日本語を勉強している中国人の友達に教科書の読み方を教えることもあるんですが、彼女らが日本語を読んでいるのを聞いているとなんだかデジャブに襲われることがあります。
彼女らの日本語を話す声が僕ら本物と比べて発音の抑制や声調が異なるのは仕方のないことで、普段話している時はあまり気にならないんですが文章を読んでいるとき違和感がかなり目立ちます。
そしてそれが何かに似ているような気がずっと前からしていたんですが、最近になってようやく謎が解けました。
初音ミクと似ているんですよ。彼女らの朗読の声と、あんまり調教してないボーカロイドが。平坦で抑揚の付け方が奇妙な声が、言葉の表面だけをなぞって音読する初音ミクとそっくりなのです。
その、日本語なんだけど僕らが普段耳にする日本語とはかけ離れている発音をじっと聞いていますと、僕の中国語の発音はこれ以下なんだろうなぁと自己反省しないわけにはいかなくなります。
今日も喫茶店で勉強をしていたら見知らぬオッサンに声をかけられ、教科書の音読に付き合ってもらいましたけど、笑ってしまうほど何度も読むのをつっかえてオッサンも苦笑いでした。
さて、外国語を話すことは学ぶこと以上に容易なことではありませんが、怒りや悲しみなどを表現するのはそれ以上に大変なことだと思います。と言うよりも自分の感情を伝えるツール(道具)としては不適当です。
何故なら、例えばまだ流暢に話せない僕が中国人相手に本気でキレたとして中国語を用いて怒鳴るとしますが、怒っているときにふと日本語を上手く話せない友人のことを思い出し、そして自分もとんでもない発音をしてるんじゃないかと客観的に見てしまうと、相手が内心僕のことを嘲笑ってるんじゃないかという気がして怒りがすっと冷めるでしょう。
僕が中国人に日本語で怒られた場合笑わない保証はどこにもないわけですから。
それよりもっと滑稽に映るのは性交の時でしょう。
最中に笑わないために、ますます勉強しないといけません。