以前も書きましたが、筒井康隆の新作が読みたいために日本からわざわざ送ってもらったファウストに中国の人気若手作家の作品の翻訳が載っていて思わぬ得をしたことがあります。
郭敬明が書いた『悲しみは逆流して河になる』は、中国の密接した住宅街に暮らす幼なじみの男女が閉塞した環境で互いを傷つけ合いながら、タイプの違った親の下で足掻くという青春小説です。
まだ完読していないので(ファウストには一章しか載っていなかった)断言はできませんが、男主人公の斉銘は父母の期待を裏切り、少女の易遙はクラスメイトの子供ができてしまい、軽蔑していた『売女』の母親と同じ道を歩むことで反抗の意を示すのだと思います。
訳者の泉京鹿は中国で反響を起こし、日本でも有名になった余華の『兄弟』を翻訳した人でなにやら革新的な作品を手がけることが多いそうです。
続きを読みたい、全翻訳をした本を買って原文と見比べるということをしたかったんですが、二年半も出なかったファウストを待っていられぬということで中国の本屋で探すことにしました。
そしたら見つけましたよ。『悲伤逆流成河』を。
原文を読むと、改めて泉京鹿氏の訳の妙味に唸らされた。原文もライトノベルみたいに一行書くたびに改行しているのが目立つ水流のような書式なんですが、訳にしても少年たちの感情の発露を捉えていました。
これを読んで気付いたんですが、同じ中国語なのにボクが愛読している推理小説とこの小説は使っている漢字が全然違いました。郭敬明が作品の雰囲気を出すためにあえて難しい単語を使っているのだとも思いますが、比喩や抽象表現は外国人のボクから見てわかりづらいものも少なくなかったです。
翻訳するのどっちの方が難しいって聞かれれば間違いなく後者を選びます。
本作の見所はおそらく易遙と母親の口ゲンカにあると思います。喧嘩時の中国人を知っている人間ならなおさらそう思うでしょう。これは単に、ボクが喧嘩シーンを見慣れていないからかもしれませんが、この醜さは翻訳できません。
ちなみにこの本、識者に言わせれば二十年前に出版されたら文壇の歴史を変えたとまで評価されています。日本とは違い、中国の封建的な社会は子供に恋愛の自由を認めていないので、妊娠してしまう女主人公というのは今でも衝撃的なのでしょう。ただし大人にとっては衝撃的だけど、それこそ若い読者は学校では「A組の○○ってヤツ、百元払えばやらせてくれるらしいぜ」と下世話な話し合いをしているのでしょう。
作中でも親と子のすれ違いが書かれていますが、しかしこの差異は当たり前であるが故にただの若者には書けない。
今更感のある素材を扱っているので日本で流行るかどうかは言い切れませんが、新しい生命を宿した少女の戸惑いや何もすることのできず手をこまねいている少年の重々しい姿は、今の日本にはないものだと思います。