『ゴジラ対メカゴジラ』的なタイトル。推理小説好きな文学少女・陸秋槎が書いた推理小説の謎を、孤高の天才数学少女・韓采芦が数学的手法を使って解いていくという短編集だ。
高校の校内誌に自作の推理小説を載せ、生徒に犯人当てをさせた陸秋槎は、送られてきた数々の解答が自身の設定した解答と全然違うことにショックを受ける。しかし、推理に穴があったり、結論が牽強付会だったりする解答を読んでいくうちに彼女は、自分が設定した解答も唯一絶対ではないことに気付く。陸秋槎は友人の陳姝琳から、完全な推理小説を書くために数学の天才・韓采芦に意見を貰えば良いと薦められる。そこで韓采芦に次回の校内誌に載せる小説の添削を依頼したところ、彼女は「消去法」を使っていとも簡単に犯人を当てたばかりか、作者の陸秋槎でも想定していない犯人を次々挙げるのだった。(『連続体仮説』から)
・「真相」は重要ではない
本書では、高校生の陸秋槎が書いた推理小説を、読者を含む韓采芦らが読んで、犯人を当てるという「作中作」のスタイルが使われている。
『連続体仮説』では、本来なら作者である陸秋槎が設定した人物以外に犯人がいないはずが、作品に瑕疵があるせいで2人目、3人目の犯人の存在を許してしまうことになり、作品を破棄するかどうかの瀬戸際に立たされる。『フェルマーの最後の事件』では旅行先のフランスでちょっとした事件が起きるが、本筋はタイトルと同名の短編小説の解決にある。『不動点定理』では韓采芦の後輩の黄夏籠が書いた推理小説を読み、彼女が抱えている問題に迫るカウンセリング的な内容。今年書き下ろした『グランディ級数』では、喫茶店で韓采芦を含む数人のクラスメイトと小説内で起きた密室殺人事件の「最も面白い」解決案を討論しているところ、店内で本当に密室殺人事件が起きるというもの。
作中では言及していないが、後書きで元北京大学ミステリー研究会員の葉新章も指摘しているように、本書が扱っているのは「後期クイーン的問題」だ。この問題とは、「小説で導き出された真実が本当に真実なのか、小説の中では証明できない」という提起である。日本のミステリー読者には知名度が高い問題だが、中国ではまだマイナーらしく、この問題を組み込んだ作品も非常に少ないらしい。そのせいか、後書きを担当した葉新章もこの問題に対し、数々の引用をもって説明しようとしている。
小説では、ミステリー小説の作者であり、その中に登場する謎を解決する探偵でもあるはずの陸秋槎が、韓采芦に探偵役を任せたところ、限られた真実の中から作品の創造主である陸秋槎でも思い付かなかった犯人が登場する。新作の『グランディ級数』において、陸秋槎は犯人当てを半ば放棄し、一番面白い推理をした人間を勝者とする。2014年発表の1作目から2018年作の4作目までで作中時間が経過しており、陸秋槎の心の動きも変化しているが、一方でそれはこの本の作者である陸秋槎自身の考えの変化を表しているのかもしれない。
・百合のために推理を犠牲
『文学少女対数学少女』というタイトルを見て、『文学少女和数学少女』(和は「と」「アンド」という意味)にしなかったのは何故だろうかと考えた。なぜ対立やVSを表す「対」という言葉を使って、2人の少女の間に線を引いたのだろうか。
作者の意図は終盤ではっきりする。本書は陸秋槎と韓采芦の「ガール・ミーツ・ガール」のストーリーであるのだが、その出会いをより喜んでいるのは実は韓采芦の方なのだ。韓采芦にとって、陸秋槎は初めての友達であり、自分が取り組んでいる数学に初めて理解を持った仲間だった。だが一つ大きな問題があった。それは、韓采芦の数学能力と推理能力が陸秋槎では相手にならないほど強力だったことだ。「対」と書いておきながら、実際は陸秋槎のボロ負けだった。
では勝負は数学少女の勝ちなのかというとそれは違い、本当の勝者は『グランディ級数』で明らかになる。文学少女が一体誰と「和(アンド)」の関係を成立させるのかは、この作品が陸秋槎と韓采芦の話だと思い込んで読者にとってそもそも興味の範疇外にあっただろう。だが表紙で、数学少女が右下に視線を落としているのに対し、文学少女がその視線に全く気付いていないばかりか数学少女を見ないように顔を背けているように、彼女らはペアになりえない。
『グランディ級数』では陸秋槎が自作ミステリーの解決編を完全に他者に委ね、彼女の受け身の姿勢がより強調されるが、彼女は推理小説のみならず、人間関係においても他者に決定権がある存在だった。つまり本書は、陸秋槎総受け本だったわけである。
作者の陸秋槎は前作『元年春之祭』や『当且僅当雪是白的』で百合的な犯行動機を持つ少女を書いてきたが、本書ではとうとう、目的のためには推理すらも犠牲にする少女を登場させた。「百合ミステリー」と「アンチミステリー」を両立させた本書は、中国では出版されることが特に少ない中国ミステリー小説短編集も、構成を丁寧に考えて長編小説と同様の一貫性を持たせていれば、市場で十分に通用するということを証明した。
・余談
本書、特に『グランディ級数』では中国人っぽくない名前のキャラが数多く登場するが、実はそこに作者・陸秋槎の遊び心が込められている。該当作では喫茶店の店長、各友人全員に日本の芸能界にちなんだ名前が付けられている。これは日中両言語に詳しく、かつ日本のアイドル事情を知っていなければ分からない高度なイタズラだ。登場人物の言動全てを本筋の推理に関係させる無駄のない作風は、創作に対する作者の緊張感を感じさせるが、趣味が垣間見られる「おふざけ」のおかげで読んでいる方はちょっと肩の力が抜けるのである。