『今夜宜有彩虹』(今夜は虹が出そう)
中国ユーモアミステリ(バカミス)の旗手・陸燁華の新刊であり、『超能力偵探事務所』とは異なるシリーズ?らしい。
二つの視点が交互に展開するストーリーはなかなか核心的な地点にたどり着けず、どのようにまとめたら良いのか悩む内容だった。
落ちぶれてホームレスになってしまった「オレ」はある日、川で身投げを目撃する。身投げした場所に行ってみると、「警察には通報しないでください。家にあるお金は差し上げます」というメッセージが落ちていた。そこでその家に行ってみると、次は「別荘に行け」というメッセージ。
ところ変わってホテル上海花園酒店の「彩虹楼」では喫茶店従業員の沈氷月が小説家の丁と編集者の趙と共に死体を発見する。ホテルの一室に横たわるその死体はホテルのオーナー呉家元のもので、不思議なことに死体は六面鏡で囲まれていた。現場に残された不思議な暗号と踊るピエロが書かれた紙切れ。探偵に扮した趙編集者は現場のおかしな点を次々と指摘する。
どうやら「オレ」の宝探し的なハードボイルド小説部分と沈氷月を主人公とする一般的なミステリー小説部分は軸が異なっているらしい。しかし一応小説を読んでいる身としてはこの二つの物語がいずれどこかで交差するだろうと身構えるのだが、読み進めても一向に交わる点が見当たらない。
まさか村上春樹の小説じゃないんだから重ならないまま終了ということもあるまいと不安になってきたところに奇人編集者趙によって二つの世界が結び付けられる構成も見事だし、その余りに馬鹿馬鹿しいロマンチックなオチには本書を「バカミス」と分類して良いのだろうかという疑問すら生じる。
陸燁華は本書後書きでこのストーリーを書くきっかけになったインスピレーションを書いている。ちょっと翻訳して引用してみたい。
…中略…ありうる「意外な犯人」はほとんど書き尽くされてしまった。探偵が犯人、警察が犯人、語り手が犯人、ひいては読者が犯人という作品まであるが、しかしちょっと待ってほしい。まだ誰も「犯人」が犯人という作品は書いていないのではないか?
これに思い至ったとき、ストーリーのトリックも自然と誕生した。物語が3分の1進んだ段階で探偵が犯人を指摘する。しかし「作者はそいつが犯人だと言っている」ことと「物語がまだ3分の2も残っている」という事実を組み合わせることによって、読者に「コイツは絶対に犯人じゃない」と思わせる。
一度犯人だと指摘された人間が最終的にやっぱり犯人だったという展開が果たしてまだ誰も「書いていない」のかはわからないが、その後の文章でここ最近とりわけ印象に残ったミステリーの手法に触れている。それは「突然推理」(原文ママ)だ。
「突然推理」とは何もおかしなことが起きていない状況で、探偵が突然犯人を当てることだ。聞くだけなら非常にスマートだが、実際のアイディア出しはたまらなく苦痛だ。
普通のミステリーの構造はこうだ。問題が発生する→手がかりを探す→手がかりと問題を組み合わせる→犯人を指摘する。難点は3番目にあり、前2つは3番目に合わせて調整することもできる。
しかし「突然推理」は、手がかりを探す→手がかりを集めて問題を指摘する→手がかりと問題を組み合わせる→犯人を指摘する。という構造だ。重要なのは解答部分ではなく、何が問題なのかすらも自分で推理しないといけない点だ。
「突然推理」については優秀な2作品をモデルにできる。梓崎優の『冰凍俄羅斯』と時晨(中国ミステリ小説家)の『緘黙之碁』(沈黙の碁)だ。
「突然推理」という聞き慣れない単語は字面から意味が大体わかるがしっかり把握することは難しい。彼の言う事件の手順は、事件が起きた現場に異常があっても、それが何故異常なのかきちんと説明しなければいけないということだろうか。例えば本作では事件現場の部屋の窓が本来なら開いているはずなのに閉まっていたということが事件を解決する鍵になっている。なにせこの「突然推理」はおそらく作者・陸燁華の造語らしいので(百度で検索しても全くヒットしない)、私が理解するにはまだ時間がかかりそうだ。
ところで陸燁華が参考にした梓崎優の『冰凍俄羅斯』は日本語に直訳すると『凍るロシア』になるんだが、これは短編集『叫びと祈り』に収録されている『凍れるルーシー』のことを指しているのだろうか。ちなみに、梓崎優の小説は中国大陸で正式な翻訳版がまだ出ていないようだが「民翻」(民間翻訳。ファンが個人的に非商業目的で翻訳した作品)がある。おそらく陸燁華はこれを読んで勉強したのだろう。
『超能力偵探事務所』しかり、チャレンジ性豊富な作品を出して着々と自分のキャラクターとスタイルを形成している陸燁華。本書解説で中国ミステリ小説家・陸秋槎も指摘しているが、凄惨さを感じさせない陸燁華のコメディ的なミステリーは中国ミステリの成長を見て取る格好の作品かもしれない。