昨年、QED長編推理小説賞を受賞した『堕落巷不堕落』が『放学後的小巷』(放課後の路地)というタイトルになって出版。長編推理小説というジャンルで評価された本作は実は連作短編集であり、最後の作品を読むことで一篇の長編小説になるという仕掛けが取られている。
物語は、ゲーセンやおでん屋などたくさんの誘惑があるせいで「堕落巷」の名で呼ばれる路地を中心に、阿礼と言う作者の分身のような少年が友人たちにまつわる事件とも言えない日常的な謎の真相を探るという内容。いわゆる日常ミステリーだが、どの謎もこれでもかってほど事件性がない。一例を挙げると、収録一作目の「不加香菜」(香菜抜き)は「豆腐脳」(豆腐の五目あんかけ。街中で小さなカップに入れて売られ、朝飯などに食べる)に「香菜」(パクチー)。が入っていなかったのは何故だ……という本当にしょうもない内容だ。しかしそのしょうもなさにの中に友達の身を案じる友情が隠れているので、単なる探偵の真似事で終わっていない。
ちなみにどういう内容かというと、阿礼が大の香菜好きの友人Aらと3人でおやつ代わりに豆腐脳を買うが、3つとも香菜が入っていなかったという話だ。豆腐脳には普通、ネギと香菜は入っているもので、「香菜抜き」を注文しない限りそれはないが、これを頼んだのは香菜好きの友人Aだ。しかしおそらく友人Aはなぜか一つだけ香菜抜きにしようとしたところ、店員が面倒臭がって3つ全部香菜を入れなかったのだと阿礼は考える。これだけなら単に「その日の気分」で片付いてしまうが、阿礼は香菜が入っていなかった理由から友人Aがどうして香菜抜きを頼んだのかという謎に考えを進め、友人Aの最近の行動を思い返して彼の家庭と何か関係があるのではと悟る。
万事こんな感じで、阿礼は主に友達の隠し事を推理するが、各短編作品にはそれぞれ雑音があり、どれもスマートに終わらない。阿礼が来たことのない店に以前来たことになっていたり、本屋の本の並べ方が不規則だったり、矛盾や不審点を残したまま次の話に行く。それら数々の明らかな伏線は最終話で種明かしされ、作品を根底から覆す真相が明かされるが、本当のどんでん返しはあとがきにある。
QED長編推理小説賞受賞のあいさつから始まり、若竹七海の『僕のミステリな日常』やら三津田信三の『作者不詳』やらの話をしていて一見普通のあとがきなのだが、作者の自己紹介から途端に不穏になり、実はあとがきも物語の一部だということが分かる。
本書を読んでいる時、これが青春ミステリーだとは全く思わなかった。中学、高校生が出ているだけでは青春小説と言えないからであり、また主人公阿礼の探偵役特有の老成した態度にも原因がある。青春小説とは喪失が必要であり、各作品の登場人物はそれぞれ家庭や交友関係に問題を抱えていて何かを失うが、対象的に主人公である阿礼は直接悲しいことが起こらない。毎話、彼は物語の中央にいるが、中心点にはいない。青春とは遠くから眺めた時に確認できるものであり、作品の中で世界を俯瞰できる阿礼がいる限り、読者は青春を感じ取れない。
最終話までは阿礼が友人たちのために彼らの周りを動いているだけだが、あとがきで青春をとっくに過ぎ去った大人たちが当時を回想して阿礼のために動き、ついに阿礼が中心になる。その時、時間が逆流し、視点が逆転し、第一話から実際は阿礼が友達を見ていたのではなく、友達から見た阿礼の活躍が描かれていたことが明かされる。これが青春じゃなくてなんなのだ。