22年前の交通事故が、消すことのできない憎しみを生んだ。
16年前の出会いが、二人の子供の宿命を決定づけた。
15年前の殺人事件が、現世の借りを刻んでいる。
バレリーナの娘、ゴミ拾いの女の養女。
誰が人買いに売られたのか。誰が命懸けで命を守っているのか。
誰が小田を殺したのか。誰が老武を殺したのか。そして誰がかばわれて牢獄の外にいるのか。
あらゆる霧が白夜の後に明らかになる。
あらゆる災難は宿命の中にすでに刻まれている。
愛はすでに骨の髄まで深まり、命は救済に変わる。
あなたは私を待って、私は誰を待っているの。
現世で、来世で。
上の文章は表紙裏に書いてあったあらすじのようなものだ。
『白夜救贖(白夜の救済)』は本書の帯(表紙と一体化している)に「東野圭吾に捧げる 中国版『白夜行』」と書かれているように、中国でも大人気の東野圭吾の『白夜行』をかなり意識している(表紙も)。では肝心の内容はと言うと、少なくとも推理小説とは言えない体裁だった。
物語の舞台は2002年の北京。就職のために北京に訪れた安暁旭(あだ名は安子、作者と同じ名前)は、老杜という優しいがしつこい中年男性と出会う。身の回りの世話を焼いてくれる老杜を鬱陶しく思いながら感謝していた安子だったが、老杜の過去のせいで事件に巻き込まれてしまう。また、会社の同僚雷海生と恋人関係になるが、彼が口にする愛という暴力に辟易する。そして、隣人の小田(女性)が何者かに殺されたり、老杜が病気で倒れたり、身の回りで不可解なことが次々起こる中、雷海生から衝撃の思い出話を聞かされる。
中国人が考える「東野圭吾らしさ」って私が思うに、「誰かのために命を使って献身する」ことだと思う。だとしたら、本作で一番「東野圭吾らしい」奴は老杜だろう。しかしこの老杜もかなりまだるっこしい人物で、自分の行いで安子に危機が訪れるのに彼女に真実を語ろうとせず、安子と過去に何かあったらしいと思わせるだけで、安子を守る理由を最後まで語らない。読んでいると、安子と運命的な繋がりがあると推察させられるが、傍から見ると老いらくの恋をこじらせた中年ストーカーだ。
老杜が東野圭吾らしいキャラだとすると、雷海生は白夜行的人物で、本作における桐原亮司だ。雷海生は当初は安子のことが好きなだけの恋人キャラだと思いきや、どんどんサイコっぷりを露わにしていき、安子にしつこいほど求婚するが、実際は子供の頃に出会った少女に今もまだ恋をしており、安子のことは替わりに過ぎないと言う。
ここからネタバレになるのだが、雷海生が恋をした少女こそ安子だった。安子は子供の頃にゴミ拾いの女の養女として生きており、そのとき雷海生と会ったことをまだ覚えていた。だが、当時の出来事を再現してもそれに気付かない雷海生からは、思い出を汚すなとか散々言われてしまう。そして、安子はそれより昔に老杜と雷海生に会っており、彼らによって自身の運命を大きく変えられたのだった。
登場人物全員(特に男)クズしか出てこないのだ。中年ストーカーに目をつけられ、DV男に捕まった可哀想な女性が出てくるホラー小説として読むべきじゃないだろうか。
そもそも本書を推理小説と言うことに無理がある。著者紹介を見るに作者は今まで推理小説を書いたことがないようだし、物語には一件の殺人事件(なんで警察が分からないんだっていうぐらいガバガバな殺し方)が出てくるが、本筋は安子と雷海生の結婚生活で、安子も誰も事件の調査なんかしない。
そして本書を読んで一番イライラしたのが、ほとんどの情報が後出しであり、本の裏に書かれている紹介文の話になかなか踏み込まないことだ。22年前の交通事故とか16年前の出会いとか、物語序盤で最低でも伏線を張っておかなきゃいけない要素がほとんど唐突に登場する。何より納得いかないのが、数十年前から繋がりのある安子、老杜、雷海生の再会が偶然で片付けられていることだ。せめて誰かの手引きとかがないと、この広い中国で再会するなんて不可能だと思うのだが、こういう点も推理小説と言いたくない原因だ。
じゃあ恋愛小説とかとして読めばどうかと言うと、上に書いたように頭のおかしいクズ男2人に好かれてしまった女性のサスペンスホラーとしか読めない。しかし、本作が不思議にも中国の書評サイト豆瓣で非常に高い評価を得ているのが不思議だ。多分サクラだと思う(偏見)。
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