中国の大学は平年より早い夏休みに入り、留学を終えた友人たちが続々と母国へ帰って行く。
今日は面倒をよく見てくれた先輩が日本へ帰国するのを見送りに、一緒に北京首都空港まで行った。日曜日にはタジキスタン人の友人が帰国するし、翌週の15日には神戸から来た大学生が二人も帰る。
毎日毎日人が減っていき、暇だけが増える。
帰る友人たちは口々に日本でまた会うことを約束して去って行くので、見ていてあまり悲壮感は感じられない。しかし北海道が故郷のボクにとって「東京でまた会おう」という言葉が現実感のない挨拶に聞こえる。
帰国する彼らが今回の一年に及ぶ留学に満足できたのか、悔いを残していない人はいないが今期の留学生は善し悪しはともかくとして一般では体験できない事件をそばで感じられただろう。
今年の中国は上半期だけで激動の一年だったと言っても良い。南方雪害、チベット暴動に、四川大地震、そして北京オリンピック。中国史に残る事件が立て続けに起きた年だったが、ただの留学生であるボクらにとっては全てが迷惑だった。
チベット暴動では外国人の行動が制限され、中国人の凝り固まったチベット観を見せつけられたり、四川大地震では何も出来なかった日本の派遣隊に対する行き過ぎた賞賛を受け、中国人の団結心に薄ら寒さを覚えたり、開幕を一ヶ月後に控えたオリンピックには中国が抱える矛盾がボロボロと露出し、いったい何のための北京五輪なのかが理解に苦しんだ。
なかでも衝撃的だったのは、やはり四川大地震だろう。
新聞やテレビやネットを賑わせた大災害は中国に住む全ての人々に衝撃を与えた。ボクらの学校の授業も四川一色になり、留学生たちも四川のために立ち上がった。中国人が受ける一般の授業では授業前に黙祷が行われたそうだ。
四川への募金活動も半端ではなかった。5月14日に地震が起きてからテレビでは連日に渉って救出活動の様子がひたすら放送され、募金をする人々やボランティアに加わる人々が映された。大学内でも数日は募金活動が行われ、留学生たちも参加した。
これだけならただの美談でも良かった。だが問題はここからだ。
ネットには各企業や有名人の募金額が載り、少なければ非難の対象になる。現に四川ではマクドナルドが募金額が少ないという理由で襲われた。中国の愛国心がまた暴走してしまった。
またある日、ボクが中国の団地の横を通ると掲示板にリストが貼られていた。なんだと思って見てみるとその内容はなんと、各部屋の住人が四川へ何元の寄付をしたのかというのが実名で書かれた紙なのだ。
写真のように高額な寄付金の住人から順番に書かれ、写ってはいないが最低募金額は5元だ。たぶん5元からスタートなのだろう。
学校の校舎内にも先生方の募金リストが貼られていた。小さな女の子がいる先生は100元を寄付していた。
もう社会人の中国人の友達は500元を寄付したと、自慢するでもなく言い放った。
テレビでは札束をこれ見よがしにテレビカメラに向けながら笑顔で募金箱に入れる、ごく一般的な中国人のオッサンが映った。
だがこの募金が全て正式に使われるのかはわからない。募金詐欺はすぐに発覚したし、役人による物資の横流しが露見し、被災地では物資の奪い合いが横行した。このような状況下で募金を渋る気持ちは十分理解できる。自分で稼いだ金を誰かの私腹を肥やすために募金したい人間なんていない。
決して少なくない募金をして叩かれる企業が多い中で、唯一募金で得をしたのがカルフールだろう。地震前にはチベット問題でデモの対象になっていたカルフールは地震に乗じてあれだけ燃えていた暴動を巨額の寄付金で一気に収めてしまった。大企業は金の使い方をわかっている。
それと、募金でよくわからないのが先月日本で起きた宮城内陸地震での中国政府の対応である。政府は自国の四川で手一杯であるはずなのに、何故か宮城県に10万ドルの寄付をしたそうだ。
募金が多いと名声を得、少ないと罵声を浴びる。中国人は寄付を『投資』と考えてるんじゃないだろうか。