『珈琲館里的驚奇派対』(喫茶店の不思議なパーティ)
苦手な構成だったので個人的には評価が低い、ってか評価を下したくない、でも中国のSNS豆瓣では評価の高い一品。
鬼節(旧暦の7月15日。日本のお盆に相当)で何もすることなく家でダラダラしていた周斌、李昂、劉胖子(胖子とはデブの意味)の男3人は友人の楊麗華を誘って麻雀をしようと外出するが、楊麗華もまた友人の白香蘭、趙萱と女3人で遊ぼうとしていた。6人は喫茶店に入り、自分たち6人を登場させる殺人ストーリーを各自で披露して時間を潰すことを思いつく。順番に繰り出されるフィクションの中で殺され続ける6人。一つの話が終わるごとに6人の隠された関係性が明らかとなり、いつしか本物の殺人事件が発生する。
この話はいわゆる入れ子構造になっていて、作中の6人が即興(?)で創ったストーリーを披露し合い、各話の終わりに幕間が用意されそこで各人がその話の感想を言い合い、徐々に6人の隠された秘密や関係性が浮き彫りになるという展開です。そして中盤以降に6人のうちの1人が殺され、新たに登場した探偵役のキャラクターがフィクションであるはずの6人のストーリーから真実を見つけ出し、犯人を導き出すという安楽椅子探偵的構造を取っています。ストーリーの各話が独立していながらも殺人事件の発生から解決までの要素が一貫して込められていて、決してアンフェアではなく、事件を起こす前の人間の口から語られるフィクションに犯罪の証拠があるという作品です。
豆瓣でも高い評価を得ている本書のどこに不満があるかといえば、それは根本的に本書の構造にあります。長編小説が読みたくて買ったのに、なぜ作中で素人が創ったという体裁の短編小説を読まされなければならないのか。
以前も赤蝶飛飛の『九度空間』という小説が、有名小説家の残した短編を聞きながら話の大筋が進むというもので、とりわけ面白くもない短編を作中の人物が「素晴らしい」と褒めまくる展開に辟易させられたものです。
それに比べると本書では作中人物に「また俺が被害者か!」とか「私のキャラがおかしい!」とか批判させているのでまだマシかと思います。(もちろんその設定は後半起こる殺人事件のために付けられたもの)
とは言え、昨今の中国ミステリ界隈では短編小説集が出しにくいと言われている、長編小説の方が版権を買われて映像化しやすい、などの状況を見てみると、長編小説を書く体力と構成力がない作者が書き溜めていた短編小説に手を加えてこういう入れ子構造の本を書いたのではないかと邪推してしまいます。
評価は高いですが個人的には受け付けなかった作品でした。