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プロフィール
HN:
栖鄭 椎(すてい しい)
年齢:
40
性別:
非公開
誕生日:
1983/06/25
職業:
契約社員
趣味:
ビルバク
自己紹介:
 24歳、独身。人形のルリと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。



副管理人 阿井幸作(あい こうさく)

 28歳、独身。北京に在住している、怪談とラヴクラフトが好きな元留学生・現社会人。中国で面白い小説(特に推理と怪奇)がないかと探しているが難航中。

 Mail: yominuku★gmail.com
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このブログは、友達なんかは作らずに変な本ばかり読んでいた二人による文芸的なブログです。      
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神経質な人間ほど気に病む事件と日常的に遭遇する。

北京行きの飛行機の中で、日本にいながら海外旅行の洗礼を受けた日本人一家の母親に妙な気を揉まされた。

 

ボクの前に座っている一家の母親は座席が窮屈なことに不満を漏らしていて、「うしろの席は空いているのに」と娘たちに呟いている。後ろというのはボクが座っている席のことだ。

あまりにも早く搭乗手続きを済ませたからなのか、ボクに割り当てられた座席の窓際・真ん中・通路側の3席のうち、2席が空席だった。

他人に気兼ねせず寝られるだろうと思いきや、荷物入れを中国人観光客の団体に制圧された機内はこれを喜べる状況ではない。

座席が空いているのは空港側のはからい、というか席決めが疎かなだけなのだが狭い席に詰め込まれた乗客にはそうは見えない。自分が苦しい思いをしているおかげで、コイツは広々とした空間で寛いでいられるというとんでもない逆恨みを抱かれることもある。

少なくとも、前に座っているオバサンの文句の矛先は針の先ほどボクに向けられているように聞こえた。

 

文句や怒りってのは飛び火するものである。

 

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バス停の後ろに店を構えるツマミ屋が五道口にある。ピリ辛に味付けした鴨の首や水かきなんかを量り売りするこの店舗は全国に分布しているチェーン店のようだ。歩道に面したショーケースに並ぶ味の濃そうなツマミを見ると、醤油色をした鴨の首の肉をこそぎ食ってビールでも飲もうかという気になる。一味唐辛子が振りかかったイカゲソも美味そうだ。

 

しかしどうも食指が動かない。懐が寒かったのが理由かもしれないが、ビールで一杯やるのはまた今度にしてバス停に並ぶことにした。

 

すると離れて見てようやく気付いたことだが背後の店の宣伝がうるさい。この通りは飲食店や服屋が立ち並ぶ人通りの多い場所だが宣伝を流しているのはこのツマミ屋一店だけだ。「武漢の伝統的な鴨首がどうのこうの」という平坦な声量の宣伝が何度も何度も耳に入り、ヒアリング能力が鍛えられる。

 

いまどきこんな大音量の宣伝をしている店があるなんてと後ろを振り返って驚いた。同じ宣伝文句の繰り返しでてっきりラジカセをかけているのかと思ったら、ショーケースから少し離れた路上でマイクをつけた女性店員が立っている。

本棚を漁っていたら帯文に『東野圭吾に比肩する』って謳い文句が書かれた小説がまたもや出て来た。なんだろう、『東野圭吾』って名前は中国のミステリ界では使いやすいキャッチコピーになってるのか。

猟奇色と伝奇色が濃くて東野圭吾とは畑が違うような気がするのだが、当分はこの本を読むことにしよう。

 

 

本を読んでりゃちょっとしたことから自分が探している疑問の答えが見つかる。なんてことを大学時代の恩師に言われたことがある。その明瞭な言葉はわかりやすいが上に的を射ており、それ以降ボクは予期せぬところで長年の疑問が解消されるたびにこの言葉を思い出す。

 

System Of A Downというアメリカのロックバンドがある。メンバー全員アルメニアコミュニティ出身という異色なユニットで、歌詞は政治的な意味合いと反戦メッセージが色濃く出ている。特徴的な単語を羅列しただけのような歌詞は、一つ一つの単語ではインパクトしかないのに歌詞全体を俯瞰すると何か素晴らしいメッセージが散りばめられているのではないかと、当時高校生だったボクはそう感じた。

 

このバンドにSugarという曲がある。その出だしが日本人には衝撃的で「ザ コブチャ マッシュルームピープル!と叫ぶのである。

何で昆布茶が?と当時はかなり悩んだが、このバンドの歌詞の一単語に意味なんか考えても仕方がないと置いておいたのだが、先日日本からたまたま持ってきた四コマ雑誌にその答えが書かれていた。

 

全ての四コマ雑誌に言えることではないが、一部の雑誌はページの欄外(キャラクター紹介をしたり来月号の予告をする場所)に簡単料理のレシピや豆知識を書いている。その号の欄外特集がキノコ特集で、あるページに昔日本で流行った『紅茶キノコ』のトリビアが書かれていたのだがその内容がなんと『コブチャ』なのだ。

 

紅茶キノコの効能は欧米でも知られていてスーパーでも売られている。しかし紅茶キノコが欧米に入ってくる際に昆布茶と取り違えられたようで商品名がKombuchaと言うのだそうだ。

 

つまりSystem of a downSugarで歌われている『ザ コブチャ マッシュルームピープル!』はキノコ繋がりという意味がちゃんとあったのだ。

 

だからといってSugarの歌詞の意味がわかるわけではないのだが、答えってのは妙なところに落ちてるモンだと感心した。

その人の漫画を始めて読んだのは高校三年生の頃だったか。ずっと昔から親の本棚にあるのに、歩み寄っていると思われるのが恥ずかしく興味を持たないようにした。

しかし読んでみると、その四コマ漫画にはまってしまった。青年誌掲載で不条理や哲学がテーマの学生が理解するには難解すぎたが、つまらないとは思わなかった。きっと自分の読解能力が足りないのだろうと、辞書を引き、漫画のネタになった専門書に手を出したこともある。
四コマ漫画の癖に20巻ほどの単行本が出ていたがすぐに読み終えた。

物足りなくなり、その作者が描いた別の漫画も全部読んだ。

新刊が読みたくてたまらず、親の代わりに本屋で買っていた。

大学に入学すると帰省するたびに本棚から単行本をかっさらい、全てに目を通した。一度読んでいる内容に新しい笑いを発見した。例え読者に理解させないよう描いた漫画でも、何度も読み返すと作者の意図がわかるようになり誤解が解かれていった。不条理な四コママンガは徐々に難解ではなくなった。

せっかく初期作品を理解できるほどの年齢になったのに、作家の方は新しい読者に受けようと、初期作品に存在していた作者の描いても書いても充ちぬ自己満足の慢性的な欠乏感がなくなり、良い意味で言えば洗練され、古くからの読者が見ればきっと物足りない内容になってしまった。四コママンガも不条理系ではなく、作者が実際に見聞きしたことをネタにする実録系になっていった。

大学を卒業する頃になると、雑誌上にこの作者が連載している漫画を見つけることが難しくなった。新刊を買うと初期シリーズにあった読者に漫画の面白さを半ば強迫的に訴えかけるクドクドしさが復活していて、ページを透かして裏から見ると歪みに歪みまくっていた絵柄は見やすくなっていた。

だが、この読みやすさは果たして求めていたものだったのか。そもそも、読みづらくて誰かを頼りたくなるような難しい内容だったから自分は好きになったんじゃないだろうか。

その後もその作者は掲載誌を転々として細々と漫画を描き続けた。ボクは逃亡犯のような彼を追い続けるのに疲れてしまった。彼の噂はごく稀に耳に入ったが、予想を裏切るグッドニュースは一つもなかった。

その作者は萌え四コマとは対をなす、ネタ重視の漫画家だったからその凋落を見るに忍びなかった。


興味を失った作家の今後
なんか見ない方が良いだろう。だが彼がホームページを運営しているとの噂を聞いて、少しばかり残酷な読者心理を見せてそのサイトを覗いてしまったのだ。

日記と刊行情報を主とするサイトのBBSはファンとの交流場所になっていて、管理人である漫画家は丁寧に返信をしていた。日記は趣味のこともあれば、昨今の漫画業界に対する怒りや期待を綴っていた。

しかし、読者であったボクは思った。
ホームページにクドクド書くぐらいなら、それを漫画にしろよ。第一線から遠退き漫画を売れなくなった人間なんてブログぐらいしか意見を表明できないのか。

漫画家なら漫画で表現してくれ。

ネットがない時代、消えた漫画家のいまを知るのは大変難しかったし、彼らも漫画以外で自己を主張する術を持っていなかった。だから『消えた漫画家』なんていう珍奇な特集本に価値があった。

しかし現在、力を無くした漫画家が読者の前から消えることは大変難しい。ネットに拠点を移し再起を図っている人間もいるだろうが、しかし読者はそこに現役を退いたロートルの悲哀と新しく生まれてくるものへの嫉妬を感じる。

ネットのおかげで読者は作家との距離をだいぶ縮めたが、『ただの人』になってしまった作家たちの老醜とも呼ぶべき姿を目撃することになる。

今回帰省して本棚の奥の方に突っ込まれた漫画を再び手にとって読んだ。漫画以外に自己表現の場所がないと打ち込んでいる作者の鬱憤や不満が詰まっている初期作に、高校生の頃よりも面白さを感じた。そして、現在はネットが一番の情報発信の場所にしている作者のことを思うと、それ自体が自虐ネタに見えてくるのである。



古書店に行っても目当ての本が見つからない。こんなことしょっちゅうだ。そういうときって皆さんはどうするだろうか?

 

手ぶらで帰る?それはもっともな意見だが、ちょっと肝心なことを忘れている?確かに、古本屋なら長居しても手ぶらで帰ることに抵抗はない。しかしその場所が古書店だったら?本に囲まれているのに全然楽しそうじゃないお爺ちゃんがいて、20年前の実用書にまだ平気で半額の値を付けていて、店内で一番面白い本って店主の周りに転がってるんじゃないかって誤解する古書店で手ぶらで帰れるだろうか?

 

そもそも古書店なんて長時間本を読むところではない。本棚をざっと見上げてお目当ての物がなければさっさと立ち去ればそれで済むことだ。だが気になる本を見つけたら手に取ってパラパラ読んでみたくなるのが人情というもの。そして「ふんふん」「へー」など店主に聞こえるかどうかの声量でうなずき、裏表紙ではなく見返しに付いている値札を見て棚に戻す。

 

さっ(棚から本をつまみ取る)

パラパラ(目次と後書きに目を通し、コレが何の本で作者はどんな人物か調べる)

へーほー(中身を読み理解をしたフリをする)

あー(予想を上回る値段に驚く)

 

この動作を繰り返すと店を出るタイミングを完全に逃す。

自分以外の客は頃合いを見計らって出て行っているので、いま店主に注目されているのは自分しかいない。

 

さてここでどういう行動を取ればいいのか。


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