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プロフィール
HN:
栖鄭 椎(すてい しい)
年齢:
41
性別:
非公開
誕生日:
1983/06/25
職業:
契約社員
趣味:
ビルバク
自己紹介:
 24歳、独身。人形のルリと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。



副管理人 阿井幸作(あい こうさく)

 28歳、独身。北京に在住している、怪談とラヴクラフトが好きな元留学生・現社会人。中国で面白い小説(特に推理と怪奇)がないかと探しているが難航中。

 Mail: yominuku★gmail.com
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このブログは、友達なんかは作らずに変な本ばかり読んでいた二人による文芸的なブログです。      
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中国でドラマ化もされたミステリー小説『余罪』の作者常書欣による新作ミステリー。『余罪』と同様に不良警察官を主人公に据えた本作では、公安部禁毒(麻薬取締)局と「毒王(麻薬王)」と呼ばれる人物が動かす犯罪組織の攻防が描かれる。


 


 





省内で「藍精霊」と呼ばれる新種ドラッグ蔓延に手を焼いていた麻薬取締班のメンバーらは、短期間のうちに騒動の黒幕である「毒王」の逮捕を命じられる。だが被疑者への事情聴取や捜査では毒王どころか組織の幹部の正体すら全然つかめなかった。


銃を支給されない補助警察隊に所属する邢猛志は同僚の丁燦や任明星とパチンコで小動物を撃って食べたり、ハッキングをやったり、後ろめたい過去を持つ人間を脅迫したりするなど、警察より犯罪者の側に与していたのだが、毒王の捜査でめきめきと頭角を現し、ついには取締班のメンバーになる。彼らは正攻法と裏技でITや現代インフラを駆使した新型犯罪に立ち向かう。





 


まずこの本はタイトル詐欺というか、タイトルに「弾弓(パチンコ)」とある割に、本編ではパチンコの比重がそこまで大きくない。そもそも本作はネット賭博、デリバリーサービス、違法スマホなどを使って毒物を売買する犯罪組織の撲滅が目的であるので、パチンコをバカスカ撃って解決できるというものではない。猛志のパチンコの腕前が活かされる箇所はもちろんあるが、むしろ一般の警察官とは異なる視点から繰り出される推理や言動こそが彼の持ち味であり、特技のパチンコのせいで逆にキャラの魅力が狭まっていないかと思った。


蛇の道は蛇というように犯罪者の行動パターンに精通し、それによって優秀な警察官の一歩先を行く推理を展開する猛志たちの描写はちょっとエンターテインメント性が強すぎるように見える。しかし本作のもう一つのテーマは、実力があるのにくすぶっていた猛志ら不良が正式に認められ再評価されるという、少年の成長譚でもあるので、このような不自然なレベル差はフィクションとして割り切ったほうが良いかもしれない。


 


現代中国の長所を悪用した犯罪もでてきて、全体的に悪くはない話だったが最後の最後で裏切られた。本作の肝は毒王の正体をつかみ、組織を壊滅させることにあるのだが、終わりが見えてもそれらに全く触れる気配がないのだ。そして最終ページに次のような言葉が。


 


 


黒幕の正体どころか、警察内部にいると疑われる密通者も明らかにならず、ほとんど何の事件も終わらないまま第1巻が終了した。このように全然区切りができておらず謎を残すだけ残して次巻に続くという中国ミステリーのストーリー展開って一体何なんだろうか。2巻では警察を「クビ」になった猛志が犯罪組織に潜入するスパイ物が始まるんだろうが、多分読まないだろう。

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作者のPano氏から恵贈してもらった本。失った記憶の探索から、過去に起きた未解決の連続殺人事件を解明するのだが、そこに死者の「残像」が関わってくる、少しだけホラー風味がある話だ。


 


 




24歳の冬余は子供の頃の記憶がなく、そのせいで冷めた性格をしており、結婚を間近に控えても他人事のように思っていた。そこで彼女は自身の空白を埋めるべく、幼い頃に暮らしていた村に行く。そこには自分のことを知っている人がいて、自分の生家もあったのだが、残されていた荷物が当時の自分の年齢と一致しないことに不信感を抱く。そして林懐哀という青年から過去の自分の「残像」を見させられた冬余は、自分が19年前に冬安という姉と一緒にダムで溺れ、姉が溺死していたことを知る。自分が溺れた記憶どころか、姉がいたことすらも忘れていた冬余は、林懐哀たちとともに未解決の女児連続溺殺事件の謎を追う。しかし彼女たちの調査を制するかのように、当時を知る証人が次々殺されていく。





 


冬余らが幼い頃に巻き込まれた事件は、当時を1999年の世紀末にしていることで、その時に流行ったカルト宗教が絡んだものにしている。しかしそのカルト宗教が生贄目的で少女たちを殺したわけではなく、当時の関係者に事情を聞き、徐々に事件の輪郭が明らかになる一方で、事件の規模がどんどんコンパクトになっていく。結局の所、姉の死に何か巨大な陰謀が隠されているという話ではなく、姉個人の死と冬余らの悲劇に物語が収束する。子供の頃の記憶を探す冬余が、姉の死の真相や真犯人を見つけるのは、いわば自分探しのようなものであり、本作は極めて私的な推理小説であると言える。


 


本作のもう一つの謎である「残像」に関してだが、これが途中でたまにヒントをくれるだけで、物語に積極的に関わろうとしない。とは言えこれにもきちんと真相が隠されており、決して単なる舞台装置では終わらない。


 


 


しかし、まさか中国の小説で五島勉の名前を見掛けるとは思わなかった。

荒潮:陳楸帆(スタンリーチェン)


 


 


2013年に発売された長編SF小説『荒潮』が、加筆修正を経て今年新たに発売されたバージョン。近未来の中国を舞台にし、現代中国が直面するゴミ問題をテーマにしていながら、血族や家族間の繋がりや軋轢という土着的要素を色濃く反映させたSF小説になっている。


 




世界中の電子機器廃棄物が集まり、その処理を産業にしている「シリコン島」。そこは羅家、林家、陳家という三大家族が実質的に支配していた。その島に大型のリサイクルプロジェクトを携えてやってきた米国ウェルスカンパニーのスコットブランドーと、シリコン島出身者で通訳として同行した陳開宗。だが、三大家族がビジネスを牛耳っている島に外国企業が入る余地はなかった。また島には厳然としたヒエラルキーが存在し、中でもゴミ回収を生業とする人間は「ゴミ人間」と呼ばれ、人間扱いされていなかった。そして羅家の「ゴミ人間」の少女小米は、「ゴミ人間」であるが故に身勝手な事件に巻き込まれ、それがシリコン島全体のパワーバランスを崩す事態に発展していく。




 


廃棄物処理場で取引される義体、チップを埋め込まれた番犬、電子ドラッグと併用することでより気持ち良くなれる拡張現実眼鏡など、少し未来のアイテムが多数登場するが、物語の世界はとても泥臭くて、スマート感が感じられない。しかしここは荒廃した世界なのではなく、中国の片隅にあるゴミの島であり、ゴミの島においても普通の居住エリアもあれば良いホテルもある。シリコン島という設定は、一見すると非常に特別な舞台に見えるが、実は現代中国の縮図であり、他国の縮図でもある。


 


現実を箱庭に置き換えたかのような舞台であるが、一族同士の争いや、因習や迷信なども出てきて歴史的な深さも感じさせてくれる。また、島にはインターネット通信の低速エリアがあって、ネットが自由に使えない状況を作り、ネットが使えるが情報が簡単に手に入らない中国の事情を再現している。


本書のSF要素と歴史要素のリアリティと非リアリティの割合が絶妙だ。そこに他国企業の陰謀や、日本の駆逐艦「荒潮」に端を発するアメリカの極秘プロジェクトなども絡んできて、まるでシリコン島のゴミ飽和状態が限界を迎えるがごとく、いつ大事件に発展するか分からない緊迫した事態になる。


 


本書に登場する電子廃棄物の島「シリコン島」にはモデルとなった島が実在するらしい。それが中国の広東省にある貴嶼鎮だ。


長い間、世界のゴミ、特にプラスチックゴミを受け入れてきた中国は、2017年にプラゴミの輸入禁止を発表し、それからもゴミの受け入れも禁止する態度を崩していない。ただ、本書が執筆された2013年はまだ「世界のゴミ捨て場」として、中国は各国が出すゴミを引き受けていた。


本書が執筆された背景には、そのような事情があるのかもしれない。しかし本書からより強く感じるのは、環境保護の意識ではなく、人間は平等であるというメッセージだ。


 


「ゴミ人間」として蔑まれている小米は、力を手に入れたことで島中から求められる存在になるが、それでもまだ道具として見られている。そして下層民の彼女が力を手にしたことで島のパワーバランスが崩れるわけだが、本来平等などなかった島に混乱が起きて、最終的に重視されるのが道徳というのが、人間の善性を過大視しているようで癪に障った。


 


本書は来年1月に早川書房から日本語版が刊行されるらしいが、読書中に日本語訳をするに当たって気になる点があった。この作品の中には日本人も数人登場するのだが、その中の日本人女性の名前がちょっとおかしいのだ。その女性の名前は「鈴木晴川」。『攻殻機動隊』に出てきた「サトウスズキ」「ワタナベタナカ」というCIAみたいに、名字と名字が合わさったかのような奇妙な名前だ。


 


他にも、日本人から見て「??」と思う日本人関係の描写がいくつかある。作者の陳楸帆が敢えてそうしているのであれば文句はないし、別に「晴川さん」という名前の人間がいても全く問題はない。だが一応この本は2013年に出た本の修正版なのだから、「鈴木晴川」を含むいくつかのおかしな箇所を指摘する人は誰もいなかったんだろうかと疑問に思ってしまう。


 


これら気になった箇所が修正されているのか、それとも作者の意思を尊重して変えていないのか、日本語版で一番興味のある点はそこだ。


 


ってか、また中国語英語日本語って順番の翻訳なのか


 


 


 


海外ミステリー大賞シンジケートのコラム「第64回:中国小説界に深く根を張る東野圭吾」で少しだけ紹介した小説のレビュー。


 


中国に「中国版白夜行」を謳う小説は数多くあれど、本作はそれらとちょっと性格が変わっている。ほとんどの作品が『白夜行』の各種要素を引用して自分なりの小説を書いているのに対し、葵田谷の『月光森林』は言わば「俺が書いた白夜行」であり、リメイクや焼き直しと言った方が良いかもしれない。


 


 





違法マッサージ店を経営する女の息子の尹霜は、目や腕が不自由な父親を介護する少女・秦小沐と図書館で知り合い、彼女の姿に変装して、代わりに父親の世話をするよう頼まれる。


そして19954月、尹霜の母親のマッサージ店で火災が起きる。母親の焼死体が見つかるが、死体の背中には刺し傷があり、事故ではなく殺人事件であることが明らかになる。それ以降、尹霜は親戚に育てられることになるが、数々の奇行が目立つようになる。それから20年間、多くの人々の人生にこの2人の存在が陰を差す。





 


 


物語は2人を中心に進むのではなく、彼らに関わった第三者の視点で進み、その背後で暗躍する様子を間接的に描く。具体的にどの辺りが『白夜行』と酷似しているのかは書かない。最初に言ったように、本作は「俺が書いた白夜行」であり、ラストでハサミが出てきた時は思わず笑ってしまったほどだ。しかしオチが全く違っていて、その余りの驚愕の真相に、なんでここだけオリジナルにしたんだろうかと、心の底から蛇足だと思ってしまった。


 


作者の葵田谷はインタビューで、「読者が自分の小説と東野圭吾の小説に似ている所を見出だせなければ、それは私の徹底的な失敗」と言っており、東野圭吾を真似ていることを隠そうとしていない。だが、公言すれば良いというわけでもないと思う。また同作者の短編集『金色麦田』は、それぞれ『悪意』『秘密』『仮面山荘殺人事件』『容疑者Xの献身』のインスパイアだ。


 


本人がどれぐらい東野圭吾のことが好きなのかは知らないが、本書を刊行した出版社にリスペクトが感じられないことが、帯に書かれた文章からも分かる。「『白夜行』よりもっと重々しい孤独の歌」と書いて宣伝しているのは、厚顔無恥以外の何者でもない。それに、他にも村上春樹の『ノルウェイの森』?からの一節を引用しているが、ここで東野圭吾の『白夜行』から引用してこそ、作品の本当の完成とは言えない。


 


それに作者の卑しさを感じる点もあり、それはインタビューでは堂々と話すくせに、自著の中で作者自身が自著と東野圭吾作品の深いつながりを書いていない点だ。本書でもいっそ「自分なりの白夜行を書いてみました」と正直に書いていれば、少しは印象が変わったかもしれない。


 


一応、本書の良いところも挙げておこう。まず文章が非常に読みやすいという点だ。「読みやすい文章」という評価を嫌う作家もいるらしいが、外国人である自分にとって中国語の小説はまず読みやすくないと読書に支障が出るので、これは非常に評価できる。


そして何よりも、こういう同人誌的な小説を商業作品として世に出せる作者の肝っ玉の太さだろう。しかも、裏表紙には中国ミステリー界隈の名だたる作家の推薦文が載っており、彼が業界内で不利な立場にないことが分かる。


 


 


上記のコラムで、『容疑者Xの献身』『白夜行』の盗作疑惑が持たれており、映画化作品が大ヒットしたことでその疑惑がますます炎上した小説『少年的你』を紹介した。しかしながら、一応盗作を否定している『少年的你』以上に、「似てないと感じてもらえない方が失敗」と言い放つ『月光森林』及びその作者葵田谷について、もっと話し合う必要があるだろう。


 


レビューサイト豆瓣では擁護派と否定派がレビューでそれぞれの観点を発表しているが、その中で、日本の小説が大嫌いな人間が、この本を評価していることに失笑してしまう。つまらない日本の小説も、葵田谷の手によって面白く生まれ変わったという擁護派による意見なのだが、少なくとも葵田谷は東野圭吾の本が好きで真似しているのだから、この応援は作者の背中を刺すような行為だ。それをわざわざレビューまで発表しているのだから、やはり一番厄介なのは、味方側の無能な働き者だということを教えてくれた。

 


このコラムには映画『少年的你』及び小説『少年的你,如此美麗』などの作品のネタバレが含まれています。あと映画の各人物のセリフはうろ覚えなので、結構間違っているかもしれない。





先日、翻訳ミステリー大賞シンジケートに東野圭吾の『白夜行』『容疑者Xの献身』及び他作品からの盗作疑惑がかけられている『少年的你』の原作小説及び映画に関するコラムを書いた。


  


64回:中国小説界に深く根を張る東野圭吾



 


 そこではこれらの作品をめぐる問題を中心に書いたため、映画自体の評価ができなかった。様々な理由で散々叩かれている映画であるが、それでも面白い点は多々あったのでブログでは映画を中心にレビューを書いていきたい。改めて映画のあらすじを紹介しよう。


 





2011年の安橋(架空の街。モデルは重慶)、大学受験を間近に控えた高校3年生の陳念は、クラスメイトの魏莱らからひどいイジメに遭って自殺した胡暁蝶に同情を示したことで、次のイジメのターゲットになる。生来我慢強く成績優秀な彼女は、受験に合格すれば北京の大学に行けると信じてイジメに耐え、受験への影響を心配して警察に胡暁蝶の自殺の原因を言わなかった。


ある日、道端で不良同士の喧嘩を目撃し、警察に通報したところを見つかってしまった陳念は、一方的にやられていた劉北山(小説では北野)と無理やりキスをさせられる。結果的に彼をリンチから救った形になり、それ以降彼女の前には劉北山が現れるようになる。そして警察官の鄭易にイジメの事実を話し、魏莱らが停学処分を受けたことで、ようやく落ち着いた学園生活が送れるようになったのもつかの間、陳念への憎しみを募らせた魏莱らがますます苛烈な方法を取るようになる。母親が出稼ぎに行っていて周囲に頼れる人が誰もいない陳念は、学校にも行かず川辺の小屋に住む劉北山にボディーガードを頼む。


それから陳念は劉北山に登下校を遠巻きに見守ってもらいながら、放課後は彼とバイクに乗ったり街を出歩いたりし、夜は彼の家で受験勉強をし、初めての青春を楽しむ。だが劉北山が強姦事件の容疑者として警察に勾留されていた日に、陳念の前に魏莱らが現れる


大学受験当日、郊外で魏莱の死体が見つかる。警察は先日魏莱に暴行された陳念を容疑者として捜査を進める。このままでは陳念が捕まることに気付いた劉北山は、強姦犯に扮して警察官の前で陳念を襲うことで、彼女を被害者とし、さらに自分が犯罪者だと信じ込ませることができると考える。計画実行の日、警察が来るまでの間、二人は全てが終わった後に再会することを誓うのだった。





 


 


正直な話、イジメをテーマにした暗い映画なんか見たくなかったので、検証するという目的がなければ、いくら話題になろうが絶対見なかっただろう。私は映画原作小説という順に見ていったのだが、映画化するに当たって改変された点が多々ある。思いつくものをここに挙げていこう。


 


 


・小説では陳念が吃音気味で、それが原因でクラスメイトにいじめられたり、劉北山にからかわれる。映画ではそういう描写はなし。


・陳念のパートナーの名前が、小説では北野、映画では劉北山になっていた。


・映画冒頭で陳念が飛び降り自殺した胡暁蝶の死体に上着をかぶせてやり、学生たちがスマホで彼女の死体を撮影するのを防ぐ。


・小説・映画ともに陳念は母子家庭。しかし映画では母親は商売で失敗しており、債権者から逃げるために外地へ出稼ぎしている。だが親子関係は良好。


・映画では陳念が魏莱を殺す。


・映画では陳念と劉北山が共に服役する。


 


他に映画で気になる点


・映画は舞台が2011年なのだが高校生全員がスマホを持っていて、微信(ウィーチャット。LINEみたいなもの)で連絡を取り合っているのが不自然。二つとも2011年当時からあったようだが、そこまで普及していなかったはず。


・陳念が情状酌量されて4年の刑期で出てこられるので、劉北山の行為の重さが可視化されて軽くなってしまう。


 


・イジメ加害者魏莱への同情


 


映画は、大学受験のプレッシャーや家庭内の問題が学生間のイジメを招くという考えを基にし、加害者側の立場を通してイジメの原因を描いている。原作より社会性やテーマ性が高くなった映画で重要になるのが魏莱の役どころ。


 


この魏莱という女生徒は美人で勉強もでき社交性もあり、一見優等生に見える。だが、イジメグループの主犯としてクラスメイトを自殺に追い込んでいるのだから悪魔みたいな女だ。ターゲットを陳念に替えてもその苛烈さは変わらず、陳念を学校の階段から蹴り落とすのは序の口、陳念にイジメをバラされて停学になってからは仲間とともに陳念の家の前に大量のハムスター(何に使うつもりだったのか。食わせる気だったのか?)を持って現れる。これによって陳念が劉北山にボディーガードを頼むことになり、魏莱も一度劉北山から「警告」を貰っているのだが、彼女はそれで諦めるような人間ではなかった。劉北山不在時を狙い、仲間とともに陳念を暴行、彼女を丸坊主にし、その様子を録画するのだ。


 


半グレみたいな暴力性を持っている彼女の真の異常性が発揮されるのはここからだ。


 


丸坊主にさせられただけで何とか助かった陳念は翌日、魏莱に会いに行く。すると魏莱は今までの態度とは打って変わって、昨夜の件を警察に言わないよう陳念に懇願する。裕福な家庭で育った彼女は、去年大学受験に失敗したせいで(ということは陳念より一つ年上?)父親から全く口を利いてもらえておらず、先日の停学の件もあってこれ以上受験に不利になるわけにはいけないのだ。


 


魏莱が単に表と裏の顔の使い分けが上手い不良ではないということは、胡暁蝶自殺の捜査で警察の取り調べを受けている時から明らかだ。失敗を許さない冷酷な父親と、娘のやっていることを全く知ろうとせずただ溺愛する母親に育てられた魏莱は、学校では優秀な成績を収める一方、夜は自由にクラブを周り、悪事に手を染める友人まで持つかなりの問題児になっている。受験失敗後に変貌したのか、元々そうだったのかは分からないが、クラスメイトを自殺させても全く良心の呵責を感じず、自分の行為の重大性を理解していない彼女は、これまで問題と真っ向から向き合ってこなかったのだろう。そこに現れたのが、劉北山に守ってもらって魏莱たちのイジメに耐えた陳念だ。


陳念が真実を語れば受験どころではなくなる。というより、受験を受けられないこと以上の問題がたくさんあるのだが、魏莱にとって目下の要件は受験なので、陳念には何が何でも黙ってもらわないといけない。お金ならいくらでも払うからと陳念にすがりつく彼女には謝罪の気持ちなんかないし、自分のしたことの後悔もしていないのだろう。


 


そして陳念は、喋らない代わりに二度と自分の前に姿を見せるなと伝える。「耐える人」陳念にとって重要なのはお金でも謝罪でもなく、受験に合格して北京に行くことだから、魏莱など眼中にないのだ。


陳念から警察に通報しない約束をもらった魏莱は、さっきまでの泣き顔が一転して安心した表情になり、石段を下りる陳念に親しげに話しかけ、ついには「今までのことは水に流して友達になろう」と言う。


「お母さんも言ってたんだ。喧嘩をしなきゃ本当の友達になれないって」


これは煽っているのではなく、彼女は自分が丸刈りにした少女に対して本心からこう言うのだ。もちろん陳念は無視を決め込む。だが魏莱からすれば、この話はさっきで終わったのだから、まだ怒っているのはおかしい。だから続けて、「本当にお金はいらないの?」と心配そうに聞く。しかしこれがいけなかった。


母親が商売に失敗して陳念の家が貧乏なのは魏莱も知っている。だから彼女は、「お金があったらあんたのお母さんも楽になるでしょ」と親身になって問いかける。


だが、魏莱の口から母のことが出たことで陳念は頭に血が上り、とうとう魏莱を石段から突き落とす。石段を転がり、頭を打って絶命する魏莱。彼女は最期まで何が悪かったのかを理解せず、何で死んだかも分からなかったのだろう。


 


この映画一番の巨悪を主人公が殺したというのに、全然スッキリしない。それはこの映画が、魏莱もまたこの社会の犠牲者であり、劉北山と出会って救われ、社会からも情状酌量が許された陳念みたく、彼女も誰かが救われなければいけない「若者」だったという描き方をしているからだ。


 


 


・無力な大人鄭易のあがき


 


この映画の主人公として挙げられるのは陳念と劉北山だが、3人目として登場するのが警察官の鄭易だ。彼は本作の大人の代表として、現代の若者たちを取り巻く環境と彼女たちの行動に戸惑う。


終始陳念の味方でいる鄭易は、言わば「法の下にいる劉北山」であり、彼女のもう一人のボディーガードだ。しかし肝心の陳念からはあまり頼りにされておらず、そのことを自分でももどかしく感じている。


この映画の子どもたちは、大人からの庇護を拒絶する。自分たちを苦しめるこの社会(状況)を生み出した大人が一体何をできるんだと常に問い掛ける。まだ若い警察官の鄭易は陳念たちに何度も寄り添おうとするのだが、「大学受験があるからイジメのことは言わなかった」という陳念の言葉に驚くなど、今の子どもがどれだけ過酷な環境を生きているのかがよく分かっていない様子が描かれる。


 


彼の能力が発揮されるのは物語後半、陳念の魏莱殺しの罪をかぶった劉北山を取調べしている最中だ。連続強姦犯に扮して陳念を襲っているところを逮捕された劉北山は魏莱殺害も自白し、陳念から捜査の目を逸らそうとする。鄭易には二人が嘘を吐いていることがすぐに分かったが、何も証拠がない。若者二人は全く尻尾を出さず、劉北山は陳念のために刑務所に行く覚悟があり、陳念は何年かかろうとも劉北山の出所を健気に待とうとしている。だが、真正面に罪と向き合おうとしない二人を許すわけにはいけない彼は、なんと強姦犯として捕まった劉北山とその被害者である陳念を面通しさせる。もちろんれっきとした規律違反だが、彼の捨て身の行動でも二人が真実を明かすことはなかった。


そこで彼は次の行動に出る。受験に合格した陳念のもとに来た彼は、劉北山が死刑になったと告げる。何年後かに一緒になることを待ち望んでいた陳念にとって、これは最悪の知らせであり、彼女はその場で泣き崩れる。しかし、これは鄭易のウソ。彼女の本心を引き出すために繰り出したブラフであったのだ。そして、陳念に「本当のことを話せば二人とも罪が軽くなる」と説き、ついに彼女を説得する。


 


これには、懐柔でも脅迫でもなく、ドッキリを使って自白させんの?!と、見ていて驚いた。この鄭易の行動は、全く心を開いてくれない陳念への意趣返しにも、愛のために全てを投げ出せる劉北山への嫉妬心にも見え、とても大人気なく感じた。


 


・イジメ被害者にメッセージ


映画のラストでは舞台が2015年になっている。4年間の刑期を終えた陳念が学校(英語教室?)の先生になり、何か悩みを抱えてそうな少女に寄り添って歩いているその後ろで劉北山が見守っている。


そしてスクリーンには中国が2015年から取り組んでいるイジメ対策の内容が次々と流れ、劉北山役の易烊千璽(イー・ヤンチエンシー。お前、易が名字で烊千璽が名前だったのか…)が、「イジメを見て見ぬ振りするな」という励ましのメッセージを観客たちに送る。


なぜこの映画が現代ではなく2011年なのか。2011年ではまだメジャーじゃなかったスマホや微信を学生たちが使っているのはなぜか。その原因を色々考えてとてもシンプルな推測が生まれた。この映画は元々現代を舞台にしていたのだが、それでは上映の許可が下りなかったので、イジメ対策がまだ完全ではなかった2011年を舞台にすることで、許可をもらう代わりにリアリティを犠牲にしたのではないだろうか。更に一歩踏み込んで考えると、この映画を海外でも上映したいと考える人間(監督たちではない)の目的は、映画の内容ではなく、ラスト数分の中国のイジメ対策の成果の喧伝なのではないか。


 


中国の映画で殺人を犯した未成年者が罪に問われないなんてありえないので、陳念が魏莱を殺害していたことが明らかになった時点で陳念逮捕は予想が付いた。しかし情状酌量を認められて4年で出てこられてるというオチは、ハッピーエンドにも見えるが、愛する女性のために自分の人生を犠牲にしようとした劉北山の覚悟に泥を塗る描写でもあり、はっきり言って蛇足だ。


魏莱とは何だったのか。そもそもイジメなんか本当にあったのか。ハッピーエンドをしっかり描いてしまったことで、これまでの不幸が全て薄っぺらに思えてしまう終わり方だった。やっぱりここは『容疑者Xの献身』のように二人共罪を償うことを決めて終わるか、『白夜行』のように男が死のうが女は一人で生きていくという終わり方にしたほうが良かった。


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