「晩点五十八小時(58時間遅れ)」というタイトルの本書は、実際の2008年1月末に中国の南部で発生した豪雪により立ち往生となった列車が、58時間遅れで次の駅に着く間に車内で発生した殺人事件の解決までが描かれている。列車という密室のさらに個室で発生した「二重密室」の謎に、機械工学科出身の理系女子が挑む。
旧正月に広東の実家に列車で帰るはずだった葉青は、車内で偶然、山海大学の後輩の郭江南に再会する。聞けば、指導教官の文克己含む実験チーム一同、香港で開催されるフォーラムに参加するために列車に乗っているのだという。だがその夜、一人だけ個室を取っていた文克己が室内で死んでいるのが見つかる。死体には中毒死の症状が見られ、首には蛇に噛まれたらしい傷跡があったことから、毒蛇が死因だと疑われたが、飛行機と同様に手荷物検査が厳しい列車に毒蛇を持ち込むことは不可能だった。列車に乗り合わせていた葉青の叔父の鉄道公安官・李大鵬は、実験チームのメンバーを疑い一人ずつ話を聞くと、出発前、チームはとある「チップ」に関する取引を何者かに持ち掛けられていたことが分かった。そして大雪により停車してしまった列車のトイレで、今度は郭江南の死体が見つかる。首にはまたもや蛇が噛んだような傷跡があった。葉青は李大鵬らと共に車内を調べ、他の乗客に聞き込みをし、徐々に真相に近付いていくも、3人目の被害者が出てしまう……
実験チームに寄せられた、とあるチップの取引に関する手紙は冒頭で登場したので、てっきり事件の中核はこれを巡るものになるかと思いきや実はあまり関係ないので、殺害方法もそうだが動機すらも不明のまま物語の後半に突入するので、そう簡単に謎を明かさないぞという作者の自信が感じられた。
本書の最大のポイントは、2008年1月末に中国の南部で実際に発生した雪害を背景にしているところだろう。架空の土地や時間を創ったほうが楽だと思われるのに、敢えて10年以上前の現実を物語の舞台にしたことは、単にスマホ等のツールを出したかったわけではない。本作は(中で語られる設定が真実とするなら)、この時代のこの列車でなければ実現不可能なトリックを発表するために書かれたものであると言っていい。もう一つ、実現できるかどうかはさておき、強度のある釣り糸の使い方にも感心したし、その犯行を目撃したのが精神障害者で、証言の信憑性が低く、彼自身詳しく説明しようとしないという犯行の見せ方は上手いと思った。
そして最後に明かされる動機は現在でも十分殺人の動機足り得る内容であり、過去を舞台としていながらも、それに甘えることなく現代でも通じる問題を提起する余韻の残し方は見事だった。作者の歩錸にとって本書が初の長編ミステリーらしい。今まで新星出版社のミステリー畑以外の作家による作品は、どれも定石を外しすぎていて評価が低かったが、本書は次作も期待できる内容だった。