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プロフィール
HN:
栖鄭 椎(すてい しい)
年齢:
40
性別:
非公開
誕生日:
1983/06/25
職業:
契約社員
趣味:
ビルバク
自己紹介:
 24歳、独身。人形のルリと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。



副管理人 阿井幸作(あい こうさく)

 28歳、独身。北京に在住している、怪談とラヴクラフトが好きな元留学生・現社会人。中国で面白い小説(特に推理と怪奇)がないかと探しているが難航中。

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このブログは、友達なんかは作らずに変な本ばかり読んでいた二人による文芸的なブログです。      
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  本作はそもそも、2017年の第5回島田荘司推理小説賞に応募したところあえなく落選した作品らしい(ちなみにその時の受賞作は黑貓Cの『歐幾里得空間的殺人魔』)。志怪、つまり怪異について記した書物を読み解き、そこから論理的に真実を導くという内容で、ラストの犯人当てはまさにホームズ言うところの「全ての不可能を除外し、最後に残ったものがどれほど奇妙なことであってもそれが真実となる」という言葉通りとても奇妙で、色々受け入れがたい真実だった。



  ちなみに本書、中国ではとりわけ三津田信三を引き合いに出されて評価されているが、ネットショッピングサイトではバカの一つ覚えみたいに「中国版東野圭吾」と喧伝されている。東野圭吾に有名なホラーミステリーや民俗ミステリー作品があったかよ。

 

  民国十一年(1922年)の南京、博覧強記の大学講師・白澤は友人の医者・陶方璧(私)が偶然拾った手書きの志怪小説『修羅鬼誌』を読む。そこには約50年前の南京で実際に起こった五つの殺人事件の内情が事細かく記録されていた。それぞれの事件は現在でも化け物・修羅鬼の仕業とされているが、白澤はこの『修羅鬼誌』の作者こそが犯人であり、これは人間による犯行だとしてまだ解決されていない事件の謎を追う。しかし書物を何度読み、被害者の遺族や事件現場に当たっても犯人の手がかりは全くつかめない。そして5篇目の「苦厄寺皆殺し事件」の現場調査を経て、白澤はついに目に見えない犯人の姿を捉える。

 

  海外留学をしていて数カ国語を操れるだけじゃなく、中国国内の民俗や歴史にも造詣が深い白澤先生が探偵役となり、陶方璧とその双子の弟・陶方玉の2人と共に南京を歩き回る本書は、血生臭い未解決事件の解決がテーマとはいえ、読者が一息つけるようにご当地グルメや名所旧跡の紹介を合間合間に挟んでいるので、当時の南京の風情が味わえる叙情的な内容にもなっている。そもそも彼らが解決しようとしているのは50年前の未解決事件で、しかも誰かに依頼されたものでもなければ犯人に恨みを持っているわけでもないので、彼らにはあまり緊張感が感じられない。だからこそ3人が捜査の傍らにアヒルの血豆腐などのご当地グルメに舌鼓を打つ描写が印象に残り、事件と直接関係ない描写でも水増しとは思わない。

 

  しかし本筋の事件はどれも残酷だ。本書は途中途中に『修羅鬼誌』の小説が挟まれる作中作の構造になっており、それらはいずれも被害者の視点で描かれ、犯人とされる修羅鬼の正体は明らかにされない。そこで白澤先生が注目するのは、『修羅鬼誌』の中でも一番長く(中編小説ぐらいある)、修羅鬼最後の事件である「苦厄寺皆殺し事件」だ。ちなみにこの「苦厄寺皆殺し事件」、原文では「無人生還」事件となっているのだが、これはどう見てもアガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』の中国語タイトルのオマージュだ。密室の苦厄寺にいた僧侶ら9人が1人ずつ殺されて誰もいなくなるという事件なのだが、ここで白澤先生はなんとミステリー小説でおなじみの「クローズド・サークル」を例に出して犯人を絞る。白澤先生にとって舶来の探偵小説などすでにご存知なのだ。

 

  白澤先生が名探偵さながら当時の苦厄寺にいた人物が犯人である可能性を一つずつ潰していき、果ては透明人間説(10人目の存在)まで出した時、ついにこの本の歴史背景が生きてくる。白澤先生は「揚州の痩せ馬」(馬と書いているが実際は人間。馬と同じ扱いをされた奴隷女性)を例に取り、苦厄寺の中には人間なのに人間として数えられなかった存在がいたと指摘。そしてその存在は『修羅鬼誌』に何度も登場していると言う。


  実際の中国がどうだったかはともかくとして、本書はこの時代(『修羅鬼誌』が書かれた1800年代)の中国における人権意識や風習によって成立が許された犯人当てミステリー小説だと思う。事件の被害者も『修羅鬼誌』の読者の誰も彼を人間と見みなさなかったという悲しみの前に、本当にそんな人間が生存できたのか?というツッコミは無粋だろう。人権をテーマに、というかトリックにした中国歴史民俗ミステリーだった。
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