暗恋者的救贖 著:何超傑
著者何超傑氏からのいただきもの。タイトル『暗恋者的救贖』の仮訳は『片思いの救済』であり、タイトルから分かる通り東野圭吾のフォロワーであるわけだが、本作では他人のために自らを犠牲にする献身者が、自身の想い人を守ったことを当人に気付かれないまま本当に命を失っており、その悲惨さはオリジナルよりも強い。
兪笑は永盛グループ幹部の朱鶴に自社のプランを売り込むため、朱鶴のことを理解しようと彼のSNSなども読み込み、徐々に彼自身に惹かれていく。ある日、彼がSNSに一瞬投稿してすぐに削除したコメントを見た彼女は、偶然を装いその住所に行ってみると殺人事件を目撃してしまう。容疑者は兪笑のかつての同級生で前科者の王大宇。しかし王大宇は、事件現場から立ち去った白衣の人間を目撃しており、そいつが犯人だと証言する。警察官の宋誠は、同じく目撃者である兪笑に詳細を聞くが、兪笑はきっと王大宇が犯人だろうと考え、その白衣の人間について触れず、結局王大宇は自分の罪を認め、死刑になる。
事件以降、兪笑の人生は一変し、朱鶴から大型プロジェクトの注文を受けたばかりか、彼と結婚し、社長夫人という地位まで手に入れる。しかしあの事件から4年後、偶然王大宇の過去を聞いた兪笑は、事件の犯人は王大宇ではないという思いを強め、独自に調査を進める。
本書は主に兪笑を巡る恋愛譚であり、彼女のことを思う男たちがたくさん出てくる。その中で彼女の心を射止めたのが、会社社長の朱鶴だ。会社員としても人間としても非の打ち所がない人物だが、ミステリアスな部分を持ち、本来兪笑のことを全然重要視していなかった彼は、王大宇の事件以降途端に彼女に接近する。一体それはなぜか。過去に人助けを行ったという善行の過去を隠す理由はなにか。
対する王大宇は死後にどんどん株を上げていき、彼が過去に犯した罪が実は兪笑のためであることが分かり、殺人事件で自白したのも兪笑のためだったという、片思いの相手に命懸けの献身を行っていたことが分かる。
真実が明らかになるにつれ、朱鶴と王大宇、会社社長と死刑囚の二人の立場が逆転する。本当に兪笑を愛していたのはどちらなのかというのも本書のテーマの訳だが、仮に兪笑が生前の王大宇の行為を知っていたとしても、彼を結婚相手に選ばなかったであろうということが片思いの悲しい点だ。
実際、本書の犯人は読んでいてすぐに分かるようになっているが、犯人の過去や行為がおかしいにもかかわらずなかなか尻尾を掴ませない知能犯ぶりや、周囲の人間には全く正常に見える点など、犯人は犯罪者というよりも人間の形をした化物に思える。本書はサスペンスと言うよりサイコスリラーに近く、犯人はとっくに目星がついているというのに、犯人の内面描写を全くしないことで不気味さを出している。
「中国ユーモアミステリの王」として知られる?陸燁華の新作。今作でも、突拍子もない推理の連続で、ミステリーにはノリと勢いが重要だということを伝えている。
文化工作室(版権を取り扱い、出版社と協力して本を発行する会社)社長の梅寄塵は浪費家の妻・李逐星と離婚し、部屋を売り払って毎月の慰謝料に追われる日々を過ごしていた。ある日の朝、道端で周天明という男が部屋で殺されたという噂を聞く。梅寄塵と周天明は、2年前にある事件で行動を共にしていた「旧友」だった。推理小説好きの梅寄塵は現場を捜査していた警察官に、周天明の「友達」という体裁で捜査情報を見せてもらう。奇怪なことに周天明は室内で、3階以上の場所から「墜落」したとしか思えない死に方をしていた。そして死体の写真を見せてもらった梅寄塵は、その死体が周天明ではなく、2年前に周天明と一緒に「強盗」した喫茶店で居合わせた、客の小李であることに気付く。本当の周天明はどこにいるのか。彼は、同じく2年前の現場に居合わせた元恋人の顧思義と共に周天明の行方を探すが、彼女と別れた後、顧思義が何者かに殺されたという知らせを受ける。
室内で墜落死という大変魅力的な謎はひとまず置いといて、作者の陸燁華は2年前のコントチックな喫茶店強盗事件の顛末に筆を割く。
初対面の周天明から詳しいことを聞かないまま喫茶店で強盗することになった梅寄塵。主犯の周天明の目的が、金品でも食事でもなく、店内の人間の「時間」を強盗することなのも現実離れしているが、周天明の世間とのズレはこれに留まらない。彼は喫茶店の店長や客の反応から異常を察し、この場所で殺人が行われ、トイレに死体が隠されていると推理する。唖然とする一同のところに、今度は包帯で顔をグルグル巻きにした、文字通りの「覆面作家」が入店し、この喫茶店で乱交パーティが行われていたと断言する。
一応推理の体裁を取ったトンデモ推理を探偵に次々と披露させるのは陸燁華の得意技だ。常識外れの推理を先に見せることで、真相がどれほどおかしくても、さっきのよりはマシというクッション的作用を発揮する。この話でも、実はトイレの中には本当に人がおり、中に入っていた理由にも推理小説的な殺意が込められている。それが本書の最大の謎である室内での「墜落死」にまで結びつくのであり、バカミス要素をいくつも重ね合わせて長編小説を書けるのは、さすが「中国ユーモアミステリの王」(いつ誰が言ったのか)だ。
梅寄塵が泥沼にハマっていくのも見どころの一つだ。李逐星に払う慰謝料のために部屋を売って自分は会社に寝泊まりし、それでもとうとう立ち行かなくなって社員から金を徴収するまで追い詰められる。それにもかかわらず李逐星は慰謝料の増額を要求するのだが、彼女のことを心から愛している梅寄塵の気持ちが伝わってくるし、自分の欲望に忠実な彼女を嫌いになれないのだ。とんでもない女性の虜になってしまったという梅寄塵の心中の泣き顔が見えるようだった。
ところで、彼は毎月妻に8000元(約13万円)の慰謝料を妻に払っているが、これは一般的な中国人の給料よりちょっと低いぐらいで、普通の社会人ではかなり苦しいと思われる。と言いたいところだが、中国の「普通」とか「一般人」とは一体なんなのか。しかし、離婚しているのに、彼女に嫌われたくなく、このぐらいの慰謝料を払えなければ男として評価されないと考え込んでいる梅寄塵が哀れでならなかった。
「太空」は宇宙という意味で、「無人生還」はアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』の中国語訳タイトルでもあるので、本書のタイトルは『宇宙でそして誰もいなくなった』になるか。
宇宙船に乗って月旅行に行くことになった参加者や乗組員が宇宙船の中で、童謡『10人のインディアン』になぞらえて一人ずつ殺されていくというSFミステリだ。
2036年、一部の金持ちや著名人が月面旅行に行けるようになった時代、中国人留学生の呉非は宇宙飛行会社の出資を得て宇宙船に乗れることになった。3人の乗組員、4人の乗客と共に月へ行くが、呉非を含めた全員が出発前に奇妙なメールを受け取っており、彼らは本来の計画にはない月の裏側の探索を開始する。そこには存在するはずのない月面基地があり、その中ではさっきまで地球で通信していた宇宙飛行会社の創始者エール・マスク(イーロン・マスクが元ネタ?)の死体があった。そして宇宙船内は惨劇の舞台に変わる。
さっきまで地球にいた人間の死体をどうやって月まで、しかも密室に運んだんだ、という非常にそそられる謎が提示され、読者の興奮をこれでもかと高めてくれる。更に、宇宙空間特有の真空や重力、有限の酸素や制限された行動など、通常とは異なる環境で展開される推理も魅力的だ。水が空中に浮く無重力状態で人間を刺し殺した場合、飛び散った血液は必ず犯人に付着するという推理に犯人がどう対処するのか、答えが気になるシーンは多かった。だが、その答えを見たところで、宇宙に行ったことがないので本当にそういう措置が取れるのか分からず、イマイチ説明不足だった。
中盤までは魅力的な謎のオンパレードなのだが、謎の回答が明かされるほどに想像と異なる結果が見えて来て、どんどんテンションが下がってくる。地球にいた人間が月で死んでいた?という謎に対しては、常識的に考えて同一人物の死体のわけがないよね、と読者に冷たく言い放ち、双子オチの方がまだ良かった真相が明らかになる。
SFミステリーなのにSFとミステリーの世界観がうまく合致しておらず、ミステリーのお約束ごとがSF要素によって裏切られている感じだった。他の読者も、ラスト数十ページの展開に大変がっかりしており、夢見させるようなミステリーを書くなよと言いたい。
あと、呉非をオッパオッパと慕うジョアンナというキャラが本当にうざかった。早く退場しないかなぁと思ったら呉非の彼女ポジションをゲットしてしぶとく生き残るし、こういうキャラって無残な殺され方をして読者の溜飲を下げる役目じゃないのかと思ったが、いろいろな箇所でセンスが合わない作品だった。
Dokuta 松川良宏氏がTwitterで取り上げていた書籍の中国語訳版だ。著者のクラリッサ・ゴエナワン氏はシンガポール人。本書はアメリカで今年3月に発刊され、中国では今年6月に出版されている。中国語の他にフランス語やドイツ語やスペイン語など多言語に翻訳されているようだが、日本語版が出るかは不明だ。またミステリーと言えるのかも分からない。
1994年の夏、慶応大学の院生(?)石田廉は7年間も会っていない姉の石田恵子が殺害された知らせを受ける。廉は姉が生前暮らしていた赤川という土地に行き、姉の職場(塾)に行って英語教師だった姉の仕事を引き継ぎ、姉が間借りしていた家に同じように住み、姉の生活をなぞるようにして彼女の痕跡をたどる。廉は東京と赤川を往復し、夢の中に出てくる姉やポニーテールの少女、自分に好意を寄せる塾の生徒、昔の悪友や元カノらと出会ううちに、姉の死の真相や自分も知らなかった姉の過去が明らかになっていく。
中国語版で帯文に「村上春樹に引けを取らない作風」と書かれていて、英語版のレビューでも「村上春樹云々」とある通り、確かに「村上春樹」っぽい作品だ。具体的にどこかと言うと、主人公の石田廉がクール系で女性にモテて言動に孤独感を帯びている点。現実と非現実の境目が曖昧で、幻覚や幽霊が出てきて、それが石田廉の指針になる点。本筋(姉の死)とは直接関係のないストーリーに進展する点。「姉の死」という重大事を口実に知らない土地で「自分探し」をしている点(舞台が1990年代なのも一役買っている)などである。
おそらく村上春樹読者が読んでくれたらより村上春樹との関連性をはっきりさせられるのだろう。
・ちょっと不思議な日本人名
中国語版なので人名も地名も固有名詞は全て漢字表記になっている。石田廉とか石田恵子などの漢字の人名・地名はみな中国語版の表記を流用した。この漢字表記が翻訳者の判断なのか、作者の意図が含まれているのか分からないが、ちょっと不思議な表記がいくつかあったのでここで紹介したい。
愛比 アイビー?外国人?しかし中国語でこの表記はあまり見掛けない。
加藤小衫 コソデ? KKというイニシャルが出ているのでカ行で始まる名前らしい。
勝美達 スミダの音訳。本来は住田とか隅田とかにするべきだろう。
中島柚木 ユキやユヅキ?名前というか名字っぽい。
青木 石田廉の東京にいる彼女。なぜ名字なのか。
村上春樹っぽい作品を敢えて和訳して日本で出版する意味はなさそうだが、もしそうなった場合は村上春樹を意識した日本語訳を是非ともやってほしいものだ。
ちなみに、中島柚木に恋人はいるかと聞かれた石田廉が「僕も彼氏はいないよ」と答えて、柚木に真面目に答えろと言われた後に「とても真面目だよ。僕に彼氏はいない」って言うシーンは最高に村上春樹だと思った(無根拠)。