新刊が出るたびに、「中国の出版界隈でタイトルに『殺人』って言葉を使うのはNGじゃなかったっけ?」と疑問が浮かぶ青稞の最新刊。『鐘塔殺人事件』や『日月星殺人事件』など、今まで中国という国で洋館を舞台にした「館もの」ミステリーに挑んできた作家は今回、福建省などに実在する伝統的な建築物「土楼」を舞台にしている。数百年前に造られた土楼の秘密とそこに暮らし続ける二つの一族の掟、皇帝の隠し財宝の噂など、前近代的な設定に基づいて創作しながらも、現代中国の社会政策も反映した長編ミステリーだ。
推理小説家の「私」こと陸宇は、「沈黙探偵」の異名を持つ探偵の陳黙思と共に実際に体験した『鐘塔殺人事件』や『日月星殺人事件』などの事件を小説化し、有名になった。ある日、大学の後輩で、いまは記者をしている鄭佳に誘われ、約400年前に清軍に追い詰められて命を落とした南朝の皇帝・隆武帝が隠した財宝が眠っているという龍鳳村へ行く。そこの村人は全員土楼に住み、中でも村最古の土楼に住む沈家と温家は隆武帝配下の軍人の子孫と言われている。しかし沈家と温家は同じ土楼に住んでいるにもかかわらず、どういうわけか昔から非常に仲が悪く、土楼内に設置された赤い壁によって両家の交流はほぼ閉ざされていた。折よく行われた村の成人式で、土楼中央のお堂にいた温家の娘の温雪鳳が何者かに殺される。現場は密室、お堂に行くまでは土楼内部の壁をいくつも越えなければならず、その鍵は限られた人物しか持っていない。混乱の中、温雪鳳と恋愛関係にあり、罰として土牢に閉じ込められていた沈星龍が失踪する。陸宇・陳黙思コンビに三つの「密室」が立ちはだかる。
・民俗学的な謎に満ちた村
400年前にこの地に逃げ延びてきた南朝側の兵士が皇帝の財産を守って明朝を再興するという野望をもってつくられた土楼と村は、成立時点でかなり特殊だ。
「土楼」とは、表紙のイラストにもあるような円形の建築物で、内部がいくつもの部屋に分けられた集合住宅だ。イメージしづらい人は、円形監獄のパノプティコンを思い浮かべてくれたらいい。パノプティコンは中央に監視塔があるが、本作の舞台となった土楼には祖堂(祖先を祀るお堂)がある。
しかし例外はつきもので、沈星龍と温雪鳳は一族の掟に反して恋愛関係にあるが、それを家族から猛反対され、沈星龍は土楼内部の牢に軟禁されてしまう。2人はまるでロミオとジュリエットであり、本人たちも悲恋っぷりに自己陶酔している感がある。会津と長州ならともかく、同じ建物内に住んでいるのになぜそこまで憎しみ合い、前近代的な掟が現代まで続いているのか。この時代遅れの設定も「密室」の構成に一役買っている。
・三つの「密室」トリック
一つ目は土楼の多重密室
土楼中央のお堂で温雪鳳が殺された。当時、土楼は閉ざされていたため外部の人間が入ることはできず、犯人がお堂で温雪鳳を殺して逃げるためには、土楼内部に設置された壁の門をいくつも通らなければいけないのだが、鍵を持っていない人間はそれが不可能だ。
二つ目は土楼の中の牢屋
温雪鳳と別れるよう迫られた沈星龍は土楼にある牢屋に閉じ込められる。そこには子ども一人通れるぐらいの窓が二つあるだけで、ドアには当然鍵がかけられている。しかし沈星龍はいつの間にか消え、次の密室事件で死体となって見つかる。
三つ目はぬかるみの中の首吊り現場
牢屋から消えた沈星龍が村の枯木で首を吊って死んでいた。現場から十数メートルの範囲がぬかるんでおり、死体発見当時は沈星龍の足跡しかなかった。現場には十数メートルの長いロープが残され、枯木のてっぺんは何かでこすられたような跡があった。
実は一つ目と二つ目の密室は、土楼自体に仕掛けがあったというオチだ。秘密の抜け穴はないにしろ、最初からそういう風にできているので、その仕掛けさえ知っていれば頭をひねらずとも実行可能なのだ。ポイントは、その仕掛けが用意されたのが400年という遠い昔ということであり、作品を通して村の縁起や土楼の成り立ちが幾度も語られることで、仕掛けの違和感をできるだけなくしている。
メインとなる密室はやはり三つ目だろう。ぬかるみの現場の中、犯人はどうやって足跡を残さずに脱出できたのか。その秘密は枯木と長いロープに隠されている。
陳黙思が真相を明らかにする前に、噛ませ犬役として鄭佳が推理を披露。彼女は、犯人はロープの両端を木のてっぺんにくくりつけてブランコのようにし、それをこぐことで生じる遠心力を使って首吊り現場となった木から離れたのだと主張する。これは結局不正解なのだが、実は正解のトリックもこの推理と同様、木にロープをくくりつけて遠心力を使っている。枯れ木に枝がほとんどない、枯れ木だけど実際は丈夫という各条件が必要であり、再現性不明のトリックではあるものの、犯人がこんなことをやって犯行現場から逃げた絵面を想像するとたまらず面白かった。
しかし真犯人がストーリーにほとんど登場せず、陸宇たちと全然絡みがなかった点は残念だ。仮に読者が真犯人を当てられたとしても、動機を当てることは不可能な構成になっていて、ラストに真犯人の手紙による告白で動機や土楼、一族の謎など全てが明らかになる。
・現代中国の貧困対策を盛り込む
これは本筋と関係なく、作者自身も触れていないので私の考えすぎかもしれないのだが、舞台となった村で、現代の中国が推し進める脱貧困のための観光による村おこしが提案される。龍鳳村の村長が観光開発企業を誘致し、村に伝わる土楼をぶっ壊して現代的な建築物を建てることで、外部から観光客を呼び込んで豊かになろうと提案、村人もそれに賛同するのだが、土楼を研究する大学教授が猛烈に反対し……という一幕が描かれる。
貧しい村や県を貧困から脱却させることは中国がこの10年余り掲げている大きなテーマであり、今年その「達成」が宣言された。作者の青稞の談によると、本作が書かれたのが3年前であるので、貧困脱却政策は多少なりとも本作にも影響を与えていると思う。ただ残念なことに、土楼を壊す壊さないは殺人事件と全くの無関係であるので、村の貧しさや豊かになりたい村人、そして殺人事件が起きてしまった村の末路などにほとんど目が向けられていない。
新星出版社から出ている村などを舞台にしたミステリーには、民俗的な話が全体的に薄く、読み応えに欠けるので、もっと舞台装置以上の使い方をしてほしい。