お酒は好きだけどアルコールが苦手だって人は多いけど、そういう人に限って飲み方がわからず宴会後に地獄を見るはめになります。
お酒を飲める人にとっては、何でコイツは自分の酒量をわきまえてないんだと眉をひそめているでしょうが、下戸には下戸の言い分があるということをわかってほしい。
僕は大学時代からずっと酒好きの下戸で通していて、飲み会のたびにトイレの住人になるという輩で、この年になっても友人に迷惑をかけ続けて、おとといも友人の世話になってしまった。
別に酔っ払って誰かに絡むとか罵詈雑言を吐いたり暴れたりすることはないんだけど、馬鹿の一つ覚えみたいに朝目が覚めて自己嫌悪にもだえることが毎回ある。何度『もう飲まない』と心に誓ったかわからない。なんで下戸がこんな悲惨な目に遭うのかと、早朝にどうやって帰ったか記憶にない頭で考えてみたんですが、下戸に限って酒の楽しみ方を間違えてるからだと思います。普通の人は酒を飲んで楽しいことをすると考えているのに、下戸は酒を飲めることが楽しいって思ってしまうんですね。
おとといの僕を例に出してみましょう。
その日は日本人の友人の誕生日で浙江省料理屋で多くの外国人たちとともに多国籍的なパーティを開きました。その主役の友人、自他共に認める『のび太フェイス』で自分から『ノビ』とあだ名で名乗り、日本人からも外国人からも『ノビ』と呼ばれているのですが、僕は彼のことを藤子・F・不二雄先生が描いた『のび太』よりも水木しげる先生が描く『サラリーマン山田』にしか見えないので『山田』と呼びたいのですが、やはりネームバリューに押されて一度も呼んだためしがありません。ただ、最後の抵抗で僕だけは彼のことを本名で呼びます。
閑話休題
誕生日会はビールで始まりました。中国のビールは味が薄く、アルコールと苦みが少ないので物足りないという人がいますが、ビール嫌いの僕にとってはありがたいものです。
それをビン三本ほど飲むと、酔いが回ってきた友人とともに紹興酒(アルコール度数20度ほど)を頼み、最後は白酒という癖のある中国式のウォッカを飲んでから黙ってトイレに向かいました。
平たく言えばチャンポンしたんです。発泡酒、醸造酒、蒸留酒という順番で。
でも僕はこのチャンポンが大好きなんですよ。徐々にアルコール度数を高くして普段なら飲めない強い酒をグイグイと麻痺した舌や喉で味わうのがたまらないんです。
地獄を見る下戸の人間って、自分が強い酒を飲めていることが嬉しくてたまらずそれを肴に更に飲んじゃうから結果的に飲まれちゃうんじゃないのでしょうか。
酒の力が精神を高揚させて五感が狭く鈍くなって、感覚だけがどんどんどんどん上にのぼっていく感じ。
ある程度のところまでの上昇だったらゆっくり下降できるんだけど、ピークまで行ったらあとは転げ落ちるだけで、翌日酒の臭いの幻覚を感じながら二日酔いとみじめに戦うんですよ。
宴会だからと言って酒だけを楽しんでたらダメなんですよ。仲間との会話があれば、酒など少量あれば十分なのです。自分の酒量も守らず一人でハイペースで飲み続けて、せっかくの楽しかった記憶をゲロとともに失うなんてもったいない。
上戸の人っていうのはお酒が強いだけじゃなく、友人との会話を大切にしているんじゃないでしょうか。酒を美味く飲める人は、人と上手に付き合えるんだと思う。