北京生活経験者の本を3冊立て続けに読んだ。本の発行年も著者の職業も違う3冊の共通点は著者が女性と言うことだ。
踊る中国人 原口純子+中華生活ウォッチャーズ(2002年10月発行)
著者の原口さんと中華生活ウォッチャーズは全員中国在住の女性たち。本書は日本人が中国生活をする上で絶対に起こるだろうハプニングや疑問(つまりは日常茶飯事)を書いたエッセイ集だ。
あるあるとうなずくネタがあれば、ボウヤにはわからない女性(主婦)ならではのネタもある。97年に出版された本を02年に文庫化するに伴い大幅な加筆修正が施されている物なので、賞味期限切れのネタもあるにはあるがそれでもほとんどがまだ通用する。北京人のライフスタイルは10年そこらで簡単には変化しない。
今日も、北京てなもんや暮らし 谷崎光(2009年5月発行)
もともと中国の商社に勤めていて現在は中国在住作家として活躍している著者が書いた北京生活のエッセイ。しかし日本人が遭遇する事件をただオモシロ可笑しく取り扱わず、内容は著者の知識と能力に裏付けされている。ニュース的性格の強いエッセイだ。
変な事件(日常茶飯事)に巻き込まれても、「コレだから中国は」という愚痴に終わらず原因を調べ立ち向かう。中国の犯罪の構造と裏側にある各人の思惑などを著者の体験を交えて書いているので読みやすく、犯罪をあまり重く取り扱っていない。
インターネットと中国共産党-「人民網」体験記 佐藤千歳(2009年12月発行)
北海道新聞の記者が中国共産党機関紙「人民日報者」のインターネット部門「人民網」に配属される。共産党の影響を多大に受ける部署で働き、中国の理不尽さに不承不承従いながらもときに驚くほど緩い規制に戸惑い、そこから見え隠れする共産党の思惑に感心する著者の記者生活がつづられた体験記録だ。
中国という国家が網民(ネットユーザー)というネットに潜伏する不定型な怪物に手をこまねいている実情が記者の目を通して明らかになる。中国政府にとって熱しやすく冷めやすい網民の反応はネットから現実世界へと波及する悩みの種だ。
ネットを使い読者層を広げ中国人民の声をくみ取るという目的の他に網民の暴発の抑制、そして共産党の利益を守るために内容には細心の注意を払って記事を書く。
デリケートなニュースを扱う記者の苦労、そしてちっとも改善されない中国の報道体制を著者の体験を通じて中国で自由を表明することの難しさを理解すると、温家宝首相が言った「言論の自由は法律の範囲内、社会の利益になる範囲内なら認められる」というおためごかしについつい騙されそうになる。この国はまだ国民全員に自由を振り分けられるほど豊かではないのだから、当分の間は制限付きの自由を与えられているだけで十分なんじゃないかと。
しかし、記者としての正式な証明がないために満足な仕事ができないと愚痴をこぼす著者の姿に思わず笑みがこぼれた。内容の重要性に対して規制の厳しさが釣り合っていない理不尽さはほとんどの外国人が遭遇する中国の歪な管理体制だ。
3冊とも外部の視点を通じて内部を観察した体験記である。取り上げている問題は各人様々だがそのどれもが我々日本人が興味を持つ中国・中国人が抱える欠点と弱点だ。中国に関する本は大なり小なりの問題点しか取り上げない。中国人は、もっと良いニュースを取り上げてくれと言うだろう。しかしゴシップの方が魅力的なのだし、北京に世界一高いビルが建設されましたというニュースと、そのビルが跡形もなく崩れましたというニュースのどちらが面白いのかなど比較にならないだろう。
問題は取り上げ方なのだ。出来の悪い子供を叱るように中国の欠点を糾弾するのではなく、かといって隣人を慮り不備の原因を指摘するのは上から目線が気に障る。あくまで同じ地平に立って遠くの方から望遠鏡を覗いて変なことをしているわと客観視すれば良いのか。
中国の状況は当分の間不変だろうしその間に面白いネタをいくつも提供してくれるだろう。そのニュースを如何に扱うか、ただ取り上げて笑うだけじゃ中国に暮らす意味はないだろう。
三者三様の本を読み戒めの気持ちが湧いた。中国で暮らすからにはあちこちに落ちている色眼鏡をなるべく掛けないように生きなければならない。