沈黙基因 著:黄序
日本では『沈黙の遺伝子』(翻訳:望月 暢子)というタイトルで翻訳・出版されているSFミステリーの原作『沈黙基因-戦魔希特勒基因去向之謎(沈黙の遺伝子-戦争の悪魔ヒトラーの遺伝子の行方)』を読んだ。
さて、表紙およびサブタイトル強烈なネタバレをしてしまっているので言ってしまっても構わないと思うが、本作はヒトラーの遺伝子をめぐる物語だ。とは言え、中盤ぐらいまでは「遺伝子」なんて言葉全く出てこないので、一体どうやって絡めるのかと気になったが、中盤まで引っ張ったネタをまるでロケットのブースターのように切り離して、物語をますます加速させるとは思わなかった。
アメリカのコロンビア大学に留学中の中国人学生・江夏は人間の夢を録画する「写夢計画」の被験者となる。そして映像に映し出された夢には、彼が今まで会ったことのない人物や建物の姿があった。夢の映像を細かく分析していく江夏と友人の葉広庭は、江夏が最近3年間の記憶を失っていることを知る。関係者の口から語られる全く知らない自分の言動を追うため、江夏は自分の夢や他人の記憶を探り、アメリカと中国そして時間すらも股にかけた世界的な陰謀に挑戦することになる。
本書の中で「夢」とは筒井康隆の『パプリカ』のように荒唐無稽で極彩色の情景でもないし、現実世界の生活を予知するような「占い」的ツールでもない。人間が実際に目撃した、しかし覚えていなかったり、「見た」と認識していなかったりした視認物を意識に浮かび上がらせるものが本書で言う「夢」である。
そこで江夏らは自分の夢が信頼に値する証拠として過去の自分の行動を調査したり、夢に隠された真実を解き明かしに危険を冒したりするので、そういう意味ではやはりミステリー小説のジャンルにも入るかもしれない。
この本、前半と後半でキーとなる科学技術が全く異なる。前半は夢を映像として残す器材が登場し、後半は更に先進的で、他人の脳細胞を被験者に移植して見せたい記憶を見させるどころか、その脳細胞の保持者の行動を追体験させるということまでできる技術が登場する。そして、後半になると夢を見るという技術は不要になり、もう十分だという風に今まで「夢」を中心として進行していた流れを切り離して「現代アメリカ編」を終わらせ、「脳細胞」を中心とした過去と現代がリンクする「ヒトラー編」が始まり、物語はより荒唐無稽になってくる。だが、前半で既に夢を録画する機械という現実より進んだ科学技術が登場するので、クローンとか脳細胞移植とか言われてもそこまで抵抗なく読める。また、おそらく作者が考えたオリジナル要素だと思うが、ヒトラーに大胆な新設定を加えてスケールをより大きくさせている。
江夏は自分に移植された数十年前の科学者の脳細胞に残る記憶を見ることにより、その科学者の体で当時の状況を体験する。その様子はまるで江夏自身が数十年前に戻ったかのようだが、過去の人物に「乗り移っている」ようなものなので過去に干渉できるわけではない。彼は探偵かつ当事者として事件を実際に体験するのであり、聞き込み調査とかいう伝統的な方法を取らず、「夢」や「脳細胞」を利用して自分や他人の記憶に直接アクセスし、真相に迫る。
疑問に思うところやご都合主義的な展開も目立ったが、全体としては非常に読みやすく、300ページ以上あったがだいたい2日で読み終えた。この本、日本語版にする上でかなりの加筆修正が入ったらしい。確かにどの文章が不要だったかと具体的に指摘することはできないが、読み飛ばしても大丈夫な箇所が多かったと思う。表紙裏に掲載されている有名人コメントの中で有名音楽家の高暁松が「ハリウッドに売り込めるストーリー」と評しているが、確かにその通りかもしれないが悪く言えば「大味」ということではないだろうか。いつかは日本語版も読んで比較したいものだ。