が届く範囲でのみになっている。もちろん、能力の使いようによっては「傅科擺」でのように一度で多数を始末することも十分可能だが、何でも自由にやると痛い目を見るのは第0話「気球人」ですでに明らかだ。結局のところ、一般人が超能力を授かったところで、過度な野望に巻き込まれなければ小市民的な生活は変わらないのだろう。

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王稼駿といえば、中国語で書かれた長編推理小説を対象にした島田荘司推理小説賞の常連作家。本書は『推理作家的信条』2018年)から3年ぶり以上となる新作であり、長編として見ると、『阿爾法的迷宮』2016年)から5年ぶりだ。


 


実は、本書の出版後すぐに王稼駿本人から連絡があり、サイン本を送ってくれた。王稼駿と直接会ったのは5年以上前の上海ブックフェアだったと思うが、普段これと言ってやり取りをしていなかったので、突然こんな連絡が来たのにも驚いたし、何なら新作が出ること自体が思いがけないことだった。


 


 


 


本人からサイン本をもらっちゃっているが、おかしいと感じたところはちゃんと突っ込んでいきたい。


 





上海で中国と日本の大学の囲碁親善試合が行われている中、中国側代表選手の沈括は突然里帰りを決意する。おさななじみの項北から、行方不明の両親につながる情報がもたらされたからだ。彼が生まれた安息島は永楽島の隣にあった小島で、15年前の台風の日に原因不明の消失をし、彼の両親を含む数名の住民も島と共に消えてしまった。しかし先日、安息島があった場所の海域で漂流していた男が救助され、沈括はそれが自分の父親ではないかという希望を抱く。永楽島に着いた沈括は、島で警察官をやっている項北と、不動産開発会社社長の父を持つ季潔と10年ぶりに再会、救助された男に会いに一緒に病院へ行く。だがその男は、沈括の両親と共に行方不明になっていた葉好龍だった。彼は15年もの間、一体どこにいたのか。衰弱して話を聞くどころではない葉好龍はひとまず置き、沈括は彼を海で見つけた漁師の趙文海に会いに行く。だが葉好龍は病室で、趙文海は林で死体となって見つかる。さらに沈括も何者かに襲われてしまう。消えた安息島にはいったいどんな謎が隠されているのか。





 


 


・故郷消滅の謎を追う大学生


島の消失というなかなか大きな謎を引っさげているが、このデカすぎる風呂敷をどう畳むのか、早々に心配になった。この物語の舞台は現代(2016年)、小島とは言え、それが一つ海から消えたとなれば国も科学的な調査もするし、空から見たら島がないのが一目瞭然だから、霧で隠れているなどの手口は使えない。


だが15年前に島と共に両親を失った沈括は、島の付近で男が救助されたという知らせを聞き、父親が帰ってきたのではないかという希望を持ってしまう。さらにその男が、両親と一緒に行方不明になった葉好龍だと分かり、彼の希望はさらに膨らむ。「葉好龍が生きていたんだから、両親も生きているかもしれない。何なら安息島もどこかにあるかも」とまで考える彼は、探偵の役割を負うことはできるのだろうか。


希望の光を見たことで盲目的になっている沈括は、かなり信頼できない探偵だ。一方で、安息島消失の真相を手に入れるためなら何だってやるという覚悟の決まった姿勢も持っていて、それが後半の暴走につながる。「安息島は消えてなんかいない!」と言い出した沈括は、船を借りて葉好龍が漂流していた海域に突入し、遭難してしまう。


ここまで頭に血が上りやすいヤツが探偵役なんかできるわけないと思ったので、最終的な推理は、沈括でなく警察官の項北が請け負うものだと思ってたら、遭難から救助されてすっかり冷静になった沈括がやっていた。


15年前の事件の生存者であり、現在囲碁大会に出場中の選手でもあり、探偵として島に戻ってきた帰省者でもあり、実は出自に秘密が隠されている人間でもある沈括に物語の重要な役どころを背負わせすぎじゃないかと感じた。


 


 


   


 著者の巫昴は詩人。日本在住の推理(SF?)小説家・陸秋槎と同じく上海復旦大学出身だが、ミス研にいたわけではないようだ。これまで詩の他に長編小説を数冊出しており、最近は推理小説を何本も書いているとのことだ。本書は新星出版社から出ているが、この出版社はよく、非推理小説家に推理小説を書かせる。それ自体は新鮮味があるし、その作家のもともとの読者に推理小説に興味を持たせ、新規読者層の開拓に貢献しているが、出来上がった作品の大半は「これじゃない」感が強い。本書も例外ではない。


 


 





私立探偵の以千計は、依頼を受けて中国大陸から香港へ飛ぶ。縫い合わされた男女の死体の写真を見せられた以千計は、4年前から行方不明となっていた被害者男性の兄だという依頼人から、二人の死体と犯人を見つけるよう高額な報酬で雇われ、あの有名な重慶大厦(チョンキンマンション)に住むことになる。しかし香港を動き回ってすぐに、今度は被害者女性の夫という人物から接触があり、彼からも事件の解明を依頼される。夫婦でもない男女がどうして殺されて一緒に縫われたのか。その謎を解明する鍵は重慶大厦にあった。まだデモが起きる前の2016年の香港を舞台にしたハードボイルド小説。





 


 


実は香港には一度しか行っていないので、本書で描写されている香港、主に重慶大厦のいかがわしさや猥雑さの再現度がどれほど高いのかよく分からない。中国の大手レビューサイト豆瓣で本書の評価を読んでみると、映画『恋する惑星』(現代は重慶森林)より描写が細かく誘惑的だそう。そして以千計がよく食べ、建物内に常に香りを漂わせるカレーも重慶大厦の名物らしい。そういった他者からの評価を含めると、本書の描写力はやはり見事だ。癖になりそうな人間や食べ物の臭いや、海辺を飛び回る鳥、そして裏社会を生き抜く男たちや社会生活に逼迫する女たちを描くことで、重慶大厦を中心にした香港を描こうとしている。さすが著者は記者もやっていた詩人だけあり、文章だけ読んでいると推理小説としては無駄な表現が少なくないが、猥雑感のあった香港を作品に残そうとする気概が感じられた。


 


 


主人公の以千計は、中国では違法な職業である私立探偵だ。もともと日本で暮らし、日本人女性との間にもうけた柿子という娘もいるが、理由あって中国に帰国したという設定。アルコールで脳を活性化させ、辛い境遇にある女性をたらし込む才能を持つ彼は、豆瓣でフィリップ・マーロウやマット・スカダーを思わせると書かれている。


 


以千計からは、中国ミステリーにおける探偵の一つの生き方が提示されている。確かに私立探偵は違法だが、だからといって「探偵」という概念が消えることはなく、ニーズがあれば個人に大金で雇われて、警察では対応できない事件捜査に当たることができる。香港という場所では、彼のように強い背景を持つ人間も目立たず生きることができる。重慶大厦という様々な人種や職業が入り乱れ、合法と非合法の境界が不明瞭な場所は、彼のような人間に必要なのだ。しかし2022年現在、重慶大厦が本書のようなカオスを保っているのかは不明だ。


 


男女の死体をチョウチョの形に縫い合わせる犯人の目的や正体は非常に気になるだ。だが本書では、「皮匠」(革職人)と呼ばれる犯人にはあまり目が向けられず、被害者男女の特に女性の余愛媛に焦点が当たる。非香港人の彼女は大学時代に重慶大厦に魅せられ、ここを卒論のテーマに選んだ。これが事件に関係していると以千計は推測するが、彼女の関係者から話を聞くうちに、余愛媛も一筋縄ではいかない被害者だと分かる。金持ちと結婚した彼女は物価の高い香港で必死に働いて日銭を稼ぐ彼女の友人や外国人女性らと比較されるが、それはもしかしたら香港で生きる全ての女性に平等で与えられているチャンスを勝ち取っただけかもしれない。だが結局のところ、彼女は浮気相手と共に縫われてしまった。



 


話の重点が余愛媛から動かないまま中盤まで進むので、読んでる方としてはこのまま犯人の正体にまでたどり着いて、事件が解決するのか不安になってくる。実際、本書のタイトルは「床下的旅行箱」(ベッドの下のスーツケース)だから、序盤で思わせぶりに登場する鍵付きのスーツケースに何か重要な手掛かりが隠されていると思いきや、事件の核心に全く関わらないのだ。その嫌な予感は最終的に当たってしまい、ラストは目移りするような場面展開とスピード感と共に急落し、締まりが悪い終わり方をする。



 


ハードボイルド小説の雰囲気だけは100点満点だった。シリーズ第一作なので、これからも香港を舞台にするのかという疑問も含め、今後に期待。

ウェブ版の「南方週末」で気になる記事を読み漁っていたところ、こんな記事を見つけました。


 厳しい寒さの冬を乗り越え、作家李西閩はうつ病に打ち勝った
 http://www.infzm.com/contents/219397


 李西閩はホラー小説家で、2008年に四川省で起きた汶川大地震で76時間生き埋めになった経験をまとめたエッセイ『幸存者』を発表したことで有名です。しかし地震で心に傷を負い、地下鉄車両内で閉塞感を覚えたり、轟音を聞くと当時の災害がフラッシュバックするようになったりし、悪夢にうなされ、最終的に重度のうつ病と診断されてしまいます。

 うつ病と向き合い治療を続けるけど言葉が全く紡げない日々が続く中、とうとう2015年に突然文字が書けるようになり、その後、うつ病を題材にした小説『凛冬』(2018年)を完成させました。


 実は私、中年のうつ病体験談に興味があって、吉田豪の『サブカルスーパースター鬱伝』や田中圭一の『うつヌケ』などの中年のうつ病を題材にした本が好きでした。そして最初にこの記事を読んだ時、てっきり中国人作家によるうつ病体験談や精神病院ルポが書いてあると思い、速攻で購入したのですが、残念ながら半フィクションでした。


 せっかく左灯の『我在精神病院抗憂鬱』で描かれたような中国独特のうつ病の治療法が知れると思ったのに。ただ、『凛冬』はフィクションだからこそ、うつ病患者である主人公に次々と不幸が襲いかかるので、こんなの心がどれだけ強くても折れるだろ!という手加減のなさが良かったです。

     

 ・うつ病作家の半自伝的小説

 生徒に人気の国語教師だった朱阿牛は、書いた小説が偶然の大ヒットを果たし、周囲に急かされ2作目の構想を練っていた矢先、同居していた妹の朱阿芳が運転する車の事故により妹とその彼氏を亡くし、自身も顔に傷を負う。強い喪失感と無気力感に襲われた彼はうつ病と診断され、妹のいない家でただ日々を過ごしていく。このままではいけないと知人に仕事を紹介してもらったり、うつ病の互助会に出席したりしてなんとか社会との接点をつくっていくが、そんな彼にさらなる不幸が襲いかかる。



 会社のパワハラやセクハラ、ブラック企業でのオーバーワーク、家族からのDVなどに起因するうつ病事例をネットで見てきたので、うつ病っていうのは周囲からの長期的なストレスによって発症するって印象だったのですが、本作でその引き金を引いたのは突然の家族との死別でした。

 幼い頃に両親を亡くし、祖父母のもとで育てられた朱阿牛・阿芳は兄妹間の強い結び付きを持っていた。だから阿牛にとって阿芳の死は半身をもがれたような苦しみだった……と読めるのですが、朱阿牛の回想によって2人が単なる仲良し兄妹ではないことが分かります。実は阿芳は子どもの頃から我が強く、それ自体は個性なのですが、祖父母の家に引き取られてからは度を越したワガママになっていき、自分の意思を貫き通すためについに「子どものしたこと」では済まないレベルの事件をやらかすという、要するに自分の不機嫌な態度やマイナス感情を発露させることによって他人をコントロールする性格だったのです。そして大人になっても兄と一緒に住み、暴力は使わないにせよ態度や言動で兄の行動を束縛し、静かな暴君として振る舞っていました。

 朱阿牛にとって、妹に彼氏ができるということは、将来的に妹が家から出て解放されることを意味していたのですが、妹は結婚して家を出るより先に彼のもとから永遠に離れていったというわけです。しかも妹の束縛は呪縛に変わり、幻覚や幻聴という形で妹の魂が彼の心と部屋に残るようになります。


 だからこうして見ると、朱阿牛のうつ病の原因ってのは、愛する人を亡くしたショックではなくて、半分DVの束縛下からいきなり抜け出した戸惑いではないかと感じられました。うつ病の発症経験なんて十人十色でしょうけど、ちょっと特殊すぎるケースです。

 朱阿牛は、もう妹を優先して一日の計画を立てなくていいと思い、それに開放感を覚える一方、体は重くて動かないしやりたいこともない。そして亡くなった妹に罪悪感を覚え、彼女の部屋に足を踏み入れられないし、彼女の骨壷をずっと家に置いている。

 骨壷は結局、家の近所の木の下に埋めるのですが、埋め終わった途端にやっぱりあんなところじゃ妹が可哀想だと掘り返して持ち帰るシーンに切実な兄妹愛が感じ取れました。遺骨を海とかエアーズロックに撒かなくて良かったです。


 ・休めないし休まない

 そして彼の不幸はここからが始まりです。もっと家で休んでいればいいのに、人並みに社交性があり、作家ということで顔も広く、また彼自身、うつ病を自覚していながらもこのままではマズいと思っているせいで社会とつながろうとします。うつ病患者が他人に会ってもバッドコミュニケーションを連発するだけだと思うのですが、案の定やることなすことにケチがつきます。仕事先でヘマをしたり、元カノの今カレとケンカしたり、旧友の詐欺に利用されたり……そして弱り目に祟り目で、大好きな祖父がマッサージ店で急死してしまいます。これだけでも十分ショックな出来事なのに、死んだ場所が場所だったせいで、祖母が店を相手取って賠償金をせしめようと連日大騒ぎ。朱阿牛は家族唯一の男として、祖母と店の板挟みになりながら交渉を進めます。


 うつ病ってのは「一旦停止」の意味があると思います。働いていたら休んで、疲れていたら寝て、きちんと病院行ってお薬をもらうといったように、生活スタイルをストレスのないものに変えて休養に専念するのが本来のうつ病患者の正しい日々の過ごし方のはずです。しかし、朱阿牛はそうはなりません。

 大切な妹が事故死したところに最愛の祖父が急死っていうダブルパンチで常人でも立ち直れない状態だと言うのに、金にがめつく転んでもタダでは起きない祖母が騒ぐせいで、朱阿牛はマッサージ店から祖父が亡くなったことに対する賠償金を請求しなければならなくなりました。

 うつ病患者に神経をすり減らす金銭交渉させるなんて正気の沙汰じゃありませんが、朱阿牛も誰かに言われていやいややっているわけじゃなく、うつ病であることを理由に問題を回避したり目を背けたりしないんですよね。この阿牛の責任感のある態度と周囲から期待される役割に加え、彼の周囲で次々に発生する不幸が、彼にうつ病を理由に休むことを許してくれません。


 結局のところ、うつ病になって病院で治療を受け、自身の時間を一時停止させたところで、社会と繋がりを持とうとすれば、時計の針は周囲の時間に合わせて進むわけで、病気だとしても人の前に立てば頼られるのは必然なんですよね。阿牛は頼られることを拒まない男なのです。


 ・家族に虐待されるリアルな中国人女性

 本書には朱阿牛の他に2人の女性うつ病患者が登場します。2人共、家庭で生き地獄を味わっていて、彼女らの口から滔々と語られる不幸話は生々しいもので、モデルとなった実在の人物がいたらやるせないなと思う反面、中国のどこにでも転がっていそうな境遇に諦めを覚えてしまいます。そして朱阿牛は、よせばいいのに彼女らの話を聞き、彼女らを支えようとするんですよね。自分だって大変なくせに。

 彼に最も深刻なうつ病症状が現れるのが、妹と一緒に暮らした家の中であって、外に出て人と一緒にいる分には特に問題なさそうです。その理由はおそらく、彼が会う人物が、長年連れ添った夫を亡くしたのに金のことしか考えない祖母や、家族から長期に渡って虐待同然の仕打ちを受けている女性など、全員ではないにせよ相対的に見ると自分よりはるかに厳しい人間だから、彼がフォローに回らざるを得ないためです。最後なんて数百キロ先でリストカット実況する女性を救いにタクシーに乗り込みます。ここだけ滝本竜彦感ありますね。


 朱阿牛のように、うつ病だけど外出し、人と触れ合い、仕事をすることは、その様子を傍から見ていればハラハラさせられますが、間違いではないと思います。心の病になったことで何十年も引きこもってしまったり、最悪自殺してしまったりというケースをネットのどこでも見掛けられる時代において、朱阿牛並びに李西閩はうつ病克服の成功例なのかもしれません。


 また、本書からは次のような考えも見えてきます。それは、精神的に弱っている時、家族などの身近な人物の存在は逆に症状を悪化されることになりかねないということです。上述の2人の女性うつ病患者は、1人が過保護かつ過干渉な親から逃げるために手首を切り、もう1人はデリカシーのない義母と頼りないマザコン夫に絶望して死を選びます。朱阿牛を含めたこの3人はみな家族によって心に病を抱えますが、本書の中で唯一介抱に向かったのは、一人暮らしをしている朱阿牛だけです。


 ただ、朱阿牛のモデルであろう作者の李西閩には妻と娘がいます。ということは、最大の原因は、無理解な親なのでしょうか。


 ・うつ病の「春」とは?

 本書のタイトル『凛冬』とは厳しい寒さの冬を意味し、またそれはやがて春が来るという意味も隠れています。しかしうつの発症と寛解を循環する季節で例えた場合、再び冬がやってくるのは確実です。実際、作者も好転した後に知人の訃報を聞いたことで再発しています。ただ、朱阿牛が物語の最後に、寒さで凍えそうなほどの厳しい環境にいる女性を救いに行ったように、声を発し続けれていれば、誰かが「冬の中」から助けてくれるかもしれません。


 しかし、うつ病患者がみんな朱阿牛みたいに強くたくましいわけじゃありません。だけど、日々の生活で必要な生活費を稼ぐことを含め、人間というのは突然の不幸やアクシデントで動かなきゃいけない時があります。メンタル弱っている人に動けと言うのはかなり酷ですが、本書には、世間の荒波に揉まれることが寛解に向かうこともあると書いているように読めました。


 


 


新刊が出るたびに、「中国の出版界隈でタイトルに『殺人』って言葉を使うのはNGじゃなかったっけ?」と疑問が浮かぶ青稞の最新刊。『鐘塔殺人事件』や『日月星殺人事件』など、今まで中国という国で洋館を舞台にした「館もの」ミステリーに挑んできた作家は今回、福建省などに実在する伝統的な建築物「土楼」を舞台にしている。数百年前に造られた土楼の秘密とそこに暮らし続ける二つの一族の掟、皇帝の隠し財宝の噂など、前近代的な設定に基づいて創作しながらも、現代中国の社会政策も反映した長編ミステリーだ。


  





推理小説家の「私」こと陸宇は、「沈黙探偵」の異名を持つ探偵の陳黙思と共に実際に体験した『鐘塔殺人事件』や『日月星殺人事件』などの事件を小説化し、有名になった。ある日、大学の後輩で、いまは記者をしている鄭佳に誘われ、約400年前に清軍に追い詰められて命を落とした南朝の皇帝・隆武帝が隠した財宝が眠っているという龍鳳村へ行く。そこの村人は全員土楼に住み、中でも村最古の土楼に住む沈家と温家は隆武帝配下の軍人の子孫と言われている。しかし沈家と温家は同じ土楼に住んでいるにもかかわらず、どういうわけか昔から非常に仲が悪く、土楼内に設置された赤い壁によって両家の交流はほぼ閉ざされていた。折よく行われた村の成人式で、土楼中央のお堂にいた温家の娘の温雪鳳が何者かに殺される。現場は密室、お堂に行くまでは土楼内部の壁をいくつも越えなければならず、その鍵は限られた人物しか持っていない。混乱の中、温雪鳳と恋愛関係にあり、罰として土牢に閉じ込められていた沈星龍が失踪する。陸宇陳黙思コンビに三つの「密室」が立ちはだかる。




 


 


・民俗学的な謎に満ちた村 


400年前にこの地に逃げ延びてきた南朝側の兵士が皇帝の財産を守って明朝を再興するという野望をもってつくられた土楼と村は、成立時点でかなり特殊だ。


「土楼」とは、表紙のイラストにもあるような円形の建築物で、内部がいくつもの部屋に分けられた集合住宅だ。イメージしづらい人は、円形監獄のパノプティコンを思い浮かべてくれたらいい。パノプティコンは中央に監視塔があるが、本作の舞台となった土楼には祖堂(祖先を祀るお堂)がある。




    そして温家と沈家は紅墙(赤い壁)に分けられ、両家は自由な往来交流ができない。他にも不思議なところがあり、沈家には男子しか、温家には女子しか生まれず、同じ土楼に住んでいるのに両家とも滅多に交流せず、昔から続く不仲の原因はもはや村人にも分からない。


しかし例外はつきもので、沈星龍と温雪鳳は一族の掟に反して恋愛関係にあるが、それを家族から猛反対され、沈星龍は土楼内部の牢に軟禁されてしまう。2人はまるでロミオとジュリエットであり、本人たちも悲恋っぷりに自己陶酔している感がある。会津と長州ならともかく、同じ建物内に住んでいるのになぜそこまで憎しみ合い、前近代的な掟が現代まで続いているのか。この時代遅れの設定も「密室」の構成に一役買っている。


 


・三つの「密室」トリック 


一つ目は土楼の多重密室


土楼中央のお堂で温雪鳳が殺された。当時、土楼は閉ざされていたため外部の人間が入ることはできず、犯人がお堂で温雪鳳を殺して逃げるためには、土楼内部に設置された壁の門をいくつも通らなければいけないのだが、鍵を持っていない人間はそれが不可能だ。


  


二つ目は土楼の中の牢屋


温雪鳳と別れるよう迫られた沈星龍は土楼にある牢屋に閉じ込められる。そこには子ども一人通れるぐらいの窓が二つあるだけで、ドアには当然鍵がかけられている。しかし沈星龍はいつの間にか消え、次の密室事件で死体となって見つかる。


 


三つ目はぬかるみの中の首吊り現場


牢屋から消えた沈星龍が村の枯木で首を吊って死んでいた。現場から十数メートルの範囲がぬかるんでおり、死体発見当時は沈星龍の足跡しかなかった。現場には十数メートルの長いロープが残され、枯木のてっぺんは何かでこすられたような跡があった。


  


実は一つ目と二つ目の密室は、土楼自体に仕掛けがあったというオチだ。秘密の抜け穴はないにしろ、最初からそういう風にできているので、その仕掛けさえ知っていれば頭をひねらずとも実行可能なのだ。ポイントは、その仕掛けが用意されたのが400年という遠い昔ということであり、作品を通して村の縁起や土楼の成り立ちが幾度も語られることで、仕掛けの違和感をできるだけなくしている。


 


メインとなる密室はやはり三つ目だろう。ぬかるみの現場の中、犯人はどうやって足跡を残さずに脱出できたのか。その秘密は枯木と長いロープに隠されている。


陳黙思が真相を明らかにする前に、噛ませ犬役として鄭佳が推理を披露。彼女は、犯人はロープの両端を木のてっぺんにくくりつけてブランコのようにし、それをこぐことで生じる遠心力を使って首吊り現場となった木から離れたのだと主張する。これは結局不正解なのだが、実は正解のトリックもこの推理と同様、木にロープをくくりつけて遠心力を使っている。枯れ木に枝がほとんどない、枯れ木だけど実際は丈夫という各条件が必要であり、再現性不明のトリックではあるものの、犯人がこんなことをやって犯行現場から逃げた絵面を想像するとたまらず面白かった。


 


しかし真犯人がストーリーにほとんど登場せず、陸宇たちと全然絡みがなかった点は残念だ。仮に読者が真犯人を当てられたとしても、動機を当てることは不可能な構成になっていて、ラストに真犯人の手紙による告白で動機や土楼、一族の謎など全てが明らかになる。


  


・現代中国の貧困対策を盛り込む


これは本筋と関係なく、作者自身も触れていないので私の考えすぎかもしれないのだが、舞台となった村で、現代の中国が推し進める脱貧困のための観光による村おこしが提案される。龍鳳村の村長が観光開発企業を誘致し、村に伝わる土楼をぶっ壊して現代的な建築物を建てることで、外部から観光客を呼び込んで豊かになろうと提案、村人もそれに賛同するのだが、土楼を研究する大学教授が猛烈に反対し……という一幕が描かれる。


貧しい村や県を貧困から脱却させることは中国がこの10年余り掲げている大きなテーマであり、今年その「達成」が宣言された。作者の青稞の談によると、本作が書かれたのが3年前であるので、貧困脱却政策は多少なりとも本作にも影響を与えていると思う。ただ残念なことに、土楼を壊す壊さないは殺人事件と全くの無関係であるので、村の貧しさや豊かになりたい村人、そして殺人事件が起きてしまった村の末路などにほとんど目が向けられていない。


新星出版社から出ている村などを舞台にしたミステリーには、民俗的な話が全体的に薄く、読み応えに欠けるので、もっと舞台装置以上の使い方をしてほしい。


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