神探福邇,字摩斯(名探偵フー・アル、あざなはモースー) 著:莫理斯
1800年代の中国・清朝末期に辮髪のホームズがいた?彼の名前は「福邇」(フー・アル)、字(あざな)は「摩斯」(モースー)。光緒年間、イギリスの植民地だった香港を舞台に、元軍人で医者の「華笙」と共に彼は警察も手を焼く難事件の数々を解決する。
香港の中国ミステリです。
中国語では非漢字圏の外国人の名前は音訳して中国語に表記されます。ホームズは「福爾摩斯」(発音はフーアルモースー)、相棒のワトソンは「華生」(ホアション)という表記になります。
本書は満州族で辮髪の名探偵「福邇」(福が名字)と偶然香港で知り合ってしまった「華笙」(華が名字)が彼と遭遇した様々な事件を記録した文書を、杜軻南(ドゥー・クゥナン、コナン・ドイルのもじり)という編集者が出版した『神探福邇全集』を整理して、現代で改めて出版したという体裁の短編集です。
収録作品をざっと紹介します。
血字究秘
怪我で軍隊を辞めた華笙は居留先の香港で福邇と言う物事全てを見通す男と出会う。そのとき殺人事件が発生し、警察に協力を求められた福邇と共に現場に向かう華笙はそこで「仇」と読める血のダイイングメッセージを発見する。
紅毛嬌街
アパート経営する老人・季連徳のところに同じ一族だと主張する若者・季連昌が訪れ、家系図を写したいのでその間部屋を貸してくれと頼まれるが、いつまで経ってもその作業が終わらない。更に、アパートに住む西洋人の女性の挙動もおかしく、季連徳は福邇を有名『占い師』と見込んで彼らが何をやっているのか教えて欲しいと依頼する。
黄面駝子
スコットランド人の孟離窶(中国語名)はイギリス人の恋人・夏伊芙(中国語名)がイギリス人の退役軍人・バークレーから脅されているようなので、福邇に彼女を守って欲しいと依頼する。福邇と華笙が夏伊芙の調査をすると、彼女の周りに「駝子」(くる病患者)の中国人男性が潜んでいることに気付く。そして数日後、バークレーは遺体となって発見され、その駝子が容疑者として捕まっていた。
清宮情怨
お忍びで香港を訪れている清朝の王子から、金の指輪を盗んだ女性を捕まえるよう頼まれた2人。女性を見つけた福邇らだったが、王子はもとからその女性を殺すつもりで護衛の兵士に福邇たちを尾行させていた。福邇は女性の命を救うためにその兵士らとやりあうことになる。
越南譯員
フランスのために仕事するベトナム人華僑・陳が福邇を訪れ、同じく華僑の阮が何者かに誘拐されたと訴える。福邇は、辮髪もなく外国のために働く売国奴など助ける必要もないと怒る華笙をなだめながら、誘拐されたという証拠もないので力にはなれないと依頼を断る。しかし翌日、警察が訪れ、昨日誘拐された阮が解放され、代わりに陳が誘拐されたと知らされる。
買弁文書
欧米諸国と貿易する商人の何東は社員を募集する商社の社長・馬に賀という人物を推薦する。しかしその後、賀のもとに電報で馬の商社以上の好条件の仕事の紹介と、このことは誰にも言うなという警告がセットで届く。賀を馬の商社に推薦することが第三者にバレていたのではと疑う何東は情報流出を疑い福邇に調査を依頼する。
各話はおそらくホームズ作品のパスティーシュになっています。「血字究秘」は「緋色の研究」、「紅毛嬌街」は「赤毛組合」、「黄面駝子」は「背中の曲がった男」、「清宮情怨」は「ボヘミアの醜聞」、「越南譯員」は「ギリシャ語通訳」、「買弁文書」は「海軍条約文書事件」でしょうか。
福邇は原作同様、頭脳明晰であるばかりか当時最先端の科学技術も知っています。多言語に通じ、共通語の他に香港の広東語、留学先で学んだ英語、日本にも留学していたことがあるので多分日本語も可能という人材です。付け鼻とカツラを付ければ西洋人にもなれるという変装術を持ち、腕っ節も強い。本家ホームズとは違い、コカインではなくアヘンをやっているという当時の情勢を忠実に再現した(?)ちょっと危ない描写もありますが、清朝もイギリスも認めるほどの優秀な人物であることは間違いありません。
華笙の方も検死ができるし、人情味があるという設定で観測者としてよく周囲を見ています。基本的に外国人とも仲良くしますが、国際情勢における中国を憂いる愛国者でもあり、自国のために行動しない中国人に対して結構感情的です。
漢字がミスリードのもとになっていたり、方言が重要な鍵となっていたり、香港の言語や文化に理解がないと楽しむのが難しい一方で、当時の中国人は夜に自由に外出できなかった(外出証を持っていると可能)など、中国が置かれていた状況も知ることもできます。
本書は「第1集」という体裁ですので今後続編が出るのか期待。でもこれってシャーロック・ホームズの精巧なパロディということを考えるとずっとその路線で行くのはかなりしんどそうですね。