久々に気負いなく読めた中国ミステリー。こっちでは数が少ない短編集だったのがうれしい。犯罪者を捕まえるために奔走する刑事とすでに刑が確定した犯罪者を日々相手にする刑務官がタッグを組んで、外と内から難事件の解決に当たるという構造が良かった。
とある高校のグラウンドから白骨死体が見つかる。その学校では十数年前に2人の教師による学生への強姦事件が起きており、逮捕された葉晟はまだ刑務所の中、もう1人の王江風は事件後しばらくして行方不明となっていたため、死体は王江風のものではないかと疑われた。それからしばらくして、その高校の卒業生が殺される。彼は行方不明になった王江風が顧問をしていた漢詩同好会のメンバーであり、この殺人事件が白骨死体の発見と関連があると考えられた。二つの事件を捜査する刑事の呉仕嵐は、友人の刑務官・陳嘉裕に頼み、今も収監中の葉晟から事情を聞いてもらい、彼自身は当時の強姦被害者の学生に話を聞きに行く。そんな中、漢詩同好会のメンバーがまたもや殺され、さらには死んだと思われていた王江風がミャンマーから帰国し、呉仕嵐の前に現れた。それではあの白骨死体は誰のものなのか、そして連続殺人事件の犯人はいったい?――第1編『朝露』より
5編ある短編のおおまかな構成は、事件を捜査する呉仕嵐のサポートとして陳嘉裕が刑務所やその他の場所で犯罪者や関係者から話を聞き、2人で集めた証拠を合わせて真犯人に迫るというバディもの。しかしもう一つのテーマが陳嘉裕の自信の回復だ。もともと警察学校の成績が良く、刑事になることを夢見ていた彼は、試験に落ちて刑務官になったことで将来への期待もなくなっていた。「世界で一番時間がゆっくり過ぎる空間」で腐っていった彼は、同期の呉仕嵐によって事件捜査に関われるという機会を得たことで徐々に勘を取り戻していき、今まで敬遠していた同期(呉仕嵐)との食事にも積極的に行くようになる。最後の方になると刑務所が関係なくなり、自分なりの推理を呉仕嵐に教えて捜査に貢献するという安楽椅子探偵みたいなことをやっているので、ちょっと構成が破綻していると言えなくもないが、彼の成長譚とも思えばいいか。
本書の中で一番のお気に入りは、第2編の『洪災』だ。
現在集中治療室で入院中の白小軍は、娘を強姦殺害した容疑の少年を殺した罪で収監されていたが、少年が最期に言った「俺じゃない」という言葉がずっと気掛かりで、死ぬ前に真相が知りたいと陳嘉裕に訴えた。事件前、白小軍は警察しか知り得ない情報が書かれた匿名の手紙を受け取っており、それが彼に少年の殺害を決定させた。陳嘉裕が白小軍の娘の親友だった馬露に会いに行くと、彼女はいま、当時白小軍の娘に片思いしていた同級生と結婚していた。そしてその匿名の手紙は犯人に罰を与えるために自分が書いたものだと認める。さらに陳嘉裕の訪問により、馬露は予想外の行動に出た。
一種の冤罪事件を描いた作品だ。とは言え冤罪被害者はすでに死んでおり、自分が殺した人間がもしかしたら犯人じゃなかったのかも……という殺人犯の疑念に突き動かされた刑務官が事件を勝手に再捜査するという、陳嘉裕の身分を十分に生かした展開になっている。陳嘉裕含め、各人が自分勝手に他人のことを大切に思うばかり、いくつもの最悪の事態を招き、真相を闇に葬らないようにした結果、新たな犠牲者が生まれるというかなり救いのない話だ。しかしそれは、本来一人の人間が背負うべきだった罪の重さに誰もが目を背けき続けた結果、無差別に降りかかる災厄という形で現れた代償なのかもしれない。2021年度の短編中国ミステリー傑作選に入れてほしいぐらいのクオリティだった。
作者の午曄は宝石鑑定士や大学教授、セキュリティエンジニアなどの肩書を持つ、現代中国ミステリー界隈では古参の作家の一人で、中国のミステリー専門誌『推理』などでよく短編を発表していた。代表作に女性スパイの活躍を描いた『罪悪天使』がある。
本作は彼女の経歴がふんだんに盛り込まれており、唐代の文物にまつわる謎、ほぼAI化された防犯システムの急所を突く窃盗方法など、中国の過去と確実に訪れるであろう未来を描いた近未来を舞台にした中国スパイ小説だ。
2033年、唐代の文化財・昭陵六駿のうち、アメリカに流出したままになっている残り二つの馬の石刻についに「一時帰国」のチャンスが訪れた。アメリカの博物館から一時的に2体の石刻が戻り、中国の博物館で6体揃って展示することができるのだ。情報セキュリティ対策専門家の袁楓は博物館学芸員の沙婕に触発され、6体揃った昭陵六駿を盗み出し、頃合いを見計らって祖国に返還する計画に参加する。ハッカー集団「錯覚方程式」がつくったコンピュータウイルスを使い、博物館のセキュリティシステムを混乱させ、昭陵六駿が保管されている部屋にたどり着いた袁楓。しかし肝心の国宝はすでに何者かに盗まれており、彼らは国宝を盗んだ犯罪者と間違われお尋ね者となってしまう。仲間が敵に、敵が味方になる混乱した状況で、袁楓は今度こそ昭陵六駿を取り返すことを決心する。
作者は本書の序文で、この本は誰かを責めるために書いたものではないと言い、創作のきっかけは海外の博物館で中国から流出した文化財が展示されているのを見たことだと述べている。中国の悠久の歴史には無数の創作の題材が埋まっているが、このような歴史も立派なネタの一つである。
『黄金塔』のあとに読んだせいで、気分が暗くなって途中で読むのをやめてしまった。本書に書かれた昭陵六駿が散逸した理由を読んでいくと、外国人として負い目を感じてしまうからだ。
AIに頼りすぎたセキュリティの弊害を書いて今の中国が進めているハイテク化に警鐘を鳴らすとともに、文化財に隠された未来への暗号を読み解いて中国の歴史や文化を大切にしようと人々を啓蒙しているのが本作だが、もう一つ大きなメッセージがある。それは、強くなった中国は他国と正々堂々交渉できるのだから不法行為はやめようという戒めだ。
本書で袁楓たちは愛国心に突き動かされて、まだ他国の財産である文化財の盗みを決行する。金銭欲に動かされたわけでも、庶民のための義賊でもなく、言わば愛国怪盗としてお国のために盗みを働くわけだが、その結果、第三者に先を越されるという最悪な事態になってしまい、中国の博物館にも迷惑をかけてしまう。浅はかな愛国行為は国を害するだけという忠告が込められているが、その背景にあるのは、弱くて文化財の流出を食い止められなかった過去と異なり、中国はもう個人の義憤に頼らなくても他国と正面から渡り合えるという実際の自信だろう。
本書の舞台は2033年という近未来だが、実際あと10年もしないうちに中国は流出していた文化財を国内に取り戻すんじゃなかろうか。そして返還文化財展覧会なんかが中国で開かれた時、果たして自分は楽しく鑑賞できるだろうか。きっと居心地悪いだろうなぁ。
著者の檀澗本人からもらった本なのだが、とても評価に困る内容だった。こんなに感想を書きづらい本、送ってこなければよかったのにとさえ思ってしまった。しかしそれは決して本書の内容が評価に値しないレベルだということではなく、作品があまりにも中国国内向けに書かれ、中国人読者を楽しませることに情熱が注がれているため、一人の外国人読者として中国人との温度差を感じてしまい、そのモヤモヤを言語化できなかったからだ。
読後まず感じたのが、今後こういう作品増えてったら自分のような外国人にはきついなぁという不安だ。
スペイン在住の華人・林鼎は仲間の華人と共に何者かにハメられ、殺人事件の容疑者として逮捕されてしまう。自身は証拠不十分で釈放されるが、トランクに恋人の生首が入っていた車の持ち主である友人を救うため、林鼎は独自調査に乗り出す。しかしそれからスペインで中国人をターゲットにしたテロが起こり、彼の娘の林祖児は事件の目撃者としてテロ組織に狙われてしまう。林鼎は事件の真相を究明しながら、家族を守るためにテロ組織と対決することに。車のトランクに死体が入っていたトリック、船上という密室での毒殺事件の謎に挑む林鼎だったが、真相に近づくたびに死体が増え、犯罪の規模がますます大きくなる。そして一連の事件の真相を探ってたどり着いたのは、国を巻き込む恐るべき陰謀だった。
・ミステリー要素
本書はアクション小説であるとともにミステリー小説でもある。というより、出だしは完全にミステリー小説で、警察の検問で自動車のトランクを開けたら生首が入っていたという衝撃的な展開から始まる。それを実現させたトリックはややアンフェアに思えるのだが、その犯行を可能にする状況を書いたことを評価したい。
最初の殺人事件の犯人を追ううちに次々と死者が出て、敵がどんどん強大な存在だと気付き、最終的に一連の殺人事件はテロ組織が企てた計画の一つに過ぎないということが分かった時に本作のスケールのデカさが初めて明確になる。しかしミステリーは結局入り口に過ぎず、メインはやはりテロとの戦いだ。
・死線をくぐり抜けた男
主人公の林鼎は謎を解き明かす探偵とテロと戦うコマンドーの二役をこなせる超人。実は彼には人には言えない過去があり、そもそも中国人の彼がなぜスペインで暮らしているかと言うと、国を逃げてきたから。彼はもともと中国の田舎で家族と一緒に平穏に暮らしていたのだが、息子の死を毒殺と勘違いし、怒りに任せて被疑者を殺してしまう。それから蛇頭に頼んでモロッコに密航するも、そこで奴隷以下の扱いを受け、リアルサバイバルゲームのような殺し合いに無理やり参加させられ、そこからも命からがら逃げてスペインまでやって来た。そしてスペインで一財産築いた彼は、中国に残してきた妻子を呼び寄せ、難病の妻を入院させ、娘を現地の国際学校に入学させた。ここまでが本書で語られる彼の過去だ。
林鼎は人並み外れた頭脳と戦闘力を持っており、それが本作における難事件の捜査とテロとの戦いを可能にさせているが、正直な所、読み進めるほど林鼎に好感がなくなっていく。確かにコイツは探偵や戦士としては優秀なのだが、父親や夫的にはクズの部類に入るとしか思えなかったからだ。
そもそも、たとえ大切な息子の死に動転していたとは言え、勘違いで人を殺すのは論外だし、警察から逃げるために妻子置いて出て行くのはもってのほかだろう(妻子は林鼎のせいで地元で村八分の目に遭っていた)。国外へ逃げても妻子のことは忘れておらず、2人をスペインに呼ぶのだがここでもトラブルが起きる。林鼎にはスペインに内縁の妻ヨランダがいたのだ。
娘がテロ組織に狙われて行き場がなくなり、やむを得ずヨランダと一緒に暮らしている家に娘を連れて行く林鼎だったが、2人共会うなり「なんだこの女は!?」と敵意を剥き出しにする。ヨランダからすれば林祖児は林鼎が捨てた家族、林祖児からすればヨランダは父親の浮気相手、緊急事態だからと言って仲良くなれるはずがない。しかも娘は自分たちを置いて逃げた林鼎のことをよく思っておらず、家は一気に険悪に。
しかし林鼎はこの家庭不和に対して、喧嘩が起きれば仲裁するものの、根本的な解決を取ろうとしなければ、話し合いとかの場も設けようとせず、自分は連日事件の調査で家を開け、関係改善をほぼ林祖児とヨランダに丸投げする。その後、林祖児とヨランダは度重なる憎悪の果てに和解するのだが、林鼎が直接何かをしたわけではない。
林鼎の態度を見ていると、仕事(殺人事件の調査)にかまけて家庭をないがしろにする悪い父親にしか思えない。どうも彼は、経済力があって戦闘力がある強い父親、強い夫であれば、自分は何も言わずとも娘や妻は全てを察して付いてきてくれると思っているフシがある。
また、故郷で起こした殺人を「あれは事故だった」と反論しているのだが、読み返しても明確な殺意を持って「息子を毒殺した人物」に暴力を振るっているので、コイツ都合の悪いことには見ないふりするだけだなという確信を強めた。
・スペインを舞台にした『戦狼』
第6回島田荘司推理小説賞の一次選考通過作品。作者本人から本を送ってもらった。
法学部教授の方霧は25年前の妻子の自殺の真相と真犯人を偶然知る。しかし犯人の正体を知ったところで、時効はすでに成立しており、犯人に法の裁きを下すことは不可能だ。法律に人生を捧げた彼は、復讐のために信仰に背くか、それとも犯人を許すかの選択に苦しめられていた。
ある日、方霧の教え子の梁鈺晨が何者かに誘拐される。その誘拐事件の捜査チームの一人であり、方霧の元教え子である刑事の陳沐洋は、誘拐事件前後の方霧の行動に疑問を持ち、捜査チームの中で唯一方霧に疑惑の視線を向ける。しかしこの誘拐の身代金として犯人が提示したのは25万元(日本円で約400万円)で、大学教授の方霧が欲しがる額とも思えず、また方霧には動機が見当たらない。単独で捜査を続ける陳沐洋は、梁鈺晨の父親・梁果と方霧の思いも寄らない接点を発見する。果たして方霧が選んだのは復讐なのか、許しなのか。
この本、中盤まで作中人物より読者の方がより多くの情報を把握している構成になっている。裏表紙にあるあらすじに、方霧が妻子の死の真相を知ると書いているが、陳沐洋がその情報を掴むのはだいぶ先のことだし、他の刑事らはそもそも方霧を捜査対象にしていない。またもう一つ、読者はミステリー小説ではたいてい身代金目的の誘拐が成功しないことを知っているので、方霧が誘拐犯だとするとその目的は金以外だと容易に想像がつく。そして妻子の死が25年前のことなので、大学生の梁鈺晨が関係あるはずなく、ではその父親の梁果が妻子の死に関わっているのではないかという憶測まで簡単にたどり着く。
また犯人が法学部教授ということで、中国の法律の抜け穴を利用して合法的に復讐を果たす話なのかとも思ったが、一国の法律にそんな重大な瑕疵があるわけないので、法律の知識で方霧が刑事や読者より優位に立つこともない。
ではこの本の主題は何なのかというと、法学を追求した男が妻子のために法律を破って復讐を果たすのか、それとも「時効」という法律に従って犯人を許すのかという、彼の行動の真意を明らかにすることだ。
直接の証拠は提示されないが、作中では方霧犯人説はもう確定で、動機も明らかなので、あとはどうにかして方霧を吐かせるなり証拠を見つけるなりすれば良いのだが、捜査チームで唯一方霧が犯人だと確信している陳沐洋はスタンドプレーのせいでチームから外され、他の連中は方霧を疑っていないどころか、彼の過去すら調べていない始末だ。犯人の正体も動機も知ってもなお、この誘拐で犯人がやろうとしていることは何なのかという疑問を巡って物語が進む。事件に関する情報の大部分を読者にフェアに公開し、優秀な法学者を犯人にすることで犯罪を手段にしてその真の目的を隠すという構成の妙が光った。
また本作の探偵役が、法律に関しては融通が効かないがそれ以外は全然無頓着という独特な性格をしているのも新鮮だった。陳沐洋の友人で検察官の唐弦は、方霧以上に偏執的に法律や制度にこだわるからこそ、方霧の行動の矛盾の真意に気付く。有名教授の方霧に末端検察官の唐弦が戦いを挑むという独特な天才対天才の構図が描かれていた。
しかし本書には不満点もあり、例えば今どきビリー・ミリガンの話を持ってきて、方霧のもう一つの人格が事件を起こしたという可能性に誘導する必要はなかったのではないだろうか。
とはいえ全体的に良作で、法学者を犯人に据えて、動機も犯人像も全て提示してその犯罪の真意を推理するというテーマは今まであまり読んだことがなかったと思う。