没有奶奶們査不出的事児(おばあちゃんたちに探し出せないことはない)というタイトルだが、このおばあちゃんたちは元探偵というわけでもなく、どこにでもいる噂好きで世話好きの一般人だ。ストーリーは間違い電話から展開する謎解きだが、「日常の謎」に分類できるわけではなさそう。
李国珍の携帯電話には以前から間違い電話がかかってくる。どうやら彼女の携帯電話の番号は以前、「龔雪(きょうせつ)」という女性が使用していたものらしい。龔雪宛ての電話やショートメールが何度も来るので、李国珍は龔雪が友人たちに新しい番号も告げずに番号を変えたのではないかと考え、彼女の身に何かが起こったのではと心配する。そこで、高い洞察力を持つ向英と人を見る目がある解徳芳という2人の友達、近所に住む青年の劉振邦、そして失業したばかりの青年史達才と共に龔雪の行方を追うことを決意。
しかし実際に行動するのは3人のおばあちゃんではなく、彼女たちの命を受けた史達才と劉振邦。彼らは電話の向こうにいる龔雪の知人に話を聞きに行く中で、出会ったこともない龔雪の輪郭や彼女を取り巻く状況を徐々に明らかにしていく。
暇を持て余した3人のおばあちゃんが会ったこともない女性のことを心配して、彼女の知人から話を聞くというストーリー。しかしおばあちゃんたちは家から一歩も出ない。かと言って安楽椅子探偵のように頭が冴えているわけでもなく、怪しいと思う根拠は「勘」と来ていて、実際の推理は気弱な青年史達才によるものだ。『おばあちゃんたちに探し出せないことはない』というタイトルはやや羊頭狗肉の感がある。
また、この3人のおばあちゃんのキャラクターも書き分けられていないようだった。あらすじでは3人共特徴があるように書かれているが、本を読んでいると見分けがつかない。3人も必要だったのかという疑問以前に、これが病気で外に出られない子どもでも、忙しくて他のことに手が回らないオッサンでも誰でも良かったのではないかと思えてくる。
間違い電話から始まる謎というのは生活感に溢れているが、その電話の主にすぐ連絡が取れるというのは推理もへったくれもない。「龔雪」とは誰かという疑問は彼女の知人によってどこにいるのかという疑問にすぐに変わり、あとは関係者に聞き込んでいくだけだ。龔雪がみんなの前から消えた理由はけっこうサスペンス色強めだが、「100人いれば100通りの人生がある」程度にしか思えず、この本を読んでいて驚きというものは感じなかった。