本の1ページ目に「本作には一卵性双生児が出ます」と注意書きしておいて、速攻で二人とも殺す気の早いミステリー小説。クラシック音楽の知識が頭の先から尻尾までふんだんに盛り込まれていて、冒頭から作中に登場する音楽家の注釈に辟易したが、読み進めていくと本書が単なる衒学趣味なミステリーなどではないことにすぐに気付く。実は本書が徹頭徹尾重視しているのは、論理的思考で繰り出される推理の数々だ。謎を追っては推理を重ね、矛盾の穴を埋めては論理を突き詰めていく本書は、中国のレビューサイト豆瓣で何人もがエラリー・クイーンを引き合いに出してレビューしていた。
天才音楽家の沈沢峙は友人の女性記者・肖晴の仕事の付き添いで、世界的に有名な作曲家・祁従未の演奏会に行く。祁従未には瓜二つの双子の弟・祁申従がおり、彼はヴァイオリニストとして兄と同じ楽団に所属し、演奏会当日にも服装が違えど同じ顔の2人が会場にいた。しかし演奏会の後半、客席に祁従未の姿はなく、舞台にも祁申従が座っていたはずの席には別のヴァイオリニストがいる。そこに通報を受けた警察がやって来て、控室から祁従未と祁申従の死体が見つかる。容疑者は楽団と観客全員。さらに厄介なことに、祁従未の妻の周韻涵によると、双子は演奏会最後の挨拶の時に「入れ替わり」をし、祁申従が兄のふりをして観客の前に姿を現すいたずらを計画していたらしい。そのいたずらがすでに実行されていたとしたら、彼らはいつ頃入れ替わったのか、当日目撃された祁従未は本当に祁従未なのか、そして2人の死体を服装で判断していいのか。沈沢峙は演奏会で覚えた違和感や関係者各人の証言の矛盾を手掛かりに双子殺害事件の謎に挑む。
・探偵の味方ばかりではない関係者
長編ミステリーだが、序盤に双子が二人死んで以降死者は出ないし、事件当日に解決されるわけではない。単に人二人が死んだのではなく、瓜二つの双子がほぼ同時に殺されたのが事件を複雑極まりないものにしている。
祁従未と祁申従は外見どころか指紋やDNAまで同一というクリソツぶりで、外見上の唯一の違いは、祁従未の妻の周韻涵が提供したお尻のホクロの有無のみ。だから彼らを外見・科学的に見分けることはほぼ不可能で、むしろ会話や印象の方が確実に分かる。
本作で提示される謎はわりとシンプルで、死体を使った見立て殺人やとんでもなく大掛かりなトリックが使われているわけでもない。VIPルームの控室に双子の死体があり、服装から判断するに床には祁申従が倒れ、ラックには祁未従が入れられており、ポットにお湯が入っていたことから犯人は知人であると思われ、またトイレに水がこぼれているのは犯人の仕業であると思われる。単純そうに見える事件が思うように解決しないのは、現場に防犯カメラがなかったこと以上に、警察等が集めた証拠だけでは真犯人にたどり着けないからだ。
ここでようやく活躍するのが音楽探偵と言われる沈沢峙だ。当日の演奏会にいくつかの違和感を持っている彼は、それらが単なる演奏ミスではなくて事件と何らかの関係がある手掛かりだと考え、独自で証拠を集めて再度関係者に事情を聞いていってようやく本当のことを知る。脅したり透かしたりしないと証人が本当のことを話してくれないのだ。彼・彼女らが提供してくれた情報は果たして善意の真実か否かという問題は最後までつきまとう。
・男尊女卑の音楽界にメス?
本作の重要人物祁未従は言動のせいでかなり恨みを買っている。彼は「音楽に女はいらない」と言ってはばからないほどの女性差別主義者であり、その立場を利用して楽団内の女性メンバーを強姦してきたというクズなのだが、彼のスキャンダルが公になることはなかった。しかし今回の事件で双子が入れ替わりを企んでいたという話が浮上した結果、祁未従と祁申従はもっと昔から頻繁に入れ替わりを行っていたという線が出てきて、女性差別的な言動はともかく、女性メンバーを強姦していたのは祁未従の振りをした弟の祁申従なのではという可能性が高くなる。こうなってくると容疑者がまた増え、被害者である肉親の祁未従すらも弟殺害の容疑者に上げられる。なにせ、自分そっくりの姿の奴が自分の名を借りて女を強姦しているのだから、自己保身しか考えない人間でもいつか自分の身が破滅するという最悪のケースに思い至るだろう。今回の事件は、兄が弟を殺した後に、他の何者かに殺されたのではないか……
そして歳を重ねるごとにますます似てきた(祁申従が祁未従に似せてきた)双子の入れ替わりの話を聞くと、周韻涵の話す「夫」とは本当に祁未従のことなのか…という疑問が浮かぶ。四十を過ぎた双子のオッサンのいたずらの代償はあまりに大きい。
さて本作は女性差別主義者の祁未従の言動がテーマの一つになっていて、沈沢峙はそんな人間が作曲した曲など聞く価値がないと言い捨て、女性記者・肖晴はインタビューで差別的な言動を投げかけられ、更には祁未従(祁申従)に暴行された楽団メンバーも出る。しかし祁未従がすでに死んでしまっているので、沈沢峙との舌戦が繰り広げられるわけではない。ラストで分かるのだが、本作で描かれるのは中国における「#Metoo」運動のきっかけに過ぎず、架空の女性差別者を登場させてバキバキぶん殴る作品ではない。ここが、ミステリー作品としてちょうどいい塩梅なのか、女性差別を扱ってるわりに物足りないと感じるかは人それぞれだろう。自分は後者だった。
・犯人の正体以上の謎
終盤の沈沢峙の推理ラッシュは、読んでいてかなり体力を要した。トリックも犯人も分かったいま、沈沢峙が気にするのは、そもそも当日に双子は入れ替わっていたのか、そして入れ替わっていた場合どのような行動を取るのかという疑問であり、考えれば考えるほどに彼ら二人の行動は第三者の影響を受けていると思わざるを得ない。確実な物的証拠はないが、常識的に考えるとおかしくないかという証拠の数々を提示して推理を重ねていき、ついに真犯人を導き出す。真犯人の正体自体は想像の域を出ないものだが、膨大な証拠と論理を積み重ねて双子の入れ替わりトリックの有無という単純な疑問の結論を導き出した手法は、まるで豊富な歴史資料を読み込んで山程注釈をつけた論文を読んでいるような読み応えだった。