ふざけたタイトルをしているが、現在の台湾の軍事情勢もうかがい知れるスパイ小説風のミステリー小説だ。
刑事局の暴力団犯罪取締科に所属する老伍は、退職まで12日というところに次々と死亡事件に対応することになる。自殺に見せ掛けた海軍軍人の他殺体、陸軍将校の銃殺死体が発見し、国防部が絡んだ事件を退職前に解決しなければいけなくなった老伍にさらなるプレッシャーが襲う。イタリアのローマで、台湾の政府要人が射殺されたというのである。捜査を進める中で老伍は、台湾政府の軍事機密と台湾に古くから暗躍する秘密組織の存在に迫る。イタリアを含む欧州各地を逃亡する台湾人スナイパーと、台湾で愚直に捜査を進める老刑事が真実に辿り着くまでを描いた、ハードボイルド小説。
「炒飯狙撃手」とは炒飯を武器にして敵を射殺するスナイパーのことではない。台湾軍に所属していたスナイパーで、除隊後にイタリアで炒飯屋を営んでいた小艾(本名・艾礼)はある人物の狙撃を頼まれる。しかし彼がイタリアで射殺したのは、台湾の総統府戦略顧問の周協和であり、彼を暗殺するために差し向けられた刺客は、かつての戦友・陳立志だった。小艾は、自身が何者かにハメられたと考え、欧州を渡り歩きながら手がかりを探す。
一方老伍は、自殺に見せ掛けて殺された郭忠為と陳立志の体に、甲骨文字の「家」という入れ墨があることから、2人には何か共通点があると考え、過去を探る。すると、小艾も含む彼らは元孤児で、超法規的な形である人物の養子になっていたことが分かる。実は彼らは台湾に古くから伝わる、疑似家族的秘密結社のメンバーだったのだ。家族のような秘密組織と聞くと、マフィアを連想するが、本作に登場する組織は歴史の影に隠れているが非合法組織というわけではない。孤児の段階から組織の一員に育て上げるから、まるで忍者だ。作中では、「武侠小説に出てくるみたいだ」と形容されている。
物語は台湾の老伍とイタリアの小艾の2人を主人公にして進む。しかし、捜査によってどんどん謎が明らかになっていく老伍側と異なり、小艾側は彼自身の経歴すら謎に包まれたかのように曖昧だ。誰が味方なのかも分からず、確信もなく外国を渡り歩く描写はまるで霧の中を歩いているかのように獏としている。そこから徐々に明かされるのが、台湾の軍事利権という現実的な問題もあれば、孤児を引き取って命令に忠実な軍人に育て上げるという仰天の秘密組織まで出てくるのだから、話のスケールは大きく、底が深く、また歴史的長さも感じさせる。
本書のメインテーマは「家」だ。小艾たちは、自身の体に文字として刻んでいる「家」を大事にしており、その秘密組織には血の繋がりがないが、一般の家庭や組織以上の掟が存在する。老伍も、家に帰れば家庭の問題に悩まされ、家の一員であることを嫌でも気にしなければならない。被害者にも家族がおり、老伍は捜査に協力させるために彼らの警戒心を解かなければならない。
冒頭では、親の葬式を挙げずに年金を不正受給する事件が登場する。これは「炒飯狙撃手」の事件と直接関係はないが、「家」というテーマに密接に関係しており、作品のテーマを一つにまとめるために回収するべき伏線になっていた。
老伍の退職までのタイムリミットも解決に一役買っていて、カウントダウンが始まる頃になると老伍もなりふり構わなくなり、大学生の息子を事件に巻き込み、台湾軍のシステムにハッキングさせたりする。この凄腕ハッカーの息子が万能過ぎてご都合主義的だったが、重要機関のシステムに入り込めちゃう「緩い」空気感は気に入った。
表題に「炒飯」とあるだけあって、出てくる料理もまぁまぁ美味そう。具が卵とネギのみの卵炒飯もそうだが、サンドイッチ、豆乳、肉まん、麺など、台湾人の慣れ親しんだ料理の数々が登場する。味に対する描写は特にないが、老伍らが仕事の合間や仕事中にそれらを食べている様子を読むと、刑事モノ小説という雰囲気が感じられて、アイテムを上手に使っている感じがする。
軍事利権問題と土着の秘密組織を中心にした本書は、全体的に台湾の湿り気を感じさせてくれた。
『天涯双探』のシリーズ2作目。
1作目のレビュー。
1作目を読み終わった時に評価を保留していたが、2作目を読んだ結果、「この本を推理小説というカテゴリに入れて読んではいけない」と再確認した。
宋代末期。豪商の息子夏乾は、雪に囲まれた小さな山村への停留を余儀なくされる。呉村という名前のその村には、5人の兄弟が次々に死んでいく様子を歌った不吉な童謡が伝わっていた。夏乾らにその童謡を歌った孟婆婆が崖から転落して死に、聾者の絹雲もなにかの獣に食い殺されたかのような死体で見つかる。童謡の内容になぞらえたかのような不審な死が続く中、夏乾は死んだはずの絹雲の姿を見かける。夏乾の窮地を救うために村にやってきた易厢泉は村に隠された秘密を暴く。
クックロビンめいた童謡が伝わる村で、その童謡をなぞらえた怪死が次々に起こるという、ミステリー小説としてはコテコテの内容だ。5人兄弟の童謡は明らかにアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を意識して創られており、雪で閉ざされた村という舞台設定もよくあるパターンで、しかも双子まで登場する。典型的なミステリー小説を踏襲しようという作者の気持ちがよく出ている作品のはずなのに、どうも上手くハマれなかった。
その原因は、本作が時代小説を骨子にした推理小説ではなく、推理小説の要素を入れた時代小説であるためであり、作者が見せたい物が、私の求めている物と違うという点にある。
ネタバレになるが、本作には「狼男」と呼ばれる知的障害者が出てくる。この「狼男」をかくまっていたのが彼の妹である絹雲であり、彼女は双子という特徴を利用して、村のほかの人間に気付かれないように、片方が家の中で「狼男」の世話をし、もう片方は村人と交流していた。つまり、絹雲を殺したのは「狼男」であり、夏乾が見た死んだはずの絹雲とは彼女の双子の姉妹だったのである。
この「狼男」の存在によって、物語の重点は殺人犯を推理することから、「狼男」の恐怖から逃れることに移行する。雪で閉ざされ身動きが取れない村に殺人鬼がいることがミステリー小説における恐怖のはずだが、「狼男」という論理も言葉も通用しない存在が村を徘徊しているというホラームービー的展開になってしまうのだ。そして、「狼男」はなんと今まで物語に登場していない(はずの)侠客に殺されるのである。しかもその侠客の正体は不明だ。
前作『青衣奇盗』では、青衣奇盗と呼ばれる盗賊の正体は明かされなかった。また、青衣奇盗が盗みを働く原動力だった野望こそ大きいにせよ、結局達成されないものだから期待外れの展開だった。この作家はおそらく、謎を解いて伏線を回収することよりも、謎を出して風呂敷を広げることが好きなのだろう。それ自体は結構なのだが、本来明かすべき謎を明かさず、終盤に謎をねじ込んでくる姿勢は読者に対して不親切だ。
青衣奇盗もこの侠客も3巻以降に出てくるのかもしれないが、もう買わないだろう。
中国北宋末期を舞台にしたミステリー小説。池上遼一風の表紙が目印だ。
政治が腐敗し、犯罪が多発した北宋末期に「青衣奇盗」と呼ばれる盗賊が暗躍していた。名前の通り、青い服を着た盗賊で、3年間で14回も犯行を行い、かつては400人の兵士が捜査に充られたことがあったが、捕まったことは一度もなかった。そして、どのような警備も掻い潜って盗みを働くわりに、盗む代物が指ぬきとか鼎とかそれほど高価な骨董品ではないということが不思議がられていた。そして、青衣奇盗の次なる犯行予告が届き、揚州の庸城に保管されているサイの角製のお箸が狙われていることが分かる。事件解決の命を受けた易者の易厢泉(表紙で白い服の男)と、事件に興味を持った豪農夏家の放蕩息子の夏乾(表紙で青い服の男)は青衣奇盗の対策を練る。
表紙には「3ページ読んだらハマる!」と書いてあるが、中盤までかなり冗長な展開で読んでいて飽きた。何しろ、ターゲットとされているお箸は作中でも言われている通り大した価値がないのだ。一応、サイの角製で、細工が施されていて、長年砂糖水に漬け込んでいたため舐めると甘い味がするという伝説があるが、それでも秘宝珍宝の類とは程遠いそうだ。だから、盗まれるかどうかというのは実際はメンツの問題に過ぎないので、読者にはその危機感がいまいち伝わらない。
更に、易厢泉が立てた対策というのが、そのお箸とそっくりのお箸を何百膳も用意するっていうまさかの物量作戦。それに対する青衣奇盗の行動も、大量のアリを使って甘いお箸を探させるとかだから、まるで児童向けのミステリー小説のようだ。このアリを使ったお箸の判別はすぐにフェイクということが明らかにされ、混乱に乗じるのが真の目的だったことが分かるが、一連の流れは単なる子供だましにしか見えない。
終盤、青衣奇盗が価値のない骨董品ばかり盗む理由が明かされるが、結局お箸は盗まれていないので青衣奇盗の真の目的は達成されない。犯人側に驚くべき狙いがあるのなら、その狙いを途中で主人公らに知らせることで、読者も彼らの奮闘ぶりを楽しみ、いくらかの満足感を得られるだろう。終盤で「犯人には実はこんな目的があったんだけど、未然に防いでいたぜ」と言われたところで、読者は肩透かしを食らうだけだ。
本作はネット小説で、すでに2巻が刊行されている。2巻は童謡の内容に見立てて殺人事件が起きるらしい。出版社から送ってもらったんでとりあえず読もうか。
中国唐代に実在した政治家の狄仁傑(ディー判事)を主人公にした歴史ミステリー小説。
朝廷から使者として甘州(現在の甘粛省)の張掖に派遣された狄仁傑とその部下たちは手厚い歓迎を受けるが、数々の殺人事件とも遭遇する。毒殺された豪商の李天峰、宝相寺で焼死体となって発見された15人の楽団員、首を締められ刺し殺された楽団長の羅什などなど。事件の背後には木巫女という謎の女性の影が見え隠れする。事件の捜査を進める狄仁傑は、数々の事件の背後に、甘州と朝廷を揺るがす陰謀が隠されていることを知る。
狄仁傑は実際の権力を持つ探偵であり、彼の捜査には障害というものがほとんどない。会おうと思えばどんな有力者にも会えるし、彼らを容疑者として扱うことも可能だし、尋問された相手は狄仁傑の威光にビビってしまって口を閉じ続けることが不可能になる。常に水戸黄門の印籠をかざしているような捜査は本当にお手軽で、煩雑な手続きを省いて一種のスピード感が出ているおかげで、殺人事件や集団失踪事件があっという間に国家の存亡がかかった事件にまで進展することができる。そして、舞台は古代とは言え、書き手は現代の人間だから、狄仁傑らが科学的捜査を軽んじることはないし、迷信の類を証拠として採用することもない。木巫女という神秘的な女性も、薬物・毒物の知識を持ち、占いを行って商売をする人間ではあるが、本作では狄仁傑と同等の知識や理性を持つ人間として物語の裏で活躍する。
しかし、唐とか宋とか古代王朝を舞台にしたミステリー小説には国家転覆や朝廷滅亡の危機がよく描かれるのはなぜだろう。異民族の驚異があった時代を舞台にし、朝廷の中枢近くで生きていた人間を主役に据える以上、侵略の心配を描かなければ逆に不自然ということだろうか。例えば、「清明上河図」という絵巻に描かれている800人以上の人物全てに名前とストーリーを与えて、大河ミステリー小説として完成されようとしている『清明上河図密碼(コード)』なんかは、舞台が北宋末期だから物語の端々から不穏な空気がにじみ出ている。ここに登場する大勢の人間が皆一様に「滅亡」の道を歩いているのだと理解できるのは、後世に生きる人間の特権的贅沢なんだろうか。
宋代を舞台にした『清明上河図密碼』や、唐代を舞台にした『大唐懸疑録』など、古代王朝を舞台にしたミステリー作品はだいたいシリーズ物で1冊が分厚くて読むのに根気を要する。それらに比べると本作はだいぶ気楽に読めるので、中国の歴史ミステリーの入門書に良いかもしれない。
中国のネット小説サイト「火星小説」に連載されている、中華民国時代の江寧(南京)を舞台にした探偵小説。ちなみに著者の江寧婆婆は、「婆婆(お婆さん)」という名前を付けているが男性で、実は江蘇省南京市公安局江寧分局のインターネットセキュリティ大隊の副大隊長というれっきとした警察官だ。中国のSNS「微博」では「江寧公安オンライン」というアカウントを運営しており、彼自身の「百度百科」(ウィキペディアみたいなもの)もあり、「史上最愛売萌的警察叔叔(史上最も可愛い警察のオジサン)」として有名人らしい。
中国では、サスペンス小説家が公安関係者ということは珍しくなく、例えば「法医(監察医)秦明」シリーズで有名な作家の秦明は自身が監察医である。だが、インターネットが専門であるはずの江寧婆婆は、作品の舞台を現代ではなく民国時代にし、懐古風の探偵冒険小説を書いた。専門より趣味に走って作品を書く公安関係者は珍しいのではないだろうか。
民国17年、江寧の「李英雄探偵事務所」で働く探偵の王江寧は、ある事件の捜査で大量のアヘンを発見したことで、「鴟吻」(しふん。シャチホコのような姿をした空想上の動物)の入れ墨を持つメンバーが所属する「保皇党」という謎の組織の存在を知る。警察の捜査に協力する金陵大学教授の梅檀、王江寧の行く先々で出会う道士の呂冲元らとともに、清朝再興をもくろむ「保皇党」の陰謀を阻止するため、彼らは時には山賊の住処へ、時には数百年間外界と隔絶された隠れ里へ行き、数々の事件を解決する。
本書の特徴は各キャラクターのイラストがついている他、ページの要所要所に挿絵がある点だろう。本自体は一般の単行本サイズだが、形態としてはライトノベルだ。イラストがあるのでキャラクターの性格を掴みやすい。
王江寧
『TIGER & BUNNY』の虎徹みたいな外見。性格も虎徹っぽく、正義感にあふれ、喧嘩っ早い性格だが、優れた洞察力を持つ優秀な探偵で、作中のほとんどの事件を解決している。
梅檀
本に毒舌教授と書かれており、王江寧にのみちょっと辛辣なことを言う。知的メガネ、クール系、毒舌、スーツという「要素」を詰め込んだキャラ。
呂冲元
本には「正太(ショタ)道士」として書かれているが、せいぜい17、8歳ぐらいにしか見えない。日本から中国に渡ったオタク用語が中国で独自発展を遂げるケースは多く、この「正太」もそれに当てはまるだろう。
本書の構成は、お店の小籠包の調味料として使用する漢方薬の中に毒薬が仕込まれる事件から始まり、明代の鄭和の子孫を称する人々が住む閉鎖された村で人間を生贄とする儀式を防ぐまでになり、事件がどんどんスケールアップする。徐々に冒険活劇の様相を呈しながらも、作品世界には清代から民国時代という現実の歴史の流れが根底にあり、アヘンや清朝復興を目論む謎の組織、時々登場する日本の存在などが作品に緊張感を与えている。
中華民国時代を背景にしているとは言え、文章は現代的でとても読みやすい。しかし、1冊400ページ以上と長く、また本書は第1部に過ぎず、今後いったいどれほど続くのか不明だ。日本人キャラが登場するのなら続刊も買おうかなぁと思う。