本書『5月14日,流星雨降落土抜鼠鎮(5月14日に土抜鼠鎮に流星雨が降った)』の帯には次のような文章が書かれている。
文章力は東野圭吾や湊かなえに匹敵する。
不条理で超現実的な手堅い傑作。
読者から中国版『告白』と評価される。
中国のミステリー小説が、東野圭吾やその代表作『白夜行』『容疑者Xの献身』などを比較対象にするのは珍しくないが、湊かなえや『告白』が持ち出されているのを見るのはこれが初めてだ。
その他、ミステリー小説には似つかわしくないポップな表紙、まるで日本の小説のような長いタイトルに興味が惹かれて買ってみたのだが、これがなかなか面白かった。ちなみに土抜鼠とは中国語でマーモットを意味し、土抜鼠鎮という鎮(町のような行政単位)は当然現実にはない。
土抜鼠鎮人民医院に務める医者の孔子には悪癖があった。マンションの部屋から望遠鏡で向かいのマンションの各部屋を覗き見するのだ。中でも彼は気になる一人暮らしの女性に「竜舌蘭」という名前を付けて、実際に会って会話をするストーカー行為を行うほどのめり込んでいった。ある日、竜舌蘭が部屋に男性を呼び、そのまま一夜を共に過ごす様子を見て孔医師はショックを受ける。だが当日の深夜に、人目を避けて大きなゴミ袋を捨てる竜舌蘭を見た孔医師は、重大な事件の発生を想起して怯える。
費菲は10年前に娘の費南雪を学校の教師に殺されており、逃亡した教師「π先生(パイ先生)」をずっと追っていた。そして娘が10年前の5月14日に書いた日記からπ先生の現在の居場所を突き止めた彼女は、名を変えて土抜鼠鎮の森林保護員として働くπ先生と接触し、部屋に連れ込むことに成功したのだった。
本作は10年前の5月14日に土抜鼠鎮に流星雨が降った夜に端を発する殺人事件の関係者が過去を供述する、章ごとに異なる視点で展開される一人称小説だ。
覗き見が原因で事件の一端に触れてしまった孔医師、復讐に燃える母親の費菲、費菲に殺されて生首になってしまったπ先生、費南雪の元カレで現在はペドフィリア撲滅組織に属する井炎、そして10年前に殺された費南雪だ。5人はそれぞれ、他人には語れない自分の過去を告白するとともに自分なりの真相を語り、10年前の費南雪殺人事件にどんどん肉付けをしていく。そして、最終的に被害者である費南雪本人の口から当時の真実、さらに孔医師を除く3人への思い出が語られる。
各人物の嘘偽りない本音の吐露が、人間の醜い部分をさらけ出してくれていてとても面白かった。昔は薬物依存者で費南雪を全然育てられていなかったというのに、娘を殺された恨みだけは人一倍持っている費菲の身勝手さと愛情。教師時代に生徒の費南雪を個人的に金銭援助し、最終的に大金を恐喝されてしまい、現在は生首になり冷蔵庫に入れられているπ先生へ向けられる軽蔑と同情。そしてヤク中の母親のせいで金銭面でも愛情面でも全く恵まれず、愛する井炎のためにこれまで散々無償援助をしてくれたπ先生を道具とみなして切り捨てようとする費南雪のワガママと不幸。
人間として誰もが他者に持っている感情的な矛盾や冷酷な優先順位を描いている。各人物の造形や過去は不幸であるがゆえにありきたりなのかもしれないが、ユーモアがある会話やエピソードがたびたび挟まれることで読んでいて全然飽きず、結局1日で読んでしまった。
帯で書かれている中国版『告白』の要素とは、章ごとに物語を見る視点が切り替わるところだろうか。母親が娘のかたきを討つという点だろうか。湊かなえのような文章力も当然含まれるのだろうか(手元に『告白』がないので比べようがないが、ウィキペディアを読むと死体を冷蔵庫にしまわれる女の子がいるそうだ)。そして、子ども時代の費南雪と井炎が貧困でも互いに助け合う様子は、東野圭吾の『白夜行』のリスペクトだろうか。
仮に作者がその有名作家から特に影響を受けて、それを意識して作品を執筆していても、出版社からオリジナルとなった名前を出されてしまったら、作品がまるで二次創作のようにしか思えなくなってしまう。それとも出版社や作者は、読者に元ネタ探しをさせて、「分かってやってますよ」感を出すのが目的だろうか。
作者も出版社もリスペクト精神を示すようにあえて正直に元ネタ要素をそのまま残しているのかもしれないが、それが将来ヒットしたときの盗作疑惑につながるので、「原作」要素をもう少し隠すというか作品をより磨いて、その良さを真に自分のものにしてほしい。