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HN:
栖鄭 椎(すてい しい)
年齢:
34
性別:
非公開
誕生日:
1983/06/25
職業:
契約社員
趣味:
ビルバク
自己紹介:
 24歳、独身。人形のルリと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。



副管理人 阿井幸作(あい こうさく)

 28歳、独身。北京に在住している、怪談とラヴクラフトが好きな元留学生・現社会人。中国で面白い小説(特に推理と怪奇)がないかと探しているが難航中。

 Mail: yominuku★gmail.com
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このブログは、友達なんかは作らずに変な本ばかり読んでいた二人による文芸的なブログです。      

巨嬰国 著:武志紅

 

本書『巨嬰国』(巨大な赤ん坊の国)は心理学者の武志紅が著して2016年に出版された本で、今年2月あたりにネットショップを含む書店から撤去されました。とは言え探せば出て来るので、私はタオバオというショッピングサイトで著者の名前を検索した結果見つけることができました。(本のタイトルの場合、検索しても検索結果が表示されない)

 

タイトルの『巨嬰国』とは現代中国のことを指しています。著者の武志紅は中国人の集団心理が生後半年程度の赤ん坊のものであると分析し、『中国は巨大な赤ん坊の国』だという定義のもとに中国人の国民性を述べています。

 

400ページを超える本書は全7章で構成されており、それぞれ以下のように分かれています。

我々の集団は嬰児期で止まっている

巨大な赤ん坊の心理:共生

中国的いい人

我々はみな万能感を持つナルシストの龍である

孝行とは服従だ

返事がないという窮地

龍から人へ

 

 

中国で転倒した老人を助けた人があろうことかその老人から「お前が転ばせたんだろ」と難癖をつけられて金を要求され、裁判にまで発展した通称「彭宇事件」(参考:http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100113/212150/)は日本でも話題になりました。

 

武志紅はこの現象が赤ん坊の行動であると本書の冒頭に書いています。赤ん坊が泣いているときにその原因を他人に求めるのと同様、中国人も上記の老人のように自分に不利な状況に陥ったとき周囲が悪いと思い込み、他人を攻撃するのです。これを武志紅は『巨嬰』(巨大な赤ん坊)と呼んでいます。

そして中国の家庭のいびつさを例に出し、一般家庭は極度に披露した母親、存在感のない父親、問題のある子どもによって形成されていると指摘します。親は自分がかなえられなかった夢を無理やりにでも子どもに背負わせ、子どもは親に甘えながらも親に服従を強いられるという共生状態が生まれ、それが後代に続いていくのです。また、武志紅は自身の経験もあってか『孝道』(親孝行の道)を蛇蝎の如く恨んでいて、中国の伝統的な美徳であるそれを捨てろと唱えます。

 

 


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 3月31日に中国版『容疑者Xの献身』(嫌疑人X的献身)が中国大陸で上映されました。

 私は当日18:30に西単という場所にある映画館で見たのですが、予想に反してお客さんは少なく、席は半分ぐらい空いていました。まぁこれは明日土曜日も平日扱いで仕事があったからかもしれません。日中の学生街の映画館ならまた違った混み具合になっていたかもしれません。ちなみに若い女性2人組が多かったです。彼女らが東野圭吾読者なのか、それとも主人公役の王凱のファンなのかはわかりません。


 せっかく初日に見たので映画の感想を書きたいのですが、この映画の楽しみ方って原作や日本版映画と比較して「ここはこうなっていた」とか「これは省かれていた」みたいな確認だと思うので、それを書くこと自体がネタバレになるのではと思いました。そもそも、こんな知名度の高い作品のトリックなんかバラしたところでもう誰も怒らないでしょう。トリック自体が映画オリジナルだったら秘密にするべきですがそんなことはなかったです。


 そのため、Twitterには感想を書かず、完全ネタバレありとしてこのブログに映画を見ていて気付いたことを羅列します。ちなみに、これを書いた人間は原作を読んだだけで日本版映画及びドラマを見たことはないのでそれらに関する知識はほとんどありません(ウィキペディアを読んだ程度)。ですので、日本版のオマージュやリスペクト描写があっても気が付いていません。


 1.名前について

 舞台が中国で登場人物も中国人ですので、名前も当然中国表記になっています。
 湯川は唐 川(唐が名字で川が名前)、石神が石 泓、草薙が羅 淼、靖子が陳 婧、美里が陳 暁欣となっていました。ここでは混乱を避けるため日本語名で書きます(富樫とか名前忘れた)
 ちなみに、日本のドラマにいた内海薫はいなかったです。


2.環境設定

 石神は原作同様高校の数学教師でしたがそのクラスは学級崩壊(授業崩壊?)していて全く授業になっていません。しかし石神はそれを気にせず黙々と数式を書いています。

 湯川は大学の先生というか、公安の顧問として働く大学の副教授でした。私人じゃないので堂々と捜査に参加できます。

 靖子は小さなレストランの店長という役どころで、石神は毎日そこで同じメニューを朝ごはん?として買っていきます。



3.事件について

 開始10分で富樫の死体が川で発見されます。顔を潰され、指紋が焼かれ、近くには衣服が燃え尽きぬまま放置されていました。原作では新品だった自転車が、中国の最近の事情を考慮してレンタサイクルになっていました。
 私にとって最大の懸念点であった死体の入れ替えトリックですが、中国版でもちゃんと浮浪者が使用されていました。

 また富樫は靖子にロープで絞め殺され、美里がその手伝いをしました。これも原作通りですね。


4.人間関係

 湯川と石神は大学ではなく中学か高校の同級生という設定で、原作より濃い友情が描かれます。草薙は彼らの同期ではなさそうです。また彼ら二人は途中登山に行きます。これは日本版映画のリスペクトですね。そして後半、原作では素直に警察に出頭した石神ですが、映画では美里を狙いに行くと見せかけて湯川を襲って警察に逮捕されます。



5.その他

 冒頭で湯川が先日解決したという超音波装置を使用した物理学者が犯人の事件の講義をしていましたが、これはまさか日本版ガリレオのリスペクトだったのでしょうか。

 石神が原作より可哀想な環境にあり、また、より不器用な人間として描かれていました。原作であった自信すらなく、より哀れみを誘う存在になっていました。

 靖子はそんな石神を気にかけ彼に服を買ってあげようとします。石神に対して恐怖を抱いていなかったですが、工藤の登場によって動揺した石神に脅され、初めて彼を憎みます。原作で石神が靖子に送った「私のことは忘れてください」の手紙はなかった、と思います。それは石神の独白で処理されました。

 原作では3月10日がネックになっていますが映画では4月12日となっています。中国では北京で毎年3月初旬に『両会』という超重要な会議が開かれるのでそれゆえの改変でしょうか?ちなみに映画の舞台は『江北』となっていますがそれが南京かはよくわからない。


 石神と美里の交流。薄い壁を叩いてモールス信号を送り、壁越しに聞こえる美里の吹く楽器の音色に石神は癒やされます。

 原作では留置場で石神が泣いて終わりですが、映画ではそれから3ヶ月後が描かれ、公安の建物内部で四色問題の本を持ってエレベーターから降りる湯川に対し、手錠をかけられどこかに連行されるためにエレベーターに乗り込んだ石神が「それ難しいか?」と聞くシーンが追加されています。



総評

 大きな改変はなく、原作を読んでいないと理解できないという内容ではなかったと思います。湯川と石神の友情に焦点を当てており、彼らにバドミントンをさせ、登山をさせ、お互いの家(湯川の場合は職場で)で飯を食わせて邂逅の喜びと、警察と犯罪者の間に生まれる疑心暗鬼を上手く描いていたと思います。特に二人の少年時代の交流などは場内から黄色い声が上がるほどでした。また少年時代の石神役の少年が可愛いんだ。


 今回はビジネス街近くの映画館で夜に見たわけですが、今度は土日に学生街の映画館に行って反応を見てみたいと思います。できればその時まで人気が続いていてほしいです。


 ダン・ブラウンの『ダヴィンチコード』の翻訳者・越前敏弥による長年の文芸翻訳に関する経験談が書かれたエッセイです。


 本を出版する以上、翻訳とは個人の仕事に収まりません。本書では出版社の編集者や周囲の翻訳者、更には海外にいる知人の力を借りて一冊の日本語の本を作り上げる翻訳の裏側が書かれています。タイトル一つ、文章一本翻訳するのも至難の業で、これが本当に正しい訳なのかと考えてしまってドツボにはまる状況は文芸翻訳以外の翻訳者も何度も経験したことあるはずです。


 本書でも言われていますが、読めば別に大した事のないと思える訳文でも、それを実際に翻訳するまだに多大な労力がかかっています。読者は既に翻訳された作品を読んで正解を知っているからあれこれ言えますが、最初に答えを作る翻訳者は単語一つ翻訳するだけでも難儀します。しかしそのように悩み抜いた結果、名訳と言える文章ができるわけです。


 本書で主に書かれているのは当然英日訳のエピソードですが、決して特有のものではなく翻訳業界全般に通底する話であることがわかります。特に『翻訳の基本十か条』なんてどの言語の翻訳でも必要な条件でしょう。



 この本を読んでいるときは自分が中日訳をした際のことを思い出していました。例えば、『ダヴィンチコード』に登場する黒幕である『Teacher』の訳語を一ヶ月かかって『導師』に翻訳するというエピソードには昔中国の伝統芸能関係の文章で出て来る「上課」をどう訳すか悩んだ自分と重なりました。

 この「上課」とは一般的に「授業」と翻訳されるので最初はそのように訳していたのですが、伝統芸能の記事で使うのはちょっと現代的過ぎるという指摘を受けて、結局は相手側が提示した「稽古」を使用しましたが、たしかにこの方が文章の内容に合っていると思いました。


 私は別に著書一冊もないほぼ日雇いの兼業翻訳者ですが、それでも自分なりの翻訳の作法を持っていますしエピソードも多々あるので、そういうことを日々まとめておくことが大事だなと感じました。

給青年編劇的信 著:宋方金

 

 

本書『給青年編劇的信』(青年脚本家へ送る手紙)は自らを「失敗した脚本家」と卑下する、中国ではまぁまぁ有名なテレビドラマの脚本家である宋方金が、これから脚本家になる、または新人脚本家に対してこの業界のルールや現状をユーモラスな語り口で説明するという内容です。

現在、中国は著作物(IP)を国内外から買い漁ってドラマや映画などの映像化を進めていますが、本書はその浮かれモード(?)な業界に冷水をぶっかけるような内容ではなく、「資本」(功利主義)が蔓延している映像業界で脚本家はプライドを保ったまま創作活動を続けられるか?という一人ひとりの品性に訴えかけています。

彼は脚本家として仕事を発注される立場でありながら、注文の内容が自らの条件に満たない場合は仕事を受けないという芸術家気質もあり、それが自らの首を絞めていることを自覚しながらやはり創作者としての脚本家である姿勢を貫いています。ですのでこの本はアドバイスを書いた指南書であるのですが、読んでいると「青年脚本家のみんな、俺みたいになるな。仕事ならなんでも引き受けろ」という叫び声も聞こえてきそうなほど、宋方金のような人間が現在の脚本家業界では生きづらくなっていることがわかってきます。

 

 

 

それでは彼の発言いくつか抄訳してみましょう。

 

映画には良い映画と悪い映画の二種類しかないが中国にはもう一つ、ニセ映画が存在する。ニセ映画はポスターや予告編で見分けられる。下水油の臭いがするから、過激な描写でその臭いを隠しているものもある。牛乳にメラミンを入れたら死刑になるが、映画界ではメラミンを入れることがレッドカーペットを歩くことにつながり、興行収入○億元突破の祝賀会を開くことになる。

 

王興東(有名な映画監督)が脚本家の契約書のひな形を作り、しかもネットで無料にダウンロードできるよう公開した。私は狂喜乱舞した。このような細かい契約書があれば双方(会社と脚本家)の利益になるからだ。だがそれ以降、私は一度としてこの契約書を見たことがない。

これは何故か?王興東の契約書に不備があるからか?いや違う、契約書が完璧すぎるから誰も使ってくれないのだ!この契約書は会社側が冷や汗をかくのに十分すぎるほど完璧なのだ。

 

(王興東の作成したと思われる契約書は以下のURLで読むことができる。中身は、極めて『普通』の契約書だと思う。)

 http://blog.sina.com.cn/s/blog_706cdd310101do2j.html

 

我が国の主な機関は長年国民に良い情報を伝え、我々は良い情報に囲まれて生きている。だがこれは良い状況ではない。国家と民族が良い情報しか知らず、悪い情報がない場合、その国家と民族は極めて危険な段階に入っていると私は考える。

だから物語に携わる人間は時代の役割を担うべきであり、真実を語り、真実を書き、時代の真相、情念のリアル、人生のリアル、人間性のリアルを書き出す。

 

 

私は昔、月面着陸を疑ったことがある。何故ならアームストロング船長の言った「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩だ」という名言が一人の宇宙飛行士が思いつく言葉ではないからだ。これはアメリカ政府が用意した一節だろう。おそらくハリウッドの脚本家が書いたに違いない、何故ならこの言葉はとってもハリウッド的だからだ。それならば我々中国の宇宙飛行士にも必ず言葉が用意されているだろう。だがそれにはフック(中国語で鈎子。物語が盛り上がるポイントや要素のことを指す言葉だと思う)はない。みんな「祖国に感謝します」と言うに違いない。

 

 


 

契約書の話を読んだ日本人なら誰もが『テルマエ・ロマエ』の映画化の一件を思い出すことでしょう。原作者(脚本家)を蔑ろにするというか、会社側が有利になるように話を進めて、契約書の存在を匂わせないところは日中で変わらないようです。

 

中国で「推理小説の書き方」とか「ライトノベルの書き方」みたいな指南書はこれまで一回も見つけたことはありませんが、「脚本家への道」みたいな本は国内外問わず多くの数を本屋で見ることができます。中国では小説家よりも脚本家になりたい人が多いのかもしれませんが、有名になれるのはごくわずかで、そもそも映画業界はIP(作品)こそ欲していますが肝心の脚本家は全く求めていないのかもしれません。その非人間的な労働環境に気付くと、この本が決して青年脚本家のみに向けたものではないことがわかります。

 

 

 

合租男閨蜜 著:正月

 

「合租」とは一つのマンションの部屋に数人が共同で住むことを指します。「男閨蜜」とは女性から見て一般の男友達よりは親しいが、彼氏という関係ではない男性を指す言葉だそうですが適当な日本語はあるんでしょうか。

 

中国の、特に北京や上海の家賃は高いので独身者は友人やネットなどで募集した他人とルームシェアをします。私の外国人の友人も昔、2人の中国人女性と3人でひとつのマンションに暮らしていたので、恋人の関係ではない男女2人が同棲することも中国ではおかしいというわけではなさそうです。

 

この漫画は大学時代そんなに親しくなかった凌小邪(男)と童仙仙(女)が、卒業後に手違いで同じマンションに暮らすことになり、傍目には恋人同士に見えるが実際は友人同士という生活を送るという内容です。

 

私はこの漫画を読んで初めて「男閨蜜」という言葉を知ったのであまりよく理解していないせいもあると思いますが、友達以上恋人未満であるが単なるルームメイトでもない「男閨蜜」というあやふやな存在を飲み込めないまま読み終えてしまいました。ですので、今も疑問符ばかりが浮かんできます。

 

というよりも…

 

  

 

 

 

 

いや…お前ら今はフリーだし(童仙仙には片思いの男性がいる)、まだ若いんだからそのまま付き合っちゃえば良いんじゃねぇの?って思うのですが、この設定って果たして中国人には受けるのでしょうか。

それとも、恋人でもない女性と同棲している中国人男性はこういう関係を羨むのでしょうか。個人的には『お笑い』よりも理解し難い設定だったと思っています。

 

 

(ちなみに、上のシーンはすべてウェブ漫画からコピーしたものですが、オッパイ揉んでいるシーンはコミック版では以下のようになっており、セリフも改変されていた。)

 

 

裏表紙に書かれた説明文も意味不明です。

 

赤枠には中二蘿莉白飄飄(中二病ロリータ白飄飄)という記述がありますが、白飄飄とは彼女のことです。

 

 

全く中二病らしさを感じませんし、ロリでもないです。どっちかというと童仙仙の方が幼く見えます。

 

中国では、日本のオタク用語が本来の意味と異なる、または曲解され、もしくはイメージが広がりすぎて、何故対象にその言葉が使われているのかわからないという現象が起きます。一体この紹介文を書いた人間は白飄飄(作中では柳飄飄という名前)の何を見て中二蘿莉と形容したのでしょうか。中二病もロリも中国と日本で全く違う使われ方がされているとしか思えません。

 

 

この作品は今もネットで連載されていて、今後は2人がカップルになったり、凌小邪の方にも気になる女性が現れたりするらしいのですが、そうなると単なる恋愛漫画に成り下がりそうです。

 

そしてこの漫画の作者「正月」は何と、『快把我哥帯走』の作者「幽・霊」と同じく双子だそうです。こちらは双子の兄弟だそうですが、中国の漫画界は双子でデビューするのが流行っているのでしょうか。

 

参考:合租男閨蜜のウェブ漫画URL

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