著者の遠藤誉氏は1941年に中国は長春で生まれた日本人で、現在は理学博士として日中両国を股にかけて活動されている女性です。
ボクが本書を知ったのは5月上旬のこと。現代中国のアニメ業界とそれを取り巻く政治状況について述べられ、ネット上の評判も良いこともあって日本から送ってもらおうとした。
そんなところに顔の広い友人から驚くべき情報が。
なんと本書に触発された北京大学の有志が日中合同でアニメ学会を開くとのこと。しかも著者の遠藤氏も偶然中国に滞在していて顔を出していただけるらしい。
作者の生の声を聞けるし、中国人のアニメ観を知る良い機会だと早速参加する。
日中友好の場所として設けられた小さな教室には発表者含めて三十人ほどの来場者がいたが、日本語ができる中国人が多かった。
学会は幸か不幸か、本書『中国動漫新人類』の文章段落に基づいて進行された。各章の内容については以下の通り。
第一章 中国動漫新人類―日本のアニメ・漫画が中国の若者を変えた
第二章 海賊版がもたらした中国の日本動漫ブームと動漫文化
第三章 中国政府が動漫事業に乗り出すとき
第四章 中国の識者たちは、「動漫ブーム」をどう見ているのか
第五章 ダブルスタンダード―反日と日本動漫の感情のはざまで
第六章 愛国主義教育が反日に変わるまで
第七章 中国動漫新人類はどこに行くのか
ここで幸か不幸かと言ったのは、発表者はアニメ研究者がいたり全く違う分野の院生がいたりしてジャンルに富んでいたのですが、発表は著書の内容の枠から出ない作りになっていたので(悪く言えば読書感想文)、独自の意見を言えていなかったからです。むしろ著者である遠藤氏の説を立証するような構成になっていました。
しかしそれでも、各発表のあとの質疑応答では遠藤氏に質問をぶつけられるようになっていたし、日本語を流暢に喋る中国人学生が自国の動漫文化とサブカルについて発表するのに、中国人オタクに対して好奇心を新たにし、このあと届くだろう本書に期待を膨らませました。
本書は、まるですれ違うように発表の翌日に届きました。
さて、前置きが長くなりましたがここから感想です。5月に読んだ本をなんで今更レビューするのかはスルーして下さい。
全七章を一章ずつ論じるのは読む方も書く方も疲れるので、総括します。
そもそも何故中国で日本の動漫(アニメ)がもてはやされているのかと言いますと、国産アニメの質に問題があるからです。中国のアニメは子供の教育目的で作られた幼稚なものばかりで、説教臭さが鼻につきます。更にキャラクターも動物を擬人化したものや、人間を極端にデフォルメしたもので自己投影できるようなものはいません。そして声優のレベルがこれまた低く、キャラの外見と全然合っていないんです。
ここで「内容が酷いのなら声優が酷くても構わないだろう」と奇異に思われたでしょうが、中国には吹き替えアニメというものがあります。ボクはこれまでキャッツアイ、ドラゴンボール、スラムダンク、探偵学園Q、H×Hなど有名アニメを観たことがありますが、固定観念を捨てても合っているとは言い難い出来でした。
この声優問題に関しては中国人も十分理解していまして、中国動画サイトのコメントを観ると「こりゃ酷い」の嵐です。
中国のアニメイベントでよく行われる「吹き替えコーナー」が盛況なのも、こういった不満があるからかも知れません。
しかし日本アニメが好きな中国人が日本を好きだとは限りません。
数年前、日本でも大々的に報道された反日デモの参加者は若者が主体でありましたが、その中の何人が日本のテレビドラマやアニメを観ていない人だったでしょうか。
そして中国には日本好きな中国人を指す侮蔑用語『哈日族』という言葉があります。『哈』とは台湾語で渇望・希望するという意味です。『哈日族』と言われるのは中国人にとってかなりの屈辱で、『売国奴』と罵られるに相当します。
だから中国人オタクと言えども、いざというときには日本に矛先を向けます。遠藤氏はこのように日本文化が好きな中国人が平然と日本を敵対視する彼らの姿勢を『ダブルスタンダード』と論じています。
更に中国政府は海外アニメを「思想的文化侵略」の手先としています。思想性に乏しい日本アニメよりも、自由や民主主義を巧みに織り交ぜたアメリカアニメの方が危険視されているのが不幸中の幸いと言いましょうか。
しかしだからこそ、遠藤氏が危惧していることがあります。目下、日本では政府主導でアニメ文化を盛り上げようという風潮があります。麻生太郎氏が首相になった今ではこの方針が強まるかも知れませんが、日本アニメが中国に受けている一番の要因である『思想性のなさ』がこれにより冒されるかも知れません。少なくとも中国人が日本アニメ業界に『何か』を読み取り、誤解する可能性は十分あります。ならば政府が顔を出すアニメ活動は必ずしも良いことではありません。
この他、本書では遠藤氏がしきりに中国アニメ界の可能性を強調していてそれについて意見があるのですが、レビューしたい中国アニメがあるのでそこで述べたいと思います。
そして最後にアニメとは関係ありませんが、多くの日本人が誤解していることに遠藤氏の言葉を借りて説明します。
前述しましたが中国で起きた反日運動に日本人は多大な衝撃を受け、中国の反日教育とはこれほどのものかと驚愕しましたが、厳密に言うと中国には反日教育というものはありません。あるのは愛国教育です。
愛国教育とは過去に受けた屈辱、そして勝利による栄光を忘れないために学生に施される教育であります。この教育に必然的に出てくるのが日中戦争、中国で言うところの抗日戦争であり、そこで培われるのが反日感情であるのです。つまり、反日教育とは愛国教育による避けられない副作用なのです。
反日教育は愛国教育の副作用であるからこそ本筋ではないと言うことです。だからアニメやドラマなどのサブカルチャーで緩和させることもできますが、『ダブルスタンダード』という姿勢を変えさせることまではできません。ハリウッド映画はイスラム教徒も観ているのです。
そのためアニメが日中友好の架け橋になり得る一方で、日本人が中国人に対する感情はますます複雑になるでしょう。何故ここまで日本文化が好きなのに、反日感情はちっともなくならないんだ、と。
著者はいわゆる『オタク』でもアニメ研究者でもありませんので作中に疑問を感じる点が出てきますが、アニメとして第三者であり中国研究の第一人者というアンバランスな立場が卓見を示しています。「アニメが好き嫌い」では捉えられない中国の複雑なアニメ事情、そしてサブカル面から現代中国を見せた逸書だと思います。
興味がある方は、本書を買う前にこちらのサイトを見るのも手です。本書に関する遠藤誉氏の記事が読めます。