最近、青空文庫を重宝しています。
僕自身、大学時代は新青年小説を読んで探偵小説フリークに、そしてミステリ好きになった人間なのでこのようにちょっとダウンロードするだけで大好きな夢野久作や海野十三などの新青年出身作家の作品を読めてしまう青空文庫には本当に頭が上がりません。
中国の大学内には『コピー屋』があります。一枚0,1元(1,5円)でペラ紙一枚から教科書一冊までコピーすることができるし、またUSBを持って行けばファイルも印刷できるので、そこで青空文庫の小説を200枚ほどまとめて印刷しています。
夢野久作が新聞記者時代に書いた『街頭から見た新東京の裏面』や海野十三の『敗戦日記』をちゃんと紙に印刷して横書きの状態で読むと、定められた形式の日本語しかない中国では逆に新鮮に感じます。中国には日本人向けの雑誌は多いが小説が足りない。
僕自身、東京には全く思い入れがありませんが夢野久作の新東京裏紀行文を読みながら今の北京の情景を重ね合わせると、自分でもこういう地に足の着いた、勝手口からものを視ているような生活の臭いがする文章が書けるんじゃないかと錯覚したりして、建設中のビル一つを見てもなんだか物思いに耽られたり出来る。
また海野十三の敗戦日記は流石小説家が書いただけのことはあり、日記とは言えかなり詳細な記録が記述されている。SF作家らしく原子爆弾に筆を費やしているが、敗戦後には海野十三としての断筆宣言をしている。
そして彼が海野十三のPNを捨てたあとにこのようなことを書いているのには興味がいった。
今日は『高利翁事件』という三十枚ほどの本格ものを書き終えたが、本格ものは色気に乏しく、取りかかりのところなどは全く書いている方でも苦痛であるが、いよいよ肝腎の要点である推理のところへ来ると、さすがに面白さが沸き立つ。
こういう本格探偵小説―というよりも推理小説といった方がよろしかろう―が、どの程度に読者を吸収するか、今度はまだ分かっていないがあまり期待は出来ない。しかし心から面白がってくれるファンの数が少しでも殖えればいいことである。
面白さに乏しくとも、書くのに骨が折れても、当分はこの推理小説一本槍にて進むこととし、いわゆる情痴犯罪のエログロには手を染めまいと思っている。江戸川、小栗、木々などの諸友の考えもここに在るので、私もその仲間の一人として、そういう方針をぶちこわさない決心だ。
昭和二十一年 二月二日
海野十三は赤外線が見える犯人とか、両手に機関銃を仕込んでいる犯人(戦前)が出て来るいわゆる変格探偵小説を書くのが大好きだったから、この決定には勇気が要っただろうがこの心情の変化はいったい何なんだろうか。最もな理由としては、軍事科学小説を書き日本の戦争熱を鼓舞していた責任を取るための意趣変えであり、苦渋の決断だったのだろうと考えられる。
この時代はまだ本格よりも変格の方が優勢だったのだろうか。だがこの文章からでは
私の書いたこういう本格探偵小説―というよりも推理小説といった方がよろしかろう―が、どの程度に読者を吸収するか、今度はまだ分かっていないがあまり期待は出来ない。
とも読めるので早々に断言できない。しかし探偵小説全体がSFや怪奇幻想、エロスなどを何でも包括できる変格推理小説から、本格推理小説へと脱却する瞬間がここから読み取れるような気がする。
青空文庫は毎日のように過去の作品が更新されている。掲載されていない作品も多いので、これからもお世話になるだろう。
しかしドグラ・マグラとか黒死館殺人事件まで載せる必要はないと思う・・・・・・何枚刷らなきゃいけなくなるんだ。