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プロフィール
HN:
栖鄭 椎(すてい しい)
年齢:
40
性別:
非公開
誕生日:
1983/06/25
職業:
契約社員
趣味:
ビルバク
自己紹介:
 24歳、独身。人形のルリと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。



副管理人 阿井幸作(あい こうさく)

 28歳、独身。北京に在住している、怪談とラヴクラフトが好きな元留学生・現社会人。中国で面白い小説(特に推理と怪奇)がないかと探しているが難航中。

 Mail: yominuku★gmail.com
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このブログは、友達なんかは作らずに変な本ばかり読んでいた二人による文芸的なブログです。      
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昨年、QED長編推理小説賞を受賞した『堕落巷不堕落』が『放学後的小巷』(放課後の路地)というタイトルになって出版。長編推理小説というジャンルで評価された本作は実は連作短編集であり、最後の作品を読むことで一篇の長編小説になるという仕掛けが取られている。


 


物語は、ゲーセンやおでん屋などたくさんの誘惑があるせいで「堕落巷」の名で呼ばれる路地を中心に、阿礼と言う作者の分身のような少年が友人たちにまつわる事件とも言えない日常的な謎の真相を探るという内容。いわゆる日常ミステリーだが、どの謎もこれでもかってほど事件性がない。一例を挙げると、収録一作目の「不加香菜」(香菜抜き)は「豆腐脳」(豆腐の五目あんかけ。街中で小さなカップに入れて売られ、朝飯などに食べる)に「香菜」(パクチー)。が入っていなかったのは何故だ……という本当にしょうもない内容だ。しかしそのしょうもなさにの中に友達の身を案じる友情が隠れているので、単なる探偵の真似事で終わっていない。


ちなみにどういう内容かというと、阿礼が大の香菜好きの友人Aらと3人でおやつ代わりに豆腐脳を買うが、3つとも香菜が入っていなかったという話だ。豆腐脳には普通、ネギと香菜は入っているもので、「香菜抜き」を注文しない限りそれはないが、これを頼んだのは香菜好きの友人Aだ。しかしおそらく友人Aはなぜか一つだけ香菜抜きにしようとしたところ、店員が面倒臭がって3つ全部香菜を入れなかったのだと阿礼は考える。これだけなら単に「その日の気分」で片付いてしまうが、阿礼は香菜が入っていなかった理由から友人Aがどうして香菜抜きを頼んだのかという謎に考えを進め、友人Aの最近の行動を思い返して彼の家庭と何か関係があるのではと悟る。



万事こんな感じで、阿礼は主に友達の隠し事を推理するが、各短編作品にはそれぞれ雑音があり、どれもスマートに終わらない。阿礼が来たことのない店に以前来たことになっていたり、本屋の本の並べ方が不規則だったり、矛盾や不審点を残したまま次の話に行く。それら数々の明らかな伏線は最終話で種明かしされ、作品を根底から覆す真相が明かされるが、本当のどんでん返しはあとがきにある。


QED長編推理小説賞受賞のあいさつから始まり、若竹七海の『僕のミステリな日常』やら三津田信三の『作者不詳』やらの話をしていて一見普通のあとがきなのだが、作者の自己紹介から途端に不穏になり、実はあとがきも物語の一部だということが分かる。


本書を読んでいる時、これが青春ミステリーだとは全く思わなかった。中学、高校生が出ているだけでは青春小説と言えないからであり、また主人公阿礼の探偵役特有の老成した態度にも原因がある。青春小説とは喪失が必要であり、各作品の登場人物はそれぞれ家庭や交友関係に問題を抱えていて何かを失うが、対象的に主人公である阿礼は直接悲しいことが起こらない。毎話、彼は物語の中央にいるが、中心点にはいない。青春とは遠くから眺めた時に確認できるものであり、作品の中で世界を俯瞰できる阿礼がいる限り、読者は青春を感じ取れない。


最終話までは阿礼が友人たちのために彼らの周りを動いているだけだが、あとがきで青春をとっくに過ぎ去った大人たちが当時を回想して阿礼のために動き、ついに阿礼が中心になる。その時、時間が逆流し、視点が逆転し、第一話から実際は阿礼が友達を見ていたのではなく、友達から見た阿礼の活躍が描かれていたことが明かされる。これが青春じゃなくてなんなのだ。探偵の喪失と再構築を経たことにより、彼らの思い出は青春になり、探偵は堕落巷という事件現場の中で永遠に生き続ける。


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本の1ページ目に「本作には一卵性双生児が出ます」と注意書きしておいて、速攻で二人とも殺す気の早いミステリー小説。クラシック音楽の知識が頭の先から尻尾までふんだんに盛り込まれていて、冒頭から作中に登場する音楽家の注釈に辟易したが、読み進めていくと本書が単なる衒学趣味なミステリーなどではないことにすぐに気付く。実は本書が徹頭徹尾重視しているのは、論理的思考で繰り出される推理の数々だ。謎を追っては推理を重ね、矛盾の穴を埋めては論理を突き詰めていく本書は、中国のレビューサイト豆瓣で何人もがエラリー・クイーンを引き合いに出してレビューしていた。


 




天才音楽家の沈沢峙は友人の女性記者・肖晴の仕事の付き添いで、世界的に有名な作曲家・祁従未の演奏会に行く。祁従未には瓜二つの双子の弟・祁申従がおり、彼はヴァイオリニストとして兄と同じ楽団に所属し、演奏会当日にも服装が違えど同じ顔の2人が会場にいた。しかし演奏会の後半、客席に祁従未の姿はなく、舞台にも祁申従が座っていたはずの席には別のヴァイオリニストがいる。そこに通報を受けた警察がやって来て、控室から祁従未と祁申従の死体が見つかる。容疑者は楽団と観客全員。さらに厄介なことに、祁従未の妻の周韻涵によると、双子は演奏会最後の挨拶の時に「入れ替わり」をし、祁申従が兄のふりをして観客の前に姿を現すいたずらを計画していたらしい。そのいたずらがすでに実行されていたとしたら、彼らはいつ頃入れ替わったのか、当日目撃された祁従未は本当に祁従未なのか、そして2人の死体を服装で判断していいのか。沈沢峙は演奏会で覚えた違和感や関係者各人の証言の矛盾を手掛かりに双子殺害事件の謎に挑む。





 


 


・探偵の味方ばかりではない関係者


 


長編ミステリーだが、序盤に双子が二人死んで以降死者は出ないし、事件当日に解決されるわけではない。単に人二人が死んだのではなく、瓜二つの双子がほぼ同時に殺されたのが事件を複雑極まりないものにしている。


祁従未と祁申従は外見どころか指紋やDNAまで同一というクリソツぶりで、外見上の唯一の違いは、祁従未の妻の周韻涵が提供したお尻のホクロの有無のみ。だから彼らを外見・科学的に見分けることはほぼ不可能で、むしろ会話や印象の方が確実に分かる。


本作で提示される謎はわりとシンプルで、死体を使った見立て殺人やとんでもなく大掛かりなトリックが使われているわけでもない。VIPルームの控室に双子の死体があり、服装から判断するに床には祁申従が倒れ、ラックには祁未従が入れられており、ポットにお湯が入っていたことから犯人は知人であると思われ、またトイレに水がこぼれているのは犯人の仕業であると思われる。単純そうに見える事件が思うように解決しないのは、現場に防犯カメラがなかったこと以上に、警察等が集めた証拠だけでは真犯人にたどり着けないからだ。


ここでようやく活躍するのが音楽探偵と言われる沈沢峙だ。当日の演奏会にいくつかの違和感を持っている彼は、それらが単なる演奏ミスではなくて事件と何らかの関係がある手掛かりだと考え、独自で証拠を集めて再度関係者に事情を聞いていってようやく本当のことを知る。脅したり透かしたりしないと証人が本当のことを話してくれないのだ。彼・彼女らが提供してくれた情報は果たして善意の真実か否かという問題は最後までつきまとう。


 


 


・男尊女卑の音楽界にメス?


 


本作の重要人物祁未従は言動のせいでかなり恨みを買っている。彼は「音楽に女はいらない」と言ってはばからないほどの女性差別主義者であり、その立場を利用して楽団内の女性メンバーを強姦してきたというクズなのだが、彼のスキャンダルが公になることはなかった。しかし今回の事件で双子が入れ替わりを企んでいたという話が浮上した結果、祁未従と祁申従はもっと昔から頻繁に入れ替わりを行っていたという線が出てきて、女性差別的な言動はともかく、女性メンバーを強姦していたのは祁未従の振りをした弟の祁申従なのではという可能性が高くなる。こうなってくると容疑者がまた増え、被害者である肉親の祁未従すらも弟殺害の容疑者に上げられる。なにせ、自分そっくりの姿の奴が自分の名を借りて女を強姦しているのだから、自己保身しか考えない人間でもいつか自分の身が破滅するという最悪のケースに思い至るだろう。今回の事件は、兄が弟を殺した後に、他の何者かに殺されたのではないか……


そして歳を重ねるごとにますます似てきた(祁申従が祁未従に似せてきた)双子の入れ替わりの話を聞くと、周韻涵の話す「夫」とは本当に祁未従のことなのか…という疑問が浮かぶ。四十を過ぎた双子のオッサンのいたずらの代償はあまりに大きい。


さて本作は女性差別主義者の祁未従の言動がテーマの一つになっていて、沈沢峙はそんな人間が作曲した曲など聞く価値がないと言い捨て、女性記者・肖晴はインタビューで差別的な言動を投げかけられ、更には祁未従(祁申従)に暴行された楽団メンバーも出る。しかし祁未従がすでに死んでしまっているので、沈沢峙との舌戦が繰り広げられるわけではない。ラストで分かるのだが、本作で描かれるのは中国における「#Metoo」運動のきっかけに過ぎず、架空の女性差別者を登場させてバキバキぶん殴る作品ではない。ここが、ミステリー作品としてちょうどいい塩梅なのか、女性差別を扱ってるわりに物足りないと感じるかは人それぞれだろう。自分は後者だった。


 


・犯人の正体以上の謎


終盤の沈沢峙の推理ラッシュは、読んでいてかなり体力を要した。トリックも犯人も分かったいま、沈沢峙が気にするのは、そもそも当日に双子は入れ替わっていたのか、そして入れ替わっていた場合どのような行動を取るのかという疑問であり、考えれば考えるほどに彼ら二人の行動は第三者の影響を受けていると思わざるを得ない。確実な物的証拠はないが、常識的に考えるとおかしくないかという証拠の数々を提示して推理を重ねていき、ついに真犯人を導き出す。真犯人の正体自体は想像の域を出ないものだが、膨大な証拠と論理を積み重ねて双子の入れ替わりトリックの有無という単純な疑問の結論を導き出した手法は、まるで豊富な歴史資料を読み込んで山程注釈をつけた論文を読んでいるような読み応えだった。

 

 久しぶりに読んだ中国ミステリー。表紙のせいで、最初は都市文学だと勘違いして手に取ることもしなかったんだけど、後日別の書店でミステリー小説のコーナーに置かれていたのに気付いて購入。北京を舞台にしていて、知っている地名がバンバン出るし、北京に暮らす人間なら必ず立ち寄る場所に次々と足を運ぶので、自分がいま住んでいる北京で本当にこんな事件が起き、犯人と警察の足跡をたどっているようでワクワクした。


 タイトルをバックに排気ガス(尾気)が描かれたこの表紙、肩の力が抜けるデザインで悪くないと思うし、「○○殺人事件」とか書いていかにも「日系ミステリー」って印象を読者に与えないようにしたんだろうが、センスの高さは注目度の高さに必ずしも結び付かないらしい。


 
 中国の首都北京、朝夕の車通りが激しい国貿の高架橋で違法駐車している自動車の中から死体が見つかった。死体はその車の持ち主で、テレビ番組の売れっ子作家の黄天という男。外傷はなく、運転中の突然死だと思われた。しかし現場に駆け付けた警官の馬牛は、フロントガラスの内側に「馬牛」と自分の名前が書かれているのを発見、黄天によるダイイングメッセージだと考え、本件を殺人事件として捜査しようとする。しかしいくつか問題があった。北京では間もなく国際会議が開かれることになっているので、警察上層部は北京の中心部で事件性の有無も不確かな案件を殺人事件として扱って開催に影響を与えたくないのだ。そして馬牛は警官でありながらバーのスタンダップコメディアンとしてちょっと名が知られていて、黄天とも接点がなくはないのだが、彼とは全く面識がない。なぜ黄天は会ったこともない馬牛にメッセージを残したのだろうか。
 上司から数日間の捜査期間を与えられた馬牛は、お目付け役として配属された女性警官の王維と共に捜査に向かう。だが黄天の妻の謝雨心は夫の遺体をすでに火葬、車も廃棄処分しており、殺人に関係する直接的な証拠はもう残っていない。馬牛は謝雨心による保険金殺人の線、もしくは家族に保険金を残すための黄天の自殺の線を考える一方、黄天の生前の交友関係も洗うが、彼は業界内でのし上がるために色々無茶なことやっていたようで複数の人間から恨みを買っていた。やはりこれは殺人事件なのだろうか。しかし車が行き交う高架橋で犯人はどうやって車内にいる黄天を殺せたのだろうか。

 ・北京戸籍を持つ好条件子供部屋おじさん


 実はこの本、捜査パートより馬牛の日常パートの方が断然面白い。そもそも馬牛という名前がインパクト絶大だ。中国では基本的に結婚しても夫婦別姓、生まれた子どもは父親の姓を名乗ることが多いが、子どもの「名前」に母親の姓を付ける場合もある。馬牛は馬姓の父と牛姓の母を持ち、10年ごとに名字と名前を交代するという両親の取り決めを守っている。ここでもし、黄天が最後に残した名前が「李強」などありきたりな名前だった場合、同じ名前の警官がそれを見たところで同姓同名の別人を指しているとしか思わないだろう。しかし「馬牛」と書いてあったら、面識がなくても自分に宛てたメッセージとしか思えない。


 そしてこの馬牛、北京出身、警察官、30歳で親と同居、と裕福ではないがなかなか恵まれた立場にあり、その上長年付き合っている美人の彼女もいる。しかしいい年して(中国人から見て)結婚願望はないし、2人で住むマンションの頭金を払う貯金すらない。だから、結婚したがる彼女を避けてますます黄天の捜査に打ち込むわけだが、それならさっさと別れればいいのに、こんな美人の彼女とは二度と付き合えないという下心があるせいで彼女が結婚を諦めるまで待とうとし、その結果どんどんドツボにハマり、彼女を道連れに不幸にする。正直、今まで少なくない中国のミステリー小説を読んできて、いろんなダメ警官を見てきたが、ここまで情けない男は初めてだった。

 ミステリー小説では、明るい性格の彼女にリードされたり、何も取り柄がなさそうなのに可愛い女の子と付き合えたりする男をよく見掛ける(というか、本格ミステリー小説って漫画『BOYS BE』的なところがない?)。しかし、恋人と別れたくもないけど結婚したくないもないから仕事に打ち込んで答えをズルズル引き伸ばすという、こんな往生際の悪い男は見たことがない。

 確かに中国では最近、結婚したくない若者が増えているそうだが、そういうのってだいたい、相手がいないから結婚できない(結婚したくないから相手を探さない)だとばかり思っていたので、まさか相手はいるし親からも応援されているけど結婚には二の足を踏むという馬牛みたいな男がいるとは考えていなかった。しかも読んでいると、馬牛の実際のモデルを知っているかのようにすっげぇリアルに感じてしまい、結婚から逃げ回っている情けない様子が他人事ではないように思えてとても嫌だった。


 ・お上りさん向けの北京観光?

 本作のもう一つの特徴は、馬牛らが北京のあちこちに足を運ぶこと。事件現場となった北京の商業地区の中心地・国貿、事件の目撃者がいる建外SOHO、国際的な市場・三源里市場、昔は韓国人街だったという望京、さらに馬牛がスタンダップコメディアンとして働いているバー老書虫がある三里屯などなど……北京に詳しい人はこれらの地名を見てアレッ?と思うかもしれない。そう、ここに登場するのは北京でも特に有名な、地方から北京に来た人間がよく行く名所ばかりなのだ。

 東京で言ったら渋谷、原宿、池袋……みたいに「いかにも東京!」というシンボル的な街ばかり登場させている。ある都市を舞台とする場合、もっと目立たない場所を深く掘り下げるやり方もあるだろうが、本作はえらく表層的で、まるで北京との融合を避けているように見える。だからこそ、北京に住んで10年以上経つとは言え「外地人」である自分は読んでいる最中「あるある」と頷きっぱなしで、「三源里市場にうろつく物乞い」とか「韓国人がすっかり消えた望京」とか、実際に見たことがあるだけに脳裏に簡単に浮かんだ。とは言え、老書虫でトークショーが行われているとは知らなかったが……(ってか2019年に閉店したんだっけ?)。

 この北京描写の薄っぺらさは作者慢三のプロフィールを読んで納得できた。なんと彼は北京人ではなく湖南省出身であり、彼の経歴も主人公の馬牛より被害者の黄天の方に近いのだ。私が親近感を覚えるのも当然、彼も北京で暮らして私と同じような印象を多く持ったんだろう。


 ・今の北京で成功を前提とした大犯罪は可能?


 肝心のミステリーパートは、関係者に聞き込みに行くほど生前の黄天の人物像があやふやになり、それがそのまま黄天の死因が自殺か他殺かの判断につながる構成になっている。街中を網羅している防犯カメラのおかげで、事件当時、黄天にそれぞれ因縁を持つ3人が彼の車を囲んでいたことが発覚。もうこんなのゲームセットだろと思うのだが、いかんせん現場も証拠品もとっくに全部片付けられて直接的な物証が何も残っていないため、逮捕にはつながらない。

 ここで重要となってくるのが、そもそも黄天はなぜ「馬牛」の名前をダイイングメッセージとして残したのかということ。黄天が自殺なら他殺に見せ掛ける必要はないし、他殺ならもっとマシなメッセージがあるだろう。まるで警官の馬牛に「事件」として扱ってもらうのが目的のような行動に、馬牛はようやく、関係者からの聞き込みなどではなく、黄天そのものを調査する。そこで黄天が生前に隠していた大きな秘密が明らかになるというわけだが……黄天の真相が分かってから展開は本当に「驚愕」のひと言に尽き、まさか国際会議を間近に控えた北京でこんな大犯罪が起きてしまうとは……と唖然とさせられた。「こんなん無理だろう」というのは作者が一番分かっているはずで、こんなバカな犯罪に突き合わされた黄天が本当哀れだ。



 本作には2人の主人公がいる。1人は、夫や父という自分像が思い描けず結婚よりも自分を優先させた馬牛。もう1人は、結婚し家族のために働きどんどん疲弊していった黄牛。
 黄天は自分の命を燃やして働き、時にはライバルを蹴落として恨みを買うこともあったがそれらは全て家族のためだった。しかし自動車のエンジンのように会社や家族を引っ張っていった彼は、最終的に尾気(排気ガス)になるまで燃え尽きてしまう。彼の妻、謝雨心も彼という自動車に乗っているだけの利用者にすぎなかったのか。

 本作に出てくる女性たちは(男の目から見て)本当にたくましい。自発的に動かない馬牛の代わりにマンション購入や結婚準備に取り掛かり、彼と別れてからすぐ新しい彼氏をつくった馬牛の元カノも、黄天が死んだ後も子どもを守るために知恵を絞って敵と戦う謝雨心も、冷静さと判断力が男連中の比較にならない。
 この本を読み終えて、東野圭吾の『白夜行』が中国で流行る理由の一部が分かったような気がした。今まで、男が自分の身を犠牲にしても女を一途に守るところが受けていると思ってたんだが、どんな犠牲を払おうがしぶとく生き延びる女の魅力にこそ人気の秘密があったんじゃないだろうか。


 あと、本作は一応保険金殺人も絡んでくるんだが、保険会社がほとんど出ないのが気になった。生命保険を複数加入していた奴が変な死に方したのに遺体が速攻で遺族に処分されたって、保険会社から警察にクレーム入れるレベルだろう。

 

  本作はそもそも、2017年の第5回島田荘司推理小説賞に応募したところあえなく落選した作品らしい(ちなみにその時の受賞作は黑貓Cの『歐幾里得空間的殺人魔』)。志怪、つまり怪異について記した書物を読み解き、そこから論理的に真実を導くという内容で、ラストの犯人当てはまさにホームズ言うところの「全ての不可能を除外し、最後に残ったものがどれほど奇妙なことであってもそれが真実となる」という言葉通りとても奇妙で、色々受け入れがたい真実だった。



  ちなみに本書、中国ではとりわけ三津田信三を引き合いに出されて評価されているが、ネットショッピングサイトではバカの一つ覚えみたいに「中国版東野圭吾」と喧伝されている。東野圭吾に有名なホラーミステリーや民俗ミステリー作品があったかよ。

 

  民国十一年(1922年)の南京、博覧強記の大学講師・白澤は友人の医者・陶方璧(私)が偶然拾った手書きの志怪小説『修羅鬼誌』を読む。そこには約50年前の南京で実際に起こった五つの殺人事件の内情が事細かく記録されていた。それぞれの事件は現在でも化け物・修羅鬼の仕業とされているが、白澤はこの『修羅鬼誌』の作者こそが犯人であり、これは人間による犯行だとしてまだ解決されていない事件の謎を追う。しかし書物を何度読み、被害者の遺族や事件現場に当たっても犯人の手がかりは全くつかめない。そして5篇目の「苦厄寺皆殺し事件」の現場調査を経て、白澤はついに目に見えない犯人の姿を捉える。

 

  海外留学をしていて数カ国語を操れるだけじゃなく、中国国内の民俗や歴史にも造詣が深い白澤先生が探偵役となり、陶方璧とその双子の弟・陶方玉の2人と共に南京を歩き回る本書は、血生臭い未解決事件の解決がテーマとはいえ、読者が一息つけるようにご当地グルメや名所旧跡の紹介を合間合間に挟んでいるので、当時の南京の風情が味わえる叙情的な内容にもなっている。そもそも彼らが解決しようとしているのは50年前の未解決事件で、しかも誰かに依頼されたものでもなければ犯人に恨みを持っているわけでもないので、彼らにはあまり緊張感が感じられない。だからこそ3人が捜査の傍らにアヒルの血豆腐などのご当地グルメに舌鼓を打つ描写が印象に残り、事件と直接関係ない描写でも水増しとは思わない。

 

  しかし本筋の事件はどれも残酷だ。本書は途中途中に『修羅鬼誌』の小説が挟まれる作中作の構造になっており、それらはいずれも被害者の視点で描かれ、犯人とされる修羅鬼の正体は明らかにされない。そこで白澤先生が注目するのは、『修羅鬼誌』の中でも一番長く(中編小説ぐらいある)、修羅鬼最後の事件である「苦厄寺皆殺し事件」だ。ちなみにこの「苦厄寺皆殺し事件」、原文では「無人生還」事件となっているのだが、これはどう見てもアガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』の中国語タイトルのオマージュだ。密室の苦厄寺にいた僧侶ら9人が1人ずつ殺されて誰もいなくなるという事件なのだが、ここで白澤先生はなんとミステリー小説でおなじみの「クローズド・サークル」を例に出して犯人を絞る。白澤先生にとって舶来の探偵小説などすでにご存知なのだ。

 

  白澤先生が名探偵さながら当時の苦厄寺にいた人物が犯人である可能性を一つずつ潰していき、果ては透明人間説(10人目の存在)まで出した時、ついにこの本の歴史背景が生きてくる。白澤先生は「揚州の痩せ馬」(馬と書いているが実際は人間。馬と同じ扱いをされた奴隷女性)を例に取り、苦厄寺の中には人間なのに人間として数えられなかった存在がいたと指摘。そしてその存在は『修羅鬼誌』に何度も登場していると言う。


  実際の中国がどうだったかはともかくとして、本書はこの時代(『修羅鬼誌』が書かれた1800年代)の中国における人権意識や風習によって成立が許された犯人当てミステリー小説だと思う。事件の被害者も『修羅鬼誌』の読者の誰も彼を人間と見みなさなかったという悲しみの前に、本当にそんな人間が生存できたのか?というツッコミは無粋だろう。人権をテーマに、というかトリックにした中国歴史民俗ミステリーだった。

 


 


2010年出版のやや古めの長編中国ミステリー小説。『白夜行』を意識したのではと疑うタイトルだが、内容はかなり陰惨な警察サスペンスだ。そして作者はまえがきで、本書のもともとのタイトルは「身を隠す」という意味の『躲藏』だと主張しており、どうやら書籍化の際にこういう書名に変えられたのだと予想できる。


 


 


舜城(実在しない架空の都市)で公安局局長の褚辛の娘夢瑶が誘拐される。彼女を探すよう依頼されていた元刑事の私立探偵沐天陘は、元同僚の周正陽から彼女の体の一部が見つかったという知らせを受けて公安局に向かう。解剖の結果、発見された彼女の両手は生きているうちに切り落とされたものだと分かった。責任を痛感した沐天陘は、なんとしてもこの事件の犯人を捕まえると決意。一方、警察側も絶対に事件を解決させなければならない事情があった。実はこの1年前に、同じく少女を対象にしたバラバラ殺人事件が発生していたのだが、当時中央(北京)から指導者が視察に来ていたため、その事件は捜査こそすれ公開していなかったのだ。このまま手をこまねいて中央から応援が来ることになれば、その時の事件も掘り返され、間違いなく上層部の首が飛ぶ。舜城中の警察官が捜査に駆り出される中、褚夢瑶の事件とは全く無関係の殺人事件が発生し、被疑者として沐天陘の名前が上がる。沐天陘は警察の監視をかいくぐり、彼なりの捜査方法で徐々に犯人に迫っていく。


 


 


沐天陘は元刑事の探偵で、頭脳明晰で喧嘩も強く、非の打ち所がない人物に見えるが、実は2年前に妻を亡くしてから薬物に溺れ、幻覚を見るわ支離滅裂な言動をするわ、かなりの危険人物でもある。序盤に自分の妻を殺した犯人の殺人容疑で指名手配されるが、これは冤罪でも誰かにハメられたわけでもなく、本当に殺している。マジでクロだ。だからこの本の主人公は、元刑事の探偵で薬物中毒者で何なら精神疾患も患っている人殺しということになる。攻め過ぎだ。


 


そもそもなぜ10年前の推理小説を今更買って読んだかと言うと、中国ネットで本書を「中国ミステリーの最高水準を示す10作」の一つに数えていた記事を見つけていたからだ。公安局幹部の家族を復讐の対象にしたり、沐天陘のような犯罪者を主人公にしたり、女性を生きたまま切り刻む残虐描写があったり、現代ではおそらく出版をためらう内容だ。殺人犯である沐天陘に対する処遇もゆるいもので、いくら沐天陘に肩入れする読者という立場から見ても、作者は私刑を肯定していると言わざるを得ない。上記の記事の作者は、10作の中に周浩暉の『死亡通知書』や紫金陳の『知能犯之罠(原作:設局)』も挙げていたので、こういう作品が好きなのかも知れない。


 


首都からおエライサンが来ていたから殺人事件の情報を公開しなかったという判断ミスが事件の再発を招いてしまったが、この事件の根幹にはさらに大きな不正と汚職が絡んでいる。実は、娘を誘拐された褚辛は十数年前にある人物を口封じするために何人もの人々が巻き添えになった死ぬ大事故を起こし、その罪を他人にかぶせていたのだ。今回の事件の理由は公務員に対する復讐であり、辛は数々の残酷な方法でその報いを受けたわけだが、読んでてそんなにスカッとしないのは、犠牲となったのが彼の無実の娘だからだろう。


警察の不祥事の他に精神病も重要な要素として物語に加わる。主人公の沐天陘自身も精神疾患を患っているが、これは敵側も同様で、実際、なぜ女性を生きながら切り刻むのかと言えば、恨みと言うよりもその衝動を抑えられないからという動機だ。精神疾患者が事件の鍵を握り、その背後に黒幕がいるという構図は『羊たちの沈黙』を思い起こさせる。中国社会派ミステリーという顔を見せておきながら、実際はサイコスリラーだったというオチだ。


 


本書は決してメジャーな作品ではないが、中国のレビューサイトにおける評判は良い。しかし、上記のような過激さが本作の評価を大きく高め、「最高の中国ミステリー」と言わしめているのであれば、規制が厳しくなった現在、これを超える作品は二度と現れることはないだろう。


 


作者の谷神冥はこの本が最初で最後の作品らしいが、別名義で活躍していないのだろうか。公務員を殺せなくなった、残酷描写がしづらくなった、という規制の果てに筆を折っていたら惜しい限りだ。



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