表紙を見るとホラー小説っぽいが、中身は正当派なミステリ小説だった。
この世の異常現象を調査する「異象調査所」所長であり、たった一人の所員である「私」のもとに期せずして依頼が舞い込み、人手不足解消のために求人を出したところ、やって来たのは頼りになるけど暴力的な女子大生。
川辺で発見された人魚、人間消失事件、夜に外を歩く骸骨、人間ほどの大きさがある蛹などなど、常識では考えられない怪事件を喜々として調査する「私」は、ひょんなことから巷を騒がせる殺人鬼の正体に迫ることになる。死体のそばにセミの抜け殻を置く殺人鬼の目的とは?推理能力以外なにも取り柄がない「マダオ(まるでダメなおっさん)」と正義感が強く直情タイプの女子大生がこの世の不思議と非情な現実に立ち向かう。
「川のそばで見た人魚の正体を探る」というのが最初の依頼。人魚という非現実的な存在が絡んだ怪事件をいかに処理するかでこの作品の方向性は決定されるが、これの正体がシレノメリア(人魚症候群)を患った女性ということで、方向性が一気にミステリに傾き、偶然や見間違いなどが作用してややご都合主義的なところがあったとしても、全ての怪事件が論理的に解き明かせる事件となる。
本筋は殺人鬼の正体を探ることだが、その他の事件が本筋と関連性が高いことに非常に好感が持てた。単に単独の事件を取り上げて、その話の最後に本筋との関与を臭わせるような構成ではなく、その話のエピソードや主要人物がガッツリと本筋に食い込み、ちゃんと殺人鬼の正体を暴いて完結した私好みの構成だった。
本書は3年前に完結した作品の書籍版らしい。出版に至った経緯は不明だが、この花城出版社の「推理罪工場」というレーベルが大きな役割を果たした可能性が高い。このレーベルでは去年7月から今まで8冊の長編ミステリ小説が刊行されていて、作家のラインナップを見ると結構有名な名前もある。
正直な話、こういうレーベルが長期的に続くかどうかは疑問だ。例えば2016年に百花文芸出版社は第4回島田荘司推理小説賞受賞作品に限定したレーベルをつくって簡体字版を3冊だけ出したことがある。推理罪工場がどのような基準で作家や作品を選んでいるか分からないが、このようなレーベルが続々と現れて発表の場が増え、中国ミステリは新星出版社だけではないというところを見せてほしい。
犯罪者的七不規範(犯罪者の七則)
ミステリ小説家の妻と翻訳者の夫の共同ペンネームである「張舟」初の長編小説で、「輪椅上的真探・系列之一(車椅子の真探偵シリーズの1作目)」だ。
連作短編集であり、おそらく上海市だと思われるS市を舞台に「妖狐」と呼ばれる大犯罪者の国際的な大事件が序盤で発生し、高校生の葉真生が巻き込まれるわけだがそれから妖狐とは直接関係ない日常学園ミステリが続き、葉真生自身や周囲の人間の謎に肉薄していくという内容だ。作品の背骨となる真犯人を出し、その巻では真犯人の正体が分からないまま次巻に続くという中国ミステリのシリーズ物の宿命は本書でも健在だが、探偵役が真犯人にこれほど積極的ではない作品は珍しい。
日常ミステリを扱っているが、登場するキャラクターはいずれも個性的と言うか、日常的にそんな見かけないだろという人間ばかり。AIと呼ばれるほど優秀な頭脳を持っているが言動だけ見ると「中二病」としか思えない葉真生、米国籍や英国籍の華僑で引くほど裕福な学生、中国在住日本人学生の夏目晴など。
実際、このような学生がいる国際的な高校は北京にもある。私の日本人の友人も北京で裕福な中国人学生や華僑や韓国人らに囲まれて高校生活を過ごし、そのまま北京の大学に進学した。
だが学園ミステリの舞台として敢えて選ぶだろうかという学校であり、何故こうも国際色を出すのか気になったが、本書は国際的であることがもちろん重要だが、主人公の周囲に「裕福」な学生がいることで普通とは異なるが中国でも絶対に成立する日常ミステリを描くことに成功している。
例えば、米国籍の華僑の父親が購入した別荘地の一軒家に人面樹があり、それの解決を依頼される話があるが、中国の一軒家で異変が起きるということ自体が北京在住の私から見て非常に現実離れしている。だが裕福な家庭の子どもからの相談であればそれも腑に落ちるし、中国のハイソサエティな子女達が行う探偵ごっこってこんな感じだろうかと容易く想像もできる。
日本と関係が深い作者だからか日本人学生の夏目晴贔屓や日本語・日本文化が多めに描写されるのにはちょっとムズムズした。思いっきり日本語が書いてある部分もあるのだがこの辺りを中国人読者がどう読むのか気になる。中国ミステリ読者ならこのぐらいの日本語読んで当然ということだろうか。
また、同性愛ネタが多いのも気になった。先進的なミステリを意識しているのか、単なるネタの一つとして消費しているのか。特に主人公の葉真生が多大な信頼を寄せている父親の同僚の高穆に対する憧れは子どもが父性を求める気持ち以上のものを感じ、そこに中年男性に対する少年の憧憬的恋愛を見てしまう。今後、LGBTが絡んだミステリを書いてくれるのだとしたら非常に楽しみだ。
本作は「車椅子の真探偵シリーズの1作目」だが葉真生はまだ車椅子に乗っておらず、前日譚とも言える。中国で車椅子に乗って移動する高校生を見たことがなく、車椅子利用者が登場する小説等も中国で読んだことがないので、今後のストーリーや人間関係がどう発展するのか全く想像できない。作者の張舟はこの作品の設定で成立するミステリのトリックやストーリーを創造し、かつ中国で車椅子利用者が生活するリアリティと戦わなければならず、2作目以降はより挑戦的で独創的な内容になることだろう。
中国ではまだ高校を舞台にした学園ミステリ自体が珍しいが、そこから更に国際的で裕福で車椅子で…と凝った設定を追加していくこの作品によって、中国ミステリのシチュエーションの細分化がより進みそうだ。
中国のミステリマガジン『歳月推理』に連載されていた作品をまとめた短編集。2014年から雑誌に連載していた作品をようやく1冊の本にしたものであり、短編だけで本を出版する難しさを教えてくれる。
ミステリ小説好きの父親のせいで「島田潔(とう・でんけつ。島が名字)」と名付けられた主人公はミステリ小説に全く興味のない人間に育ったが、父親が突然亡くなったことでミステリ書籍専門店「献給謀殺的供物(殺人への供物)」の経営を引き継ぐことに。島田潔はアルバイトの林鳶・林茵姉妹と一緒に店に訪れる事件解決の依頼や身近で起こる事件を解決するうちに、父親の死の真相に近付いていく。
『Xの悲劇』、『人間椅子』、『ABC殺人事件』など古今東西の名作ミステリを模倣したかのような事件が起き、ミステリ小説好きの林鳶が島田潔及び読者にモチーフになった作品の粗筋や今回の事件との相似点を説明してくれるので元ネタ未読の読者でも安心だ。名作ミステリの設定やストーリーを題材にした二次創作とも言える趣味性が高い作品の数々には、作者の海外ミステリに対する深い愛情を感じる。
2012年から2016年の「第一時代」と2017年以降の「第二時代」に分かれており、前者は林鳶が、後者は純文学好きの林茵が島田潔の主なパートナーとなっている。だから第二時代のテーマは純文学で、『こころ』や『桜の木の下には』などが選ばれている。
本書の序文を書いている日本人の中国ミステリ翻訳家・稲村文吾と中国人の書評家・天蠍小猪の文章によると、本書は『ビブリア古書堂の事件手帖』などを例とする「お店もの」ミステリの一種だそうだ。
設定や各ストーリーの内容を国外の作品から真似て、現実の中国では到底存在し得ない「献給謀殺的供物」みたいな本屋を出し、非現実的な世界をつくるがいかにも中国のミステリマニアが書きそうな作品だ。中国なのに日本を思わせる場所や日本ミステリを彷彿とさせるストーリーに対し、「中国を舞台にする意味ある?」と疑問に思うかもしれないが、一人の熱心な日本ミステリ愛読者がその熱意や愛情を注いで作った作品もまた「中国ミステリ」だ。
ネタバレあり。
和訳出版もされた第3回島田荘司推理小説賞受賞作品『我是漫画大王(ぼくは漫画大王)』のほか『尋找結衣同學(結衣さんを探して)』でもそうだったが、今作でも小説の中に矢印が全く違う方向を向いたストーリーを複数書き、どのような結末に収束するのか予想させない展開を見せた。
台湾の大学で中国語教授をやっている孫元泰は、「華人相対論隔年会」に参加するために台湾に戻ってきたカリフォルニア工科大学物理学教授の莊大猷と不可思議な殺人事件に巻き込まれる。莊大猷と同じく「タイムトラベル」の分野を研究し、華人相対論隔年会に出席予定だった葛衛東が台湾のホテルの一室で他殺体で見つかった。現場は密室で、彼の頭には1936年に紛失したはずの金のカンザシが刺さっており、現場の監視カメラには古風な服装をした女性が映っていた。まさか犯人はタイムマシンに乗って過去からやってきた人間なのだろうか。そして大勢の物理学関係者が集まる華人相対論隔年会でマスタードガスが撒かれ、莊大猷も失明の被害に遭う。
ミステリ小説には超常現象が実在する可能性を考慮しながら進む話があるが、本作もそのタイプで、タイムトラベルなんか存在するはずないのに孫元泰を中心にしてどんどん「タイムマシンはある」という方向で話が進む。
孫元泰には物理の知識がほとんどと言っていいほどなく、また莊大猷ら同年代の人間と比べても幼さが目立ち、タイムトラベルに関する知識もほぼ莊大猷からの受け売りだ。そんな彼が事件現場の状況を見て、犯行の不可能性に気付き、80年前のカンザシが凶器に使われたこと、昔の格好をした女性が現場付近に出現したこと、葛衛東が生前非常に短い時間ではあるが一瞬だけ時間を遡れる装置を開発していたことを知ると、「これはもう犯人がタイムマシンに乗ってやってきて、葛衛東を殺してから帰ったとしか考えられない!」と思い込む。
だから事件の第三者に「犯人はタイムトラベラー説」を披露して、そんなことあるわけないだろ!と一蹴される孫元泰の様子は非常に小気味よく、そんな常識的な返事をされて「えっ?」と目を丸くする反応には読者に失望すら感じさせる。
そもそも『ターミネーター』のように未来から殺し屋がやってくるならまだしも、過去からやってくるってどういうことだよ。
しかし、タイムトラベルという非常識な可能性を削除したとしても、やはり葛衛東の死因はタイムトラベルと関係があるんじゃないかと考えられる。そこで事件はカンザシが行方不明になった1936年に遡る。
本作は現代を舞台にした「台北」編と1930年代を舞台にした「南京」編に大きく分かれる。前半はこの二つがどう交わるのか全く予想がつかないが、南京編で登場するキーパーソンが現代と過去を結び付け、過去にとある人物に見せた優しさが80年後に惨劇を生じさせるという時間のイタズラを無慈悲に描き、「孝行」という道徳が招く狂気を露わにする。
結末に至った原因、というか殺害に至った真相はタイムマシンが実在することよりも更に荒唐無稽だ。一人の人間の善意と家族に対する孝行を起点とした悲劇に、タイムトラベルというSF設定にリアリティを補強して、決して誰からも理解されない犯人の動機を読者にしか明かさないという丁寧かつ大胆なストーリー構成は非常に感心させられた。
本作は『ぼくは漫画大王』に登場した盧俊彦が大学生として再登場していたり、『尋找結衣同學(結衣さんを探して)』と同じく台湾の大学問題を書いていたり、本筋以外にも見どころを用意してくれている。
しかし、過去の南京編で1930年代を舞台にしていることからも分かるように、本作に日本が間接的に関わっていることを無視するわけにはいかないだろう。現在も戦争、というか侵略された記憶は物語に反映できるほど十分に濃いわけであり、今後も過去を舞台にしたストーリーにはついて回るので、戦争の描写があるからと言って驚いてはいけない。
ネタバレあり。
前世紀のミステリかと思う作風で、作者が自分のミステリ趣味を出し惜しみしていない。
中国で本格ミステリを書くにはリアリティが不足し、どうしても日系ミステリっぽくなってしまうのだが、そもそも新本格なんて日本でもリアリティないじゃないかと吹っ切れたのが本作だと思う。その結果、中国が舞台なのに日本人が住む雪で覆われた山荘が出てきたり、塔に幽閉された子どもが出てきたり、もうやりたい放題だ。
更に日本人の屋敷に勤めている中国人が和服を着ていたり、みんなで日本茶を飲んだりと、日本人が読んでちょっとこっ恥ずかしくなるほど日本要素が出てくるが、これは日系ミステリに対するリスペクトと受け取っておこう。
探偵の友人・陳黙思と会った陸宇は去年の冬に遭遇した殺人事件の一部始終を語る。外界と隔絶したその山荘には日本人科学者・伊藤健太郎一家と中国人の使用人らが住んでいた。「先祖返り」を研究する伊藤教授、伊藤教授の娘で10年以上その山荘に籠もっていた葵子、彼女の弟で生まれてからずっと山荘の外に建つ三つの巨大な鐘塔に一人で住む直樹がいる常識はずれの空間で次々と殺人事件が起きる。新聞記者の陸万剛が鐘塔から落ち、続いて伊藤教授が奇妙な傷のついた死体で発見される。陸宇は先輩の韓適と共に事件の調査に乗り出すが、後日その全てを聞いた陳黙思は彼らの推理の矛盾点を指摘し、真犯人を見つけ出す。
本作の見所は三つの鐘塔とその建物の主である伊藤教授の存在だ。伊藤教授は「先祖返り」を研究している科学者であり、その設定は『ドグラ・マグラ』を思い起こさせる。他にもシャム双生児を使った叙述トリック、「先祖返り」を起こしてネコのように四足で移動する人間、などなど前世紀のミステリ小説を思わせる要素が数々出てくる。これを作家のミステリ知識層の厚さと見るべきか、ミステリの時間が古いところで止まっていると見るべきか一瞬悩み、戸惑うが、読み進めると前者であると気付くだろう。
本作には「真犯人」が3回出てくる。まず真犯人Aが導き出されるが、その後真犯人Bが登場し、最終的に探偵によって本当の真犯人Cが暴かれるという三段階の展開だ。
新しい情報が出て証拠がより確固たるものとなり、論理が通った推理が展開され、より確実な「真犯人」像が出てくるが、それから導き出される真相はますます現実離れしていく。その三段階の推理はクッションの役割を果たしており、もし最初に真犯人Cが提示されていれば読者に受け入れられなかっただろう。
本書のタイトルには「殺人事件」という言葉が含まれている。中国の出版業界では数年前から「殺人」等の単語をタイトルに使ってはいけないという曖昧な「お触れ」が出た。その結果、主に自主規制という形で出版社がそれらの言葉をタイトルに使わないようにし、中国ミステリだけではなく翻訳された日本ミステリもタイトルから「殺人」の二文字が消えたりした。しかし特に明確な規定もなかったようで、実は本書のように「殺人事件」と付いた本も出ている。
このおかしな状況は中国のミステリ小説家も不思議に思うところで、青稞と同じく新星出版社で本を出している陸秋槎も6月3日にミステリ小説家・呼延雲と共に行ったトークショーで「どういうことだよ?」という感じで突っ込んでいた。
「◯◯殺人事件」というタイトルは座りも良いので、今後も日系ミステリっぽい中国ミステリのタイトルに使えればいいのだが、そのまま使うのも思考停止の感が否めないので、規制の中で中国ミステリらしいタイトルを生み出していってほしい。