本書『私家偵探(私立探偵)』は台湾で2011年に台湾で出版されてからいくつもの賞を受賞し、数十万冊も出版されたそうだ。私が購入したのは2015年に大陸で出版された簡体字版だ。
この本は2015年当時に購入したと記憶しているのだが、実は数ページパラパラ読んだだけで諦めて積ん読にしてしまっていた。この本の名前を再び見たのは先日のこと。11月12日に亡くなった台湾文学翻訳家の天野健太郎さんが、本書の翻訳をする予定だったという話をDokuta 松川良宏さんがTwitterでしていた。Dokutaさんが天野さんから直接聞いた話では、本書の日本語翻訳出版の企画は結局立ち消えになってしまったそうだが、天野さんのホームページで最初の一部だけ日本語訳が読める。
そこで、その時手元にこれと言った本がなかった私は、なるほど天野さんが関係しているならきっと良書に違いないと思い、本棚から引っ張り出したわけだ。そしたら、なんで当時もっと根気よく読まなかったんだと後悔するほど面白かった。
元大学教授で元有名劇作家の呉誠は酒の上での失態が原因で演劇業界から引退し、私立探偵の看板を掲げる。自動車修理工場の作業員と政治を語り、派出所の巡査とお茶を飲み、探偵の経験など皆無で、バイクどころか車も運転できない、中年と言うか初老の呉誠は経歴だけ見ると頼りないが、弁が立つ上に自信家で推理能力も有り、と探偵の素質は十分。しかし彼は台湾初の計画的連続殺人事件の重要参考人となり、台湾のメディアや警察をも巻き込んだ一大推理劇場を繰り広げることになる。
序盤は、ちょっと口うるさい元インテリが余生を過ごす片手間に探偵業をする日常ミステリー小説のような構成で、ある家庭の問題解決を依頼されるのだが、そこから一般家庭に存在する秘密を暴露する短編ばかり続くのかと思いきや、匠の技としか思えない滑らかさでハードボイルドミステリーにギアチェンジし、気付いたら探偵が警察署で刑事たちと火花散る舌戦を繰り広げている。作中人物同士の狐と狸の化かし合いのようなギスギスした会話も本作の魅力で、その後に続く胸がすくような展開の後には、待望の探偵パートが待っている。大学教授らしい弁舌の上手さ、劇作家らしい狡猾なパフォーマンスを活用し、元の職業の設定が十分に生かされている。
台湾の実情に即したリアリティを背景にしながら、ミステリー小説ならではの定石をきちんと踏まえており、日常・ハードボイルド・サスペンスを網羅しているが、台湾文学としても通用する内容で、ちゃんと台湾繁体字版で読んだほうが雰囲気もより味わえたのかなぁと少し後悔した。
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