本書の設定が中国のSF・ミステリーの中では異色に見えたので、読んでいる途中でTwitterに、表紙がとっても文学的なのに、まさかゾンビの出現で世界が崩壊し、中国の杭州で生き残っている連中の一部がカルト宗教をつくり、そこで密室殺人が起きるという内容とは想像つかん、みたいなことを書いた。するとそのツイートが思いがけず伸び、現在までに350回以上RTされ、翻訳を希望する声も出た。
ツイートが伸びていくのを横目に読書を続けていたんだが、半分ぐらい読んだ段階で、もしTwitterの声を真に受けて日本語訳を考える出版社とかいたらどうしようって思った。そして読み終わった今、最初にツイートした時のような興奮はもう心にない。どうしてゾンビものとして最後まで終わらせてくれなかったんだ。
世界中の人々がゾンビ化し、各国政府が機能しなくなった世界。中国の杭州で生き残っていた界暁南は他の生存者の何莫、唐玄、蒙和平とともに物資を探している途中、ゾンビの大群に襲われている荘暁蝶らを助け、ホテルに逃げ込む。そこは四霊教という、世界崩壊後に生まれた邪教(カルト宗教)が根城としており、信者を密室に閉じ込めてゾンビ化させることで神に生贄として捧げるという儀式が定期的に行われていた。教祖の鄭宏穎という男は、もともと詐欺師だったという噂があるばかりか、荘暁蝶の仲間を密室で殺害したという疑いがあった。界暁南らは教団に入って協力する一方、鄭宏穎の殺人の証拠を探るが、彼らの動きはバレており、仲間が次々に生贄に選ばれて死んでしまう。生贄はどうして密室でゾンビになるのか、儀式でわざわざ信者を減らす鄭宏穎の目的は?そして界暁南らはこの世界の衝撃の真実を知ることになる。
中国では一般人が銃器を所持できないので、ゾンビが津波のように押し寄せてきたとしても銃撃で対応することはできない。本作には欧米のゾンビ映画やゾンビゲームのような展開はないが、そもそもゾンビの中で暮らしているというのに、作品全体の描写はとても静謐としていて、外部に対する緊張感というのもほとんど感じられない。主人公たちは早々にホテルという安寧の地を見つけ、しかもその近くに銭塘湖という大きな湖もあるから食料に困ることもなくなり、生存のチャンスが一気に跳ね上がる。そこで驚異となるのがホテルの内部に潜む殺人鬼というか、意図が分からない教祖の鄭宏穎の存在だ。本作の肝は結局、人間の方が怖いということになる。
しかしゾンビは単に行動を制限する障害物なだけではない。ストーリーの途中に挟まれる『ソンビ観察レポート』によってゾンビの生態や習性などが明らかになり、読者に「この設定を生かしてゾンビをトリックに使うんだな」と推測させる。そして、単純にゾンビを殺人に用いるではなく、被害者をゾンビにしてからが本番というトリックは確かに面白かった。しかし本作の本領が発揮されるのはここからだ。
詳しくはネタバレになるので言えないが、実はこの本、ゾンビものではなかった。ゾンビだと思われていた連中が実は……というのではなく、存在の足場が揺らぐのは界暁南たちの方だ。
もともと本書の帯に「廃土設定 科幻懸疑(荒廃した世界が舞台のSFサスペンス)」とあり、ゾンビが出ていることが「SF」なのか?と不思議に思っていたのだが、後半の展開を受けて「ああ、ここがSF要素なのね」とひどくガッカリさせられた。もしかしてSF要素を持たせて売り込みたかったのかと邪推すらしてしまう。
確かに唐突に界暁南たちのパラメータが表示される箇所があり、作者としてはフェアに伏線を張ってはいるわけだが、今までそこそこ物語を楽しんできた読者にとっては、後半の展開自体が読者に対する裏切りのように思えてならない。あの散々批判を受けた『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を見た人たちもおそらくこういう気持ちだったんだろうなぁと悟った。
作者が自分の創作物にどのようなオチをつけるのかは自由だが、この設定や展開を読んだ読者がどのような結末を期待するか、作者はきちんと思いを馳せてほしい。