中国ミステリで密室物の短編を得意としていた「鶏丁」が別のペンネーム(本名?)を使って書いた長編密室ミステリ。天才漫画家探偵の安縝が活躍するシリーズ第1作目である。
上海郊外の湖・胎湖のほとりに佇む陸一家の屋敷で密室殺人事件が発生する。大雨で数日間水没していた地下の保存室で死体が発見されたが、保存室の中は乾いており誰かが外から侵入した形跡はなかった。続いて、ドアの外で人が張り付いているのに密室となった室内で殺人事件が起こる。殺害現場には嬰児のへその緒と釘が残されていた。探偵の安縝は屋敷の一室を間借りしている声優の鐘可に自身の漫画が原作のアニメの声優になってもらおうと、彼女を助けるために今度の事件に介入する。
個人的に、大掛かりだったり、そのためだけに造られたかのような場所で行われたりする密室トリックは読んでいて理解できないことも多くてあまり好きじゃないのだが、本作では盲点を使ったその場しのぎの簡単で大胆な密室トリックが登場する。
嬰児のへその緒と釘の謎も、前時代的な迷信と結びついていて如何にも本格ミステリの様相を呈し、しかも事件の真相の更に真相も用意されていて、200ページ余りの長編に読者が楽しめる多くの要素が含まれている。中国のSNSサイト豆瓣でも高い評価を得ており、今年を代表する中国ミステリになるかもしれない。
実はこの本もシリーズ物で、安シンと因縁のある凶悪犯罪者が登場する。と言っても本作ではその黒幕の存在がほのめかされたぐらいで、本編の事件との直接的な関係が描写されなかったので、黒幕放って置いて次作に続くのかよという不徹底さは感じられなかった。
中国ミステリの一部では以前からシリーズ物をつくり、1作目で黒幕の存在を出しておいてそれを頼りに2冊、3冊と出版する手法が取られているが、そうすれば本が売れるというわけではなく、売れないシリーズは完結が先延ばしになったり未完のまま終わったりするらしい。しかし今まで読んできて、シリーズ物で成功しそうな中国ミステリは非常に少ないので、作家の方もシリーズ物を書こうとせず、1冊完結の長編を書いていってもらいたい。