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プロフィール
HN:
栖鄭 椎(すてい しい)
年齢:
40
性別:
非公開
誕生日:
1983/06/25
職業:
契約社員
趣味:
ビルバク
自己紹介:
 24歳、独身。人形のルリと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。



副管理人 阿井幸作(あい こうさく)

 28歳、独身。北京に在住している、怪談とラヴクラフトが好きな元留学生・現社会人。中国で面白い小説(特に推理と怪奇)がないかと探しているが難航中。

 Mail: yominuku★gmail.com
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このブログは、友達なんかは作らずに変な本ばかり読んでいた二人による文芸的なブログです。      
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 22年前の交通事故が、消すことのできない憎しみを生んだ。

 16年前の出会いが、二人の子供の宿命を決定づけた。

 15年前の殺人事件が、現世の借りを刻んでいる。

 バレリーナの娘、ゴミ拾いの女の養女。

 誰が人買いに売られたのか。誰が命懸けで命を守っているのか。

 誰が小田を殺したのか。誰が老武を殺したのか。そして誰がかばわれて牢獄の外にいるのか。

 あらゆる霧が白夜の後に明らかになる。

 あらゆる災難は宿命の中にすでに刻まれている。

 愛はすでに骨の髄まで深まり、命は救済に変わる。

 あなたは私を待って、私は誰を待っているの。

 現世で、来世で。




 上の文章は表紙裏に書いてあったあらすじのようなものだ。
 『白夜救贖(白夜の救済)』は本書の帯(表紙と一体化している)に「東野圭吾に捧げる 中国版『白夜行』」と書かれているように、中国でも大人気の東野圭吾の『白夜行』をかなり意識している(表紙も)。では肝心の内容はと言うと、少なくとも推理小説とは言えない体裁だった。

 物語の舞台は2002年の北京。就職のために北京に訪れた安暁旭(あだ名は安子、作者と同じ名前)は、老杜という優しいがしつこい中年男性と出会う。身の回りの世話を焼いてくれる老杜を鬱陶しく思いながら感謝していた安子だったが、老杜の過去のせいで事件に巻き込まれてしまう。また、会社の同僚雷海生と恋人関係になるが、彼が口にする愛という暴力に辟易する。そして、隣人の小田(女性)が何者かに殺されたり、老杜が病気で倒れたり、身の回りで不可解なことが次々起こる中、雷海生から衝撃の思い出話を聞かされる。
 中国人が考える「東野圭吾らしさ」って私が思うに、「誰かのために命を使って献身する」ことだと思う。だとしたら、本作で一番「東野圭吾らしい」奴は老杜だろう。しかしこの老杜もかなりまだるっこしい人物で、自分の行いで安子に危機が訪れるのに彼女に真実を語ろうとせず、安子と過去に何かあったらしいと思わせるだけで、安子を守る理由を最後まで語らない。読んでいると、安子と運命的な繋がりがあると推察させられるが、傍から見ると老いらくの恋をこじらせた中年ストーカーだ。

 老杜が東野圭吾らしいキャラだとすると、雷海生は白夜行的人物で、本作における桐原亮司だ。雷海生は当初は安子のことが好きなだけの恋人キャラだと思いきや、どんどんサイコっぷりを露わにしていき、安子にしつこいほど求婚するが、実際は子供の頃に出会った少女に今もまだ恋をしており、安子のことは替わりに過ぎないと言う。

 ここからネタバレになるのだが、雷海生が恋をした少女こそ安子だった。安子は子供の頃にゴミ拾いの女の養女として生きており、そのとき雷海生と会ったことをまだ覚えていた。だが、当時の出来事を再現してもそれに気付かない雷海生からは、思い出を汚すなとか散々言われてしまう。そして、安子はそれより昔に老杜と雷海生に会っており、彼らによって自身の運命を大きく変えられたのだった。

 登場人物全員(特に男)クズしか出てこないのだ。中年ストーカーに目をつけられ、DV男に捕まった可哀想な女性が出てくるホラー小説として読むべきじゃないだろうか。

 そもそも本書を推理小説と言うことに無理がある。著者紹介を見るに作者は今まで推理小説を書いたことがないようだし、物語には一件の殺人事件(なんで警察が分からないんだっていうぐらいガバガバな殺し方)が出てくるが、本筋は安子と雷海生の結婚生活で、安子も誰も事件の調査なんかしない。

 そして本書を読んで一番イライラしたのが、ほとんどの情報が後出しであり、本の裏に書かれている紹介文の話になかなか踏み込まないことだ。22年前の交通事故とか16年前の出会いとか、物語序盤で最低でも伏線を張っておかなきゃいけない要素がほとんど唐突に登場する。何より納得いかないのが、数十年前から繋がりのある安子、老杜、雷海生の再会が偶然で片付けられていることだ。せめて誰かの手引きとかがないと、この広い中国で再会するなんて不可能だと思うのだが、こういう点も推理小説と言いたくない原因だ。


 じゃあ恋愛小説とかとして読めばどうかと言うと、上に書いたように頭のおかしいクズ男2人に好かれてしまった女性のサスペンスホラーとしか読めない。しかし、本作が不思議にも中国の書評サイト豆瓣で非常に高い評価を得ているのが不思議だ。多分サクラだと思う(偏見)。
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方向性としては、柳田理科雄の『空想科学読本』のように、中国の武侠小説に登場する人間離れした技を物理で分かりやすく説明するという本。


例えば、金庸『射雕英雄伝』に登場する黄薬師が使用する「弾指神通」という技は電磁力を使っていると解釈することができ、ではそもそも電磁力とは何ぞやと説明したり、温瑞安『四大名捕会京師』で宙を飛ぶ暗器が一瞬で地面に落ちるのは慣性の法則がなくなったからだと解釈することができ、では慣性の法則とは何だと説明したり、古龍『湘妃剣』に登場する瑚珀神剣という武器が相手の武器を引き寄せるのは帯電しているからと解釈することができ、では静電気の効果とは何かを説明したり……


 


武侠小説の技を現実に行うにはどうすればいいのかと考えるよりも、その技を実現させている物理現象とは何であるかを重点的に説明している。『空想科学読本』のように、現実に発生したら人体や地球などにどういう影響が出るのか、とかを偏執的に考える本ではない。


 


そもそもこの本、武侠小説に出てくる超人たちが何故物理を無視した能力を発揮できるのかという点について、「内力(内功、いわゆる気功)」があるからと半ば突き放したように書いていて、武侠小説のリアリティにはあまり興味がなさそうだ。


 


そもそも金庸も古龍も読んだことのない人間にはあまりピンとこない内容だったが、例題のほとんどが金庸の小説からだったので、武侠小説に登場する超人的能力はだいたい金庸が生んだものなのかと、その偉大さに驚いた。


 





 


 最初に中国語版(2013年発行)を読んでから日本語版(2016年発行。泉京鹿訳)を読んだ。日本語版はデカイし重い!中国語を日本語に翻訳した場合、一般的に原文の1.21.3倍の分量になると言われているが、これはそれ以上ありそうだ。


 


 


 





中国中央部の都市・炸裂出身の作家・閻連科は同市の市長孔明亮から市史の執筆を依頼される。しかしその市史の内容は、孔明亮をはじめとする炸裂市の人々を激怒させるものだった。


1970年代、まだ村だった炸裂に監獄で労働改造をさせられていた孔東徳が戻ってくると、4人の息子のうち誰かが皇帝になると予言する。次男の孔明亮はそれを実現するかのように、驚異の方法で万元戸(貯金が1万元ある者)となり、24歳の若さで炸裂村の村長になり、どんどんと村を発展させていく。後に彼の妻となる朱頴も、村長だった父親を痰まみれにされて殺された復讐心を胸に秘めながら、金を稼いで力を付ける。孔明亮と朱頴を中心にして、村から鎮、県、そして市へと驚異的な速度で発展を遂げる炸裂は荒唐無稽さが度を越すようになり、ついに人々を不幸のどん底へ叩き込む結末に導く。





 


 ・デタラメの中の中国の「リアル」


閻連科の書いた小説という体裁の本であり、炸裂という架空の都市の勃興を描いたドキュメンタリーでありながら、非現実的なフィクション的描写が散りばめられている。動植物が市長の言葉に従ったり、孔雀や鳳凰がそこかしこに出現したり、遺影が喋ったり、ナシの木にカキがなったりで、ありえないことばかりが起こる炸裂という土地に生きる人々も当然まともではなく、ほぼ全員がろくでなしである。炸裂を豊かにするために孔明亮がしたことは、村人を率いて鉄道の貨物をかっぱらって売りさばくという一言で言えば強盗団であり、列車から落ちて死んだ者がいれば「烈士」として讃えるのだった。そして孔明亮に対抗するために朱頴がしたことは風俗店の経営であり、彼女はその儲けた金で村のために道路を敷き、「手本にするなら朱頴を見よ」という碑を建てられるのだった


孔明亮と朱頴の2人は中国で初めて行われる民主的な村長選挙に立候補し、平等に村民たちにワイロを贈り、村に金を落とし、反対する者を銃で脅し、無事選挙を成功させる。強盗と娼婦によって成長した炸裂では中国伝統の徳も孝も無力で、孔明亮は県長に忠誠を誓う証に、土葬から火葬に変更した中国の埋葬方法を定着させるために父親の死体を進んで燃やす。


 


「なりふり構わない」という言葉が似合う炸裂の行動をとがめる者は誰もおらず、裕福になり、外地から来た人々が増え、高層ビルや高級ホテルが立ち並び風景が一変した炸裂は、強盗と風俗で金を稼いでいた過去なんか風化してしまったようだ。


安部公房や大江健三郎みたいなマジックリアリズムの小説であり、この荒唐無稽な本は中国のある側面を忠実に描いている。何か具体的な事件をモデルにした様子はないのに、文章からははっきりと中国の姿が浮かんでくる。それは見慣れ過ぎているせいで、我々の視界に入っているのにまるで認知できない問題なのかもしれない。


炸裂では孔明亮市長の署名が入った文書を死者の口に突っ込めば死者が蘇り、文書に願い事を書けば雪すら降らせることも可能。戦車を走らせるとその跡に高速道路ができ、血まみれの指や足を地面にばら撒けばそこに空港が建つ。デタラメな過程と明らかな結果はリンクしないはずなのに、読者はそこに説得力を感じ、確かにそれも真実だと納得する。


 


・『炸裂志』は『中国志』か 


作品内では、閻連科はこんな本を書いてしまったため孔明亮を怒らせて、『炸裂志』が炸裂全体の反感を買う。ここで気になるのが、孔明亮並びに市民が怒った理由がはっきりしない点だ。『炸裂志』に書かれた内容は形こそ変えてあるが大筋でほぼ真実であるから、恥ずかしい過去をほじくり返されて怒ったのか、それとも内容が全くのデタラメであり、嘘を書かれたことに対して怒ったのか、孔明亮の反応からはそれを読み取れない。


閻連科が『炸裂志』を書いたことで孔明亮市長をはじめとする炸裂市民全員が激怒したこと、そしてそのせいで閻連科が故郷を追い出されたことは表裏一体のセットであり、炸裂市が悪で閻連科が善に見えるが、例え文章が真実を物語っていたとしても、激怒した孔明亮と市民の立場を考えることが『炸裂志』という歴史書の新たな1ページになるだろう。だが、対話には双方の相応の態度が当然必要であり、孔明亮は結局激怒して作中に出てくるような「権力がなせる技」を使って閻連科の存在を炸裂から消滅させる。だが一方で、閻連科も予想していたかのようにそれを受け入れて炸裂から出て行く。


閻連科の他の本を読んだことがないのだが、これは「発禁作家」と呼ばれる閻連科の意思表示なのかもしれない。本書は炸裂という架空の市を対象にしているが、もしもっと大きな土地を対象にし、市長以上の人間の怒りを買った場合、彼は本書の結末同様、「良いものが書けた」と言ってそこから退出するかもしれない。

 


『水滸猟人(水滸伝ハンター)』


 


著者の時晨はこれまで『黒曜館事件』『鏡獄島事件』などロジック重視のミステリ小説を書いてきた作家だ。その彼が書く武侠小説なのだからてっきり武侠ミステリのジャンルかと思いきや結構ガチな武侠小説で驚いた。


 


 




水滸伝の舞台になった中国は宋の時代。内憂外患に悩む宋朝は梁山泊を筆頭とする無頼の輩を取り除くために彼らを賞金首にして同士討ちを目論む。しかし梁山泊は敵対勢力を滅ぼし、または吸収し着実に強くなっていった。


梁山泊に一門を滅ぼされた祝家庄の棒・廷玉」は梁山泊に恨みを抱く者たちを集めて復讐を果たそうとする。兵器を司る兵誅城の家に生まれ、貯蔵する武器と奥義書を狙った梁山泊に一家を皆殺しにされた暗器使いの「袖里乾坤・唐霄」や、記憶喪失でありながらも武術の達人である自身が一体何者なのかを確かめたい徐燎らは廷玉の仲間になり、共に梁山泊を倒そうと誓う。そして、梁山泊が名門・少林寺まで狙っていることを知った彼らは巨大な陰謀に巻き込まれていく。


 





 


梁山泊が敵役として登場する本作では『水滸伝』の実在・虚構キャラクター及び時晨オリジナルのキャラクターが入り乱れ、その情景が目に浮かぶような命がけの死闘を繰り広げる。武侠小説に詳しくない私には分からなかったが、鉄棒・廷玉も『水滸伝』に登場する虚構キャラクターらしい。『水滸伝』や武侠小説に詳しい読者が読むと「あのキャラをこう使うか」というような驚きを感じるに違いない。


 


 


小説の内容は純然たる武侠小説だ。前半に氷を使用したトリックと言うかペテンが登場した辺りで「ここからミステリに偏っていくのか」と期待したのだが、それは結局「良い」形で裏切られることになった。


風・雷・電と書かれた三節棍を自在に操り次々と敵を撲殺する廷玉は如何にも「好漢」という感じだ。無数の暗器を身に着ける唐霄毒は一見小賢しいのだが、毒まで揃えたその武器の種類以上に頭脳が恐ろしく、遥かに格上の相手を罠にハメて仲間もろとも皆殺しにする様子はまさに主人公の風格を持っている。


武力をもって宋朝を牛耳ろうとする梁山泊、宋朝の内部で暗躍する奸臣たち、そして宋朝に敵対する女真族ら敵対勢力も登場する本作はもちろん1巻で終わるわけがなくすでに2巻の発売が決定されている。


 


武侠小説と言えば金庸や古龍など有名な大家がいるが、有名すぎて読む気にならない。以前読んだ『武道狂之詩』の作者は香港人作家であり、遠いからあまり応援する気になれない。そんな中、本格推理小説家の時晨が武侠小説家としてデビューしたのは武侠小説初心者には嬉しいニュースになるのだろうか。


今後も推理小説を書き続けていってほしいし、本作のシリーズで武侠ミステリっぽい作品も書いてもらえたら最高だ。


 



百度百科:時晨


 


時晨の百度百科(中国版ウィキペディア)の「代表作」の欄に『水滸猟人』が書いてあって笑った。なんで今まで推理小説書いていた作家が初めて書いたばかりの武侠小説が代表作になってるんだよ。これ更新したの絶対『水滸猟人』の関係者だろ。


 

人民的名義(人民の名の下に)

 

 

現在の中国が掲げる反腐敗を取り扱った衝撃のテレビドラマ『人民的名義』の原作小説である。このドラマは恐らく2017年最も人気の出た中国ドラマとして語り継がれることになるだろう。私も、本来なら中国人と同様にドラマを見たかったんだが、如何せん150分の話が50話以上あり、そんなもん見られないということで原作小説に手を付けた。

 

 


最高人民検察院反貪汚賄賂総局偵緝処処長の侯亮平は官僚の腐敗を取り締まる役職にいるが、ある時大物政治家の国外逃亡を許してしまう。内部による何者かの密告があったと悟った侯たちは京州(架空の中国の都市)にある工場に疑惑の目を向ける。しかしある晩、その工場が火事になるという一大事件が起きると共に疑わしい人物が次々に浮かび上がってきた。だがそのリストに浮かんだ漢東省(架空の中国の省)の省委員会常務委員の李達康の妻の欧陽菁、侯亮平の大学時代の友人の蔡成功らを追っていくうちに誰もが逮捕するのをためらうような超大物まで現れてしまう。そして腐敗の魔の手は侯亮平にまで忍び寄る。

 


 

中国が、と言うか習近平総書記が反腐敗を掲げてどのくらい経ったかよくわからないが、私はこの反腐敗に関して中国当局はもっと強権を振るえているもんだと勘違いしていた。しかし、本書を読むと汚職官僚一人引っ張るだけでも上の許可を得なければならず、独断専行的な行動や、証拠を捏造して無理やり犯人に仕立てあげる等の、要するに正義のためなら何をしても良いとはならないことがわかる。

(注:本書には拷問や自白強要など、当局側のいわゆる人権を無視した行為は一切書かれていない)

また、上の幹部連中も自身は汚職や腐敗を許さないとは言え、自分の部下から汚職官僚が出るとなると話は別で二の足を踏む。

 その良い例が李達康という書記だ。

 彼自身は腐敗を絶対に許さない高潔な人間なのだが、以前彼の部下が汚職で逮捕されてから省の評価が下がり、省のGDP減少を招いたことでできるだけダメージの少ない解決の仕方を望んでいる。しかし、本書では右腕が逮捕された他、妻も収賄罪で逮捕されてしまい彼自身も大ダメージを負った。だが、部下や妻(逮捕前に離婚)から犯罪者が出たことは自身の評価に影響が出ないようで、彼は特に罰を受けることなく最後まで書記として君臨している。それでも彼が作中でもトップクラスに不幸な人物には違いない。

 

李達康のように、党が掲げる正義という理想と経済発展という現実の間で苦しめられる官僚の本音が読める点も本書の見どころである。

 

本書は400ページほどあるが非常に読みやすい文体であり、また普段の読書では知ることができない知識を多数取り入れられるのであっという間に読み終わったのだが、やはり全く知らない世界の物語のためか、日本人(一般庶民?)には理解できない所も多数あった。

 

中でも「は?」と思ったのが取調室の光景である。

 

 

李達康の妻の欧陽菁が取調べを受けているシーンで、一向に口を割らない彼女に対し侯亮平たちは情で訴える作戦に出る。その日がちょうど彼女の誕生日であったため、彼女と比較的強い信頼関係を結んでいる局員がバースデーケーキを持って来る。局員が「今日は取り調べなんかしないで誕生日をお祝いします」と言うと、欧陽菁は感極まって真相を喋るのである。

 

 

本書に出て来る腐敗関係者は基本的にみんな芯が弱い。追い詰められると「党や人民に対して申し訳ない」と嘆き、「何でこんなことをしてしまったんだ」と後悔する。そこには犯罪者としての矜持が全く感じられない。そして物語が進むに連れて、まさかの人物の腐敗疑惑も出て来て芋づる式に何人もの人間が検挙されることになるわけだが、そこからわかることは腐敗する人間も普通の人間であるという紛れもない事実である。

 

それほど妖しい金の魔力からは抗えないのである。物語中盤、侯亮平は汚職の首魁から懐柔されそうになるが、彼はそれを堂々と拒絶する。しかし彼の周りには、子どもの頃の友人で現在は賄賂で逮捕されてしまった蔡成功や、大学の学友で現在は汚職官僚の一人として侯亮平の邪魔をする祁同偉らがいるのである。

 

腐敗を描いた本書はホラー小説にも似ている。

 腐敗関係者はまるで妖しい魔力で人々を誘い、仲間を増やそうとしている吸血鬼である。しかし侯亮平の立場を通じて彼らを見ると、彼らももとを辿れば吸血鬼に襲われた単なる人間なのである。

 

  

侯亮平は腐敗の誘いに全く応えず、数々の障害を乗り越えて自身の任務を遂行したわけだが、本書に登場する様々な腐敗関係者の姿を見ると、『侯亮平』的生き方を貫けなかった人々が現実の中国には一体何人いるのだろうかと考えてしまい、空恐ろしい気分に襲われる。


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