『歳月有張凶手的臉』著:孫未
ギブアップ
前作『単身太久会被殺掉的』を途中放棄した私にとって今回はリベンジマッチでしたが半分読んだところでダウンしてしまいました。
本書はSNSサイト『豆瓣』のレビューで高い評価を得ているミステリですが、そもそも私はこれをミステリ小説として楽しめませんでした。どうも私は孫未と相性が悪いようです。しかし、私の周りにいるミステリ好きの中国人も「そんな本読むんなら○○を読め」と言っていたので、合わない人がいるのは間違いならそうです(前回もこんな忠告受けたなぁ)。とりあえずあらすじを簡単に紹介。
教師の宋俊偉は20年前の級友で現在は成金の周乾坤を殺さねばいけない理由があった。ある晩、アリバイトリックまで使って彼の死体を処理した宋俊偉だったが帰り道で自分が遺棄したはずの周乾坤の死体が乗る車を発見する。そして、その車が爆発する光景を見た宋俊偉は自分以外の何者かも周乾坤を殺したがっていたことを知る。ひょんなことから同じく級友で現在は刑事の許心怡から事件捜査の協力を頼まれ、真犯人を追うことになった宋俊偉だが、調査で明らかになったのは級友たちの変貌だった。級友が次々と容疑者となって現れる中、宋俊偉は真犯人を見つけることができるのか。
自分たちが学生の頃にはなかった微信(中国版LINE)を使って同窓会グループを作り、大人になった今でも日常的に当時の同級生たちと連絡を取るという設定が現代中国の世相を反映しています。実際にそうしている人は多いのでしょう。外国人の私ですら、留学時代の仲間がいる微信グループに所属して彼らとたまに現状報告をしています。
微信の音声メッセージ機能に残っている被害者の声を使ったアリバイトリックというのは初めて読んだのですが、微信が2011年にできて、2013年に音声メッセージ機能ができたことを考えるといささか古臭く感じます。とは言え本作はこの微信が事件関係者を結ぶ重要な役割を担っているので、良いアイテムとして存在感を出していました。
20年以上の歳月が経ち微信によって再び交流を取った同級生たちはみな大人になり、ある者は他の同級生を害する冷血漢に変貌します。そんな鬼畜に対し主人公を含めた旧友が復讐の牙を剥くという、『歳月有張凶手的臉』(歳月が人を犯罪者の顔にさせる)にふさわしい展開です。
設定は魅力的、展開もめまぐるしい、しかし読んでいて辛いのは何故か。
それは私にとってこの本がミステリ小説の体をなしていなかった点にあります。
この物語の最大の謎は、自動車を爆破した真犯人は誰か?ということにあります(多分)。しかしこれが全然魅力的ではなく、この一つの大きな謎が物語を貫くだけのパワーがないので、合い間に小さな謎が無数に挟まれることになります。この連続に読者は「全然飽きない!」と思うか「くどくてうっとおしい!」と思うかのどちらかでしょう。私はもちろん後者でした。
謎の小出しとは要するに一つの謎を解決したと思ったらまた別の謎が生まれて、新たな人物から新たな真実が語られるということです。本書では次々と容疑者が出現するのですが、彼らが「容疑者ではない」ことを証明するために割かれるページの多いこと多いこと。「こんなに読んで事件と関係ないってどういうことだ」と怒ったり嘆いたりしたことは一度や二度ではありません。これが400ページ続くのだから、こういう展開が合わない人間にとって読むだけで苦行です。
(もしかしたら最後には全てが収れんするかもしれないが私はそこまで耐えられない)
本編は4つの章に分かれており、私はその前半2つを読んだところで放棄してしまいましたが正直に言うと2章から面白く読めてこのまま読み終わるんじゃないかというぐらいハマりました。主人公の宋俊偉が捕まるまでの1章は苦痛というか、導入部分で100ページも使うのかとうんざりしましたが、1章ラストで宋俊偉の行動もまた真犯人の手の中にあったことが判明した後の2章からは、犯人の一人称視点で進んでいるのに宋俊偉が犯人ではないとはどういうことだと今後の展開を期待しました。
そして、2章ではすでに警察の監視下に置かれた宋俊偉が自分のプライドをかけて真犯人を探すのですが、容疑者の数が多すぎるし、それら全てにスポットを当てるものだから冗長なことこの上ありません。確かに物語は大きな謎の解決に向けて着実に進みますが、○○を殺害したのは実は宋俊偉ではなく、新たに○○の娘の○○が容疑者として浮かんだかと思いきや殺害計画は不発に終わっていたりと、全く遅々としています。
結局私はここでギブアップしました。
実際、『豆瓣』でも冗長さを指摘しているレビューがあります。とは言え、それが決定的な欠点と言われてはいませんし、何よりも100人以上が高評価を下しています。
・自分は時代遅れのミステリ読者なのか?
本書を読んでいるときに、ふと以前見ていたが途中で飽きてしまった中国サスペンスドラマを思い出しました。そのドラマは連続殺人犯を追う刑事の話で、ストーリーでは毎回実行不可能だろうと思う難解な殺人事件が発生します。優秀な刑事の推理によって序盤で犯人が捕まるのですが、実は犯人の背後に真犯人がいて捕まった人間はおとりにすぎなかったという真相が明かされます。そしてまた物語が進み、今度こそ真犯人を捕まえたかと思いきや、実はその背後にまた…という内容でどんどん引き延ばされていき、全数十話あると言うのにまだ10話にもなっていない段階でこんな展開されたらとても見続けられないと判断して視聴を切りました。
本書もまた次々に新しい謎と容疑者が出て来るのですが、一般読者にはここが受けているのです。これは、ドラマのように読者を飽きさせまいと何度もどんでん返しをするミステリ小説が現在の主流の一つであり、これに乗れない私のような作者は時代遅れということなのでしょうか。そして本書のような見どころをたくさん用意している作品は中国ミステリの新しい一ジャンルとして成立しているのでしょうか。
自分が全く評価できなかった作品に多くの人間が高評価を下しているさまをみると、なんだが時代に置いて行かれている気がしてたまらなく怖いです。