別のブログを作った栖鄭 椎が千原兄弟のコントの話をしていたのに触発されて、千原ジュニアの「すべらない話」について話したくなった。
お笑い好きじゃなくてもほとんどの人が知っているだろう『人志松本のすべらない話』。そのレギュラーの一人、千原兄弟の千原ジュニアにはこれまで話した数多くの「すべらない話」があり、現に一つもすべっていないのだが(僕が中国に行く前の話)その中で僕が特に好きな話がある。その話はとても短く、時間にすると三十秒程度の場つなぎ的な話だったけど妙に印象に残っている。
それはこんな話だ。
千原兄弟が仕事で新幹線に乗って東京から大阪へ行ったときのこと。兄貴は買ったばかりのジャンプを読み、道中の暇つぶしをしていた。そして目的地に着いた兄貴は改札の駅員に、切符じゃなくてさっきまで読んでたジャンプを渡した。
本当にこのぐらい短かったけど、だからこそ記憶に残っている。そして僕はこの簡単に紹介できるすべらない話を聞いて、「すべらない話」が自分のものにならないかなと考えるに到った。
「すべらない話」だけではなく、いわゆる芸人の漫才は日常生活の中でも使えるネタが豊富だ。「あるあるネタ」なんかはその最右翼でお笑いのセンスがない人でも気軽に使える。しかしそういうネタは多くの人が知っているし、一度使ってしまえば二度はないインスタント的ネタなので実は使いづらい。
では基礎がしっかりしている漫才はどうかと言うと、これは漫才と同じような状況を現実に作るのは難しいし、台本通りに進まないと誰の手にも負えない惨状になってしまうのでお勧めできない。
しかし「すべらない話」のように一個の独立した起承転結のある話なら話題を変える意味でも自然に話せる。さらに、物語の形態をしているために構造だけを変えずに話の表層だけを変えることも可能だから、さも自分の持ちネタのように自信を持って話せるしパクリ疑惑も生まれなくなる。
じゃあジュニアのすべらない話を自分のものにすべく分析してみよう。
まずこの話の主役は兄弟や友達などの身近な人物であり、聞き手も知っている人物でなければいけない。
話題となる場所は一般的でなければいけない。
「一冊250円のジャンプ」と「東京―大阪間の切符」という金額や社会的価値などの隔たりが大きく、その違いを誰もが知っている物が必要である。
しかしこのすべらない話には、ここでは語られていない背景があった。
1、千原兄弟の兄貴に関するすべらない話はこれまで何度も紹介されていた。
2、ジュニアにとっても他の芸人にとっても視聴者にとっても、千原兄貴は非常に『残念』な兄である。
3、兄貴は三十を超えていると言うのに幼稚で、買ったジャンプを車中で大笑いしながら読んでいた。
これらの背景は笑いを補足するものにすぎないが、すべらない話を更に面白くするものであり、これがあったからこそこの話は僕の記憶にも残っているのでしょう。だから、ちょっと間の抜けた友人では主役として力不足なのです。言い換えればこれは、千原ジュニアでしか話せない千原兄貴のすべらない話でしょう。
これらの点を考慮すると他人の「すべらない話」を真似して自分のものにするのは簡単ですが、原本以上のものをつくることは容易ではない。だから生半可な創意工夫は怪我のもとだ。
結局、千原ジュニアのすべらない話を意味もなく分析しただけになりましたが、もしも分析対象がくりぃむしちゅーの上田なら「オレを分析するな、ただし興味は持て」と言ったでしょう。
本当にお笑いというものは積み重ねが大事だ。