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栖鄭 椎(すてい しい)
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36
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1983/06/25
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契約社員
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ビルバク
自己紹介:
 24歳、独身。人形のルリと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。



副管理人 阿井幸作(あい こうさく)

 28歳、独身。北京に在住している、怪談とラヴクラフトが好きな元留学生・現社会人。中国で面白い小説(特に推理と怪奇)がないかと探しているが難航中。

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このブログは、友達なんかは作らずに変な本ばかり読んでいた二人による文芸的なブログです。      

 


このコラムには映画『少年的你』及び小説『少年的你,如此美麗』などの作品のネタバレが含まれています。あと映画の各人物のセリフはうろ覚えなので、結構間違っているかもしれない。





先日、翻訳ミステリー大賞シンジケートに東野圭吾の『白夜行』『容疑者Xの献身』及び他作品からの盗作疑惑がかけられている『少年的你』の原作小説及び映画に関するコラムを書いた。


  


64回:中国小説界に深く根を張る東野圭吾



 


 そこではこれらの作品をめぐる問題を中心に書いたため、映画自体の評価ができなかった。様々な理由で散々叩かれている映画であるが、それでも面白い点は多々あったのでブログでは映画を中心にレビューを書いていきたい。改めて映画のあらすじを紹介しよう。


 





2011年の安橋(架空の街。モデルは重慶)、大学受験を間近に控えた高校3年生の陳念は、クラスメイトの魏莱らからひどいイジメに遭って自殺した胡暁蝶に同情を示したことで、次のイジメのターゲットになる。生来我慢強く成績優秀な彼女は、受験に合格すれば北京の大学に行けると信じてイジメに耐え、受験への影響を心配して警察に胡暁蝶の自殺の原因を言わなかった。


ある日、道端で不良同士の喧嘩を目撃し、警察に通報したところを見つかってしまった陳念は、一方的にやられていた劉北山(小説では北野)と無理やりキスをさせられる。結果的に彼をリンチから救った形になり、それ以降彼女の前には劉北山が現れるようになる。そして警察官の鄭易にイジメの事実を話し、魏莱らが停学処分を受けたことで、ようやく落ち着いた学園生活が送れるようになったのもつかの間、陳念への憎しみを募らせた魏莱らがますます苛烈な方法を取るようになる。母親が出稼ぎに行っていて周囲に頼れる人が誰もいない陳念は、学校にも行かず川辺の小屋に住む劉北山にボディーガードを頼む。


それから陳念は劉北山に登下校を遠巻きに見守ってもらいながら、放課後は彼とバイクに乗ったり街を出歩いたりし、夜は彼の家で受験勉強をし、初めての青春を楽しむ。だが劉北山が強姦事件の容疑者として警察に勾留されていた日に、陳念の前に魏莱らが現れる


大学受験当日、郊外で魏莱の死体が見つかる。警察は先日魏莱に暴行された陳念を容疑者として捜査を進める。このままでは陳念が捕まることに気付いた劉北山は、強姦犯に扮して警察官の前で陳念を襲うことで、彼女を被害者とし、さらに自分が犯罪者だと信じ込ませることができると考える。計画実行の日、警察が来るまでの間、二人は全てが終わった後に再会することを誓うのだった。





 


 


正直な話、イジメをテーマにした暗い映画なんか見たくなかったので、検証するという目的がなければ、いくら話題になろうが絶対見なかっただろう。私は映画原作小説という順に見ていったのだが、映画化するに当たって改変された点が多々ある。思いつくものをここに挙げていこう。


 


 


・小説では陳念が吃音気味で、それが原因でクラスメイトにいじめられたり、劉北山にからかわれる。映画ではそういう描写はなし。


・陳念のパートナーの名前が、小説では北野、映画では劉北山になっていた。


・映画冒頭で陳念が飛び降り自殺した胡暁蝶の死体に上着をかぶせてやり、学生たちがスマホで彼女の死体を撮影するのを防ぐ。


・小説・映画ともに陳念は母子家庭。しかし映画では母親は商売で失敗しており、債権者から逃げるために外地へ出稼ぎしている。だが親子関係は良好。


・映画では陳念が魏莱を殺す。


・映画では陳念と劉北山が共に服役する。


 


他に映画で気になる点


・映画は舞台が2011年なのだが高校生全員がスマホを持っていて、微信(ウィーチャット。LINEみたいなもの)で連絡を取り合っているのが不自然。二つとも2011年当時からあったようだが、そこまで普及していなかったはず。


・陳念が情状酌量されて4年の刑期で出てこられるので、劉北山の行為の重さが可視化されて軽くなってしまう。


 


・イジメ加害者魏莱への同情


 


映画は、大学受験のプレッシャーや家庭内の問題が学生間のイジメを招くという考えを基にし、加害者側の立場を通してイジメの原因を描いている。原作より社会性やテーマ性が高くなった映画で重要になるのが魏莱の役どころ。


 


この魏莱という女生徒は美人で勉強もでき社交性もあり、一見優等生に見える。だが、イジメグループの主犯としてクラスメイトを自殺に追い込んでいるのだから悪魔みたいな女だ。ターゲットを陳念に替えてもその苛烈さは変わらず、陳念を学校の階段から蹴り落とすのは序の口、陳念にイジメをバラされて停学になってからは仲間とともに陳念の家の前に大量のハムスター(何に使うつもりだったのか。食わせる気だったのか?)を持って現れる。これによって陳念が劉北山にボディーガードを頼むことになり、魏莱も一度劉北山から「警告」を貰っているのだが、彼女はそれで諦めるような人間ではなかった。劉北山不在時を狙い、仲間とともに陳念を暴行、彼女を丸坊主にし、その様子を録画するのだ。


 


半グレみたいな暴力性を持っている彼女の真の異常性が発揮されるのはここからだ。


 


丸坊主にさせられただけで何とか助かった陳念は翌日、魏莱に会いに行く。すると魏莱は今までの態度とは打って変わって、昨夜の件を警察に言わないよう陳念に懇願する。裕福な家庭で育った彼女は、去年大学受験に失敗したせいで(ということは陳念より一つ年上?)父親から全く口を利いてもらえておらず、先日の停学の件もあってこれ以上受験に不利になるわけにはいけないのだ。


 


魏莱が単に表と裏の顔の使い分けが上手い不良ではないということは、胡暁蝶自殺の捜査で警察の取り調べを受けている時から明らかだ。失敗を許さない冷酷な父親と、娘のやっていることを全く知ろうとせずただ溺愛する母親に育てられた魏莱は、学校では優秀な成績を収める一方、夜は自由にクラブを周り、悪事に手を染める友人まで持つかなりの問題児になっている。受験失敗後に変貌したのか、元々そうだったのかは分からないが、クラスメイトを自殺させても全く良心の呵責を感じず、自分の行為の重大性を理解していない彼女は、これまで問題と真っ向から向き合ってこなかったのだろう。そこに現れたのが、劉北山に守ってもらって魏莱たちのイジメに耐えた陳念だ。


陳念が真実を語れば受験どころではなくなる。というより、受験を受けられないこと以上の問題がたくさんあるのだが、魏莱にとって目下の要件は受験なので、陳念には何が何でも黙ってもらわないといけない。お金ならいくらでも払うからと陳念にすがりつく彼女には謝罪の気持ちなんかないし、自分のしたことの後悔もしていないのだろう。


 


そして陳念は、喋らない代わりに二度と自分の前に姿を見せるなと伝える。「耐える人」陳念にとって重要なのはお金でも謝罪でもなく、受験に合格して北京に行くことだから、魏莱など眼中にないのだ。


陳念から警察に通報しない約束をもらった魏莱は、さっきまでの泣き顔が一転して安心した表情になり、石段を下りる陳念に親しげに話しかけ、ついには「今までのことは水に流して友達になろう」と言う。


「お母さんも言ってたんだ。喧嘩をしなきゃ本当の友達になれないって」


これは煽っているのではなく、彼女は自分が丸刈りにした少女に対して本心からこう言うのだ。もちろん陳念は無視を決め込む。だが魏莱からすれば、この話はさっきで終わったのだから、まだ怒っているのはおかしい。だから続けて、「本当にお金はいらないの?」と心配そうに聞く。しかしこれがいけなかった。


母親が商売に失敗して陳念の家が貧乏なのは魏莱も知っている。だから彼女は、「お金があったらあんたのお母さんも楽になるでしょ」と親身になって問いかける。


だが、魏莱の口から母のことが出たことで陳念は頭に血が上り、とうとう魏莱を石段から突き落とす。石段を転がり、頭を打って絶命する魏莱。彼女は最期まで何が悪かったのかを理解せず、何で死んだかも分からなかったのだろう。


 


この映画一番の巨悪を主人公が殺したというのに、全然スッキリしない。それはこの映画が、魏莱もまたこの社会の犠牲者であり、劉北山と出会って救われ、社会からも情状酌量が許された陳念みたく、彼女も誰かが救われなければいけない「若者」だったという描き方をしているからだ。


 


 


・無力な大人鄭易のあがき


 


この映画の主人公として挙げられるのは陳念と劉北山だが、3人目として登場するのが警察官の鄭易だ。彼は本作の大人の代表として、現代の若者たちを取り巻く環境と彼女たちの行動に戸惑う。


終始陳念の味方でいる鄭易は、言わば「法の下にいる劉北山」であり、彼女のもう一人のボディーガードだ。しかし肝心の陳念からはあまり頼りにされておらず、そのことを自分でももどかしく感じている。


この映画の子どもたちは、大人からの庇護を拒絶する。自分たちを苦しめるこの社会(状況)を生み出した大人が一体何をできるんだと常に問い掛ける。まだ若い警察官の鄭易は陳念たちに何度も寄り添おうとするのだが、「大学受験があるからイジメのことは言わなかった」という陳念の言葉に驚くなど、今の子どもがどれだけ過酷な環境を生きているのかがよく分かっていない様子が描かれる。


 


彼の能力が発揮されるのは物語後半、陳念の魏莱殺しの罪をかぶった劉北山を取調べしている最中だ。連続強姦犯に扮して陳念を襲っているところを逮捕された劉北山は魏莱殺害も自白し、陳念から捜査の目を逸らそうとする。鄭易には二人が嘘を吐いていることがすぐに分かったが、何も証拠がない。若者二人は全く尻尾を出さず、劉北山は陳念のために刑務所に行く覚悟があり、陳念は何年かかろうとも劉北山の出所を健気に待とうとしている。だが、真正面に罪と向き合おうとしない二人を許すわけにはいけない彼は、なんと強姦犯として捕まった劉北山とその被害者である陳念を面通しさせる。もちろんれっきとした規律違反だが、彼の捨て身の行動でも二人が真実を明かすことはなかった。


そこで彼は次の行動に出る。受験に合格した陳念のもとに来た彼は、劉北山が死刑になったと告げる。何年後かに一緒になることを待ち望んでいた陳念にとって、これは最悪の知らせであり、彼女はその場で泣き崩れる。しかし、これは鄭易のウソ。彼女の本心を引き出すために繰り出したブラフであったのだ。そして、陳念に「本当のことを話せば二人とも罪が軽くなる」と説き、ついに彼女を説得する。


 


これには、懐柔でも脅迫でもなく、ドッキリを使って自白させんの?!と、見ていて驚いた。この鄭易の行動は、全く心を開いてくれない陳念への意趣返しにも、愛のために全てを投げ出せる劉北山への嫉妬心にも見え、とても大人気なく感じた。


 


・イジメ被害者にメッセージ


映画のラストでは舞台が2015年になっている。4年間の刑期を終えた陳念が学校(英語教室?)の先生になり、何か悩みを抱えてそうな少女に寄り添って歩いているその後ろで劉北山が見守っている。


そしてスクリーンには中国が2015年から取り組んでいるイジメ対策の内容が次々と流れ、劉北山役の易烊千璽(イー・ヤンチエンシー。お前、易が名字で烊千璽が名前だったのか…)が、「イジメを見て見ぬ振りするな」という励ましのメッセージを観客たちに送る。


なぜこの映画が現代ではなく2011年なのか。2011年ではまだメジャーじゃなかったスマホや微信を学生たちが使っているのはなぜか。その原因を色々考えてとてもシンプルな推測が生まれた。この映画は元々現代を舞台にしていたのだが、それでは上映の許可が下りなかったので、イジメ対策がまだ完全ではなかった2011年を舞台にすることで、許可をもらう代わりにリアリティを犠牲にしたのではないだろうか。更に一歩踏み込んで考えると、この映画を海外でも上映したいと考える人間(監督たちではない)の目的は、映画の内容ではなく、ラスト数分の中国のイジメ対策の成果の喧伝なのではないか。


 


中国の映画で殺人を犯した未成年者が罪に問われないなんてありえないので、陳念が魏莱を殺害していたことが明らかになった時点で陳念逮捕は予想が付いた。しかし情状酌量を認められて4年で出てこられてるというオチは、ハッピーエンドにも見えるが、愛する女性のために自分の人生を犠牲にしようとした劉北山の覚悟に泥を塗る描写でもあり、はっきり言って蛇足だ。


魏莱とは何だったのか。そもそもイジメなんか本当にあったのか。ハッピーエンドをしっかり描いてしまったことで、これまでの不幸が全て薄っぺらに思えてしまう終わり方だった。やっぱりここは『容疑者Xの献身』のように二人共罪を償うことを決めて終わるか、『白夜行』のように男が死のうが女は一人で生きていくという終わり方にしたほうが良かった。

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その1



長いと言われたので二つに分ける。





 


  この本にはあと2人、性暴力の被害女性が登場する。1人は房思琪と劉怡婷にとって姉のような存在で、夫に家庭内暴力を振るわれている許伊紋。もう1人は以前李国華に強姦された郭暁奇だ。房思琪と違うのは、彼女らが加害者や社会に対して声を上げたということだが、その声は結局かき消される。


 


許伊紋は意を決して夫に、これ以上の暴力はやめるよう訴え、一度はそれを聞き入れられる。だが、大体のDV被害者同様にまた殴られ、取り返しのつかない怪我を負う。


郭暁奇は自分を捨てた李国華に反撃しようとネットに投書するが、返ってきたのは心無い罵倒ばかりで、李国華にダメージを与えることはできなかった。


 


彼女たちの口を閉じ、声を無視したのは一体何なのか。この本を読むと、世の中には一体どれだけ「完全犯罪」の被害者がいるのかと暗澹たる気持ちになる。


 


 


実話を基にしているとは言え、結局は「物語」だ、と読者は逃げることもできたかもしれない。だが著者の林奕含はそれを許さずに先手を打ち、劉怡婷の背後に読者を据えて、許伊紋にこう言わせる。「あなたは、強姦を楽しむ人間も、強姦された少女も存在しない振りをして生きていくこともできる」。このように言われ、知らない振りをしようとする者はいないだろう。だが、振りをしないためにはどうすればいいかと考えた時、やはり「そんな人はいなかった」と考えてしまう人が大半なのではないだろうか。


 


 


例えば李国華がAVなどに触発されたとか言っていれば、分かりやすい犯人探しもできただろう。だがこの本が挑戦しているのは、すでに形成されて確固として揺るがない社会だ。文学を愛する房思琪と許伊紋が被害者のままだったというこの文学作品が、どれだけの力を持って社会に立ち向かえるのか分からない。


 


日本でこの本がどれだけ受け入れられるか不明だ。過激さ目当てに売れたら嫌だなぁと反射的に思う反面、台湾でベストセラーになった要因はセンセーショナル性も確かにあったと思うので、あまり上品なことを言えば、それこそ既存の社会制度に与することになるのかなぁと悩むところだ。


 


 


日本語に翻訳されるということだったので、もし自分が翻訳したら…と考えながら読み進めたシーンもあるが、その作業によって他人には見せたくない心の内をさらけ出すことになるとは思わなかった。例えば李国華に強姦される少女らが「不要不要」と抵抗するシーンをどう訳すか考えた時、自分の頭の中の棚を漁って類義語や類似したシーンを取り出そうとすると、人に知られたくないものばかり出てきて、これをそのまま使うのは流石に気が引けるなと思った。


 


 


 仮想翻訳ですら気持ちが暗くなるのだから、作者にとって執筆がどれだけ辛かったのか想像もできない。作者の林奕含はこの本が出版された2カ月後に自殺したそうだが、一体その2カ月間をどう生きたのかがとても気になる。多分きっと、もっと傷ついたんだろう。

2017年に台湾で出版されベストセラーになった、実話を基にした性暴力被害告白小説。1024日に日本語訳が出たということなので、大陸向け簡体字だがノーカット版の原著を購入し、読んでみた。読後は、無力感と言うか絶望感と言うか、何かやらなきゃいけない義務感に駆られるものの、何をしていいんだかよく分からない焦りを感じた。


 


 


 


(日本語版書籍の情報は下記URLから)


https://www.hakusuisha.co.jp/book/b479960.html


 


 




台湾高雄の高級マンションに暮らす房思琪と劉怡婷は双子のように仲が良く、好みも同じで、文学少女の2人は共に、同じマンションに住む50代の国語教師李国華に憧れに似た恋愛感情を持っていた。房思琪は13歳の頃、李国華に勉強を教わりに行き、彼の部屋で強姦される。その後、房思琪は李国華の「愛」から抜け出せず、親や劉怡婷にも言い出せず、異常な関係を続けていく。表面上はなんでもないように見える房思琪だったが、奇行や不眠症など身体に異常が出て、彼女の精神は徐々に蝕まれる。5年後、精神を患って入院した房思琪の部屋を訪れた劉怡婷は、彼女の日記を見つけ、そこで初めて房思琪と李国華の関係を知る。全てを知った彼女はある決意を秘め、李国華の家に向かう。





 


 


 


まず最初に、自分はこの本を読むまで、房思琪が強姦を誰にも相談せず、李国華と関係を続けていく理由を、暴力や脅迫によって口が封じられているからだと思っていた。しかしすぐに、事実はそんなに単純じゃないことを思い知らされる。


この李国華という男は、教養があり、既婚者で、話し上手で、それにもう50歳ということもあってか、誰からも「男性」として見られず、性犯罪者だと疑われることがない。また、房思琪と劉怡婷も彼のことを「男性」と思っていないから、警戒せずに部屋に招かれる。彼女たちの両親も李国華のことを信用しているので、彼をよく自宅に招いて一緒に食事をしたりする。


李国華は最初の強姦以外、房思琪に対して特に明確な暴力を振るわないし、脅迫することもない。さらに時には、13歳の房思琪に押し負け、愛の言葉を強要され、優位に立たれそうになる。


 


強姦という犯罪で成り立っている関係性、37歳差、既婚者と中学生など、何もかもが異常であるが、美しそうに見える一瞬だけを切り取ってしまったら、このような関係も有りなのではと思ってしまいかねない。だが、徐々に精神を病んでいく房思琪自身が発する不協和音が、このような関係を絶対に許してはいけないと訴える。


 


李国華は少女を強姦することを悪いことだと全く思っていないようだ。最初の強姦時に房思琪に言い含めた「これは愛だ」という言葉を、彼自身が信用しているのかもしれない。サイコパスという表現はだいぶ陳腐になったが、強姦後の李国華の行動は常人には理解不能で、彼は事件後も平然と房思琪に家に行き、家族で一緒に食事をしたり、相変わらず彼女に勉強を教えたりする。


 


李国華の自信の源は、「これまで反抗した子は一人もいなかった」という彼の言葉にある。李国華にとって房思琪が初めてではなく、今まで一度も表沙汰になったことがないのだ。


 


李国華に自信を与え、彼の成功体験を重ねたのは何か。その原因の一つは、性暴力の存在を認めようとしない社会だ。房思琪は当初、李国華とあったことを母親に相談しようとしてそれとなく聞いてみるが、娘に性教育はまだ不必要だと考えている母親に理解してもらうのを諦め、この話題は二度と出すまいと決意する。


 


 


房思琪が口を閉ざし、李国華がますます厚かましくなった結果、房思琪と房思琪の母親、劉怡婷の母親、そして李国華が一緒に寿司を食べ、大人たちの談笑を無視して房思琪が黙々とバラン(食べられない草)を食べ、誰もそれに気付かないという下手なホラー小説より恐ろしい光景が生まれる。


目の前に自分を「殺した」男がいて、それが家族と仲良くしていることが子どもにとってどれほどのストレスになるのか。心のバランスを取るためか、房思琪は既婚者の李国華が本当に自分を愛しているのか確かめようと愛の言葉を求めるが、一方ではどんどん精神に異常をきたしていく。そして結局彼女は、5年前のあの事件以来予定されていた最悪な結末をとうとう迎えることになる。


 


 その2に続く



 

2022年末の台湾の九份や金瓜を舞台に、マスクをした人物による連続殺人事件が起きる。しかしこの犯人、女性を2人も殺害する凶悪さがある一方、犯行前に被害者から甘い物を奪っていたり、銅像に喧嘩を売っていたり奇行が目立つ。『エッ!この死体ってたったの60点?』という日本語訳になるタイトルは、中年女性の死体を見た警察の上司が言い放った言葉から来ている。とても不謹慎だ。


 





九份署に勤務する摩斯(シャーロック・ホームズの中国語名・福爾摩斯から命名)は、ベネチアンマスクをかぶった人物による殺人事件を担当する。犯人は被害者からゼリーとタピオカミルクティーを奪っていたので、糖尿病に苦しむ犯罪者かと推理したが、犯人として浮かび上がった人物は糖尿病も精神病の病歴もなかった。短期で楽天家の上司の陳豊留によって、事件は被疑者死亡のまま終息する。しかし新たなマスクマンの出現に台湾中が騒然となる。これは模倣犯なのか、それともこれこそ真犯人なのか。残されたマスクを調べていた摩斯がそれを装着すると、視界には見慣れた九份とは全く異なる非現実的な光景が広がるのだった。





 


ミステリーなのかSFなのか判断に困る作品で、ミステリーとするなら謎も推理も魅力が薄いし、SFとするなら単なる野外VR装置が登場するだけだ。作中に登場するベネチアンマスクは、目に映るもの全てが美しく見えるVRゴーグルみたいな機能を持っている。殺人事件や甘い物強盗も、このマスクが原因で起きた事故だったわけだ。そしてこのマスクには使用範囲に制限があり、九份のある場所を超えると効果が発揮されなくなる。


そう、この本の最大の謎は殺人事件ではなく、マスクの使用範囲が特定の場所にしか定められていないことなのだ。


摩斯は狂気と冷静の世界に片足ずつ突っ込み、自分でマスクを被って九份を奔走しながら、ある事実に気付いて徐々に犯人を絞っていく。彼を真実に導くのは住み慣れた九份の土地であり、彼の土地勘が謎の解決につながる。この本もまた他の台湾ミステリーの例に漏れず、台湾の街を丁寧に描写している。この本は強いて言えばミステリーでもSFでもなく、台湾ガイド小説であると言えるだろう。


もしかして台湾とか香港のミステリーって、街の情景をつぶさに描いて郷土的雰囲気を出せば評価が上がるのだろうか。


新中国成立から約70年間で起きた重要な出来事に絡めた短編7話からなるオムニバス映画。新中国成立70周年の日に当たる101日の前日から中国で公開された映画で、評判が良かったし、中国に暮らしている以上見なければと思って国慶節連休中見に行った。だがその行為は結局、中国において自分はやはり外国人であるということを再確認しただけだった。


 


 


1話目『前夜』


1949年国旗掲揚


建国記念日の最大行事の一つ、天安門広場での国旗掲揚式の裏側を描いた作品。建国記念日前夜、国旗をモーターで自動で揚げるという大役を任されている技師が、ミスが絶対許されていない翌日の本番のために試行錯誤を繰り返す。重要な部品が破損してしまうと、彼の助手は近所に呼び掛け、金属回収を行う。建国を祝う人々の助けを借りて見事部品を製造した技師は、国旗のポールに上ってそれを取り付ける。


この技師は実在し、当時は毛沢東の後ろで彼に国旗掲揚ボタンの操作を説明したらしい。しかし、映画と同じ出来事が実際にあったかどうかは分からない。とは言え、明日までに100%ミスのない装置を作らなきゃいけないのにトラブルが続き、軍人を初めとした中国人が助けてくれる展開は感動的だったし、刻一刻と減っていく時間が表示される見せ方は『24』を思い起こさせ、とても緊張感があった。


 


 


2話目『相遇』


1964年 初の原爆実験成功


家族にも黙って原爆実験を数年間行う科学者チームの一人が、実験中の危機を身を挺して食い止める。被爆した彼は病院から抜け出し、昔よく乗っていたバスに乗る。車内には、何も言わず消えて行った夫を探すために、毎日バスに乗っていた妻がいたが、彼は任務の秘匿性を重視して自分の正体を明かさない。すると妻は彼の隣の席に乗り、夫婦の馴れ初めを語るのだった。


2人が乗るバスのリアガラスから見える風景が徐々に賑やかさを増していき、ついには龍が舞いビラが飛び交うお祭り騒ぎになる。そのビラは、中国が初めて原爆実験を成功させたことを祝う号外だった。その成功の陰に夫の存在があったことを知った妻は喜び、夫は満足気に涙を流すのだった。


2人の背後にある大きなリアガラスに当時の中国ののどかな町並みがゆっくりと映され、それが徐々にお祭り騒ぎになっていき、バスが停まって2人がようやく外の異変(慶事)に気付くという展開は、ホラー映画っぽくて面白かった。


 


3話目『奪還』 


1984年 ロス五輪で中国女子バレー優勝


同じ卓球チームにいる意中の女の子が、明日海外に行ってしまうことにショックを受ける男子小学生。彼女にプレゼントを上げるために急いで家に帰ると、近所で珍しく家にテレビあった彼は、ロス五輪の女子バレー決勝戦を楽しみにしている近所の人達から、家にあるテレビを外に出すよう頼まれる。


外に近所の人々が集まり、それぞれ椅子に座ってスイカを食べたりしながらバレーの試合を見始める。試合よりも女の子の方が大切な彼は家から出ようとするが、そのたびにテレビのアンテナの調整を頼まれ、なかなか自由になれない。そんな中、家に女の子が来てしまう。しかし試合も優勝が決まるクライマックスになり、彼がアンテナから手を離せば近所の人々は優勝の決定的瞬間を見られなくなってしまう。女の子と五輪を天秤にかけた彼は、皆のためにテレビを映すことを選び、彼女とは会えぬままになる。


月日が経ち、卓球チームの監督となった少年はテレビ番組の企画で当時の少女と再会するのだった。そして偶然、2016年リオ五輪での中国女子バレー優勝の瞬間を2人で立ち会うのだった。


上海の下町を舞台にした小さな恋の物語と思いきや、その愛はやはり国への愛だったという、個人的にかなりグロテスクに見えた作品。7作品の中で一番ワクワクし、一番驚いた。その二択なら普通は間違いなく女の子を選ぶだろうし、それでテレビが見られなくなっても皆許してくれるだろう、と思っていたので、アンテナを選んだ時は本当にビックリした。これが『三丁目の夕日』的な日本の下町が舞台で、五輪で日本チームが勝つ瞬間だと仮定した場合、一体どちらを選ぶことになるかと考えたが、テレビを選ぶシーンはあまり想像できなかった。


 


4話『復帰』


1997年 香港返還


香港返還式典で71日になった瞬間に中国の国旗を揚げるべく、香港側担当者とイギリス側担当者はそれぞれグリニッジ標準時に合わせた腕時計を用意する。香港で時計修理屋を営む熟練の技師は、イギリス側担当者の腕時計の修理を任させる。


成功の裏側には市井の人々の技術と協力があったというお話だが、個人と国家を無理やり絡ませてねぇかっていう印象が強い一作だった。軍人の上官役で、いかにも自制心がなく酒色に溺れそうな外見の人物が出てきて、コイツがスパイとして香港返還の儀式を邪魔するんじゃないかと一瞬思ったが、この映画にそんな悪人が登場するはずないので無駄な期待だった。


 


5話『やあ北京』


2008年 北京五輪


北海道を舞台にした映画『非誠勿擾』の主演俳優葛優(グォヨウ)が、ウザくて不器用で肉親にこんなのいたら絶対嫌だけど、何故か憎めない(フォロー)タクシードライバー親父を演じる作品。タクシー会社から北京五輪開幕式のチケットをもらった葛優はそれを周囲に見せびらかし、別居する息子のプレゼントにしようとする。しかし、いつもどおり車内で客に見せびらかしていたら、四川から来た少年に定価の800元の現金にすり替えられ、息子の前で大恥をかくことに。胡同を走り回って少年をやっと捕まえた葛優だったが、少年が四川大地震で父親を亡くし、またその父親が五輪会場「鳥の巣」の建造に携わったことを知り、彼にチケットを渡す。


 


6話『白昼流星』


2016年 有人宇宙船神舟11号着陸


貧困地域に住む兄弟は親戚のツテを頼って、村の責任者の李老人の家に身を寄せる。だが兄弟は李家から大金を奪って逃走しようとしたところ、警察に見つかり拘束される。だが2人の姿を見た李老人は警察官に「そのお金は私が上げたものだ」と言い、兄弟をかばう。


ある日、兄弟は有人宇宙船神舟11号の着陸に立ち会い、関係者に代わって宇宙飛行士の搬送を行う。その時から2人は貧困撲滅活動に身を投じるのだった。


劉昊然と陳飛宇が演じる兄弟の年齢を、俳優の実年齢と同じ22歳と19歳に設定すると、この兄弟は知恵遅れなんじゃないかと思うシーンが多々ある。貧困地域にはこういう1020代の若者がいるんだろうか。確かに、貧困家庭で育った子供が誰からも教わっていないから体の洗い方を知らなかった、というケースが日本でもあるみたいなので、この映画に出てくる兄弟みたいに恩も礼儀も知らない若者は中国に実在するかもしれない。未来のない若者も国家的事業に関われば誇りを取り戻し、仕事に打ち込むようになるというメッセージだろうか。


 


7話『護衛』


2015年 抗日戦争勝利70周年


抗日戦争記念式典で飛ぶ戦闘機の女性パイロットの話。鑑賞中は、きれいな内容で終わった前の話で終了したと思っていたし、なんでこれだけ時間の順番通りじゃなくて2016年から2015年に巻き戻っているのか不思議だったが、映画のラストを見て納得した。この作品が終わってから本物の中国の軍人が雄々しく行進する様や、各地の大学生が歌を歌うシーンとかが流れるので、それらの映像の導入としてこの作品がふさわしかっただけなのだ。


サングラスをかけた女性パイロットらがカメラに向かって滑走路をゆっくり歩いていくシーンは西部警察を思わせ、失笑が漏れた。7作品中一番ダサい作品だった。


 


 


国家の重大な出来事の裏側には個人の物語があり、個人が国家に貢献し、国家が個人に寄与する姿には定まった形がない、ということを伝えているのだろうか。海外のコメディ映画と同様、その国の文化が分からなければ100%理解することはできないといった内容であり、評価が難しい作品だった。


もう一つ、中国共産党的特色よりよほど理解できなかった点は、実際の国家の重大ごとと絡めた作品に虚構を施してもいいのか、ということだった。2345話では登場人物(庶民)が直接的に国家の重大な出来事に関与していないので、虚構性に対する抵抗感をかなり下げている。しかし本当に、1話の技師は人々から金属を回収して重要な部品を作ったのか、2話の科学者はバスの中で妻と出会ったのか、6話の貧乏な兄弟は宇宙飛行士を搬送したのか、7話の女性パイロットは空を飛んだのか、と疑問が湧いてくる。それはストーリーの信憑性を疑っているのではなく、監督や俳優らの映画作りに対する姿勢への疑いだ。


しかし自分は実を言うと、この手の映画はあまり見たことがない。なので、史実(中国共産党関係)を題材にした作品にフィクションをぶっこむやり方は、実は珍しくないのかもしれない。


だが信頼問題として、映画の中で個人と国家の大切な繋がりを描いているのだから、そこに描かれているのは、感動を誘うための虚構ではなく、現実と密接につながって血の通った物語のはずだ。


 一方で、感動的な作品をつくるためなら史実に架空の人物や出来事をぶっこんでも良いという大胆な姿勢は見習うべきだなと思った。

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