第6回島田荘司推理小説賞の一次選考通過作品。作者本人から本を送ってもらった。
法学部教授の方霧は25年前の妻子の自殺の真相と真犯人を偶然知る。しかし犯人の正体を知ったところで、時効はすでに成立しており、犯人に法の裁きを下すことは不可能だ。法律に人生を捧げた彼は、復讐のために信仰に背くか、それとも犯人を許すかの選択に苦しめられていた。
ある日、方霧の教え子の梁鈺晨が何者かに誘拐される。その誘拐事件の捜査チームの一人であり、方霧の元教え子である刑事の陳沐洋は、誘拐事件前後の方霧の行動に疑問を持ち、捜査チームの中で唯一方霧に疑惑の視線を向ける。しかしこの誘拐の身代金として犯人が提示したのは25万元(日本円で約400万円)で、大学教授の方霧が欲しがる額とも思えず、また方霧には動機が見当たらない。単独で捜査を続ける陳沐洋は、梁鈺晨の父親・梁果と方霧の思いも寄らない接点を発見する。果たして方霧が選んだのは復讐なのか、許しなのか。
この本、中盤まで作中人物より読者の方がより多くの情報を把握している構成になっている。裏表紙にあるあらすじに、方霧が妻子の死の真相を知ると書いているが、陳沐洋がその情報を掴むのはだいぶ先のことだし、他の刑事らはそもそも方霧を捜査対象にしていない。またもう一つ、読者はミステリー小説ではたいてい身代金目的の誘拐が成功しないことを知っているので、方霧が誘拐犯だとするとその目的は金以外だと容易に想像がつく。そして妻子の死が25年前のことなので、大学生の梁鈺晨が関係あるはずなく、ではその父親の梁果が妻子の死に関わっているのではないかという憶測まで簡単にたどり着く。
また犯人が法学部教授ということで、中国の法律の抜け穴を利用して合法的に復讐を果たす話なのかとも思ったが、一国の法律にそんな重大な瑕疵があるわけないので、法律の知識で方霧が刑事や読者より優位に立つこともない。
ではこの本の主題は何なのかというと、法学を追求した男が妻子のために法律を破って復讐を果たすのか、それとも「時効」という法律に従って犯人を許すのかという、彼の行動の真意を明らかにすることだ。
直接の証拠は提示されないが、作中では方霧犯人説はもう確定で、動機も明らかなので、あとはどうにかして方霧を吐かせるなり証拠を見つけるなりすれば良いのだが、捜査チームで唯一方霧が犯人だと確信している陳沐洋はスタンドプレーのせいでチームから外され、他の連中は方霧を疑っていないどころか、彼の過去すら調べていない始末だ。犯人の正体も動機も知ってもなお、この誘拐で犯人がやろうとしていることは何なのかという疑問を巡って物語が進む。事件に関する情報の大部分を読者にフェアに公開し、優秀な法学者を犯人にすることで犯罪を手段にしてその真の目的を隠すという構成の妙が光った。
また本作の探偵役が、法律に関しては融通が効かないがそれ以外は全然無頓着という独特な性格をしているのも新鮮だった。陳沐洋の友人で検察官の唐弦は、方霧以上に偏執的に法律や制度にこだわるからこそ、方霧の行動の矛盾の真意に気付く。有名教授の方霧に末端検察官の唐弦が戦いを挑むという独特な天才対天才の構図が描かれていた。
しかし本書には不満点もあり、例えば今どきビリー・ミリガンの話を持ってきて、方霧のもう一つの人格が事件を起こしたという可能性に誘導する必要はなかったのではないだろうか。
とはいえ全体的に良作で、法学者を犯人に据えて、動機も犯人像も全て提示してその犯罪の真意を推理するというテーマは今まであまり読んだことがなかったと思う。