2017年に台湾で出版されベストセラーになった、実話を基にした性暴力被害告白小説。10月24日に日本語訳が出たということなので、大陸向け簡体字だがノーカット版の原著を購入し、読んでみた。読後は、無力感と言うか絶望感と言うか、何かやらなきゃいけない義務感に駆られるものの、何をしていいんだかよく分からない焦りを感じた。
(日本語版書籍の情報は下記URLから)
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b479960.html
台湾高雄の高級マンションに暮らす房思琪と劉怡婷は双子のように仲が良く、好みも同じで、文学少女の2人は共に、同じマンションに住む50代の国語教師・李国華に憧れに似た恋愛感情を持っていた。房思琪は13歳の頃、李国華に勉強を教わりに行き、彼の部屋で強姦される。その後、房思琪は李国華の「愛」から抜け出せず、親や劉怡婷にも言い出せず、異常な関係を続けていく。表面上はなんでもないように見える房思琪だったが、奇行や不眠症など身体に異常が出て、彼女の精神は徐々に蝕まれる。5年後、精神を患って入院した房思琪の部屋を訪れた劉怡婷は、彼女の日記を見つけ、そこで初めて房思琪と李国華の関係を知る。全てを知った彼女はある決意を秘め、李国華の家に向かう。
まず最初に、自分はこの本を読むまで、房思琪が強姦を誰にも相談せず、李国華と関係を続けていく理由を、暴力や脅迫によって口が封じられているからだと思っていた。しかしすぐに、事実はそんなに単純じゃないことを思い知らされる。
この李国華という男は、教養があり、既婚者で、話し上手で、それにもう50歳ということもあってか、誰からも「男性」として見られず、性犯罪者だと疑われることがない。また、房思琪と劉怡婷も彼のことを「男性」と思っていないから、警戒せずに部屋に招かれる。彼女たちの両親も李国華のことを信用しているので、彼をよく自宅に招いて一緒に食事をしたりする。
李国華は最初の強姦以外、房思琪に対して特に明確な暴力を振るわないし、脅迫することもない。さらに時には、13歳の房思琪に押し負け、愛の言葉を強要され、優位に立たれそうになる。
強姦という犯罪で成り立っている関係性、37歳差、既婚者と中学生など、何もかもが異常であるが、美しそうに見える一瞬だけを切り取ってしまったら、このような関係も有りなのではと思ってしまいかねない。だが、徐々に精神を病んでいく房思琪自身が発する不協和音が、このような関係を絶対に許してはいけないと訴える。
李国華は少女を強姦することを悪いことだと全く思っていないようだ。最初の強姦時に房思琪に言い含めた「これは愛だ」という言葉を、彼自身が信用しているのかもしれない。サイコパスという表現はだいぶ陳腐になったが、強姦後の李国華の行動は常人には理解不能で、彼は事件後も平然と房思琪に家に行き、家族で一緒に食事をしたり、相変わらず彼女に勉強を教えたりする。
李国華の自信の源は、「これまで反抗した子は一人もいなかった」という彼の言葉にある。李国華にとって房思琪が初めてではなく、今まで一度も表沙汰になったことがないのだ。
李国華に自信を与え、彼の成功体験を重ねたのは何か。その原因の一つは、性暴力の存在を認めようとしない社会だ。房思琪は当初、李国華とあったことを母親に相談しようとしてそれとなく聞いてみるが、娘に性教育はまだ不必要だと考えている母親に理解してもらうのを諦め、この話題は二度と出すまいと決意する。
房思琪が口を閉ざし、李国華がますます厚かましくなった結果、房思琪と房思琪の母親、劉怡婷の母親、そして李国華が一緒に寿司を食べ、大人たちの談笑を無視して房思琪が黙々とバラン(食べられない草)を食べ、誰もそれに気付かないという下手なホラー小説より恐ろしい光景が生まれる。
目の前に自分を「殺した」男がいて、それが家族と仲良くしていることが子どもにとってどれほどのストレスになるのか。心のバランスを取るためか、房思琪は既婚者の李国華が本当に自分を愛しているのか確かめようと愛の言葉を求めるが、一方ではどんどん精神に異常をきたしていく。そして結局彼女は、5年前のあの事件以来予定されていた最悪な結末をとうとう迎えることになる。
その2に続く