昨年、良質な社会派ミステリー『完美嫌疑人』でデビューした同作者のシリーズ2作目。
『完美嫌疑人』の主人公・鐘寧が引き続き登場しているが、本作の時間軸は1作目より前に当たり、刑事時代の若い鐘寧が法制度や警察組織の枠組みの中であがく姿が描かれる。ここには、保険金詐欺事件の犯人に同情して証拠を捏造したために、刑事を辞めてしまった鐘寧の原型がある。このシリーズがおそらく、法律に救われなかった社会の犠牲者に徐々に親身になってしまった鐘寧が刑事という職を失うラストに向かっていくのだと分かった。
星港市内で高齢者を狙った連続殺人事件が発生する。被害者の2人はネット上に、周囲に当たり散らす様子を隠し撮りした動画がアップされており、事件現場には「老人が悪くなった」というメッセージが残されていたことから、なんらかのパニッシャーがマナー知らずの老人を無差別に殺しているのではという疑いが湧く。ネットでは「悪人が老いたのか、老人が悪くなったのか」というタイトルのスレッドが盛り上がり、事態を重く見た警察上層部は一刻も早い事件の解決を現場に命じる。
優秀だが、悪を憎むがあまり容疑者を捕まえるためなら法律や証拠など不要と考える刑事の鐘寧は、陳孟琳という犯罪捜査専門家とともに捜査を開始。現場の遺留品には特殊な結び方をした紐があり、捜査線上に浮かんだ記者の趙清遠が同じ結び方をした荷物を持っていたことで、鐘寧は彼に狙いを定める。しかし秘密裡に行った荷物の確認時、紐は普通の結び方になっていた。まさか感づいた趙清遠が取り替えたとでもいうのだろうか。
そうこうするうちに同一犯による殺人事件がまたしても発生。だが趙清遠は全く尻尾を掴ませないどころか完璧なアリバイを持っており、鐘寧を除き、愛妻家でもある趙清遠を疑う人間は皆無。しかも罠のように現れた怪しい容疑者に他の刑事の目は釘付けになる。果たして鐘寧の推理は正しいのか。
前作『完美嫌疑人』は叙述ミステリーで、真意こそ隠しているものの作中で犯人だと最初から明言されている廖伯岩と鐘寧の知恵比べが描かれている。本作『無形之刃』の犯人趙清遠は廖伯岩以上に底知れない不気味があり、彼の意志が明らかになればなるほど嫌悪を覚えるキャラクターだ。交通事故に遭って車椅子生活を送る妻の呉静思の身の回りの世話をするだけではなく、併発した合併症の薬代も稼ぐ趙清遠は非の打ち所がない良き夫に見える。
しかし捜査によって呉静思に対する趙清遠の執着心が徐々に明らかになり、やべぇストーカーなんじゃないかと読者も思うようになる。そして進行中の連続殺人事件の被害者が、当時の呉静思の交通事故の関係者だと分かり、いよいよ趙清遠が妻への愛のために復讐をしているという疑惑が確信に変わる。
だが前作同様、本作もラスト数十ページにどんでん返しが仕掛けられている。そう、2作続けて叙述トリックだ。実は本作を読んでいる時ずっと、作者は2作目にしてもう「面白い小説の書き方」を身に着けていて、「こう書けば受けるだろう」という一定の確信に基づいて書いているんじゃないかと疑っていた。要するに、手慣れた感じがして中盤ぐらいですっかり冷めてしまっていたのだ。
冒頭に出てきたいわゆる「キレる高齢者」問題は本作のテーマなどではなく、テーマ自体がミスリードとして使われた。だからか、前半と後半でつながりが薄いように感じた。キャッチーなテーマをいたずらに消化しただけに見える。
また、確かにどんでん返し自体は衝撃的だったとは言え、何もネタバレを見ていないのにどんでん返しだと予想付く作品は叙述ミステリーとして失敗じゃないだろうか。
このシリーズ、来年に3作目が出るだろうが、それもどんでん返しがあるんじゃないかとすでに恐怖している。
しかし前作と大きく異なるポイントもあり、アリバイの作り方がとても本格ミステリー的だった。例えば、死体が湖の水でびしょ濡れだからと言って、湖に沈められて死んだとは限らないわけで、湖から汲んできたバケツの水をぶっかければ、湖から上がった死体の出来上がりだ。アリバイトリックの箇所だけ、サスペンス小説ではなく本格ミステリー小説になっていた。もしかしたらこの作者、本格ものもいけるんだろうか。
面白かったのは間違いないが、作者に手玉に取られているようで素直に褒める気にはまだなれない。
没有奶奶們査不出的事児(おばあちゃんたちに探し出せないことはない)というタイトルだが、このおばあちゃんたちは元探偵というわけでもなく、どこにでもいる噂好きで世話好きの一般人だ。ストーリーは間違い電話から展開する謎解きだが、「日常の謎」に分類できるわけではなさそう。
李国珍の携帯電話には以前から間違い電話がかかってくる。どうやら彼女の携帯電話の番号は以前、「龔雪(きょうせつ)」という女性が使用していたものらしい。龔雪宛ての電話やショートメールが何度も来るので、李国珍は龔雪が友人たちに新しい番号も告げずに番号を変えたのではないかと考え、彼女の身に何かが起こったのではと心配する。そこで、高い洞察力を持つ向英と人を見る目がある解徳芳という2人の友達、近所に住む青年の劉振邦、そして失業したばかりの青年史達才と共に龔雪の行方を追うことを決意。
しかし実際に行動するのは3人のおばあちゃんではなく、彼女たちの命を受けた史達才と劉振邦。彼らは電話の向こうにいる龔雪の知人に話を聞きに行く中で、出会ったこともない龔雪の輪郭や彼女を取り巻く状況を徐々に明らかにしていく。
暇を持て余した3人のおばあちゃんが会ったこともない女性のことを心配して、彼女の知人から話を聞くというストーリー。しかしおばあちゃんたちは家から一歩も出ない。かと言って安楽椅子探偵のように頭が冴えているわけでもなく、怪しいと思う根拠は「勘」と来ていて、実際の推理は気弱な青年史達才によるものだ。『おばあちゃんたちに探し出せないことはない』というタイトルはやや羊頭狗肉の感がある。
また、この3人のおばあちゃんのキャラクターも書き分けられていないようだった。あらすじでは3人共特徴があるように書かれているが、本を読んでいると見分けがつかない。3人も必要だったのかという疑問以前に、これが病気で外に出られない子どもでも、忙しくて他のことに手が回らないオッサンでも誰でも良かったのではないかと思えてくる。
間違い電話から始まる謎というのは生活感に溢れているが、その電話の主にすぐ連絡が取れるというのは推理もへったくれもない。「龔雪」とは誰かという疑問は彼女の知人によってどこにいるのかという疑問にすぐに変わり、あとは関係者に聞き込んでいくだけだ。龔雪がみんなの前から消えた理由はけっこうサスペンス色強めだが、「100人いれば100通りの人生がある」程度にしか思えず、この本を読んでいて驚きというものは感じなかった。
近未来SFミステリー。と言ってもSF小説っぽさは全然なく、現代と特に変わりない現実と地続きの風景が描かれる。これがラストのオチを唐突と思うかどうか、評価が分かれるところだと思う。AIでホームズをつくるぞ、という夢みたいな計画も今の中国ではかなり現実味がある。
「受限定理」(制限付き定理)というスマート機器に応用する定理の発明によってAI革命が起き、「強いAI」時代が訪れ、AIが事件を捜査するまでになった。しかし「受限定理」は文字通り制限があって、例えば警察が使用するスマート推理機器はスマート機器が関わる事件を捜査することができなかった。
ハイテク企業の研究所で奇妙な死亡事故が起きる。そこではシャーロック・ホームズをAIの力で現実に蘇らせようとするプロジェクトが進んでおり、被害者はその中心人物だった。研究所内のホームズ博物館で亡くなっていた科学者の凌舟は、ナポレオン像で瓶が割れるという自分が設計した仕掛けにより、瓶内の幻覚剤を吸って死んでいた。事件と事故両方の可能性があるが、研究所にホームズ機械化反対協会から脅迫状が届いていたことから他殺の線が強い。関係者からの聞き込みによって、所内に産業スパイがいること、凌舟が生前、「受限定理」の制限を打ち破る新たな定理の証明に心血を注いでいたことが明らかになる。さらに凌舟のパソコンからは、ホームズ機械化計画に関する重要なデータがごっそり削除され、すでに実現化されていたロボットホームズからも大量のデータが失われていた。何者かの影が見え隠れする中、今度は所内で密室殺人事件が起きる。
ホームズに実際に事件を捜査してもらったら……とはホームズ好きなら一度は考えた妄想だろう。金も技術力もある中国のハイテク企業がホームズのAIを開発するという話は、現実にありそうだ。
だがこの世界のAIには「受限定理」という制限がついており、それによって社会は発展したわけだが、AI時代なのにAIが関係している事件をスマート推理機器は捜査できないという矛盾があり、それはホームズAIにも当てはまることで、この定理がある限り、ホームズAIができたところで全ての事件を解決できるわけではなかった。だからこそ、「AIに仕事を奪われる」ということは警察では起こり得ない。それに、本作でホームズAIを創るのは警察の捜査に協力するのが目的ではなく、これまでのホームズ学で謎のままになっているホームズにまつわる数々の疑問ーー彼の少年時代、彼の人となり、ワトソンへの思いなど読者が知りたかったことに答えを出すためだ。
その定理を覆すために研究していた科学者がどうしてホームズ博物館の中で奇妙な死に方をしていたのか。どうして展示品の瓶の中に本物の幻覚剤が入っていたのか。なぜ捜査をミスリードさせるような証拠の数々が発見されたのか。ホームズAI関係のデータはなぜ削除されたのか、などの一連の疑問を一つにつないだとき、犯人像がかすかに浮かび上がってくる。
そこに今度は正真正銘の殺人事件、しかも密室殺人事件が起きる。そしてその事件の犯人はなんとも新時代的だ。確かにAIが捜査をする世界なのだから、「そういう存在」もありだろうがちょっとヒントが少なすぎじゃないかと思った。
作中に、シャーロック・ホームズやワトソンは実在の人物だと主張するシャーロキアンが出てくる。ホームズを創るということはワトソンを創るということなのだ、という彼の言葉が印象的だ。ホームズ全集を基に生み出されたAIはその物語に登場するキャラクターになることが可能だ。ホームズと一心同体のワトソンが生まれるのなら、表裏一体の存在もまた出てくるかもしれないのだ。
昨年、QED長編推理小説賞を受賞した『堕落巷不堕落』が『放学後的小巷』(放課後の路地)というタイトルになって出版。長編推理小説というジャンルで評価された本作は実は連作短編集であり、最後の作品を読むことで一篇の長編小説になるという仕掛けが取られている。
物語は、ゲーセンやおでん屋などたくさんの誘惑があるせいで「堕落巷」の名で呼ばれる路地を中心に、阿礼と言う作者の分身のような少年が友人たちにまつわる事件とも言えない日常的な謎の真相を探るという内容。いわゆる日常ミステリーだが、どの謎もこれでもかってほど事件性がない。一例を挙げると、収録一作目の「不加香菜」(香菜抜き)は「豆腐脳」(豆腐の五目あんかけ。街中で小さなカップに入れて売られ、朝飯などに食べる)に「香菜」(パクチー)。が入っていなかったのは何故だ……という本当にしょうもない内容だ。しかしそのしょうもなさにの中に友達の身を案じる友情が隠れているので、単なる探偵の真似事で終わっていない。
ちなみにどういう内容かというと、阿礼が大の香菜好きの友人Aらと3人でおやつ代わりに豆腐脳を買うが、3つとも香菜が入っていなかったという話だ。豆腐脳には普通、ネギと香菜は入っているもので、「香菜抜き」を注文しない限りそれはないが、これを頼んだのは香菜好きの友人Aだ。しかしおそらく友人Aはなぜか一つだけ香菜抜きにしようとしたところ、店員が面倒臭がって3つ全部香菜を入れなかったのだと阿礼は考える。これだけなら単に「その日の気分」で片付いてしまうが、阿礼は香菜が入っていなかった理由から友人Aがどうして香菜抜きを頼んだのかという謎に考えを進め、友人Aの最近の行動を思い返して彼の家庭と何か関係があるのではと悟る。
万事こんな感じで、阿礼は主に友達の隠し事を推理するが、各短編作品にはそれぞれ雑音があり、どれもスマートに終わらない。阿礼が来たことのない店に以前来たことになっていたり、本屋の本の並べ方が不規則だったり、矛盾や不審点を残したまま次の話に行く。それら数々の明らかな伏線は最終話で種明かしされ、作品を根底から覆す真相が明かされるが、本当のどんでん返しはあとがきにある。
QED長編推理小説賞受賞のあいさつから始まり、若竹七海の『僕のミステリな日常』やら三津田信三の『作者不詳』やらの話をしていて一見普通のあとがきなのだが、作者の自己紹介から途端に不穏になり、実はあとがきも物語の一部だということが分かる。
本書を読んでいる時、これが青春ミステリーだとは全く思わなかった。中学、高校生が出ているだけでは青春小説と言えないからであり、また主人公阿礼の探偵役特有の老成した態度にも原因がある。青春小説とは喪失が必要であり、各作品の登場人物はそれぞれ家庭や交友関係に問題を抱えていて何かを失うが、対象的に主人公である阿礼は直接悲しいことが起こらない。毎話、彼は物語の中央にいるが、中心点にはいない。青春とは遠くから眺めた時に確認できるものであり、作品の中で世界を俯瞰できる阿礼がいる限り、読者は青春を感じ取れない。
最終話までは阿礼が友人たちのために彼らの周りを動いているだけだが、あとがきで青春をとっくに過ぎ去った大人たちが当時を回想して阿礼のために動き、ついに阿礼が中心になる。その時、時間が逆流し、視点が逆転し、第一話から実際は阿礼が友達を見ていたのではなく、友達から見た阿礼の活躍が描かれていたことが明かされる。これが青春じゃなくてなんなのだ。
本の1ページ目に「本作には一卵性双生児が出ます」と注意書きしておいて、速攻で二人とも殺す気の早いミステリー小説。クラシック音楽の知識が頭の先から尻尾までふんだんに盛り込まれていて、冒頭から作中に登場する音楽家の注釈に辟易したが、読み進めていくと本書が単なる衒学趣味なミステリーなどではないことにすぐに気付く。実は本書が徹頭徹尾重視しているのは、論理的思考で繰り出される推理の数々だ。謎を追っては推理を重ね、矛盾の穴を埋めては論理を突き詰めていく本書は、中国のレビューサイト豆瓣で何人もがエラリー・クイーンを引き合いに出してレビューしていた。
天才音楽家の沈沢峙は友人の女性記者・肖晴の仕事の付き添いで、世界的に有名な作曲家・祁従未の演奏会に行く。祁従未には瓜二つの双子の弟・祁申従がおり、彼はヴァイオリニストとして兄と同じ楽団に所属し、演奏会当日にも服装が違えど同じ顔の2人が会場にいた。しかし演奏会の後半、客席に祁従未の姿はなく、舞台にも祁申従が座っていたはずの席には別のヴァイオリニストがいる。そこに通報を受けた警察がやって来て、控室から祁従未と祁申従の死体が見つかる。容疑者は楽団と観客全員。さらに厄介なことに、祁従未の妻の周韻涵によると、双子は演奏会最後の挨拶の時に「入れ替わり」をし、祁申従が兄のふりをして観客の前に姿を現すいたずらを計画していたらしい。そのいたずらがすでに実行されていたとしたら、彼らはいつ頃入れ替わったのか、当日目撃された祁従未は本当に祁従未なのか、そして2人の死体を服装で判断していいのか。沈沢峙は演奏会で覚えた違和感や関係者各人の証言の矛盾を手掛かりに双子殺害事件の謎に挑む。
・探偵の味方ばかりではない関係者
長編ミステリーだが、序盤に双子が二人死んで以降死者は出ないし、事件当日に解決されるわけではない。単に人二人が死んだのではなく、瓜二つの双子がほぼ同時に殺されたのが事件を複雑極まりないものにしている。
祁従未と祁申従は外見どころか指紋やDNAまで同一というクリソツぶりで、外見上の唯一の違いは、祁従未の妻の周韻涵が提供したお尻のホクロの有無のみ。だから彼らを外見・科学的に見分けることはほぼ不可能で、むしろ会話や印象の方が確実に分かる。
本作で提示される謎はわりとシンプルで、死体を使った見立て殺人やとんでもなく大掛かりなトリックが使われているわけでもない。VIPルームの控室に双子の死体があり、服装から判断するに床には祁申従が倒れ、ラックには祁未従が入れられており、ポットにお湯が入っていたことから犯人は知人であると思われ、またトイレに水がこぼれているのは犯人の仕業であると思われる。単純そうに見える事件が思うように解決しないのは、現場に防犯カメラがなかったこと以上に、警察等が集めた証拠だけでは真犯人にたどり着けないからだ。
ここでようやく活躍するのが音楽探偵と言われる沈沢峙だ。当日の演奏会にいくつかの違和感を持っている彼は、それらが単なる演奏ミスではなくて事件と何らかの関係がある手掛かりだと考え、独自で証拠を集めて再度関係者に事情を聞いていってようやく本当のことを知る。脅したり透かしたりしないと証人が本当のことを話してくれないのだ。彼・彼女らが提供してくれた情報は果たして善意の真実か否かという問題は最後までつきまとう。
・男尊女卑の音楽界にメス?
本作の重要人物祁未従は言動のせいでかなり恨みを買っている。彼は「音楽に女はいらない」と言ってはばからないほどの女性差別主義者であり、その立場を利用して楽団内の女性メンバーを強姦してきたというクズなのだが、彼のスキャンダルが公になることはなかった。しかし今回の事件で双子が入れ替わりを企んでいたという話が浮上した結果、祁未従と祁申従はもっと昔から頻繁に入れ替わりを行っていたという線が出てきて、女性差別的な言動はともかく、女性メンバーを強姦していたのは祁未従の振りをした弟の祁申従なのではという可能性が高くなる。こうなってくると容疑者がまた増え、被害者である肉親の祁未従すらも弟殺害の容疑者に上げられる。なにせ、自分そっくりの姿の奴が自分の名を借りて女を強姦しているのだから、自己保身しか考えない人間でもいつか自分の身が破滅するという最悪のケースに思い至るだろう。今回の事件は、兄が弟を殺した後に、他の何者かに殺されたのではないか……
そして歳を重ねるごとにますます似てきた(祁申従が祁未従に似せてきた)双子の入れ替わりの話を聞くと、周韻涵の話す「夫」とは本当に祁未従のことなのか…という疑問が浮かぶ。四十を過ぎた双子のオッサンのいたずらの代償はあまりに大きい。
さて本作は女性差別主義者の祁未従の言動がテーマの一つになっていて、沈沢峙はそんな人間が作曲した曲など聞く価値がないと言い捨て、女性記者・肖晴はインタビューで差別的な言動を投げかけられ、更には祁未従(祁申従)に暴行された楽団メンバーも出る。しかし祁未従がすでに死んでしまっているので、沈沢峙との舌戦が繰り広げられるわけではない。ラストで分かるのだが、本作で描かれるのは中国における「#Metoo」運動のきっかけに過ぎず、架空の女性差別者を登場させてバキバキぶん殴る作品ではない。ここが、ミステリー作品としてちょうどいい塩梅なのか、女性差別を扱ってるわりに物足りないと感じるかは人それぞれだろう。自分は後者だった。
・犯人の正体以上の謎
終盤の沈沢峙の推理ラッシュは、読んでいてかなり体力を要した。トリックも犯人も分かったいま、沈沢峙が気にするのは、そもそも当日に双子は入れ替わっていたのか、そして入れ替わっていた場合どのような行動を取るのかという疑問であり、考えれば考えるほどに彼ら二人の行動は第三者の影響を受けていると思わざるを得ない。確実な物的証拠はないが、常識的に考えるとおかしくないかという証拠の数々を提示して推理を重ねていき、ついに真犯人を導き出す。真犯人の正体自体は想像の域を出ないものだが、膨大な証拠と論理を積み重ねて双子の入れ替わりトリックの有無という単純な疑問の結論を導き出した手法は、まるで豊富な歴史資料を読み込んで山程注釈をつけた論文を読んでいるような読み応えだった。