作者の陸燁華と言えば、ユーモアミステリーが主で、特にキャラにくどい掛け合いをやらせるのが上手というイメージなのだが、今回はそのような笑いの要素が少ない。本作では、日常に何か異常が起きているはずなのに誰も核心に触れられないという奇妙な空気感を描き出している。第三者から見ると特に大きな事件が起きていないので、長編の日常ミステリー小説だと言える。
コーヒー専門雑誌の会社で働く編集者の張悠悠は、担当しているコラムの執筆者が急病になり、このままでは誌面に穴を空けてしまう。締め切りまでもう時間がないというところに差出人不明の原稿が届く。内容は短編のミステリー小説で、同じ部屋に侵入した泥棒二人が殺し合うという中途半端なところで終わっていた。同僚の江月に読ませたところ、悪くはないということなので、それを載せることを決定。以降彼女のもとには毎週、作者不明で作品同士に関連性が見えない短編ミステリーが寄せられる。そしてコーヒー専門雑誌にミステリーを載せた張悠悠の社内での評判は高まり、次期編集長を期待されるようになる。だが張悠悠の周囲の人間は、差出人も意図も不明な投稿に不安を覚え、また作品内の事件が現実の事件とわずかにリンクしているように見えることにも疑念を抱く。投稿者の目的は一体なんなのか。
・変な原稿が届くだけ
誌面の埋め合わせを探していた編集者の手元に差出人不明の投稿原稿が届くという、いかにも都合の良い展開は誰に対してメリットがあるのかと考えたら、答えは自ずと出てくる。
張悠悠にはいかにも怪しい要素がてんこもりで、彼女が作品の中心人物であることは最初から明らかなのだが、この「事件がない事件」における立場が不明確だ。それが探偵(喫茶店店長)の推理によって彼女の役割が明瞭になり、また無関係に見えた短編同士にわざとらしいほどの関連性が見える。かくしてこの「事件」は、短編ミステリーを書いたのは誰かといういとも単純な作者探しに着地するのだが、探偵が指摘する動機が非常にドメスティックかつグロテスクで、場の雰囲気を支配する説得力がある。この推理に説得力を持たせているのは、中国人ひいては世界中の家庭が昔から持つ美しい家族愛だ。しかし、現代の上海を舞台にした作品にとって、伝統が事件の核心となるのは不自然であるため、よく組み立てられた推理も結局は一蹴される。
まだページが残っている後半で披露される推理はたいてい覆されるものであり、本作でも探偵自身が終盤に自らの推理の欠点を列挙して否定している。だがメタ的に本作を見ると、推理が失敗している一番の理由は「作品のテーマと合っていない」ということに尽きる。
・女性の活躍が謎に?
本書で重点的に描かれているのは大都市上海に生きる張悠悠の奮闘ぶりで、彼女の周りには会社での立場、夫との仲、さらには経済や生活面など、現代に働く女性にある程度共通する様々な問題が取り巻いている。本書は単純に女性が主人公なのではなく、女性編集者が自らの力を発揮してより良い生活を掴むところを描いた日常ミステリー小説なのだ。
だから探偵が自らの推理を翻し、再度披露した第二の推理で明かされる真実こそ本作の最適解で、それは張悠悠への表彰になる。しかし作者は第三の推理の機会を読者に与えている。
三人称視点で書かれている本書でこの第二の推理を採用する場合、アンフェアというか確実に作者のミスとも言える矛盾点が無視できなくなる。だが作者の正しさを信じて第三の推理を開始すれば、そこから導き出される犯人こそ本書の真の解答となる。しかしそれは張悠悠の努力を否定し、栄誉を剥奪することになる。
作者の陸燁華は本書の扉に「本書を妻に捧げる」と書いてある。それがなぜ女性編集者の力不足を暗示する結末にしたのか。まだ女性が十分に活躍できない現実や、男性側のエゴイズムを書いて、作品を決して円満に終わらせない狙いがあったのかもしれない。
・突然推理を始める探偵
本作は「突然推理」という概念を提起している。実際に死体も出てきておらず、事件らしい事件すら起きていないのに突然誰かが推理を始めて、隠されていた真実を明らかにするというものだ。作者は「突然推理」は自分が初めて提起したものではないとし、梓崎優の『凍れるルーシー』などもそうだと挙げている。誰もが漠然と意識しているが明確化されていなかった謎は、誰かに推理されることで初めて形を得るが、被害者も加害者もいない事件では何よりも探偵の発言権が強くなり、探偵によって場がコントロールされる恐れがある。だが本作では突然推理を始めた探偵も「犯人」に出し抜かれており、日常ミステリーにおける探偵の強制力の弱さを痛快に描いている。
本書を出版した人民文学出版社の上海九九読書人の「黒猫文庫」というレーベルからは今後も中国ミステリーが出る予定だが、1作目にいきなり作者のこれまでのイメージを覆す作品を持ってきてくれたので、後続の作品が楽しみだ。