春節長期連休で暇なので中国の動画サイトで公式がアップしている中国映画を見ています。中国の動画サイトはサイト自体に一度お金を支払った後はその期間内有料映画も有料アニメも全て見放題になるので、時間があるときに一気に見ることができます。
んで、今日は同名の中国有名サスペンス小説を映画化した『心理罪』を2作品見ました。
『心理罪』とは作家であり中国刑事警察学院で刑法学を教えている雷米の書いた長編シリーズで、そのうちの『画像』と『城市之光』(都市の光)が2017年の8月と12月にそれぞれ映画化されました。しかしこの映画、確かに作品内のキャラクターなどは同じなのですが厳密には連作と言えず、1作目と2作目では映画監督もキャストも異なります。また、ドラマシリーズにもなっているのですがそれもまたキャスト等全く違います。
今回はその映画2作品のレビューをアップしますが、ガッツリネタバレしているのでご注意ください。
1作目『心理罪』
原作では2作目の『画像』を改編した映画。若き犯罪心理学の天才・方木と昔ながらやり方を好むベテラン刑事・廖凡が吸血鬼犯罪に挑む。
人の生き血と牛乳を混ぜて飲む連続殺人に遭遇した廖凡は知り合いの心理学者から方木を紹介される。実力は確かだが他人の気持ちを全く考えず、全然警察らしくない心理学馬鹿・方木に反感を覚えながらも彼を見守り、認めていく廖凡。方木も頭の固い廖凡に反発しながらも被害者を最優先する姿勢を貫く彼に尊敬の念を抱く。しかし犯人の魔の手は方木の恋人にも忍び寄る。
頭は良くてイケメンだけど全くの貧弱でしかも人も気持ちや空気が読めない方木と、中国語で「野獣派」と紹介されるほど男臭い廖凡の対比や和解を通じてお互いに足りない部分を補い合っていくという成長の物語です。
基本汗かいてるシーンばっかの廖凡
実習生のくせに直属の上司廖凡に「貴方は素晴らしい研究サンプルだ」と言ってしまう方木
方木のプロファイリングが何かもう超能力じみていて凡人には何故そのような結論を導き出せるかわからず、それが余計に廖凡を苛つかせて、視聴者に彼が天才児だという印象を与えるわけですが、その他にも本作には良くも悪くも現実離れした要素があります。「吸血鬼」に投与すると身体能力が格段に向上する薬とか、元ネタはあるんでしょうかね。
私は原作小説を読んでいないので、これが映画版オリジナルゆえの蛇足とも断言できないのですが、一番いらないなと思ったのが方木の駆使する「烏賊」と呼ばれる小型ドローンです。
彼はコレをラジコン以上の精度で自由に飛ばし、それと腕時計をリンクさせてリアルタイムの映像を見て、犯人の顔を認識するという機能を駆使して犯人を捕まえるわけですが、コレが特に現実離れしていて、不要だったのではと思いました。
コレ
天才犯罪心理学者・方木の誕生譚を描いていて総合的には「エピソード0」的なつくりで面白かったです。
2作目『心理罪之城市之光』
原作では5作目の『城市之光』(都市の光)を改編した映画。法律が裁けない人物をパニッシャー気取りで殺していく連続殺人鬼と天才犯罪心理学者・方木の悲壮な戦いを描いた作品だ。
都市を震撼させる連続殺人事件。被害者はいずれも自らの行動が原因で他者を死に追いやり、ネットで叩かれたが法律には裁かれていない人物だった。事件現場を調べる方木は遺留品に自分に結び付く情報が書かれていることに気付き、一連の事件は自分にメッセージを送るために起こしたものだと考えるがその矢先に「城市之光」と称する人物がネットに現れ、特設サイトのアクセス数が10万を超えたら少女に対して不当な弁護をした弁護士を爆殺するという劇場型犯罪を仕掛ける。旧友に容疑者がいると考えた方木は「君になりたかった」と方木を崇拝する高校の同級生・江亜と再会する。そして世論は徐々に「城市之光」を応援するようになり、犯人の魔の手は方木の養女・廖亜凡に向けられる。
都市を守る「城市之光」になることを誓った若き日の方木
自身が憧れた方木を殺し、悪を裁く「城市之光」になろうとする江亜
もとよりサイコパス気味だった友人がストーカーになってしまった方木は江亜に自身の最愛の娘(実の娘ではない)廖亜凡を殺されますが、なんというか見方によっては恋愛の邪魔者が死んだだけのように見えてしまうのはこの映画のヒロイン・米楠がいるからでしょう。犯罪事件の被害者・廖亜凡は方木と同棲していて、大人になったら彼と結婚すると息巻いており、その様子を方木の同僚の米楠は微笑ましく見ているのですが彼女も方木に好意を抱いています。廖亜凡の死に米楠もショックを受けましたが、気付いたらいつの間にか正妻ヅラしているので廖亜凡の無駄死に感が凄いんですよね。
この作品を10点満点で評価すると前半・中盤・後半がみな10点なのに対し、ラストがマイナス100点という、私にとって非常に納得できない終わり方をしています。
物語終盤、方木と江亜は「城市之光」の名前をめぐってタイマンバトルをします。実はそれは方木の罠で、彼は絶対に尻尾を出さない江亜が犯人だという確固たる証拠を得るために敢えて殺されに行きます。
そしてラスト、捕まった江亜や同僚たちの前で方木が事前に録画した映像が流され、警察及び中国人全員に対して「正義とは何か」というメッセージを発します。これだけでも噴飯物なのに、更に許せないのはここまでやっておいて実は方木が死んでいなかったことです。
原作通りかもしれませんが、当局に気を遣ったのかなと疑うほどラストの過剰なメッセージでとんだプロパガンダ映画に成り下がりました。
本作品のメッセージは途中で爆殺された弁護士の最期の言葉に十分表れているのです。爆弾を括り付けられた弁護士はとうとう助からないと悟り、方木らにこの場から離れるよう言い、そして「母親に伝えてくれ。自分はネットで言われるほど悪い人間ではないって」と遺言を残します。ネットで他人を攻撃していい人間など一人もおらず、またリンチされるべき人間も一人もいないのです。それを遵守するのは難しいかもしれませんが、しかし映画の最後にわざわざ言うべきことでもないのです。
ちなみに本映画はエンディングのスタッフロールで実際に警察や一般市民らが正義のために活躍した映像が次々流され、なんかまた微妙な気分にさせられます。
あとこれはツッコミではなく単なる疑問なのですが、中国では本作のようにネットを利用した劇場型犯罪って果たしてできるのでしょうか。ご存知、中国はネット規制が厳しく、特定の用語の検索結果を表示させないことや、海外のサイトを閲覧不可にさせることが可能です。
そのような国で、アクセス10万行ったら殺害というのは規制が追いつかないかもしれませんが、ネットのBBSに犯罪者を賛美するコメントを書き込めるのかどうかが疑問です。中国の社会派ミステリにおいて、中国人はこのような「矛盾」に遭遇した際いったいどのように消化しているのか、その辺りが気になります。