ネタバレあり。
前世紀のミステリかと思う作風で、作者が自分のミステリ趣味を出し惜しみしていない。
中国で本格ミステリを書くにはリアリティが不足し、どうしても日系ミステリっぽくなってしまうのだが、そもそも新本格なんて日本でもリアリティないじゃないかと吹っ切れたのが本作だと思う。その結果、中国が舞台なのに日本人が住む雪で覆われた山荘が出てきたり、塔に幽閉された子どもが出てきたり、もうやりたい放題だ。
更に日本人の屋敷に勤めている中国人が和服を着ていたり、みんなで日本茶を飲んだりと、日本人が読んでちょっとこっ恥ずかしくなるほど日本要素が出てくるが、これは日系ミステリに対するリスペクトと受け取っておこう。
探偵の友人・陳黙思と会った陸宇は去年の冬に遭遇した殺人事件の一部始終を語る。外界と隔絶したその山荘には日本人科学者・伊藤健太郎一家と中国人の使用人らが住んでいた。「先祖返り」を研究する伊藤教授、伊藤教授の娘で10年以上その山荘に籠もっていた葵子、彼女の弟で生まれてからずっと山荘の外に建つ三つの巨大な鐘塔に一人で住む直樹がいる常識はずれの空間で次々と殺人事件が起きる。新聞記者の陸万剛が鐘塔から落ち、続いて伊藤教授が奇妙な傷のついた死体で発見される。陸宇は先輩の韓適と共に事件の調査に乗り出すが、後日その全てを聞いた陳黙思は彼らの推理の矛盾点を指摘し、真犯人を見つけ出す。
本作の見所は三つの鐘塔とその建物の主である伊藤教授の存在だ。伊藤教授は「先祖返り」を研究している科学者であり、その設定は『ドグラ・マグラ』を思い起こさせる。他にもシャム双生児を使った叙述トリック、「先祖返り」を起こしてネコのように四足で移動する人間、などなど前世紀のミステリ小説を思わせる要素が数々出てくる。これを作家のミステリ知識層の厚さと見るべきか、ミステリの時間が古いところで止まっていると見るべきか一瞬悩み、戸惑うが、読み進めると前者であると気付くだろう。
本作には「真犯人」が3回出てくる。まず真犯人Aが導き出されるが、その後真犯人Bが登場し、最終的に探偵によって本当の真犯人Cが暴かれるという三段階の展開だ。
新しい情報が出て証拠がより確固たるものとなり、論理が通った推理が展開され、より確実な「真犯人」像が出てくるが、それから導き出される真相はますます現実離れしていく。その三段階の推理はクッションの役割を果たしており、もし最初に真犯人Cが提示されていれば読者に受け入れられなかっただろう。
本書のタイトルには「殺人事件」という言葉が含まれている。中国の出版業界では数年前から「殺人」等の単語をタイトルに使ってはいけないという曖昧な「お触れ」が出た。その結果、主に自主規制という形で出版社がそれらの言葉をタイトルに使わないようにし、中国ミステリだけではなく翻訳された日本ミステリもタイトルから「殺人」の二文字が消えたりした。しかし特に明確な規定もなかったようで、実は本書のように「殺人事件」と付いた本も出ている。
このおかしな状況は中国のミステリ小説家も不思議に思うところで、青稞と同じく新星出版社で本を出している陸秋槎も6月3日にミステリ小説家・呼延雲と共に行ったトークショーで「どういうことだよ?」という感じで突っ込んでいた。
「◯◯殺人事件」というタイトルは座りも良いので、今後も日系ミステリっぽい中国ミステリのタイトルに使えればいいのだが、そのまま使うのも思考停止の感が否めないので、規制の中で中国ミステリらしいタイトルを生み出していってほしい。