この前の日曜日に友人の誘いで北朝鮮映画祭に行きました。
と言ってもそんな大それたものではありません。映画を見ながら酒を飲む変わったバーで、北朝鮮で作られた映画を2、3本観ると言うイベントです。
これが当日行われた映画の概要。
(注意 中国のサイトに飛びます)
北朝鮮と言えば思い付くのは
そしてネタ大国だと言うこと。
北朝鮮製のガラスビンは何度もリサイクルされているからデコボコしてましてね。
しかし映画に映るのはきっと違った風景なのでしょう。
イベントは三部構成になっていまして、初めの十分間は南北戦争に関するドキュメンタリー映像が流れました。
今回のイベントは三本の異なる映画を上映し外国人に北朝鮮の理解を深めさせるという趣旨なので英語字幕です。
なので全くわかりません。唯一の救いは今回のイベントが映像を見せるというスタンスなので、そんなに難しい内容のものはやらないということです。
冒頭のドキュメンタリーが終わり、まず最初に流れたフィルムはスポーツ。
これは1966年のサッカーワールドカップで全世界の予想を裏切った北朝鮮がイタリアを劇的に下した試合の記録映像に、現在も生きている証人たちが当時を振り返るインタビューを交えたドキュメンタリー映画です(邦題 奇跡のイレブン)。
主役は当然元サッカー選手の北朝鮮人なのでみんな韓国語を喋っています。頼みの綱の英語字幕は前の外国人の頭に阻まれ見えません。
なので金ぴかの勲章をジャラジャラ付けた関係者たちのことを「戦争だったら狙い目だよなぁ」としか思えず見ていたら、十分ほど経ったところでDVDの読み込みに不具合が起こり途中で映画が打ち切られる。
先行き不安だ・・・
早めに迎えた二作目は打って変わって普通の映画。
これが笑って良いのか?と理解に苦しむ内容だった。
舞台は・・・と、もうここで説明に困る。
映画は2006年制作なので現代が舞台になっていると考えるのが普通なのだけど、要所要所に本当に現代なのか?と疑う材料が出て来る。
主人公は優しい家族と女学生。家はボクらがイメージする北朝鮮からはとても想像付かないぐらい裕福そうで、父親は新聞に載るほど有能な技術者だ。
じゃあ首都の平壌が舞台なのかと言うと、北朝鮮の四季を余すところなく表現する風景や現役で稼働中の井戸、家の裏手にある山が判断を鈍らせる。でもその家にテレビがあったり、こぎれいな制服を着た多数の学生がいる大きな校舎を見るとそれ相応の都市なのかなとも考えてしまう。
ここらへんで役者が話す本場の韓国語や英語の字幕以上よりも内容に混乱してくる。
まぁぶっちゃけると映画の内容は大したことないんですよ。
日本映画フリークの金正日が関係してるんだろうなぁってぐらい、昔の日本映画みたいに家族の不和や結束、クラスメイトとの諍いや仲直りなど『お決まり』な展開なんです。
ただ、見るべきところはそこじゃない。
役者の演技や演出まで古き日本映画なせいで観客の失笑を買うデキです。
冒頭、ドタバタ劇を演出しようとして主人公の母親がショートしたテレビに触れて感電するシーンで、
観客 ハハハハハッ・・・・・・
如何にも食いしん坊という主人公の妹が食い物で喉を詰まらせる演出に
観客 ハハハハハッ・・・・・・
学生が行う北朝鮮名物『笑顔歌謡ショウ』に
観客 フッ・・・・・・
失笑が沈む映画祭なんて初めてです。
極めつけは、主人公がクラスメイトとケンカをするシーン。二人は決着を競走で付けようといきなり走り始めるんですが、その演出が炎のランナーみたいで必死に走る二人の様子がスローで流れるんです。
靴を脱ぎ裸足で駆けてスローモーションでライバルを追い越す主人公、そして精根尽き果てたと言う風にゆっくりと倒れるライバル。
観客 ダッハッハッハッハ!!
(制作者の意向とは全く違うところで)意外と盛り上がって三作目。
主催者「三作目はモンスター映画です」
えっ?!モンスター映画?!
主催者「これは~~~日本のゴジラを~~~」
北朝鮮の怪獣映画と言えばまさか・・・・・・
主催者「~~~プルガサリ~~」
やっぱり来たっ・・・・・・
あの問題映画プルガサリだ。
詳しくはこちらのサイト様。
金正日オジサンの日本映画好きが高じて実際にゴジラのスタッフを招いて作った北朝鮮製の怪獣映画だ。日本でも見られない映画をまさか北京のこんなところで見られるとは、人生何が起こるかわからない。
主催者「だけど時間がないのでサッカーのドキュメントをもう一度流します」
嫌われたモンだな・・・・・・
北朝鮮の映画なんて見る機会がないから今回体験したことは無価値ではない。
でもこの映画を見て北朝鮮を理解することなどできない。むしろ北朝鮮の映画レベルの低さと思想の滑稽さが見世物になった結果だった。サッカーのドキュメントでも人情映画でもそうだったけど、映像の中の思想色が強すぎて「北朝鮮は北朝鮮」という偏見を観客に与えただけではなく、低レベルな演出に「北朝鮮って遅れてるな」という差別感を新たにしたイベントだった気がする。
結局みんな北朝鮮のイメージを脱却できなかった。
帰り道、ある老けた外国人の「あの映画って2006年制作なのに映画の中で使ってたパソコンのソフトウェアってオレが学生の頃触ったヤツだぜ」って言葉が印象的だった。
北朝鮮の映画は面白かったです。しかしそれは偏見の目を通さなければ感じられない面白さなので、作り手にとっては不当な評価でしょう。演出全てに思想色が透けて見えるのも北朝鮮映画の醍醐味として見ればとても滑稽で笑えます。
北朝鮮が現実と虚構を使い分けている以上、ボクらが彼らの芸術や作品を純粋に楽しめることはないんでしょうね。