留学すると色々不便だ。海外へ行き生活環境が一変すると食事も満足に出来ないし、欲しいものも手に入らない。日本料理店や高級デパートへ行けば望みの物も手に入るかもしれないけど、本当に自分が欲しいものはそういうところにはない。
ボクが中国に来て困ったことは、本が買えないと言うことだ。アニメや漫画は中国のサイトで見られるし、日本人用の漫画喫茶もあるのでそれほど不自由しないのだけど、一般書籍となるといきなりハードルがあがる。『北京国際交流基金図書館』や『外文書店』、『ホテルニューオータニ』など決められた場所にしか置いていないし、マイナーな本が売られることは少ない。
だからボクにとって、たまに来る母親からの荷物が何よりもありがたい。既にボクが買って本棚に積んである本や、サイトのレビューやヤフーの新着本案内などで見かけた新刊書を母親に催促し、荷物と一緒に送ってもらう。
あまりえげつない本を注文できないのが難点だけど、いかんせんアマゾン等を自由に使えるキャッシュカードがないので親に頼らなければいけない。
それでこの間、どこかのサイトで水木しげる先生が描いた河童しか出てこない漫画を収録した『河童千一夜』の復刻版が出ると見て、ボクの心は躍り上がった。何故なら水木信者のボクにはどうしても読みたい河童漫画があったからだ。
その作品を知ったのは大学生の時、水木さんの漫画の中の名言を集めた本『けんかはよせ腹がへるぞ』を読んだときだ。
この本、著者は水木しげるになっているものの名言は編集者の手によって集められており、右ページに大きく名言を書き、左ページにはその名言が登場した漫画のコマを載せているだけで正直商品としては大したことないのだが、ボクはこの本で水木さんの著作をいろいろ知ることが出来たのでだいぶお世話になった。
「これは名言かなぁ?」と疑うものが数多くあったが、その中でボクの気をひときわ引いた言葉が載っている一コマがあった。
それは河童と皿幽霊のお菊が出る漫画で、夜ごと一枚足りない皿を数え続けるお菊に同情した河童は彼女に足りない皿を一枚あげる(もしくは「十枚!」と叫ぶ)。長年の労役から解放されたお菊は河童に感謝し、自由を謳歌するわけだけど、何もすることがなくなったお菊は急に老いて見る見るうちに老婆になってしまい、自分から仕事を奪った河童を憎むようになった。ここで肩を落とす河童の背景に長文が載っており、それが名言として紹介されていた。その作品名を『皿』と言った。
かねてから読みたいと思っていた作品がようやく読める、ボクは届いた漫画を早速めくったがいくら読んでも見当たらず、編集後記に行ってしまった。あれは落とされたのかなと後書きを読んでいるとそこにはなんと信じられない言葉が。この本は全15話の河童漫画のうち14話を収録していて、その抜かされた一話が『皿』だと言うのだ。そうなった事情は後書きでも書いてはいるが複雑でよくわからない。しかし、数ある作品の中から14話を厳選したのならともかく、15話しかないのなら何が何でも全て収録して欲しかった。
水木さんの漫画に通底しているのは侘しさだ。善人が苦労し悪人が得をする、妖怪が損をし人間が儲かる、どん底から成り上がっても寂しさが付きまとい「ふはははは」と虚しい笑いが響く。
寓話的で少し説教臭くあるものの、救いがない結末がコミカルに残酷で何度読んでも飽きが来ないのは作品一話一話が読者に答えのでない質問を投げかけているからだろう。
本書では好奇心旺盛で純朴で、一度誓った約束は必ず守る河童が人間に良いように使われて泣きを見る物語がほとんどで、ろくな人間が出てこない。人間の本性がなんて浅ましいんだと思う反面、ここまで騙されて利用されている河童を見ていると同情を通り越して軽蔑心まで感じてしまう。
水木さんの描く悪い人間って言うのは欲望に包み隠さず正直であり、さらに小市民的なので憎んでも憎みきれない。妖怪や善人は単純で騙されやすく貧乏くじを引いてしまうが、一般社会から見れば間抜けで自業自得のようにさえ見える。
水木さんはよく妖怪になりたいと言っておられるが、もしもボクが妖怪になったら人間とは絶対に関わり合いになりたくはない。しかし本書の河童のように好奇心や欲求から顔を出してしまうのだろうな。
いつの世も人に利用されたり退治されたりで妖怪は住みづらい。千一夜目を迎えても、何も変わらないのだろう。