海外ミステリー大賞シンジケートのコラム「第64回:中国小説界に深く根を張る東野圭吾」で少しだけ紹介した小説のレビュー。
中国に「中国版白夜行」を謳う小説は数多くあれど、本作はそれらとちょっと性格が変わっている。ほとんどの作品が『白夜行』の各種要素を引用して自分なりの小説を書いているのに対し、葵田谷の『月光森林』は言わば「俺が書いた白夜行」であり、リメイクや焼き直しと言った方が良いかもしれない。
違法マッサージ店を経営する女の息子の尹霜は、目や腕が不自由な父親を介護する少女・秦小沐と図書館で知り合い、彼女の姿に変装して、代わりに父親の世話をするよう頼まれる。
そして1995年4月、尹霜の母親のマッサージ店で火災が起きる。母親の焼死体が見つかるが、死体の背中には刺し傷があり、事故ではなく殺人事件であることが明らかになる。それ以降、尹霜は親戚に育てられることになるが、数々の奇行が目立つようになる。それから20年間、多くの人々の人生にこの2人の存在が陰を差す。
物語は2人を中心に進むのではなく、彼らに関わった第三者の視点で進み、その背後で暗躍する様子を間接的に描く。具体的にどの辺りが『白夜行』と酷似しているのかは書かない。最初に言ったように、本作は「俺が書いた白夜行」であり、ラストでハサミが出てきた時は思わず笑ってしまったほどだ。しかしオチが全く違っていて、その余りの驚愕の真相に、なんでここだけオリジナルにしたんだろうかと、心の底から蛇足だと思ってしまった。
作者の葵田谷はインタビューで、「読者が自分の小説と東野圭吾の小説に似ている所を見出だせなければ、それは私の徹底的な失敗」と言っており、東野圭吾を真似ていることを隠そうとしていない。だが、公言すれば良いというわけでもないと思う。また同作者の短編集『金色麦田』は、それぞれ『悪意』『秘密』『仮面山荘殺人事件』『容疑者Xの献身』のインスパイアだ。
本人がどれぐらい東野圭吾のことが好きなのかは知らないが、本書を刊行した出版社にリスペクトが感じられないことが、帯に書かれた文章からも分かる。「『白夜行』よりもっと重々しい孤独の歌」と書いて宣伝しているのは、厚顔無恥以外の何者でもない。それに、他にも村上春樹の『ノルウェイの森』?からの一節を引用しているが、ここで東野圭吾の『白夜行』から引用してこそ、作品の本当の完成とは言えない。
それに作者の卑しさを感じる点もあり、それはインタビューでは堂々と話すくせに、自著の中で作者自身が自著と東野圭吾作品の深いつながりを書いていない点だ。本書でもいっそ「自分なりの白夜行を書いてみました」と正直に書いていれば、少しは印象が変わったかもしれない。
一応、本書の良いところも挙げておこう。まず文章が非常に読みやすいという点だ。「読みやすい文章」という評価を嫌う作家もいるらしいが、外国人である自分にとって中国語の小説はまず読みやすくないと読書に支障が出るので、これは非常に評価できる。
そして何よりも、こういう同人誌的な小説を商業作品として世に出せる作者の肝っ玉の太さだろう。しかも、裏表紙には中国ミステリー界隈の名だたる作家の推薦文が載っており、彼が業界内で不利な立場にないことが分かる。
上記のコラムで、『容疑者Xの献身』『白夜行』の盗作疑惑が持たれており、映画化作品が大ヒットしたことでその疑惑がますます炎上した小説『少年的你』を紹介した。しかしながら、一応盗作を否定している『少年的你』以上に、「似てないと感じてもらえない方が失敗」と言い放つ『月光森林』及びその作者葵田谷について、もっと話し合う必要があるだろう。
レビューサイト豆瓣では擁護派と否定派がレビューでそれぞれの観点を発表しているが、その中で、日本の小説が大嫌いな人間が、この本を評価していることに失笑してしまう。つまらない日本の小説も、葵田谷の手によって面白く生まれ変わったという擁護派による意見なのだが、少なくとも葵田谷は東野圭吾の本が好きで真似しているのだから、この応援は作者の背中を刺すような行為だ。それをわざわざレビューまで発表しているのだから、やはり一番厄介なのは、味方側の無能な働き者だということを教えてくれた。