忍者ブログ
カレンダー
10 2019/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フリーエリア
最新コメント
プロフィール
HN:
栖鄭 椎(すてい しい)
年齢:
36
性別:
非公開
誕生日:
1983/06/25
職業:
契約社員
趣味:
ビルバク
自己紹介:
 24歳、独身。人形のルリと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。



副管理人 阿井幸作(あい こうさく)

 28歳、独身。北京に在住している、怪談とラヴクラフトが好きな元留学生・現社会人。中国で面白い小説(特に推理と怪奇)がないかと探しているが難航中。

 Mail: yominuku★gmail.com
     ★を@に変えてください
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
* Admin * Write * Comment *

*忍者ブログ*[PR]
*
このブログは、友達なんかは作らずに変な本ばかり読んでいた二人による文芸的なブログです。      


その1



長いと言われたので二つに分ける。





 


  この本にはあと2人、性暴力の被害女性が登場する。1人は房思琪と劉怡婷にとって姉のような存在で、夫に家庭内暴力を振るわれている許伊紋。もう1人は以前李国華に強姦された郭暁奇だ。房思琪と違うのは、彼女らが加害者や社会に対して声を上げたということだが、その声は結局かき消される。


 


許伊紋は意を決して夫に、これ以上の暴力はやめるよう訴え、一度はそれを聞き入れられる。だが、大体のDV被害者同様にまた殴られ、取り返しのつかない怪我を負う。


郭暁奇は自分を捨てた李国華に反撃しようとネットに投書するが、返ってきたのは心無い罵倒ばかりで、李国華にダメージを与えることはできなかった。


 


彼女たちの口を閉じ、声を無視したのは一体何なのか。この本を読むと、世の中には一体どれだけ「完全犯罪」の被害者がいるのかと暗澹たる気持ちになる。


 


 


実話を基にしているとは言え、結局は「物語」だ、と読者は逃げることもできたかもしれない。だが著者の林奕含はそれを許さずに先手を打ち、劉怡婷の背後に読者を据えて、許伊紋にこう言わせる。「あなたは、強姦を楽しむ人間も、強姦された少女も存在しない振りをして生きていくこともできる」。このように言われ、知らない振りをしようとする者はいないだろう。だが、振りをしないためにはどうすればいいかと考えた時、やはり「そんな人はいなかった」と考えてしまう人が大半なのではないだろうか。


 


 


例えば李国華がAVなどに触発されたとか言っていれば、分かりやすい犯人探しもできただろう。だがこの本が挑戦しているのは、すでに形成されて確固として揺るがない社会だ。文学を愛する房思琪と許伊紋が被害者のままだったというこの文学作品が、どれだけの力を持って社会に立ち向かえるのか分からない。


 


日本でこの本がどれだけ受け入れられるか不明だ。過激さ目当てに売れたら嫌だなぁと反射的に思う反面、台湾でベストセラーになった要因はセンセーショナル性も確かにあったと思うので、あまり上品なことを言えば、それこそ既存の社会制度に与することになるのかなぁと悩むところだ。


 


 


日本語に翻訳されるということだったので、もし自分が翻訳したら…と考えながら読み進めたシーンもあるが、その作業によって他人には見せたくない心の内をさらけ出すことになるとは思わなかった。例えば李国華に強姦される少女らが「不要不要」と抵抗するシーンをどう訳すか考えた時、自分の頭の中の棚を漁って類義語や類似したシーンを取り出そうとすると、人に知られたくないものばかり出てきて、これをそのまま使うのは流石に気が引けるなと思った。


 


 


 仮想翻訳ですら気持ちが暗くなるのだから、作者にとって執筆がどれだけ辛かったのか想像もできない。作者の林奕含はこの本が出版された2カ月後に自殺したそうだが、一体その2カ月間をどう生きたのかがとても気になる。多分きっと、もっと傷ついたんだろう。
PR

2017年に台湾で出版されベストセラーになった、実話を基にした性暴力被害告白小説。1024日に日本語訳が出たということなので、大陸向け簡体字だがノーカット版の原著を購入し、読んでみた。読後は、無力感と言うか絶望感と言うか、何かやらなきゃいけない義務感に駆られるものの、何をしていいんだかよく分からない焦りを感じた。


 


 


 


(日本語版書籍の情報は下記URLから)


https://www.hakusuisha.co.jp/book/b479960.html


 


 




台湾高雄の高級マンションに暮らす房思琪と劉怡婷は双子のように仲が良く、好みも同じで、文学少女の2人は共に、同じマンションに住む50代の国語教師李国華に憧れに似た恋愛感情を持っていた。房思琪は13歳の頃、李国華に勉強を教わりに行き、彼の部屋で強姦される。その後、房思琪は李国華の「愛」から抜け出せず、親や劉怡婷にも言い出せず、異常な関係を続けていく。表面上はなんでもないように見える房思琪だったが、奇行や不眠症など身体に異常が出て、彼女の精神は徐々に蝕まれる。5年後、精神を患って入院した房思琪の部屋を訪れた劉怡婷は、彼女の日記を見つけ、そこで初めて房思琪と李国華の関係を知る。全てを知った彼女はある決意を秘め、李国華の家に向かう。





 


 


 


まず最初に、自分はこの本を読むまで、房思琪が強姦を誰にも相談せず、李国華と関係を続けていく理由を、暴力や脅迫によって口が封じられているからだと思っていた。しかしすぐに、事実はそんなに単純じゃないことを思い知らされる。


この李国華という男は、教養があり、既婚者で、話し上手で、それにもう50歳ということもあってか、誰からも「男性」として見られず、性犯罪者だと疑われることがない。また、房思琪と劉怡婷も彼のことを「男性」と思っていないから、警戒せずに部屋に招かれる。彼女たちの両親も李国華のことを信用しているので、彼をよく自宅に招いて一緒に食事をしたりする。


李国華は最初の強姦以外、房思琪に対して特に明確な暴力を振るわないし、脅迫することもない。さらに時には、13歳の房思琪に押し負け、愛の言葉を強要され、優位に立たれそうになる。


 


強姦という犯罪で成り立っている関係性、37歳差、既婚者と中学生など、何もかもが異常であるが、美しそうに見える一瞬だけを切り取ってしまったら、このような関係も有りなのではと思ってしまいかねない。だが、徐々に精神を病んでいく房思琪自身が発する不協和音が、このような関係を絶対に許してはいけないと訴える。


 


李国華は少女を強姦することを悪いことだと全く思っていないようだ。最初の強姦時に房思琪に言い含めた「これは愛だ」という言葉を、彼自身が信用しているのかもしれない。サイコパスという表現はだいぶ陳腐になったが、強姦後の李国華の行動は常人には理解不能で、彼は事件後も平然と房思琪に家に行き、家族で一緒に食事をしたり、相変わらず彼女に勉強を教えたりする。


 


李国華の自信の源は、「これまで反抗した子は一人もいなかった」という彼の言葉にある。李国華にとって房思琪が初めてではなく、今まで一度も表沙汰になったことがないのだ。


 


李国華に自信を与え、彼の成功体験を重ねたのは何か。その原因の一つは、性暴力の存在を認めようとしない社会だ。房思琪は当初、李国華とあったことを母親に相談しようとしてそれとなく聞いてみるが、娘に性教育はまだ不必要だと考えている母親に理解してもらうのを諦め、この話題は二度と出すまいと決意する。


 


 


房思琪が口を閉ざし、李国華がますます厚かましくなった結果、房思琪と房思琪の母親、劉怡婷の母親、そして李国華が一緒に寿司を食べ、大人たちの談笑を無視して房思琪が黙々とバラン(食べられない草)を食べ、誰もそれに気付かないという下手なホラー小説より恐ろしい光景が生まれる。


目の前に自分を「殺した」男がいて、それが家族と仲良くしていることが子どもにとってどれほどのストレスになるのか。心のバランスを取るためか、房思琪は既婚者の李国華が本当に自分を愛しているのか確かめようと愛の言葉を求めるが、一方ではどんどん精神に異常をきたしていく。そして結局彼女は、5年前のあの事件以来予定されていた最悪な結末をとうとう迎えることになる。


 


 その2に続く


 


 


非常に不可思議でとらえどころのない小説。推理小説のジャンルとして売られており、作中で殺人事件などは発生するのだが、推理小説の謎解きの妙味は全く感じられない。本人の「分身」が身代わりに出頭する。カラスに化けられる(人間に化けている?)女性が出る。おそらく中国が舞台なのに、オーディンやムニン、カフカといった名前のキャラが出てくるなど、非現実的で常識からかけ離れており、全体的にフワフワしている世界観だ。決して面白くないわけじゃないが、じゃあどこが面白いのかと具体的なポイントを全く示せない。村上春樹的小説とシンプルに例えることは可能だが、合っているとも決して言えない。


 





現実世界は2つに分かれている。1つは誰もが実際に感じる世界。もう1つは封印されている「記憶」という暗黒。分身は仄暗い奥底から生まれ、自らの役割として暗黒の世界に閉じ込められる。


世界で神秘的な存在である「オーディン分身事務所」は、人々が分身を必要とする時、暗黒世界の門を開け、暗黒の力を解放する。分身を必要とする人は事務所と契約を交わし、記憶の一部を差し出す都市に生きる様々な人々には愛と苦しみ、殺人と復讐があり、分身の介入によってますます混迷を極めていく





 


これは本書に掲載されていたあらすじだ。これだと、「オーディン分身事務所」が話の筋になって、事務所にいろんな依頼人が訪れるというオムニバス形式の小説に見えるだろうが、むしろ事務所の人間が彼らに会いに行くのだが、その会い方も不可思議だ。ムニン(北欧神話に登場するカラスと同じ名前)という名前の女性は、カラスになって人々の元に訪れ、死刑囚の元にまで行ける。作られた分身は罪をかぶったり、死者の代用品として役割を果たす。


一つのマンションを舞台にして、同性愛者、愛人、養女など複雑な背景を持つ人々が登場するが、群像劇と言える展開にはならず、どいつもこいつも自己完結して死んでいってしまう。


 


結局の所、レビューにまとめられるような具体的な内容ではなく、あらゆる話が放射状に広がり続けて煙のように空に消えていってしまう、まさに雲をつかむような話だった。だが不思議と魅力があり、珍しく2度も読んでしまった。この本がどういう経緯で出版されたのかは知らないが、宣伝一つで売上も評判もだいぶ違っただろう。次は純文学やエッセイを出せば絶対売れると思うので、今後も活動は続けてほしい。


 22年前の交通事故が、消すことのできない憎しみを生んだ。

 16年前の出会いが、二人の子供の宿命を決定づけた。

 15年前の殺人事件が、現世の借りを刻んでいる。

 バレリーナの娘、ゴミ拾いの女の養女。

 誰が人買いに売られたのか。誰が命懸けで命を守っているのか。

 誰が小田を殺したのか。誰が老武を殺したのか。そして誰がかばわれて牢獄の外にいるのか。

 あらゆる霧が白夜の後に明らかになる。

 あらゆる災難は宿命の中にすでに刻まれている。

 愛はすでに骨の髄まで深まり、命は救済に変わる。

 あなたは私を待って、私は誰を待っているの。

 現世で、来世で。




 上の文章は表紙裏に書いてあったあらすじのようなものだ。
 『白夜救贖(白夜の救済)』は本書の帯(表紙と一体化している)に「東野圭吾に捧げる 中国版『白夜行』」と書かれているように、中国でも大人気の東野圭吾の『白夜行』をかなり意識している(表紙も)。では肝心の内容はと言うと、少なくとも推理小説とは言えない体裁だった。

 物語の舞台は2002年の北京。就職のために北京に訪れた安暁旭(あだ名は安子、作者と同じ名前)は、老杜という優しいがしつこい中年男性と出会う。身の回りの世話を焼いてくれる老杜を鬱陶しく思いながら感謝していた安子だったが、老杜の過去のせいで事件に巻き込まれてしまう。また、会社の同僚雷海生と恋人関係になるが、彼が口にする愛という暴力に辟易する。そして、隣人の小田(女性)が何者かに殺されたり、老杜が病気で倒れたり、身の回りで不可解なことが次々起こる中、雷海生から衝撃の思い出話を聞かされる。
 中国人が考える「東野圭吾らしさ」って私が思うに、「誰かのために命を使って献身する」ことだと思う。だとしたら、本作で一番「東野圭吾らしい」奴は老杜だろう。しかしこの老杜もかなりまだるっこしい人物で、自分の行いで安子に危機が訪れるのに彼女に真実を語ろうとせず、安子と過去に何かあったらしいと思わせるだけで、安子を守る理由を最後まで語らない。読んでいると、安子と運命的な繋がりがあると推察させられるが、傍から見ると老いらくの恋をこじらせた中年ストーカーだ。

 老杜が東野圭吾らしいキャラだとすると、雷海生は白夜行的人物で、本作における桐原亮司だ。雷海生は当初は安子のことが好きなだけの恋人キャラだと思いきや、どんどんサイコっぷりを露わにしていき、安子にしつこいほど求婚するが、実際は子供の頃に出会った少女に今もまだ恋をしており、安子のことは替わりに過ぎないと言う。

 ここからネタバレになるのだが、雷海生が恋をした少女こそ安子だった。安子は子供の頃にゴミ拾いの女の養女として生きており、そのとき雷海生と会ったことをまだ覚えていた。だが、当時の出来事を再現してもそれに気付かない雷海生からは、思い出を汚すなとか散々言われてしまう。そして、安子はそれより昔に老杜と雷海生に会っており、彼らによって自身の運命を大きく変えられたのだった。

 登場人物全員(特に男)クズしか出てこないのだ。中年ストーカーに目をつけられ、DV男に捕まった可哀想な女性が出てくるホラー小説として読むべきじゃないだろうか。

 そもそも本書を推理小説と言うことに無理がある。著者紹介を見るに作者は今まで推理小説を書いたことがないようだし、物語には一件の殺人事件(なんで警察が分からないんだっていうぐらいガバガバな殺し方)が出てくるが、本筋は安子と雷海生の結婚生活で、安子も誰も事件の調査なんかしない。

 そして本書を読んで一番イライラしたのが、ほとんどの情報が後出しであり、本の裏に書かれている紹介文の話になかなか踏み込まないことだ。22年前の交通事故とか16年前の出会いとか、物語序盤で最低でも伏線を張っておかなきゃいけない要素がほとんど唐突に登場する。何より納得いかないのが、数十年前から繋がりのある安子、老杜、雷海生の再会が偶然で片付けられていることだ。せめて誰かの手引きとかがないと、この広い中国で再会するなんて不可能だと思うのだが、こういう点も推理小説と言いたくない原因だ。


 じゃあ恋愛小説とかとして読めばどうかと言うと、上に書いたように頭のおかしいクズ男2人に好かれてしまった女性のサスペンスホラーとしか読めない。しかし、本作が不思議にも中国の書評サイト豆瓣で非常に高い評価を得ているのが不思議だ。多分サクラだと思う(偏見)。


 


 


方向性としては、柳田理科雄の『空想科学読本』のように、中国の武侠小説に登場する人間離れした技を物理で分かりやすく説明するという本。


例えば、金庸『射雕英雄伝』に登場する黄薬師が使用する「弾指神通」という技は電磁力を使っていると解釈することができ、ではそもそも電磁力とは何ぞやと説明したり、温瑞安『四大名捕会京師』で宙を飛ぶ暗器が一瞬で地面に落ちるのは慣性の法則がなくなったからだと解釈することができ、では慣性の法則とは何だと説明したり、古龍『湘妃剣』に登場する瑚珀神剣という武器が相手の武器を引き寄せるのは帯電しているからと解釈することができ、では静電気の効果とは何かを説明したり……


 


武侠小説の技を現実に行うにはどうすればいいのかと考えるよりも、その技を実現させている物理現象とは何であるかを重点的に説明している。『空想科学読本』のように、現実に発生したら人体や地球などにどういう影響が出るのか、とかを偏執的に考える本ではない。


 


そもそもこの本、武侠小説に出てくる超人たちが何故物理を無視した能力を発揮できるのかという点について、「内力(内功、いわゆる気功)」があるからと半ば突き放したように書いていて、武侠小説のリアリティにはあまり興味がなさそうだ。


 


そもそも金庸も古龍も読んだことのない人間にはあまりピンとこない内容だったが、例題のほとんどが金庸の小説からだったので、武侠小説に登場する超人的能力はだいたい金庸が生んだものなのかと、その偉大さに驚いた。


 





Copyright: 栖鄭 椎(すてい しい)。。All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog / Material By 御伽草子 / Template by カキゴオリ☆